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3. 養殖種
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金髪男の名前は綾部燈というのだそうで、甲部巳鶴は、彼とこの二階建て地下一階の一軒家を借りてシェアハウスして暮らしているらしい。
俺は先ほどの地下の尋問部屋からは解放され、二階の空き部屋に居候という名の監禁をされることになった。空き部屋はシーズンオフになって仕舞われた彼らの洋服だったり、彼らのどちらかが描いたのであろう油絵だったり、週刊雑誌だったり古い本だったりが乱雑に詰め込まれている。そのほんの空いたスペースに煎餅布団が敷かれ、色褪せた合成木材のローテーブルが置かれた。それが俺の新生活の環境だった。外はすっかり暗くなっているにも関わらず、綾部は外へ、甲部は家の中で各々の仕事に取り掛かっているようで、暇を持て余した俺は天井で剥き出しになってるコンクリートを見つめながら、様々な疑問を浮かべては、ああでもない、こうでもないと考えを巡らせていた。蛍光灯の光に小指の爪が反射する。
本当にこのモニターによって全てを管理されているとしたら、なぜ甲部は未だに見つかっていないのだろうか。彼がメディアに取り上げられるようになってから、もう半年になる。なんらかの原因でモニターが機能しなくなっているのだろうか。そうであっても、では何故同じくモニターを付けられている俺をここに置いておく?この監禁が長期に渡った場合、管理している側が不審に思ってこの場所を暴き出すことだってあり得ない話ではない。それは彼らが望まない展開ではないのだろうか。
そもそも甲部巳鶴は何故《行方不明》になったのだろうか。
自分の軽率な好奇心と自己顕示欲が原因ではあるとはいえ、突然数多の謎が犇めく海に突き落とされ、頭はショート寸前だ。早くも気を狂わせそうになる。
「考えてるだけじゃダメだ」
と自分に言い聞かせて体を起こす。初期化されて手元に戻ってきた電子パネルの電源を入れて、インターネットに接続する。小指のモニターについて、何か載っているかもしれない。例えば、モニターの電源の切り方とか、一時的に機能停止にする方法とか、どこで誰が数千万人の養殖種のデータを管理しているのかとか。しかし、残念ながら目ぼしい記事は見つからなかった。養殖種の小指がモニターであるということすら言及されていない。黒い爪は天然種との区別の為であると、誰もがそう論じている。
あと考えられることといえば、甲部巳鶴が嘘をついているということ。自分に彼がでっち上げの情報を流す理由は思い付かないが、元々何を考えているか分からない男だ。行動原理を理解出来ない現時点では、その可能性も捨て切ることは出来ない。俺は電子パネルをズボンの尻ポケットに差し込み、部屋を出た。
俺の部屋の向かいには、ドアが開けっぱなしにされた甲部巳鶴の部屋がある。四角く切り取られた枠の中に、彼はこちらに背中を向けて座っていた。
「モニターのことについて、調べても出てこなかったろう」
彼はこちらに振り向いて、微笑んだ。
「どうして、分かったの」
「君の電子パネルをただ初期化しただけなわけないでしょ。君がこの電子パネルで何をしているか、俺たちに分かるようにしたんだよ。インターネットに俺たちのことを発信したり、助けを求めたりしないあたり、やっぱり君は愚直というか、ここまで来ると愚鈍とも言えるね。まあ入って、座りなよ。俺に聞きたいんでしょ、色々と」
彼に促されるまま、俺は空色のソファに腰掛けた。部屋の大きさは俺が詰め込まれた空き部屋とそれほど変わらず、ベッド、ソファ、ローテーブル、パソコンデスク、本棚、クローゼットだけが置かれている、小ざっぱりとした部屋だった。甲部はデスクチェアに座ったまま、ゆらゆらと左右に揺れている。
「と言っても、俺よりも色々よく知ってるのは燈の方なんだけどね」
「彼が?彼は天然種で、養殖種のことを知ったところで自分には関係無いはずなのに」
「何かを知る理由に、自身への関与の有無なんて必要ないさ。知りたいという気持ち、ただそれだけで十分なんだよ。むしろ君は自分に関係ない事ならば、知らなくても良いのかい?」
「……考えたこともなかったよ」
「そうか。でもそれは当たり前の事だよ。世の中のほとんどの人間がそう仕組まれているからね。本来なら《知る》という行為はプロセスで、結果はその先にあるというのに、ほとんどの人間は《知る》という行為を結果に持ってきて、そこまでのプロセスに理由や意味を付けようとする。何故か。本当は知りたくないから。理由付けも意味付けも、言い訳に過ぎない。知れば悩みの種になる。不安の肥料になる。憂鬱という芽が顔を出す。それを避けたいと思うのは、極々普通のことなんだ。特に俺たち養殖種は、ファームの時からそう躾けられている。《パスター》が言っていなかったか?『知る時には知る理由を持ちなさい。好奇心に殺されるな』と」
「言っていた」
「でも、わざわざ理由付けするのも面倒だ。だったら知らないままで良い。自分には関係のないことだから。こうして人間は知ることを辞めていったし、必然的に、思考するということすら怠るようになったわけだよ。それが国にとっても好都合だった。こうして小指にモニターを付けても何も疑われず、易々と養殖種を自分たちの管理下に置けているのだから」
俺はここでハッと、甲部巳鶴に投げかけようと思っていたいくつもの疑問を思い出し、「待った」をかけた。甲部は深い夜空を落としたような瞳で俺の目を見つめて、じっと言葉を待った。
「その、管理のことだけど、甲部くんはさっきも『体調や居場所を管理されてる』と言っていたよね」
「うん、言ったね」
「でもそれだと、おかしいと思ったんだ。じゃあ何故君は未だに『行方不明』で捜索され続けているんだ?って。君のことをニュースで観るようになってから随分経つけど、毎日大々的に報じられている。他の行方不明者の捜索ニュースは一ヶ月もすればほぼ報じられなくなるというのに」
「そうだね」
甲部は微笑んだまま表情をピクリとも変えない。俺は自分が変な事を言っているのではないかと不安になってきた。
「甲部くんは、どうして《行方不明》なの?」
「どうして、ねえ」
そう言って彼は俺から一度目を逸らし、窓の外を見ながらしばらく黙っていた。言葉を選んでいるように見えた。あるいは、言葉を組み立てているように見えた。
「荻窪くん。人間が養殖されるようになってから大きく変わった社会のことって何だと習った?」
「ファームの小学校で……犯罪が減ったって教わったのを覚えてる。少なくとも養殖種からは犯罪者が出ていなくて、犯罪をするのは奔放な育ち方をした天然種ばかりだと」
「実はそれは虚実でね、養殖種の中には犯罪を犯す奴も少なくないんだよ」
「なんだって」
「これは俺が大学生の時、行動科学に行動心理学を交えて行った研究で分かった事なんだけど、刑務所で服役している人間の半分がファーム出身の養殖種だった。メディアは嘘をついていた。養殖種が犯した事故や事件も、存在しもしない天然種の人間をでっち上げて加害者として報じた。養殖種としての本来の彼らのことは『行方不明』ということにした。それから爪のモニターを取り上げて、別の名前を与えて、今後は天然種として生きる事を強いていたんだ」
「ひどい。何の為に…」
「『養殖種は健全で安全な人種である』ということを世の中に印象付けし、ファームの増設や養殖事業の発展、さらには国の国民管理の肯定が目的だろうと俺は見ている。人間養殖の信頼を世論から勝ち取るために。もちろん、メンタルヘルス管理もされ、早期に適切な処置を受けられるようになったおかげで犯罪の全体数は減ってきている。けど、数が減っただけで『率』で見るとほぼ横這いなんだ。で、俺はこれを論文にした。そしたら、無難な部分だけ掻っ攫っていった教授が俺の論文内容を管理局に垂れ込んだ。そして俺は、国家反逆罪に問われてお尋ね者になってるってわけ」
「それで、表向きは《行方不明》ってことになっているんだね」
「そういうこと。当然、俺のモニターも偽造品。養殖種の死体から剥ぎ取ったモニターと自分のモニターを取り替えてるんだ」
それを聞いて、頭から血の気が引いていくのが分かった。おそらく青ざめている俺の顔を見てか、甲部が悪戯っ子のような笑みを浮かべる。
「モニターを取り替えたところで、俺は別人になれるわけじゃない。俺の小指から離れた時点で、その情報はモニターを通して管理局に送られている。でも、モニターが剥がれてしまうことも珍しいことではないさ。怪我や事故で失ってしまう人もいる。そういう場合、直ちに小指の《治療》を受けるよう通達が来る。俺の所にも来た。けど、俺はそれを無視した。これもまた違法行為だから、そんなこんなで俺は二つも罪を抱えてしまっている次第なんだ」
まるで他人事のような口調で甲部は語った。
俺は、こんな事で罪を問われるなんておかしいと感じた。怒りにも似た気持ちだった。誰の事も傷付けず、真実を追求してるだけで犯罪になるなんて。何も間違ったことはしていないじゃないか、彼は。何故それが認めてもらえないのか。俺たちは国にとっての何だ?
健全と安全の形はこんなに窮屈で理不尽なものなのか?
「甲部くん、俺、君に協力するよ」
俺の言葉に甲部の片眉が上がった。
「急にこんな事言っても信用してもらえないかも知れないけど、でも、甲部くんが間違ってるとは到底思えない。君をとことん逃す為に、俺も出来る事をしたい」
「それで自分も追われる身になっても?」
「うん、構わない。ここで君のことを警察や管理局に通報する事の方が、間違ってる事だと思ったから」
「そう。君は本当に素直だね。いいよ、好きにしな」
胸の鼓動が高鳴り始めた。非日常に踏み込んだという自覚が湧いてくる。もう後戻りは出来ない。彼らと一緒に、此の世の果てまで逃げ果せてみせるぞと、意気込んだ身体が震え出す。
いつのまにか雨が降り出していたようで、窓に雨粒がぶつかる音がしている。断続的だった音は徐々に連続的になり、激しさを増していく。時計を見ると二十時を回っている。俺は、まだ帰ってこない綾部のことが気になり始めた。
「綾部くん、遅いね」
「ああ、いつもの事だよ。仕事が夜に入った時は、だいたい朝方帰ってくるかな」
「不規則な仕事なんだね」
「うん。……さて、俺たちは飯にしよう。炒飯でいいかな」
「甲部くん、料理するの!」
「昔はしなかったけど、燈に教えてもらうようになってから自分でもするようになったんだ。やってみると意外と楽しくてね」
二人でダイニングへ降りて、夕食支度を始めた。テレビを付けると、ちょうど夜の情報番組が付いた。関東全域に大雨警報が発令されたこと、同じ都内の少し離れた所で殺人事件があって犯人は未だ逃走中ということ、《行方不明》の甲部巳鶴の目撃情報を募っているということ…………。チャンネルを変える。ネイチャー系ドキュメンタリー番組が映る。俺と甲部は宇宙の歴史やら人類の歴史やらに耳を傾けて、その広大な世界に思いを馳せた。
夕食後、経験の無いほど濃度の高い一日に疲れたのか俺は激しい眠気に襲われ、甲部に促され先に就寝した。雨の音が心地良かった。今後の不安もあったが、今は刺激的な非日常がこれから始まる事や、もう就活をしなくていいという安堵の方が優って、穏やかな心持ちで眠りについた。
遠くでドアの閉まる音、足音、囁き声、物音。目を開けて電子パネルに手を伸ばす。時刻は朝の四時。窓の外には不思議な青色に鈍く景色が映っている。きっと綾部が帰ってきたのだろう。洗面所の水の音、洗濯機の電子音が聞こえる。住宅街の真ん中にある自然公園の方からだろうか、ヒグラシの声がしている。静かで、穏やかだ。俺はもう一度目を閉じた。日常世界よ、さようなら。
俺は先ほどの地下の尋問部屋からは解放され、二階の空き部屋に居候という名の監禁をされることになった。空き部屋はシーズンオフになって仕舞われた彼らの洋服だったり、彼らのどちらかが描いたのであろう油絵だったり、週刊雑誌だったり古い本だったりが乱雑に詰め込まれている。そのほんの空いたスペースに煎餅布団が敷かれ、色褪せた合成木材のローテーブルが置かれた。それが俺の新生活の環境だった。外はすっかり暗くなっているにも関わらず、綾部は外へ、甲部は家の中で各々の仕事に取り掛かっているようで、暇を持て余した俺は天井で剥き出しになってるコンクリートを見つめながら、様々な疑問を浮かべては、ああでもない、こうでもないと考えを巡らせていた。蛍光灯の光に小指の爪が反射する。
本当にこのモニターによって全てを管理されているとしたら、なぜ甲部は未だに見つかっていないのだろうか。彼がメディアに取り上げられるようになってから、もう半年になる。なんらかの原因でモニターが機能しなくなっているのだろうか。そうであっても、では何故同じくモニターを付けられている俺をここに置いておく?この監禁が長期に渡った場合、管理している側が不審に思ってこの場所を暴き出すことだってあり得ない話ではない。それは彼らが望まない展開ではないのだろうか。
そもそも甲部巳鶴は何故《行方不明》になったのだろうか。
自分の軽率な好奇心と自己顕示欲が原因ではあるとはいえ、突然数多の謎が犇めく海に突き落とされ、頭はショート寸前だ。早くも気を狂わせそうになる。
「考えてるだけじゃダメだ」
と自分に言い聞かせて体を起こす。初期化されて手元に戻ってきた電子パネルの電源を入れて、インターネットに接続する。小指のモニターについて、何か載っているかもしれない。例えば、モニターの電源の切り方とか、一時的に機能停止にする方法とか、どこで誰が数千万人の養殖種のデータを管理しているのかとか。しかし、残念ながら目ぼしい記事は見つからなかった。養殖種の小指がモニターであるということすら言及されていない。黒い爪は天然種との区別の為であると、誰もがそう論じている。
あと考えられることといえば、甲部巳鶴が嘘をついているということ。自分に彼がでっち上げの情報を流す理由は思い付かないが、元々何を考えているか分からない男だ。行動原理を理解出来ない現時点では、その可能性も捨て切ることは出来ない。俺は電子パネルをズボンの尻ポケットに差し込み、部屋を出た。
俺の部屋の向かいには、ドアが開けっぱなしにされた甲部巳鶴の部屋がある。四角く切り取られた枠の中に、彼はこちらに背中を向けて座っていた。
「モニターのことについて、調べても出てこなかったろう」
彼はこちらに振り向いて、微笑んだ。
「どうして、分かったの」
「君の電子パネルをただ初期化しただけなわけないでしょ。君がこの電子パネルで何をしているか、俺たちに分かるようにしたんだよ。インターネットに俺たちのことを発信したり、助けを求めたりしないあたり、やっぱり君は愚直というか、ここまで来ると愚鈍とも言えるね。まあ入って、座りなよ。俺に聞きたいんでしょ、色々と」
彼に促されるまま、俺は空色のソファに腰掛けた。部屋の大きさは俺が詰め込まれた空き部屋とそれほど変わらず、ベッド、ソファ、ローテーブル、パソコンデスク、本棚、クローゼットだけが置かれている、小ざっぱりとした部屋だった。甲部はデスクチェアに座ったまま、ゆらゆらと左右に揺れている。
「と言っても、俺よりも色々よく知ってるのは燈の方なんだけどね」
「彼が?彼は天然種で、養殖種のことを知ったところで自分には関係無いはずなのに」
「何かを知る理由に、自身への関与の有無なんて必要ないさ。知りたいという気持ち、ただそれだけで十分なんだよ。むしろ君は自分に関係ない事ならば、知らなくても良いのかい?」
「……考えたこともなかったよ」
「そうか。でもそれは当たり前の事だよ。世の中のほとんどの人間がそう仕組まれているからね。本来なら《知る》という行為はプロセスで、結果はその先にあるというのに、ほとんどの人間は《知る》という行為を結果に持ってきて、そこまでのプロセスに理由や意味を付けようとする。何故か。本当は知りたくないから。理由付けも意味付けも、言い訳に過ぎない。知れば悩みの種になる。不安の肥料になる。憂鬱という芽が顔を出す。それを避けたいと思うのは、極々普通のことなんだ。特に俺たち養殖種は、ファームの時からそう躾けられている。《パスター》が言っていなかったか?『知る時には知る理由を持ちなさい。好奇心に殺されるな』と」
「言っていた」
「でも、わざわざ理由付けするのも面倒だ。だったら知らないままで良い。自分には関係のないことだから。こうして人間は知ることを辞めていったし、必然的に、思考するということすら怠るようになったわけだよ。それが国にとっても好都合だった。こうして小指にモニターを付けても何も疑われず、易々と養殖種を自分たちの管理下に置けているのだから」
俺はここでハッと、甲部巳鶴に投げかけようと思っていたいくつもの疑問を思い出し、「待った」をかけた。甲部は深い夜空を落としたような瞳で俺の目を見つめて、じっと言葉を待った。
「その、管理のことだけど、甲部くんはさっきも『体調や居場所を管理されてる』と言っていたよね」
「うん、言ったね」
「でもそれだと、おかしいと思ったんだ。じゃあ何故君は未だに『行方不明』で捜索され続けているんだ?って。君のことをニュースで観るようになってから随分経つけど、毎日大々的に報じられている。他の行方不明者の捜索ニュースは一ヶ月もすればほぼ報じられなくなるというのに」
「そうだね」
甲部は微笑んだまま表情をピクリとも変えない。俺は自分が変な事を言っているのではないかと不安になってきた。
「甲部くんは、どうして《行方不明》なの?」
「どうして、ねえ」
そう言って彼は俺から一度目を逸らし、窓の外を見ながらしばらく黙っていた。言葉を選んでいるように見えた。あるいは、言葉を組み立てているように見えた。
「荻窪くん。人間が養殖されるようになってから大きく変わった社会のことって何だと習った?」
「ファームの小学校で……犯罪が減ったって教わったのを覚えてる。少なくとも養殖種からは犯罪者が出ていなくて、犯罪をするのは奔放な育ち方をした天然種ばかりだと」
「実はそれは虚実でね、養殖種の中には犯罪を犯す奴も少なくないんだよ」
「なんだって」
「これは俺が大学生の時、行動科学に行動心理学を交えて行った研究で分かった事なんだけど、刑務所で服役している人間の半分がファーム出身の養殖種だった。メディアは嘘をついていた。養殖種が犯した事故や事件も、存在しもしない天然種の人間をでっち上げて加害者として報じた。養殖種としての本来の彼らのことは『行方不明』ということにした。それから爪のモニターを取り上げて、別の名前を与えて、今後は天然種として生きる事を強いていたんだ」
「ひどい。何の為に…」
「『養殖種は健全で安全な人種である』ということを世の中に印象付けし、ファームの増設や養殖事業の発展、さらには国の国民管理の肯定が目的だろうと俺は見ている。人間養殖の信頼を世論から勝ち取るために。もちろん、メンタルヘルス管理もされ、早期に適切な処置を受けられるようになったおかげで犯罪の全体数は減ってきている。けど、数が減っただけで『率』で見るとほぼ横這いなんだ。で、俺はこれを論文にした。そしたら、無難な部分だけ掻っ攫っていった教授が俺の論文内容を管理局に垂れ込んだ。そして俺は、国家反逆罪に問われてお尋ね者になってるってわけ」
「それで、表向きは《行方不明》ってことになっているんだね」
「そういうこと。当然、俺のモニターも偽造品。養殖種の死体から剥ぎ取ったモニターと自分のモニターを取り替えてるんだ」
それを聞いて、頭から血の気が引いていくのが分かった。おそらく青ざめている俺の顔を見てか、甲部が悪戯っ子のような笑みを浮かべる。
「モニターを取り替えたところで、俺は別人になれるわけじゃない。俺の小指から離れた時点で、その情報はモニターを通して管理局に送られている。でも、モニターが剥がれてしまうことも珍しいことではないさ。怪我や事故で失ってしまう人もいる。そういう場合、直ちに小指の《治療》を受けるよう通達が来る。俺の所にも来た。けど、俺はそれを無視した。これもまた違法行為だから、そんなこんなで俺は二つも罪を抱えてしまっている次第なんだ」
まるで他人事のような口調で甲部は語った。
俺は、こんな事で罪を問われるなんておかしいと感じた。怒りにも似た気持ちだった。誰の事も傷付けず、真実を追求してるだけで犯罪になるなんて。何も間違ったことはしていないじゃないか、彼は。何故それが認めてもらえないのか。俺たちは国にとっての何だ?
健全と安全の形はこんなに窮屈で理不尽なものなのか?
「甲部くん、俺、君に協力するよ」
俺の言葉に甲部の片眉が上がった。
「急にこんな事言っても信用してもらえないかも知れないけど、でも、甲部くんが間違ってるとは到底思えない。君をとことん逃す為に、俺も出来る事をしたい」
「それで自分も追われる身になっても?」
「うん、構わない。ここで君のことを警察や管理局に通報する事の方が、間違ってる事だと思ったから」
「そう。君は本当に素直だね。いいよ、好きにしな」
胸の鼓動が高鳴り始めた。非日常に踏み込んだという自覚が湧いてくる。もう後戻りは出来ない。彼らと一緒に、此の世の果てまで逃げ果せてみせるぞと、意気込んだ身体が震え出す。
いつのまにか雨が降り出していたようで、窓に雨粒がぶつかる音がしている。断続的だった音は徐々に連続的になり、激しさを増していく。時計を見ると二十時を回っている。俺は、まだ帰ってこない綾部のことが気になり始めた。
「綾部くん、遅いね」
「ああ、いつもの事だよ。仕事が夜に入った時は、だいたい朝方帰ってくるかな」
「不規則な仕事なんだね」
「うん。……さて、俺たちは飯にしよう。炒飯でいいかな」
「甲部くん、料理するの!」
「昔はしなかったけど、燈に教えてもらうようになってから自分でもするようになったんだ。やってみると意外と楽しくてね」
二人でダイニングへ降りて、夕食支度を始めた。テレビを付けると、ちょうど夜の情報番組が付いた。関東全域に大雨警報が発令されたこと、同じ都内の少し離れた所で殺人事件があって犯人は未だ逃走中ということ、《行方不明》の甲部巳鶴の目撃情報を募っているということ…………。チャンネルを変える。ネイチャー系ドキュメンタリー番組が映る。俺と甲部は宇宙の歴史やら人類の歴史やらに耳を傾けて、その広大な世界に思いを馳せた。
夕食後、経験の無いほど濃度の高い一日に疲れたのか俺は激しい眠気に襲われ、甲部に促され先に就寝した。雨の音が心地良かった。今後の不安もあったが、今は刺激的な非日常がこれから始まる事や、もう就活をしなくていいという安堵の方が優って、穏やかな心持ちで眠りについた。
遠くでドアの閉まる音、足音、囁き声、物音。目を開けて電子パネルに手を伸ばす。時刻は朝の四時。窓の外には不思議な青色に鈍く景色が映っている。きっと綾部が帰ってきたのだろう。洗面所の水の音、洗濯機の電子音が聞こえる。住宅街の真ん中にある自然公園の方からだろうか、ヒグラシの声がしている。静かで、穏やかだ。俺はもう一度目を閉じた。日常世界よ、さようなら。
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