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2.記憶

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 俺は、自衛隊の幕僚長の地位まで上り詰めた小早川伸介55歳。東京帝国大学を卒業し、自衛官になった異色のエリートと呼ばれている。

 同じ大学出身の奴らは、みんな官僚になったが、俺は早くに両親を亡くし、幼い弟と妹の面倒を見ながら、奨学金で東大へ進学した。

 他の奴らのように、家を空ける仕事には就きたくなかったという事情がある。

 官僚になると最初の数年間は、全国へ飛ばされる。20代で課長になれるのは嬉しいが、幼い弟妹の面倒を見ながらは、少々きつい。

 民間企業への就職も一瞬頭を過ぎったが、やはり残業や出張で帰宅が遅くなることは避けたかった。という理由で、防衛庁に入ったのだ。

 朝早くから起きて、弟妹のために弁当を作り、洗濯機を回し、掃除機をかける。まるで主婦のような仕事をしてから防衛庁へ出かける。

 自衛官になってからは、極力武道に励みカラダを鍛えている。指揮官コ-スで入庁したものの、自衛官は、力の世界だから、弱弱しいがり勉体型では、示しがつかない。

 よく脳筋という言葉を耳にするが、あれはウソだと思う。効率よくカラダを鍛えるためには、やはりアタマが悪くてはダメだ。

 手っ取り早くカラダを作るため琉球拳法を意識したトレーニングをすると、瞬く間に舐められないカラダができてしまったのだ。

 それからというもの順調に出世していき、ついに幕僚長になれたのだ。



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「ん……ん……」

「あ!お嬢様?お嬢様が気付かれになられたみたいです!」

 ここはどこだ?俺は夢を見ているのか?

 気が付くとピンクピンクした部屋の寝台で寝かされていたみたいだ。でも、ここは俺の部屋でも病院とも違うような?

 あれから、弟妹もそれぞれ結婚し、甥っ子や姪っ子も増え、受験シーズンだそうだ。

 あれ?俺の手がやけに小さくてしなやかになっているのは、なぜだ?それに日焼けしていない。

 さっき、確か女性の声で、「お嬢様」と呼んでいるような気がしたのだが……あれは、誰のことだったのだろう。

 俺は、ベッドから降りて、じっくりと部屋の様子を見まわす。どう見ても、ここは女の子の部屋だろうな。

 そういえば、あの時……、姪っ子を庇って、歩道橋から真っ逆さまに落ちたんだっけ?でも、姪っ子の部屋でもなさそうだ。なぜなら、姪っ子は、畳式の部屋が嫌いだといつも頬を膨らませていたので、この洋室を見る限り、姪っ子の部屋ではないことがわかる。

 そこへバタバタと足音を立てながら数人がなだれ込んでくるのが見えた。なんだ?ここは外国か?ヨーロッパ系の人間が俺の傍まで来る。

「もう立って歩けるのか?大丈夫か?まだ、痛むか?」

「?あの……。どちらさまですか?助けていただいたのは、ありがたいですが、大した怪我もないようなので、もう家へ帰りたいのです」

 その時、落ちるときに声帯をやられたのかと耳を疑ってしまう。それほどまでに俺の声とは程遠かったのだ。可愛い女性の声、そう。少女が囁くようにか細い声に俺自身が戸惑いを隠せない。

 周囲にいた外国人たちは、一瞬どよめいたが、すぐにシーンと静まり返ってしまった。

 何気に返事をしたが、これまでの人生で聞いたことがないような言葉だったが、俺は東京帝国大学を出ているので、俺にわからない言語はないということか?

 まだ頭はふらついているようだが、どこも痛みはない。落ちるときに思わず柔道の受け身を摂ったことが功を奏しているようだ。

 自衛官になりたての頃から、ずっと続けていた武道のおかげかもしれない。

 こういう咄嗟の時に役立つ護身術というものはありがたい。少しカラダがなまっているようなので、明日からまた鍛錬をするとしよう。

 一人心地にいると、さっきの外国人男性がまた話しかけてこられた。

「シャルロット、いいかい?君は要約すると、お城でクリストファー王子から婚約破棄されたうえで、なおかつ浮気相手のリリアーヌ・ドイルに会談で襲われ、突き飛ばされて階下まで転げ落ちたということだ。それなのに、打撲や擦り傷はあるものの脳震盪だけで、今日までの3日間を寝て過ごしていたのだが、本当にパパとママの顔を忘れてしまったのかい?」

 ナニ!?婚約者が浮気して、婚約破棄されたばかりか、その浮気相手に突き落とされただと!?そんなこと、とても容認できる話ではない!

 あ!これは、ひょっとして?その令嬢と俺のカラダが入れ替わったのか?よくあるラノベみたいに。

 おっさんの俺のことをシャルロットと呼んでいるようだから、そうに違いはない!それにしても、今、どこの国にいるのだろうか?大使館か領事館のはずだけど、ここがどこかわからないことには、帰る宛がなくなる。

 その令嬢の行方も突き止めないと、というか、俺のカラダを返してもらわないと、こんなスースーするものを着ていては、居心地が悪い。

「ここはどこですか?」

 意を決して、聞いた言葉に、周囲の女性は泣き崩れていく姿が目に入る。
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