その感情は炎となりえるか

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断章 転換点①

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 主人の変わった料理屋デナポルタにおいて、私は我が隊員らと語らっている。私以外がタスセスティーナを食みながら、という不思議な状況で。
 話の主題は先日カシュンガルで起きた争乱について。ヴィデオ・ヴィネカの目的や何故かウサギに宿っていたマヌワルス神の事は伏せながら、情報を共有していく。
 アシャ訓練兵が陥っていた状態については、敵に奇妙な毒を盛られた事にしておいた。つまり、この店の元主人が敵の一員であったことも知らせねばならなかった。タスセスティーナを食んでいた隊員らの顔がみるみる青ざめていく。
「えっと・・・つまり、ここで食事するのは、リスクがヤバイということですか?」
 皆が凍り付く中、ターヤ訓練兵が代表して質問してくる。
「そうだな。店主が変わったとはいえ、敵の息が掛かっていないとは言い切れない」
 私はオーダーしたラスグェンのスープを口にしながら、質問に答えた。
「じゃあ何で私たち此処で食事しているの!?」
 アシャ訓練兵が、堪らず問い質してくる。
「潰すよりも監視していた方が益があるし、監視するなら客として通っていた方が世話が無い。それに・・・」
「それに?」
「ここの料理は、絶品のままだ」
 私はそう言い切ってから、ラスグェンの肉にかぶり付く。うむ、柔らかくも満足感を得られる弾力、旨味と塩味の程好い塩梅は以前と遜色無い。
 私があまりにも躊躇い無く食事を続けるので、隊員らも程なく食事を再開した。
「この店の件は監督官にも報告しておくから、気にせず通うと良い。通うことが監視になる」
「まだ報告してないの!?」
 またもアシャ訓練兵が問い質してくる。毒を盛られたとされる張本人としては、過敏になるのも仕方ないのかもしれない。とはいえ、話が進まないので取り合わず、今後について話しておくことにする。
「・・・我々の訓練行程は、随分と予定から外れてしまったが、訓練兵団が部隊として機能し始めた後、カシューンの中部へと派遣されることになっている」
「流された・・・というか、カシューンの中部って開拓の最前線なんじゃ?」
「そうだ、我々はカシューン最大の激戦地で鍛え上げられることになる。まあ、部隊の再編からしなければならないから、まだ先になるだろうが」
 中部派遣の話を聞き、三人娘の間で動揺が走る。
 カシューンの中部は肥沃な大地であり、王国はこの地を手に入れ、安全に活用していくことを目指している。現在、かの地ではカシュンガルのような城塞都市の建設が進められており、その護衛がカシューン駐留軍や訓練兵団の本来の役割なのだ。
 なのだが、その実状は護衛等という生温い言葉では表せないほどに苛烈を窮めていると聞く。肥沃な大地とは、いつでもどこでも取り合いになるものなのだ。都市の完成もまだ見えてこないらしい。
 激戦地に次ぐ激戦地、死地に次ぐ死地、動揺するのも無理はない。これは、動揺しなくなる為の訓練なのだから。
「あぁ・・・話を振っておいてなんだが、今は生き残ったことを祝おう。支払いは持つので、大いに飲み食らうと良い」
『本当に!?』
 先程までの危機感はどこへやら、隊員たちは嬉々としてタスセスティーナのおかわりを注文し始めた。まったく、容赦の無い奴らである。そんなに美味しいのだろうか。
「・・・私も、タスセスティーナを頂こう!」


 ヴィデオ・ヴィネカ一派による蜂起がカシュンガルに与えた損害は、意外と軽微なものであった。
 主戦場となったのが中央広場だったことが幸いし、日時計や周辺店舗が損壊しただけに留まったのである。駐留軍への陽動が目的だったので、積極的に街を破壊しようとはしなかったようだ。
 ただ、アーデーンが暴れた南門砦には甚大な被害が出ていて、修繕作業に負われている。これにより、中庭を訓練場所としていた長期訓練兵団には休暇の延長が言い渡され、現在のところ二週間の休暇が与えられていた。
 事件から3日も経てば、皆一様に休暇を謳歌し始めていた。一部の戦闘狂たちを除いて。
「行くぞ、クリメルホ!」
「来い、ナディット!」
 宿舎横の原っぱにて、私とクリメルホは殴り合っている。もちろん喧嘩などではなく、格闘術の訓練だ。木剣で打ち合えば、一合ごとに木剣が砕け、炎の魔法を使えば、辺り一帯が焦土と化す危険があるが故であった。
 殴る蹴るの激しい応酬を繰り広げる我々を、アタオが微笑ましそうに見守っている。我々が熱くなり過ぎた時の為に、待機してもらっているのだが、彼も戦闘意欲をくすぐられたのか、参戦してきた。
 そして、三人でもって殴り合うこと数刻、中天に達した太陽を見上げながら、我々は息も絶え絶えに原っぱで寝転んでいる。
「はぁ・・・やはり仕留め切れなかったか」
 私に視線を向けながら、クリメルホが呟く。
「お二人とも・・・はぁ、腕は健在ですな」
 仰向けで大の字に倒れたアタオは満足そうに頷く。
「はぁ、まったくとんでもない奴らだよ。雌雄のデーベラウが可愛く思えてきたぞ」
 回復魔法を全身に走らせながら、私は嘆息した。
「・・・このままで良いのだろうか」
 そんな言葉が、ふと私の口から漏れ出す。
「どうしたのですか、突然?」
「いや・・・二週間も休みとなると、だらけてしまいそうだなと思ってな」
「・・・確かにな。新兵どもの事だ、休暇をただの休みとして浪費するだろう」
「今回の件を鑑みれば、それも良いとは思いますが・・・今後予定されている任務の事を思うと、不安ではありますね」
「ああ、あいつらには自力で生き残ってもらわねばならない・・・これは、自主訓練を行なうべきかもな」
「自主訓練・・・何か計画があるのですか?」
「聞くところによると、西の高原にある砦では、変わった鍛練を体験出来るそうだ。それをやってみるのも、面白いかもしれない」
「西の高原・・・ああ、あの訓練ですか。確かにちょうど良いかもしれませんね」
「・・・とはいえ、新兵どもが素直に従うとは思えないがな。その辺りはどうするつもりなんだ、ナディット?」
「あくまで自主訓練と説明するさ。生き残りたい奴だけ付いてこいと」
「ふっ・・・相変わらず、容赦の無い男だな。俺は賛成だ」
「私も異論はありませんよ」
「よし。なら早速、各分隊長を招集し、意見を聞いてみよう」


 各分隊長から、反対意見は出てこなかった。どこの責任者も同じことを懸念していたらしい。大衆酒場に集った我々は、角を付き合わせて、訓練の内容を煮詰めていった。
 訓練予定地は私の発案通り、西の高原にある砦。出発は二日後で、それから五日間ほど訓練を行なう。大体の行程が形になったところで、監督官のところへ自主訓練の許可を貰いにいく運びとなった。分隊長が雁首を揃えて、監督官の執務室へと乗り込むのだ。
「・・・ふむ」
 アタオから説明を受け、ラミダ監督官は思案顔で顎に手を当てた。
「貴様らを預かる身としては、勝手な行動は慎んで欲しいところだが・・・これは面白い。許可を出そう、それと西の砦へは私から話を通しておこう」
『御多忙の中、畏れ入ります!』
 監督官の快諾という免罪符を得た我々は、自身の預かる分隊員らへ事の仔細を伝えるべく、散開していった。だが何故か、私とアタオ、そして第六分隊長が監督官に呼び止められてしまった。
「そう気張るな、罰を与えるわけでもあるまいし・・・兵団の再編成についてだ」
 監督官曰く、今回の一件でズタボロとなった兵団を立て直す案がまとまったらしい。まず、空位となった第三分隊の位置に今の第六分隊を移行するというもの。そして、欠員のある我が第四分隊に補充兵を派遣するというものだった。
「派遣するのは、ベネス・ソラリオ、我が方面軍の兵士だ。実力は保証しよう、足は引っ張らないはずだ。今回の訓練から参加させるゆえ、再編成も済ませておくようにな」
『拝命致しました!』
 我々は礼をし、執務室を後にしようとしたが、今度は私だけが、監督官に捕まってしまった。
「あの・・・何か?」
「報告書に気になる点があってな・・・魔法使用時に違和感があるというのは事実か?」
「・・・はい。あの戦い以後、魔法の出力が安定し辛くなっておりまして・・・もしかすると、マヌワルス神を降ろしたことで、体質に何らかの変化が起きたのかもしれないと愚考しております」
「にわかには信じ難いが、貴様が狂言を宣うような輩ではないのも理解している・・・大事ないか?」
「はい、慣れてしまえば問題ないかと」
「わかった・・・下がって良いぞ」
「はい、失礼します」


 執務室を出た後、私はアシャ訓練兵らが暮らす宿舎へと足を運んだ。最近ではソリア副官もここへ移ってきたので、一網打尽というわけである。
 玄関先を掃除していた女将さんに挨拶をすると、アシャ訓練兵らは出掛けていると教えてくれた。さらに、今頃は北門通りで買い物でもしている頃だと、目星まで付けてくれた。
 礼を述べて、立ち去ろうとすると、女将は何か思い出した事を顕示するかのように手を合わせ、少し待っていて欲しいと言い残し、宿舎の中へ駆け込んでいった。
 何事かと待機していると、やがて腕に毛玉を抱えた女将が舞い戻ってきた。しかも、その毛玉を私に押し付けてきた。毛玉とは、もちろん飼いウサギのシュムである。
 曰く、シュムならアシャ訓練兵の元まで連れていってくれるかもしれないとのこと。そして、そのついでに散歩させてきて欲しいとのこと。私は精一杯の愛想笑いを浮かべながらシュムを受け取り、そのまま踵を返して、やって来た道を引き返した。
「・・・未だ居たりしますか、マヌワルス神?」
 一応、小声で問い掛けてみたが、シュムはこちらを見上げながら鼻を鳴らすばかりである。どうやら、もうすっかり普通のウサギらしい。
 女将の発想は至極真っ当なものである。シュムはこれまで何度と無く脱走し、アシャ訓練兵の元へ馳せ参じてきた。それは、必ず主人の元へ馳せ参じようとすると勘違いしても可笑しくないほどに。
 だが実際は、シュムに宿っていたマヌワルス神が、アシャ訓練兵を守護するべく、ひいてはアーデーンの復活を阻止するべく、その権能で付いて回っていたわけで。今やただのウサギであるシュムに、アシャ訓練兵を見つけ出すことなど到底出来ない。とはいえ女将に、もう神様居ないから必要無いとも言えないので、預かってきてしまったわけだ。
「相変わらず美味しそうだな、シュム?」
 そんな身も蓋もない人間の声掛けなど解るわけもなく、シュムは私の胸部に頭をぎゅっと押し付けてきている。撫でろ、ということだろうか。観念して撫でてやると、途端に安らぎ出すシュム。止めると先程のように頭を押し付けてくる。だからまた、撫でてやる。
 そんなこと繰り返しているうちに、中央広場に差し掛かった。現在、修復作業中の中央広場、通れはするが激しい戦闘の跡が、今もそこかしこに残っている。
 架設の通路を、人の流れに沿って時計回りに歩き、北門通りへと足を踏み入れた。
 ここからは、活気のある露店街、いつも通りに様々な香辛料と奇抜な料理の香りが通り全体を覆っている。
 もはや寝てしまったシュムを抱えながら歩いていると、ある露店商に声を掛けられた。
「兵隊さん、良いウサギだねぇ」
 そこは、野生獣の串焼きを販売している露店であった。
「どうだい、うちに売らないかい?」
 王国軍兵が、小遣い稼ぎとしてカシュンガル周辺の巡回中に捕まえた動物を売るのは珍しいことではない。どうやら、誤解を招いてしまったらしい。
「悪いな、主人。これは売り物じゃあないんだ」
「そう言わずに、色もつけますから」
「いや、だから売り物では・・・」
「商売上手ですね、旦那。そこらの雑種なら銅貨で引き取っているが、良質そうなそいつなら銀貨を出しましょう。どうです?」
「ほぅ、銀貨か」
「ええ、三枚の値打ちはある」
「・・・ふっ、主人よ、それは安く見積り過ぎたな? この辺りでは純白のウサギなど滅多に見掛けない。皮算用に忙しいのは、目を見れば判るぞ?」
「うっ・・・へへっ、本当に商売上手だったとは。金貨一枚、それが最大の譲歩です」
「確かに、それくらいがお互いに益のある価格だろうな。では・・・」
 その時、背後から後頭部を叩かれた。
「何で人様のウサギを売り捌こうとしてるのよ!?」
 叩いてきたのは、捜し人のアシャ訓練兵であった。
「おお、奇遇だな。捜していたんだぞ?」
「はぁ? 何でも良いからちょっと来なさい! おじさん、この子は売らないからね!!」
 アシャ訓練兵は罪の無い露店商を威嚇するなり、私の袖を掴んで、何処へか牽引し始めた。
「信じられない! 人が留守の間にシュムを盗んで、串焼き屋に売り飛ばそうとするなんて正気なの!?」
「いや、私は・・・」
「少しは見直し始めてたのに・・・こんな事するなんて! 何? 意趣返しなの? 店のバターが無くなるまでタスセスティーナを食べたことへの意趣返しなの?」
「・・・アシャ訓練兵」
「何よ!?」
 柳眉を逆立てて振り返ったアシャ訓練兵の目を、私はそれ以上に憤怒に満ちた顔で睨み付けた。胆が冷え、瞬時に萎縮したアシャ訓練兵に、私は告げる。
「そろそろ、黙って話を聴きましょうか?」
「・・・はい」
 棒立ちとなったアシャ訓練兵にシュムを渡し、私はここに来るまでの経緯を説明した。アシャ訓練兵らを捜していたこと、女将に散歩を頼まれたこと等、事細かに。
「最初から売る気など無かった。むしろ、あのまま商品を買おうとしていたのだ。もう少しで、ウサギを銅貨で仕入れているなら、串焼き一本が銅貨一枚というのはおかしいと指摘され、狼狽する店主の顔が見れたというのに」
「・・・はい」
「また感情のままに暴走したな? こちらこそ少しは見直し始めていたというのに、この体たらくだ。感情のコントロールは王国軍兵士に求められる最大の要素だというのに、また同じような事を繰り返すなど・・・」
「うぅ・・・すみませんでした」
「ふぅ・・・まあ、あの状況なら勘違いしても仕方ないかもしれないが」
「ちょっと!?」
「だが、勘違いは勘違いだ。君の場合、感情の爆発は魔法の暴走に繋がるのだから、現行犯でもない限り、慎重になりなさい。そのままでは命を落とすどころか、誰かの命を奪いかねないぞ?」
「・・・はい、すみません」
「うむ・・・それと、タスセスティーナくらい何時でも御馳走してやる」
「・・・え、本当ですか!?」
「ん? ああ・・・だから、金の為に非道を行なうなどとは今後一切疑って掛かるなよ?」
「は、拝命致しました!」
「ん? 妙に調子が良いような・・・まあ、良いか。それはそうと、残りの隊員らは一緒じゃないのか?」
「はっ、向こうの酒場で昼食中であります!」
「うむ・・・私も怒り過ぎたと反省するから、いつも通りで頼む」
「いえ、私はいつも通りでありますです!」
 タスセスティーナを御馳走するというのが余程嬉しかったのか、アシャ訓練兵は完全に舞い上がっていた。もう、叱りつけるのも面倒なので、このままにしておこう。
「そうか・・・では、案内してくれないか?」
「拝命致しました!」
 シュムを抱えたまま、スキップで先導するアシャ訓練兵。そんなにタスセスティーナが好きなのか。確かに美味しくはあったが。
 まさか本当に妙なものでも盛られたのか、そんな心配をしているうちに、隊員らが居るという酒場へと辿り着いた。
「ただいま~」
 まるで生家に帰ってきたかのようなアシャ訓練兵。そのまま、とあるテーブルまで私を導いていく。
「ただいま~」
 アシャ訓練兵は勢い良く、テーブル席に座っていたターヤ訓練兵の脇腹へ鋭く抱き付いた。本当に様子がおかしい。
 ターヤ訓練兵は短い悲鳴を上げたが、すぐに沈黙した。どうやら急所に入ったらしい。
「お? スイーツを求めて旅立ったアシャちゃんが、ナディットを連れ帰ってきたぞ?」
 シャンテ訓練兵が、私の顔を指差しながら、愉快そうにテーブルを叩いている。こちらもまた様子がおかしい。
「・・・その、分隊長。これには訳が・・・」
 何故か気恥ずかしそうなソリア副官だったが、唯一まともに会話が出来そうである。
「ソリア副官、状況報告を」
「その、どこから説明したものか・・・この店で夕食を取ることにしたのだが、シャンテが酒場に来たのに酒を頼まないのはおかしいと、葡萄酒を注文して。それから飲み易いからとターヤやアシャにも勧めだし・・・」
「・・・この惨状が出来上がったと?」
「ああ・・・アシャはスイーツを捜しに行くと飛び出して行き、私は後を追おうとしたが、後の二人に足止めされて・・・」
「・・・そして、今に至ると?」
「ああ・・・面目無い」
「・・・ちなみに、何を恥ずかしがっているんだ?」
「その・・・一応、私服だから、つい」
「・・・そうか。ソリア副官、君はシャンテ訓練兵に回復魔法を、私はこちらの二人に掛ける。酔いから冷ますぞ」
「りょ、了解!」
 私は動かなくなったアシャ、ターヤ両訓練兵の頭を鷲掴みにし、回復魔法で強制的に覚醒させた。
 そして、正気を取り戻した三人娘を並んで座らせ、それぞれの顔をこれでもかと睨み付けた。
「言い分があるなら、先に聴こう」
『す・・・すみませんでしたぁっ!!』
 三人とも示し合わせたかのように、まったく同じタイミングで頭を下げてきた。流石に今回はやらかしたという自覚があるらしい。
「はぁ・・・これだから酒の飲み方も知らない半人前は。即応性を求められる兵士が酔っ払うとは、呆れて物も言えないな」
「・・・言ってるじゃん」
「何か意見があるのか、シャンテ訓練兵?」
 いつもは何かと勝ち気なシャンテ訓練兵だが、今回は私が一睨みするだけでバツが悪そうに閉口した。
「はぁ・・・とにかく、今回は特に被害を出さずに済んだが、一つ間違えば取り返しのつかない事態に陥りかねなかった事は、反省するように」
「・・・それだけ?」
 アシャ訓練兵は意外そうに、瞬きを繰り返しながら顔を上げた。
「ん? そんなわけないだろう。今度実施する自主訓練に、貴様らは強制参加だ」
「ひっ・・・あれ、自主訓練って何の話?」
「本日、分隊長たちの間で話し合い、明後日から西の高原にある砦で訓練を行なうことにした」
『えぇっ!? せっかくの休みなのに!?』
 この三人は、こういう時ばかり息が合う。私は眉間を押さえながら、嘆息した。
「休みだからこそ、気を抜かれては困るからだ。そして、我々が懸念していたような事を貴様らが早速やらかしてくれやがった。これはすぐさま叩き直す必要がありそうだな?」
『そんな~!』
 あからさまに落胆する三人を睨み付けていると、横から袖を引かれた。
「どうした、ソリア副官?」
「その会合、私は呼ばれていないのだが?」
「・・・あっ」
 忘れてた。
「まさか、私は忘れられて・・・」
「そんな事は、無い。ただ、急な話だったから、分隊長たちにしか声を掛けなかっただけだ。失念していたわけではない」
「正規兵で参加していないのは、私くらいでは無いのか?」
「それは・・・次は、いの一番に報せよう」
「・・・やはり忘れられて?」
「それよりも、ソリア副官。君がアシャ訓練たちに恩義を感じているせいで強く出れないのは理解するが、暴走は止めてもらわねば困る。監督責任というものがあるからな」
「そうだな・・・私も猛省している。もし次があるなら、身を挺して止めよう」
「ああ、あっては困るが、その時は頼む・・・さて、まだ話には続きがあってだな。今回の訓練から、うちの分隊に補充要員がやってくる」
「はい! 質問があります、ナディット分隊長さん」
 ずっと黙りだったターヤ訓練兵が、元気良く手を挙げた。
「何だ、ターヤ訓練兵?」
「その人は女性ですか? 男性ですか?」
「・・・そこは重要か?」
「割りと、重要です」
「性別はわからん。正規兵で、名前はベネス・ソラリオというらしいが・・・」
「ふぉ!?」
 ソリア副官が隣で盛大に咳き込み始めたので、私は背中を擦ってあげながら、問い掛けた。
「どうした? 知己の人物か?」
「正規兵のベネス・ソラリオ・・・おそらく、私の弟だ」


 長期休暇の五日目の早朝、我ら第五次訓練兵団は、重武装を身に纏い、南門の前に集結していた。
 自主訓練として企画したが、ほぼ全員が参加を希望し、ここに居る。ほぼ、というのが、不満をもらしたうちの隊員らであることは誠に遺憾だ。
 第一分隊長にして兵団の総括であるアタオが、出発前にある人物を伴って、皆の前に出た。まだ幼さの残る、小柄な青年である。
「皆さん、出発の前に、本日から我らが兵団に加わる仲間を紹介します」
 そう言って、アタオはその人物に前を譲った。
「初めまして、皆さん。南部方面軍より派遣されてきました、ベネス・ソラリオです。第四分隊へ配属となりましたので、これからよろしくお願いします」
 実に簡潔な謝辞を述べ、彼が敬礼をすると、我々もそれに合わせて敬礼を返した。
 そして、ソラリオは柔和な笑みを浮かべながら、第四分隊の元へとやってきた。
「貴方が分隊長のナディットさん、ですね?」
「ああ、そうだ。よろしく頼む」
 私は頷き、彼が差し出してきた手を握った。
「お噂は予々、西部方面軍出身の強者だとか」
「強者か、あの地では凡兵に過ぎないさ・・・早速だが、ソラリオ訓練兵、君の得手を教えてもらえるか?」
「はい、僕は弓を重用しています。一通りの事は出来るつもりですが、強いて言えば、次に魔法、そして剣といった具合でしょうか」
「分かった、覚えておこう」
 握り合っていた手を離した頃、仏頂面のソリア副官がこちらへ近付いてきた。
「あっ、姉さん・・・いえ、副官殿もこれからよろしくお願いします」
「ああ・・・そうではなくて、何故この前の手紙で教えてくれなかった?」
「それは・・・姉さんを驚かせようと思って、かな?」
「お前という奴は・・・はぁ、ラーラとユッカはどうするんだ?」
 信じ難いことに、ソラリオ訓練兵には既に妻子がいるそうである。ラーラは妻の名で、ユッカは二歳になる子どもだそうだ。情報源はもちろんソリア副官である。
「二人とも、カシュンガルに越してくるよ」
「この危険地帯に? 気持ちは分かるが、王国に居たほうが・・・」
「王国内も、安全とは言えなくなってきたから。どこに居ても危険なら、傍に居た方が良いと決めたんだ。ユッカも姉さんと会いたがっているよ?」
「そうか・・・必ず会いに行こう」
「うん、そうしてよ・・・付かぬことを伺いますが、分隊長殿はおいくつで?」
「ん? 今年で19になるが・・・?」
「おお、僕より一つ上ですね」
「おぅ・・・それが、何か?」
「三つくらい上ですけど、姉さん貰いませんか?」
「ソラリオ、お前っ!?」
 ソラリオ訓練兵を瞬く間にねじ伏せてしまったソリア副官を宥めつつ、私は立ち上がろうとする彼に手を貸した。
「こうなる事は目に見えていただろうに、何故?」
「いえ、その・・・機会は逃さない方が良いかと思いまして」
「そうか? ソリア副官なら相手に困らなそうだが?」
「姉は、剣や体術は器用に扱うのですが、基本が不器用なので・・・」
「なるほどな・・・だが、そういう話は部隊の規律に関わる、程々にしておいてくれ」
「あはは・・・ええ、もう懲りました。他の隊員の方にも挨拶して来ますね」
 ソラリオ訓練兵は一礼し、外套に付いた土埃を払いつつ、アシャ訓練兵たちの方へ歩み寄っていった。
「・・・そろそろ、離してもらえないだろうか?」
 声を掛けられて、私がソリア副官の手首を掴んだままであったことに気が付いた。
「もう暴れないか?」
「・・・取り乱して申し訳ない、分隊長。もう、大丈夫だ」
「そうか」
 私は頷き、手を離した。そして、ちょうどその時にアタオが出発の号令を発した。全体の準備が整ったようだ。
「その・・・ソラリオの冗談を、あまり間に受けないで欲しい」
「ん? 分かった、そうしよう」
「・・・ありがとう」


 西の高原へ到るには、思わず笑ってしまう程、急勾配の坂を登らねばならない。
 だが裏を返せば、その坂までは傾斜のほとんどない整備された街道を通るので、行軍速度は順調そのものであった。
 加えて、カシュンガルの西というのは獣や外獣の数が少ない為、実に長閑な様相を呈している。とはいえ、行軍は行軍なので、無駄口は叩かず、軍靴を鳴らしながら、ただひたすらに足を交互に出し続けていく。
 その歩みが止まったのは、岩山の表面をジグザグに走る坂道の麓であった。
 それほど標高は高くは無いのだが、例の如く急勾配であり、重武装で登るには時間を必要とする為、ここで昼食を取っておくのだ。
 分隊ごとに焚き火を起こし、分隊長が運ぶ伝統の大鍋でラスグェンを拵えていく。野外におけるラスグェンは、すぐに出来てすぐに食べられるのがモットーとされている。多種類の食材は嵩張るうえに調理に手間が掛かるので、中にみじん切りにした香味野菜と香辛料を詰め込んだ状態で干し固められた塊肉のみを人数分、湯で煮ていく。
 これだけで美味しいスープの完成、と信じたいところだが、塩味が強く、玉葱らしきものの風味がうっすらと漂うスープと湯で戻しても依然として固い泰然自若な肉、お世辞にも美味しいと言えるような代物ではなかった。
 それでも無いよりはマシなので、顎を酷使して胃に落としていく。こんな感じの各種グェンを、これから数日毎食食べることになるが、それが当たり前なのだ。あの料理屋の味に慣れてしまうのは、酷というもの。そういう意味でも、今回の訓練には大変な意義があると言える。
 昼食を終えたら、各分隊長が集まり、今後の確認をしておく。まずは、我が第四分隊が斥候として先に坂を登り、その後を第一分隊を中心とした本隊が登るという手はずだ。これは様々な理由を想定しての事だが、主に何かしらからの襲撃に備える為である。
 道幅が無い為、先頭を行く隊は単独で敵を撃破せねばならない。そこで、今のところ正規兵三人を有する我が分隊が、兵団でもっとも戦闘能力が高いと判断され、先頭に推薦されたという顛末である。
 我が分隊は新人を迎えたばかりなうえ、アシャ訓練兵というビックリ箱を内包しているというのに、無茶を言ってくれたものだ。
 尻込みしても仕方が無いので、私を先頭に三人娘を経て、殿にソリアとソラリオの姉弟を配した。敵が我々と本隊とを分断しようとした時、それに即応出来るようにである。
 坂道には、人が二人並んで歩ける程の道幅があったが、道それ自体は整備されて居なかった。時に手を使いながら、少しずつ荒削りの道を踏破していく。
 これほどになると、まさに体力勝負となり、隊列にも徐々に乱れが生じてきていた。振り返ると、私のペースに付いて来れていたのはシャンテ訓練兵のみで、少し遅れてアシャ、ターヤ両訓練兵がお互いをカバーしながら登って来ており、相対的に殿のソリア副官達とも距離が空いてしまっている。アシャ訓練兵が身体強化の魔法を使えないというハンデが、結果として表出してきたようだ
 だが、アシャ訓練兵たちのペースに合わせては、本隊にまで遅延が伝播してしまう。私は待たずに、登り続けることを選択した。
「ちょっと、アシャちゃん達を待たないの?」
 やはり、シャンテ訓練兵が疑問を投げ掛けてきた。
「我々に求められているのは、速やかにこの坂を踏破することだ。すまないが、待つわけにはいかない」
「でも・・・こんなところを襲われたらマズいんじゃない?」
「何にせよ、登り切った場所の安全を確保すれば、後続が襲われる心配は無い。今は接敵するまで足を止めない方が良いと判断した」
「一理あるけど・・・二人が心配なんだよ」
「ソリア副官達が後押ししてくれるはずだ。待ちはしないが、彼女達の視界から消えない程度に先を行くぞ。おそらく、登り切るまで襲われることは無いだろうからな」
「・・・分かったよ」
 という訳で、私とシャンテ訓練兵は先へ進み続けた。
「・・・あのさ、聞きたいことがあるんだけど?」
「お喋りとは余裕そうだな・・・何だ?」
「ナディットって、いちいち皮肉らないと気が済まないのかな?」
「感心しただけだ、皮肉じゃない・・・それで、それが聞きたかった事では無いのだろう?」
「まあね・・・あのさ、ソラリオさんが来たじゃない?」
「ソラリオ訓練兵だけ、さん付けか?」
「失礼な、ソリアさんもだよ」
「・・・おい、私は?」
「ナディットは・・・悔しいからパス」
「失礼な奴だな・・・それで、ソラリオ訓練兵がどうかしたのか? そんなに既婚者だとは信じられないのか?」
「いや、確かに信じ難いけど、あの人がどうと言うわけじゃなくて・・・つまり何が言いたいかというと、新しく男の人が来たわけじゃない?」
「まあ、そうだな」
「パートナーは同性と組むのが最善ってなってるじゃない?」
「ああ・・・よっと、そうだな」
「ナディットは、アシャちゃんとパートナーで居続けるの?」
「・・・何?」
「いやだから、ナディットとソラリオさん、アシャちゃんとソリアさんが組めば良いんじゃないかと思ってさ。人数の問題で組んでいたわけだし」
「それは・・・」
 確かに、その通りである。そういえば、ソラリオ訓練兵を誰と組ませるのか決めていなかった。正確には、ソリア副官と組ませると、いつの間にか決め付けていたのである。
 シャンテ訓練兵の言う通り、私とアシャ訓練兵が組み続ける理由はもはや無い。彼女の暴走が懸念材料ではあるが、この一月で彼女もだいぶ成長した。今のアシャ訓練兵なら、ソリア副官で十二分にカバー出来るだろう。そうすれば、アシャ訓練兵が私に半殺しにされる機会も減るし、私も背後を気にせず自由に立ち回れる。それが、在るべき形なのではないだろうか。
「・・・この事は、アシャ訓練兵にも話したのか?」
「言ってないよ、アシャちゃんにパートナー解消の話題は禁忌だから。あたし、嫌われたく無いし」
「そうだな・・・折を見て、私から話をしてみよう。彼女に問題なければ、実行する」
「・・・そっか」
「何だ? 何か不満か?」
「いや、もう少し渋るかなって思ってたから・・・」
「ん? どういう事だ?」
「別に・・・深い意味は無いよ」
「・・・そうか」
 シャンテ訓練兵の態度に違和感を感じ、問い質すべきか思案していると、いつの間にか坂は終わり、目の前には平地と林が拡がっていた。
「どうやら、登り切ったようだな」
「はぁ・・・しんどかったなぁもう」
「私が見張っておくから、休んでいて良いぞ」
 周囲を警戒していると、程無くしてアシャ訓練兵達が追い付いてきた。息も絶え絶えのアシャ訓練兵は、ソリア副官に荷物のように担がれている。
「・・・はぁ」
 やはり、使えない魔法があるというのは、致命的なハンデなのかもしれない。いくら強大な力を秘めていようとも、介助が必要な兵士では先が思いやられるというものだ。
 私が溜め息混じりに、アシャ訓練兵の元へ歩み出そうとしたその時である。私に向けて、林の中から矢が飛来してきた。
「・・・ちっ」
 舌打ちと同時に、私は炎を現出させ、肉薄してくる矢を灰塵へと変換した。
「出てこい、暗殺など通じると思うな」
 林に向けて呼び掛けると間も無く、木陰からワラワラと身なりの汚い男達が姿を現した。山賊か、数は50人程で、我々に引けは取らない程度の重武装をしている。
 このような輩が待ち伏せているのは、予想していた。待ち伏せるなら、戦い辛い坂道よりも登り切ったところを襲撃した方が理に敵っている。相手がここへ来るまでで、勝手に疲れていてくれるからだ。
「我々は王国軍だ。その我々に矢を射掛ける意味を、理解しているのだろうな?」
 私が問い掛けると、頭目らしき男が返答してきた。
「分かっているさ、美味しい獲物だ!」
 頭目の言葉に、山賊どもから下卑た歓声が上がる。
「ああ、そうか・・・一応勧告しておくが、お前達の戦力では我々の相手にすらならないぞ?」
「今の内に吠えてな、すぐにその減らず口を叩き潰してやるからよ・・・やっちまえ!」
 山賊らは閧の声を上げながら我々へと、正確には私へと殺到してきた。
「まったく、会話にならないな・・・シャンテ、ターヤ両訓練兵はアシャ訓練兵の傍に、ソリア副官、ソラリオ訓練兵、敵を捕縛する。私に続け!」
『了解!』
 私は殺到してくる山賊共の方へと歩き出した。
 剣に槍、斧や棍棒などが振り回される中を掻い潜り、山賊を一人、また一人と当て身でもって気絶させていく。彼らを丸ごと焼失させたり、一人残らず切り刻むことも出来るが、一方的な殺戮は好まないので、拳で鎮圧することにしたのだ。とはいえ、加減を誤れば粉砕してしまうので、細心の注意を払う必要がある。
 身体強化の有無は、やはり大きい。50人居た敵も、我々三人によって瞬く間に数を減らされ、既に半分以上が地面に転がっていた。そして、登場時は威勢の良かった頭目も、青ざめた顔で歯を鳴らしながら震えている。私に襟首を絞め上げられながら。
「さて、全滅させるのは容易いのだが・・・その労力すら惜しい。降伏するのなら、痛い目を見ないで済むぞ?」
「っ・・・ば、化け物!?」
「化け物、か・・・否定はしない。人間を辞める覚悟をしなければ、勝てない奴らが居るからな」
 私は、恐怖で歪む顔を鼻で笑い、そのまま頭目を絞め落とそうと試みた。だが次の瞬間、私は頭目から手を離し、後方へ飛び退いた。また何かが私に向かって飛来してきたからだ。
 矢では無い、矢なら叩き落とせば良い。飛び退いたのは、それが予想打にしないものだったからだ。それは、火球。魔法で生み出された炎であった。
「誰だ!?」
 火球の飛んで来た方向を睨むと、そこには黒いローブを纏った男が立っていた。男はさらなる火球を私に向けて放ちながら、野太い声を張り上げた。
「おい山賊! これで報酬を払う気になったか?」
「あ、ああ! 何でも良いから、こいつらを殺してくれ!!」
「ふん・・・承知!」
 黒いローブの男は、長剣を引き抜くと、私に対して近接戦闘を挑んできた。振り下ろされる長剣を、私も長剣を引き抜きつつ、その峰で受け止め、そのまま鍔競り合いへと持ち込んだ。
「貴様、魔法を使ったな・・・ということは、脱走兵か?」
 男はフードの下で、にんまりと笑った。
「ふん、正解だ。運が悪かったな、訓練兵」
 ある程度歳を重ねており、魔法や剣技に熟達していることから、この男は駐留軍から脱走した兵士だと推察する。おそらく食い扶持を確保する為に、山賊に与しているのであろう。
「王国軍の恥さらしが・・・訓練兵団を襲うとは、何が目的だ?」
「あいつらは、ここを通る者なら何でも襲うのさ。それがたまたまお前達だっただけの事」
「こんな自殺行為に付き合うほど、貴様は義理堅いのか? 脱走兵が忠義者とは笑えないな」
「ふん、若僧が・・・奴らも、お前達も知らないだろうが、カシューンには魔法を使う者の心臓を高値で買い取る奴が居るのさ」
「我々を殺して、心臓を奪い去ろうと言うのか。愚劣さも、ここまで極めると笑えてくるな」
「ふん、悪く思うな。弱肉強食、カシューンとはその様な場所なのだから!」
「中々の経験は積んでいるようだが、貴様一人で我々の相手をすると?」 
「一人のわけがないだろう?」
 横目で確かめると、同じような黒ローブの奴が二人、ソリア副官らと交戦していた。
「諦めろ、新兵。訓練兵程度では我々に勝てるはずもない」
 これは、単純な練度の問題だ。先月、基礎訓練を終えたばかりの新人では、実戦経験豊富な古参に勝てるわけがない。
「さて、喋り過ぎたな・・・そろそろ、斬らせてもらう」
 男から掛かる力が急増していく。どうやら、身体強化の魔法を使ったようだ。
「確かに・・・相手が新兵だったら、勝ち目は無かっただろうな」
「何だ・・・押し返せない、だと?」
 男はさらに力を込めてきたが、私もそれに合わせて強化を増していく。
「脱走兵の処分は、その後の行ないも考慮される。犯罪行為の場合は・・・死罪だ」
 一瞬、蒼い燐光が私の周りに現出する。私が心の内で怒りを爆発させ、瞬間的に膂力を跳ね上げたからだ。今回の起爆剤は、もちろん脱走兵への怒り。勝手に逃げ出した上、魔法を悪用し、王国軍に仇なすとは言語道断。まさに万死に値する所業である。
「蒼い炎・・・まさか、西の!?」
 チャンスは、焦った男が距離を取ろうと、後方へ飛び退いた瞬間だった。すぐさま間合いを詰め、長剣を逆袈裟に振り上げる。すると、切っ先は男の胴を捉え、右脇腹から左の肩口にかけて一気に切り裂いた。
「ぐあっ!?」
 男はその場にうつ伏せで倒れ、大きな血溜まりを作ったものの、まだ息がある。私は歩み寄るなり、男の背面から心臓を長剣で刺し貫いた。回復魔法を使わせはしない。
 数秒の硬直の後、全身の筋肉が弛緩し、男の命がほどけていくのを、長剣越しに感じる。長剣に付着した血液を払いつつ、私は他の脱走兵らの様子を窺った。
 一人はたった今、ソリア副官の剣技の前に膝を屈した。そしてもう一人も、ソラリオ訓練兵が鎮圧しようとしている。彼の放つ鏃に炎を纏わせた矢は、当たるとその箇所から一挙に燃え盛り、身体の内外を同時に炙られることになるようだ。それを三つも食らった哀れな脱走兵は、掠れた悲鳴を発しながら、地面に倒れ込んだ。
「・・・さて、山賊共。降伏をする気になったか?」
 どういう相手に因縁を付けたのかを理解した頭目は、首が千切れそうな程、何度も何度も頷いた。
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