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第四章 私のものにしたいな
第六十二話 一緒に寝てください
しおりを挟む一緒に寝てください。
椿にそう言われて、断り切ることはできなかったのは、ネコヤナギの件についての後ろめたさがあったからだ。
俺は椿とともに同じベッドに入った。
「……」
月明かりに照らされた白布団は、うっすらと青く輝いているように見えて。椿の華奢な身体を神秘的に包みこんでいた。まるで、女神の褥に忍び込んでしまったかのような気まずさすら感じてしまう。俺の部屋なのに、俺の寝所なのに。
間近に見える椿の顔は妖艶の一言だった。
桃のような瑞々しい肌を朱に染めて、色っぽい眼差しで俺を見つめながら小さく口を開いている。こぼれる吐息は甘く、その熱さが伝わってくるほどに近くて。
くらくらする。
あまりにも艶やかすぎた。
静かな夜のはずなのに、鈴虫の声も時計の針の音さえも水底で聴いているように遠い。俺の心臓が騒いでいるからか。血の流れすら感じられそうなくらい鼓動ばかりがうるさかった。息が浅くなる。喉がやけに渇いた。
こんな状況で何も感じないほど、俺は乾いているわけではない。俺も情けないくらいに男なのだ。絶世と表現しても過言ではないほどの美人がそばにいて、その温もりさえも手中にある。どうにかなりそうだった。
椿は、そんな俺を見てくすりと笑う。ああ、バレている。俺が、あてられていることを。そのことを喜んでいるんだ。
椿の指先が、俺の頬をつついた。
「……メンターの浮気者」
「ご、ごめん」
謝ることしかできない。
ダメだ。緊張しすぎて、頭が回らない。さっきまでの眠気は完全に消し飛んでいた。
「聞いていた話と違います。ネコヤナギと話すだけって言っていたのに、あんなに情熱的に抱きしめて……」
「……」
「あの光景を見たとき、私は悲しかったんですからね? メンターのことですから、なにか事情があったのだろうなとは分かるんですけど。婚約して二日も立たないうちに、他の女とあんなことをされていたんですから、心中穏やかではいられません」
「……は、はい」
細い指が、頬に沈む。
椿はジト目をこちらに向けてきた。
「遠かったから話の内容は聞こえませんでしたけど。たぶん、ネコヤナギを助けるために動いた結果なんでしょう? あなたはそういう人ですから、わかりますよ。……でも、あそこまでするなんて駄目だと思います。お嫁さんがいるのに。お嫁さんがいるのに」
「……すみません」
「すみませんじゃないですよ、もう……。あなたはただでさえ天然たらしなんですから。ネコヤナギが勘違いしたらどうするんですか? まさか側室を取ろうなんて考えていませんよね?」
椿の目から光が消えていく。
俺は慌てて首を横に振った。
「そ、そんなことするわけないだろ! 俺が結婚するのは椿だけだよ」
「……本当ですか? 『特権』という言葉には逃げないという貴方の言葉、信じてもいいんですね?」
「ああ。その言葉には二言はないよ」
椿の指が、グリッと押し付けられる。ちょっと痛い。
溜息をついた椿は、いじらしく頬を膨らませると、俺にすり寄ってきた。華やかな椿の香りが鼻腔を満たす。柔らかいなにかが、俺の腕に当たった。
「つ、椿!?」
思わず叫んだ。
鼻先がくっつくほどに、椿の顔が迫った。
「……今回のは完全に浮気です。許しません」
吐息が熱い。
「だから、浮気をしないようにしないといけません。まず、今後は絶対に浮気をしないと誓ってください」
「……わかった。椿を不安にさせるようなことをして、ごめんな。今後は浮気と思われるようなことはしないから」
「はい。次に、私が一番大切で、特別であることをちゃんと感じさせてください。抱きしめるだけじゃたりません。ネコヤナギには絶対にしないことをしてください」
椿はそう言って目を閉じた。
何を要求されているのか分からないわけがない。この状況に対する緊張で、頭がくらくらする。落ち着け。落ち着くんだ。ちゃんと自分の気持ちを冷静に見極めて、整理がつかない気持ちがあるならそこをちゃんとしてから――。
椿に、キスされた。
「……っ」
唇に柔らかい感触が触れたかと思うと、舌を差し込まれた。反射的に舌を引っ込めたが、追いすがるように椿のそれが重なる。絡み合う柔らかさと熱さ。甘い蜜のような味――。
激しいキスだった。いつの間にか、抱きしめられていて逃げることもできず、息が苦しくなるまで俺は喰われた。
椿が口を離す。銀の橋が、俺たちの間にかかった。
「……意気地なし」
「……」
「どうしてあなたは、肝心なところで臆病になるんですか? 責任を取るって言ってくれたなら、本当は最後までして欲しいんです。……私は求めすぎているんでしょうか?」
俺は、何も言えなかった。
心臓が激しく高鳴っていた。でもそれは性的な衝動によるものだけでは決してない。戸惑いもあった。椿の要求と、俺の思いにはズレがある。ペースの違いと言うべきか。
俺たちの関係は、進展してからそう日が経っていない。だから俺としてはすぐにそんなことをする気持ちにはなれなかった。覚悟は決めたものの、椿に対する気持ちに整理がついているかというと、まだすべてがそうではないのだ。
だから、もう少し時間が欲しかった。
結局、覚悟が足りないではないかと言われたらそうなのかもしれない。だが、それでも俺は自分の気持ちにそこまで嘘を付けるほど強くはない。椿の進展を求める早さが、不安や焦りからくるのはわかっている。それをわかったうえで、俺は――。
俺には、殺さなければならない微かな感情がある。
自分の中で芽生えかけていた思い。頭の中に浮かび上がりそうになる顔を、俺は打ち消した。
「……ごめんな、不安にさせて」
俺は最低だ。
「……もう少し待ってくれないか? 俺は、まだ怖いんだ」
「……そうですか」
「すまない。俺は――」
そのとき、くらりとした。
意識に靄がかかり始めた。そう思ったときには耐え難い眠気に襲われて、どんどん真っ暗な世界に落ちていく。
椿が冷たい目線で俺を見ていた。
何かをつぶやいていた。
「……これだから、ミノルちゃんは」
私は溜息をついて、眠りに落ちたミノルちゃんの頬をつついた。あどけない寝顔は可愛くて可愛くて。可愛くて可愛くて可愛くて可愛くて可愛くて可愛くて仕方ない。ずっと、小さなころから変らないわね。あなたは可愛い人よ。
「浮かれるなって言ったのに。椿は本当に純情な子なんだから」
私の中に混ざった椿に対して小言を口にした。私は彼女であって彼女は私だから、彼女の単純無垢な性質が半端に引き継がれていて、たまに自分に苛立ちを覚えてしまう。
ミノルちゃんもきっとこの感覚に苦しんでいたんでしょうね。今となっては余計なことを思い出したせいで、そこに関する迷いは晴れたようですけど。まったく、上手くいかないことだらけだわ。私も、あなたも、翔陽ちゃんの戯れには苦労させられているわね。
「……もう記憶は消せないかな?」
私は「女神の愛液」を塗り込みながら、フローラに尋ねてみた。
どうやら駄目なようだ。「生命の調律」を体得してしまったせいで、彼は特殊な能力の影響やデバフなどを受け付けない身体になってしまっているらしい。そうした力をかけたところで、「生命の調律」の無意識領域の能力で元の状態に戻されてしまうようだ。眠らせるくらいならできるようだけど……。
そのせいで、あの雌猫に関する記憶を消そうとしても消えなくなった。忌々しい話だ。せっかく自分を犠牲にし続けた彼のために、そうしてきたというのに。
まったく、翔陽ちゃんの意地の悪さには憤慨を通り越して感心させられる。どれだけミノルちゃんと私のことが憎いというのだろうか。
私は小さく笑って、ミノルちゃんの顔の前に手をかざした。
「……メニュー画面オープン」
砂嵐を起こしながら、ミノルちゃんのメニュー画面が開いた。
各キャラクターのステータス画面をのぞく。
見るのは好感度だ。
「……はぁ」
腹が立つ。
ミノルちゃんは、本当にこれだからいけない。彼は昔からやけに女の子に好かれていたが、そのたらしぶりはこの世界でも健在だ。リリー以外の好感度が軒並み警戒するべきラインにまで上昇している。あんなに低かった白い泥棒猫の好感度も55まで上がっているし、リンドウやシオンも80以上ある。
そしてネコヤナギに至っては――100を超えてしまっている。
たった二ヶ月半とちょっとでこれだ。
油断ならないなんてレベルではない。本当は早急に対処したいけど、白い泥棒猫がいるせいでそれもできない。単純な話、彼女は私よりも圧倒的に強いからだ。あの泥棒猫がいるせいで、私は身動きが取りにくいのだから本当にたちが悪い。
覚醒に至ったら話は別だけど。でも、まだ生誕祭は始まったばかりで、私の進化する条件は揃っていない。フローラが動けるようにならない限りは話にならなかった。
「……」
私は、ミノルちゃんの頬に口づけを落とした。何も知らずに呑気に眠り続ける愛しい人。ああ、待ち遠しい。はやく私たちの理想郷を創りたい。誰にも邪魔されない世界で、二人で永遠に愛し合いたいよ。
ああ、はやく全員――殺したい。
ミノルちゃんの頭を撫でていると、ノックが鳴った。控えめなノックだった。会いたいけど、起こしたら悪いかなと言いたげな、中途半端な気遣いにされた不快な音。
やっぱり来たか。
なんとなく、来る気がしたのよね。
「……私のものにちょっかいをかけるのは許せない」
だから、忠告しないと。
必要以上に、彼に近づかないように。
私は長襦袢を解いて、ベッドから降りた。
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