9 / 92
第一章 壊れた花たち
第八話 もう頑張らなくていいんです
しおりを挟む「恩だって?」
俺は思わず聞き返した。
「ええ。以前、あなたにお会いしたときに助けられたことがあるんです」
「……え、いつだ?」
俺が尋ねると、椿は小さく笑いながらそっぽを向いた。
「それは言いたくありません」
「なんで?」
「なんでもなにも……。自分から教えたくないというのが乙女心というものです」
そう言って椿は、イタズラっぽく片目を瞑った。
どういうことだ? 露木稔の記憶を覗き見たときには、たしかに椿に関する事柄はなかった。あるのなら、会った時点で気づくはずだ。もしかすると露木稔が忘れているか、椿と会ったことを認識していない可能性もあるかもしれないが、彼女の異常な好感度の高さから考えても、そんな印象の薄い留まり方をするのは不自然に感じられる。
「……というのは、まあ冗談ですが。どうしても、言いたくない事情がありまして……申し訳ないのですが、あまり深く詮索しないでいただけると嬉しいです」
先ほどの言い回しが恥ずかしくなったのか、椿は赤らめた頬をかいて言った。
気になるに決まっている。だが、本人が言いたくないといった以上無理に聞き出すのもよくないだろう。
「わかったよ。言いたくないなら深くはきかない。……すまないな、思い出すことができなくて」
「いえ、謝らないでください。メンターがわからないのも無理はないと思うので」
「……そうか」
椿の言い回しはやや不自然だったが、浮かんだ違和感は泡のごとく弾けて消えるほどに儚かった。聞いたところで詮無いことだ。どうせ、彼女は答えない。
「事情を詳しく言えないのは本当に申し訳ありません。でも、あなたにはたしかに恩があるんです。あなたが悩み、苦しんでいるときに寄り添いたいと思うくらいには……」
「正直、俺には実感がないからな。お前の献身の理由が上手く飲み込めないよ」
「そうでしょうね」
「でも、いずれにせよ……どんな事情があるにせよ、手を差し伸べてくれたことには変わりはないからな。……ありがとう」
頭を下げると、椿は優しく手を握り直してくれた。その手は、気まずくなるほどに柔らかくて温かい。慈愛の気持ちがこもっているんだな、と思える。
その優しさが、どこから発せられているのかはわからない。
わからないが、今はありがたい。
夜道で見つけた灯火のようだ。
「そうだ、メンター。いいものがあるんです」
「いいもの?」
「ええ。気持ちが落ち込んだときに私はよくこれに頼っていて。すごくぐっすりと眠れるんです」
椿は小さなガラス瓶を取り出すと蓋を開けた。俺の手をゆっくりと持ち上げて、瓶を手首に向かって傾ける。とろりとした液体が落ちてきた。冷たい。そして、いい香りがする。
「……香水?」
「そうですね。リラックス効果が高い花の香りを抽出した、私の特別性のものです」
「椿が作ったんだな」
「香水作りが趣味なんです。いい匂いでしょう?」
「……ああ、なんだか落ち着くな」
俺は手首の匂いをかいで、ほっと息をついた。
ほんの少しだが、張り詰めた気分が解れたのを感じる。俺はゆっくりと身体を仰向けに倒して、夜空を眺めた。星が、綺麗だ。東京では絶対に見られないだろうな、こんな美しい景色。
昔、プラネタリウムに家族で行ったことをふいに思い出した。そうだ。あのときみた擬似的な星空にすごく似ている。両親の隣で、その圧倒的な美しさに心を奪われていたな。あいつが俺の隣で退屈だと駄々をこねたせいで、そんなに長くは見られなかったが。
……あいつ?
あいつって、誰だ?
「……なにか、忘れている気がする」
「気の所為ですよ」
耳元に、甘く蠱惑的な声がした。
「あなたは、頑張りすぎているんです。目元のくまがすごいですもの。ね、これまでたくさん我慢して、理不尽に耐えて、すり減らしてきたんですよね……」
「……ああ」
プラネタリウムが、ぼんやりと歪む。
なんだ……瞼が重い。
感情を吐き出して、疲れてしまったのか?
「そうです。あなたは、疲れているんですよ。あなたに必要なのは頑張ることじゃない。働いて貢献することでもない。休息なんです。すり減らした心を、回復させないといけないんです。女神フローラの慈悲に従って、ゆっくりとお休みください」
「休んで……いいの?」
「ええ。ゆっくりしてください。休めなかったぶん、たくさんたくさん癒されていいんです。これまでの、しがらみだらけのすべてを忘れて」
脳みそが蕩けそうなほどに、その声はあまりにも心地よく響いた。ああ、気持ちいい。湯船に浸かった瞬間のあの弛緩が永遠と続いているかのように。
俺の意識は落ちてゆく。
ゆっくりと、ゆっくりと。
「……あなたは、世界を救わなくていいんです。私と一緒に、安らかなまま」
その声は、落ち行く意識に優しく寄り添い、儚く消えた。
まるで霧のごとく霧散した。
「もう離さないからね、ミノルちゃん」
1
あなたにおすすめの小説
ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話
桜井正宗
青春
――結婚しています!
それは二人だけの秘密。
高校二年の遙と遥は結婚した。
近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。
キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。
ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。
*結婚要素あり
*ヤンデレ要素あり
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
付きまとう聖女様は、貧乏貴族の僕にだけ甘すぎる〜人生相談がきっかけで日常がカオスに。でも、モテたい願望が強すぎて、つい……〜
咲月ねむと
ファンタジー
この乙女ゲーの世界に転生してからというもの毎日教会に通い詰めている。アランという貧乏貴族の三男に生まれた俺は、何を目指し、何を糧にして生きていけばいいのか分からない。
そんな人生のアドバイスをもらうため教会に通っているのだが……。
「アランくん。今日も来てくれたのね」
そう優しく語り掛けてくれるのは、頼れる聖女リリシア様だ。人々の悩みを静かに聞き入れ、的確なアドバイスをくれる美人聖女様だと人気だ。
そんな彼女だが、なぜか俺が相談するといつも様子が変になる。アドバイスはくれるのだがそのアドバイス自体が問題でどうも自己主張が強すぎるのだ。
「お母様のプレゼントは何を買えばいい?」
と相談すれば、
「ネックレスをプレゼントするのはどう? でもね私は結婚指輪が欲しいの」などという発言が飛び出すのだ。意味が分からない。
そして俺もようやく一人暮らしを始める歳になった。王都にある学園に通い始めたのだが、教会本部にそれはもう美人な聖女が赴任してきたとか。
興味本位で俺は教会本部に人生相談をお願いした。担当になった人物というのが、またもやリリシアさんで…………。
ようやく俺は気づいたんだ。
リリシアさんに付きまとわれていること、この頻繁に相談する関係が実は異常だったということに。
10年ぶりに再会した幼馴染と、10年間一緒にいる幼馴染との青春ラブコメ
桜庭かなめ
恋愛
高校生の麻丘涼我には同い年の幼馴染の女の子が2人いる。1人は小学1年の5月末から涼我の隣の家に住み始め、約10年間ずっと一緒にいる穏やかで可愛らしい香川愛実。もう1人は幼稚園の年長組の1年間一緒にいて、卒園直後に引っ越してしまった明るく活発な桐山あおい。涼我は愛実ともあおいとも楽しい思い出をたくさん作ってきた。
あおいとの別れから10年。高校1年の春休みに、あおいが涼我の家の隣に引っ越してくる。涼我はあおいと10年ぶりの再会を果たす。あおいは昔の中性的な雰囲気から、清楚な美少女へと変わっていた。
3人で一緒に遊んだり、学校生活を送ったり、愛実とあおいが涼我のバイト先に来たり。春休みや新年度の日々を通じて、一度離れてしまったあおいとはもちろんのこと、ずっと一緒にいる愛実との距離も縮まっていく。
出会った早さか。それとも、一緒にいる長さか。両隣の家に住む幼馴染2人との温かくて甘いダブルヒロイン学園青春ラブコメディ!
※特別編6が完結しました!(2026.1.21)
※小説家になろう(N9714HQ)とカクヨムでも公開しています。
※お気に入り登録や感想をお待ちしております。
SSS級の絶世の超絶美少女達がやたらと俺にだけ見え見えな好意を寄せてくる件について。〜絶対に俺を攻略したいSSS級の美少女たちの攻防戦〜
沢田美
恋愛
「ごめんね、八杉くん」
中学三年の夏祭り。一途な初恋は、花火と共に儚く散った。
それ以来、八杉裕一(やすぎ・ゆういち)は誓った。「高校では恋愛なんて面倒なものとは無縁の、平穏なオタク生活を送る」と。
だが、入学した紫水高校には《楽園の世代》と呼ばれる四人のSSS級美少女――通称《四皇》が君臨していた。
• 距離感バグり気味の金髪幼馴染・神行胱。
• 圧倒的カリスマで「恋の沼」に突き落とす銀髪美少女・銀咲明日香。
• 無自覚に男たちの初恋を奪う、おっとりした「女神」・足立模。
• オタクにも優しい一万年に一人の最高ギャル・川瀬優里。
恋愛から距離を置きたい裕一の願いも虚しく、彼女たちはなぜか彼にだけ、見え見えな好意を寄せ始める。
教室での「あーん」に、放課後のアニメイトでの遭遇、さらには女神からの「一緒にホラー漫画を買いに行かない?」というお誘いまで。
「俺の身にもなれ! 荷が重すぎるんだよ!」
鋼の意志でスルーしようとする裕一だが、彼女たちの純粋で猛烈なアプローチは止まらない。
恋愛拒否気味な少年と、彼を絶対に攻略したい最強美少女たちの、ちょっと面倒で、でも最高に心地よい「激推し」ラブコメ、開幕!
美人四天王の妹とシテいるけど、僕は学校を卒業するまでモブに徹する、はずだった
ぐうのすけ
恋愛
【カクヨムでラブコメ週間2位】ありがとうございます!
僕【山田集】は高校3年生のモブとして何事もなく高校を卒業するはずだった。でも、義理の妹である【山田芽以】とシテいる現場をお母さんに目撃され、家族会議が開かれた。家族会議の結果隠蔽し、何事も無く高校を卒業する事が決まる。ある時学校の美人四天王の一角である【夏空日葵】に僕と芽以がベッドでシテいる所を目撃されたところからドタバタが始まる。僕の完璧なモブメッキは剥がれ、ヒマリに観察され、他の美人四天王にもメッキを剥され、何かを嗅ぎつけられていく。僕は、平穏無事に学校を卒業できるのだろうか?
『この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません』
キャバ嬢(ハイスペック)との同棲が、僕の高校生活を色々と変えていく。
たかなしポン太
青春
僕のアパートの前で、巨乳美人のお姉さんが倒れていた。
助けたそのお姉さんは一流大卒だが内定取り消しとなり、就職浪人中のキャバ嬢だった。
でもまさかそのお姉さんと、同棲することになるとは…。
「今日のパンツってどんなんだっけ? ああ、これか。」
「ちょっと、確認しなくていいですから!」
「これ、可愛いでしょ? 色違いでピンクもあるんだけどね。綿なんだけど生地がサラサラで、この上の部分のリボンが」
「もういいです! いいですから、パンツの説明は!」
天然高学歴キャバ嬢と、心優しいDT高校生。
異色の2人が繰り広げる、水色パンツから始まる日常系ラブコメディー!
※小説家になろうとカクヨムにも同時掲載中です。
※本作品はフィクションであり、実在の人物や団体、製品とは一切関係ありません。
序盤でざまぁされる人望ゼロの無能リーダーに転生したので隠れチート主人公を追放せず可愛がったら、なぜか俺の方が英雄扱いされるようになっていた
砂礫レキ
ファンタジー
35歳独身社会人の灰村タクミ。
彼は実家の母から学生時代夢中で書いていた小説をゴミとして燃やしたと電話で告げられる。
そして落ち込んでいる所を通り魔に襲われ死亡した。
死の間際思い出したタクミの夢、それは「自分の書いた物語の主人公になる」ことだった。
その願いが叶ったのか目覚めたタクミは見覚えのあるファンタジー世界の中にいた。
しかし望んでいた主人公「クロノ・ナイトレイ」の姿ではなく、
主人公を追放し序盤で惨めに死ぬ冒険者パーティーの無能リーダー「アルヴァ・グレイブラッド」として。
自尊心が地の底まで落ちているタクミがチート主人公であるクロノに嫉妬する筈もなく、
寧ろ無能と見下されているクロノの実力を周囲に伝え先輩冒険者として支え始める。
結果、アルヴァを粗野で無能なリーダーだと見下していたパーティーメンバーや、
自警団、街の住民たちの視線が変わり始めて……?
更新は昼頃になります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる