エルゼリアの石 -Stones of Erserhia-

水野煌輝

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第1章 守護神石の導き

第1話 隠されていた真実(2)

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家路につきながら、ティムは死んだ父親のことについて考え耽っていた。

ハグルに伝えた理由は嘘じゃない。旅なんて大変だし、できることならやっぱり行きたくはない。大体魔族相手に自分が何かできるとも思えない。しかしそれ以上にティムは、自分の父親のことを認めることができなかった。村を襲ったトロルと戦って死んだのなら仕方ないと納得ができるが、幼い自分と母親を捨ててまでわざわざ旅に出た結果死ぬなんて、ティムにはどうしても納得ができなかったのだ。

ハグルは、明日また答えを聞くからじっくり考えておけ、と最後に言った。

商店街に着いた。肉屋、雑貨屋、靴屋などが立ち並んでいる中に、グラハムの経営するパン屋もある。

かまどでパンを焼いていたグラハムは、待っていたかのように話しかけてきた。
「おう、坊主。ハグルさんとの話はもう済んだのか」

「うん。まあね」

その時、店の奥からベネッサが現れた。手にはパン生地のついたきねを何本か抱えている。
「あら、ティムじゃない。ハグルさんとの用事は済んだの?」

「うん。仕事はどう?はかどってる?」

「まあまあね。それより用事済んだんならこんな所で油売ってないで、ヤギの世話でもしなさいよね」

ぶつくさ言うベネッサを横目で見ると、グラハムはふふっと笑った。
「ベネッサ、さっきの生地、かまどに入れてから随分経つけど、大丈夫なのか?」

一気にベネッサの顔色が変わる。
「いっけなーい!忘れてた!」
悲鳴のような声を上げると、ベネッサは慌てて店の奥へと戻って行った。

グラハムはティムに向き直った。
「それで、何の話だったんだ?」

「別に。何事かと思ったけど、全然大したことじゃなかったよ」

適当な返事をしてその場を去ろうとしたティムに、グラハムはぼそっと呟いた。
「そうだな。あいつの死に方なんか、お前にしてみたらどうでもいいよな」

ティムは、ぎょっとしてグラハムの方へ向き直った。
「何でそれを?」

「ハグルさんがこの前言っていたんだ。そろそろお前に真実を打ち明けようと思う、とな。それで今日お前が呼び出されたとなれば、後は簡単に想像がつくさ」

店の奥から、ベネッサのあまり上品とはいえない叫び声が聞こえてきた。どうやら少し遅かったらしい。

叫び声を聞いたグラハムはやれやれと苦笑いすると、またティムに向き直った。
「で、どうだったんだ?」

「まあ・・・はっきり言って、『ふざけんな!』って思ったね」

意表を突く返答だったらしく、グラハムはティムの顔を見て目を瞬かせた。
「そりゃ何に対してだ?」

「親父に決まってるだろ」
ティムは目を細めて一つ息を吐くと、カウンターに寄りかかりながら愚痴るように話し始めた。
「トロルから村を救ったり魔族を倒す旅に出るのは大いに結構だけどさ。親父は、俺と母さんを置き去りにしたんだよ。母さんはその後すぐに死んじゃったし、俺は親なしで生きていく羽目になったんだ。勝手に旅に出て勝手に死んだくせに、俺に遺志を引き継がせるなんて、都合が良過ぎると思わない?」

「まあ、細かいことはいいじゃないか。どうせこんな村にずっといたって、面白くないだろう?」
グラハムは、握ったパン生地を木のまな板に小気味よく叩きつける。
「旅はいいぞ。やっぱり若者は旅に出ないとなぁ、旅に!」

「何呆けたこと言ってんだよ」
グラハムの適当な発言にいちゃもんを付けると、ティムは少し声の調子を下げて続けた。
「それに親父は英雄だったのかもしれないけど、俺は違う。英雄なんかじゃない。ただ何も考えず、だらだらと生きているだけの怠け者さ。魔族と戦うなんて俺には・・・」

グラハムはティムを神妙な顔つきで見つめていたが、不意に店の奥にいるベネッサに声をかけた。
「悪いな、ベネッサ。ちょっと空けるぞ。昼までには戻ってくる」

「え、ちょっと!それまで私一人で切り盛りしろっていうの?」

ベネッサの甲高い声が聞こえているのかいないのか、グラハムは早速出かける支度に取り掛かっていた。

「どこ行くの?」

「まあ、ちょっと付き合えよ」




グラハムに連れられ、ティムはタロ川のほとりに来た。

早春の晴れの日に見るタロ川は美しかった。川のせせらぎも耳に心地よい。草むらにはタンポポやスミレの花が五分咲き程にまでなっていて、辺り一面に春の足音が響きわたっていた。

タロ川に向かって座ると、グラハムは目を細めた。
「いやあ、グレンアイラ村にタロ川があって本当に良かったよな。エルゼリアのどこだって、ろくな水なんて飲めやしない。飲み水よりも葡萄酒やビールの方がずっと安く飲める。でもこの村は別だ。このタロ川のうまい水と、グレンアイラの良質な小麦から挽いた小麦粉を練り合わせることで、グラハムパン屋のパンは出来るんだ。これで不味いはずはないってわけだ」

「はいはい」
ティムはぶっきら棒に返事をする。このまま放っておくと店の自慢を延々と聞かされそうだ。
「それで何なの、用件って」

「用件って何のことだ。俺はただ、たまにはお前とちゃんと話をしたいと思っただけだ」
グラハムがすっとぼけてみせる。横顔を見ると、にかにかと笑っていた。

「いやあ、ちょっと何言ってるか・・・」

「わかった。そんなに言うなら、この際はっきり聞こうじゃないか。お前、親父のこと嫌いか?」

「・・・嫌いじゃないとは言い難いね」

「はっはっは!正直な奴だな、お前は!」
グラハムは一通り笑った後、「いやあ、嫌いになっちまったかあ」と、どこか寂しげに言った。

「そりゃそうでしょうが。正義ダァー!平和ダァー!って言いながら、家族捨てて蒸発して死んだ父親のことなんか、普通好きになれます?」

「うわー。そうやって聞くと、ひでえ親父だなあ!」
グラハムは、さっきよりも豪快に笑うと言った。
「でも真実は、本当にそうかな?」

「どういう意味だよ?」

「あいつはな、常に周囲のために行動する男だったんだ。最初は生まれ育ったこのグレンアイラ村の人々のためだったが、成長するに従い視野も広がっていき、次第にエルゼリア中の人々のことを考え始めるようになった」

「それで、魔族を倒すなんていうドアホな旅に出たんだろ?」

「そうだ。だがそれがきっかけじゃない。あいつを魔族を倒すなんていう無謀な旅に駆り立てるものがあった。それはティム、お前だよ」

ティムは反射的にグラハムを見た。
「俺?」

「お前が生まれてからも、周囲を第一に考えるあいつの性格は変わらなかった。だがお前は何よりも誰よりも、あいつにとって大事な存在だったんだ。しかし魔族は、少しずつ確実にエルゼリアを蝕んでいる。このままではこの世に生を受けたばかりのお前の未来が危ない。あいつはそう思った」

ティムはタロ川のゆるやかな水面に視線をやりながら、ぼんやりとグラハムの話に耳を傾けていた。水面では数羽の水鳥が孤を描くようにして泳ぎ戯れていた。

「だが旅を決意した後も、あいつはお前やお前の母親のことが気がかりだった。何しろ無謀な旅だ。いくらあいつとはいえ、死ぬことは十分にあり得る。そしてあいつもそれをよく分かっていた。だからあいつは俺に、『もしものことがあったらティムのことをよろしく』と頼んだんだ。俺だけじゃない。村人全員に頭を下げて頼んで回ったんだ。勿論、皆声を揃えて承諾した。人があいつに何かを頼むことはあっても、あいつが人に何かを頼むことはあれが最初で最後だったな」

ティムは何も言わず、ただ水面を見ていた。そういえば両親がいないのにも拘わらず、ティムは今まで寂しいと思ったことは一度もなかった。村の皆がずっと支え続けてきてくれたのだ。

「結局、あいつは瀕死の重傷でこの村に帰ってきた。だがハグルさんによると、死ぬ間際にあいつは必死にあの青い石をお前に託そうとしていたらしいじゃないか。自分の死を悟ったあいつは、エルゼリアを救うという決意を石と共に、息子であるお前に託そうととっさに考えたのだろう」

グラハムは近くに落ちていた小石を掴むと、川に向かって投げた。小石は水面を三、四回飛び跳ねると、向こう岸に飛び込んだ。

「今のお前に、魔族を倒す旅なんてできる自信がないのは当然だ。そんなことそうそうとできるもんじゃないさ。正直、石をどうしようとお前の勝手だ。そりゃあ受け取らない方が楽さ。だがこれは、お前の人生の転機なのかもしれない。これに乗るか乗らないかで、お前の人生の意味は全く変わってしまうだろう。お前は今、人生最大の岐路に立っているんだ」

「人生最大の岐路ねえ」
ティムは目を細めた。

「ま、ちょっと話が逸れちまったな。まあ要するに俺としては、今回の件について、お前に頑張ってほしいと思ってるわけだよ」

その時、きゅぐるるうと異質な音がその場に響いた。

「あ、ごめん。俺、お腹空いちゃったみたいで」
ティムは照れくさそうに舌を出し笑った。空腹のあまり、腹の音が鳴ってしまったのだ。

「ふふふ。もうすぐお昼時だな。俺は仕事に戻るとするよ」
グラハムは腰を上げた。

「お、ラッキー。ついでに、昼飯食べさせてよ」

「いいぞ。ただ、昼飯までサービスというわけにはいかんな」

「何だよ、それ。グラハムおじさんのケチ」

「バカヤロー。お前みたいなぐうたら坊主に売ってやるだけでもありがたく思えってんだ」

そんな会話を交わしながら、二人は村へ戻って行った。



夕方になると、グラハムは店仕舞いに取り掛かった。
今日も売上は寂しかった。グレンアイラの人々皆がパンを買う時はここを利用するので客はいるのだが、価格はぎりぎりまで下げているので儲けは僅かしかない。

グラハムが道具を洗い終わり店先に戻ってくると、そこにはハグルの姿があった。

「あ、ハグルさん。こんばんは」

「まだ売ってくれるかね?」

「ええ、勿論。どれにしましょう?」

「パンを三斤程頂こうかのう」

グラハムは、パンを紙に包みながら、さりげなく切り出した。
「そういえば、今朝ティムと例の事について、お話をされたんですよね」

するとハグルは顔を露骨にしかめると、待っていましたとばかりに口を開いた。
「ああ。わしが石を見せて渡そうとしたら、あいつめ、面倒臭いといって断りおった」

ハグルはこめかみに立派な青筋まで立てている。かんかんに怒っているようだった。

ティムはグラハムには『面倒臭い』という言葉を使わなかったが、それもティムの本心だろうと思い、グラハムは思わず微笑んだ。

「ははは。面倒臭いだなんて、あいつらしいですね」

「まったくじゃ。どうもあいつには根本的に誠意というものが無いわい。あんなたわけを信じたわしが間違っておったのかのう」

「いやあ、あいつは引き受けますよ」

グラハムの言葉に、ハグルは眉をひそめた。
「どういうことじゃ?」

「結局あいつはボヘミアンの子ってことですよ。お待たせしました」

グラハムが包み終えたパンをハグルに手渡した時、丁度晩課の鐘が鳴り響いた。
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