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第四章 私のものにしたいな
幕間 殺人鬼の願い
しおりを挟む『セレーネ』のメンターを殺すと決めたのは、伽に呼ばれたときだった。
体調不良を装おって、その日の呼び出しを回避したけど。隙があれば身体をベタベタ触ってこようとするし、いやらしい目で見られていることも多かったので、とにかく気持ち悪くて仕方なかった。伽に呼ばれたことを他のアンサスたちに知られて、「色仕掛けをして出世しようとしている」と嫉妬混じりの陰口を叩かれもしたし、不愉快極まりなかった。
はやく殺したい。
殺して、ミノルちゃんを迎えるための準備をしたかった。
「……まだかな」
私は、森の中を歩きながら誰にも聞こえないようにつぶやいた。私の前にはアンサスたちがいて、隣には気持ち悪い顔をした豚メンターがいる。いやらしい目が、私の腰辺りに向けられていることには気づいていた。出撃中だというのに、こいつは何を考えているというのだろう。
ふと、目を向けてしまったせいで視線がぶつかってしまった。汚い、欲に塗れた目だ。豚は脂ぎった顔を歪ませ、下卑な笑いをあげる。
「どうした椿ぃ。俺のことをそんなに見てえ」
見てないんだけど、反論も面倒くさかったので「すみません、集中します」と返しておいた。前を向いて歩く。アンサスたちの白い目。前に居た二人が、何かヒソヒソと耳打ちし合っていて面白い。
どうせ、くだらない下衆の勘繰りなんでしょうけどね。呑気なものだ。これから死ぬことになると分かっていないのだから。
豚が、私の腰に手を置いてきた。
袴越しからも、その汗塗れの手つきのいやらしさが伝わってくる。男の醜い性欲が、直接身体に流れ込んでくるようで、不快の極みだった。さりげなく手を払う。
豚はニヤニヤと笑っていた。
気持ち悪い。こんな人間が、この世界に存在していることが信じられない。
「……ふふ、椿は落ち着いていて奥ゆかしいなあ。もっと恥じらいを見せてくれると嬉しいんだがね」
「今は出撃中ですから。戯れはお控えください」
「ははは。そうだな。だったら出撃が終わってから楽しむとしよう。な、今日こそ俺の部屋に来い。存分に可愛がってやるからなあ」
臭い息を吐きながら、豚は舌なめずりをする。こいつの脳内では、きっと私を凌辱する光景が流れているのだろう。ひたすらに気持ち悪い。ゴキブリを食べろと言われた方が、まだ受け入れられる。
――ああ、まだかな。
私は空を見た。
フローラは、まだ許可をくれない。絶好の機会だというのに。アスピスでミノルちゃんを出迎えるように言ったのは、貴女なのに。ねえ、さっさと許可を出して? 今すぐにでも、この腐った豚を殺したいんだ。
はやく。
はやく。
はやく。
「……」
私は待った。現れた骸虫を切り裂きながら、血を撒き散らしながら、豚に嫌らしい目を向けられながら、他のアンサスたちからサポートの要請を無視されたりなどの嫌がらせを受けながら。フローラからの言葉を待ち続けた。
何匹の骸虫を殺しただろう。
ボス戦エリアまで進んだときだった。
――ようやくフローラからの声がかかった。
「……うふ」
私は、天を向いて笑う。
笑いが、嗤いが、わらいが、止まらない。
殺していいんだって。
「……どうした椿。様子がおかしいぞ?」
豚が、怪訝そうに訊いてくる。私はゆっくりと顔を下ろして、にこやかに笑いかけた。
「さよなら」
沈黙。豚がきょとんとした顔をしていて、おかしい。
ああ、馬鹿だな。
死に顔が、そんな顔になるなんて。
「――擬似武装解放」
私は黒いモヤに包まれた。背中から翅が広がる。巨大な、七色の輝きを放つ蝶のそれが。天を突くように伸び上がった。
目を見開く暇すら与えない。
私は、間抜け面の首を斬り落とした。
ごろりと転がる豚の首。何が起こったのかわからないように唖然とするアンサスたち。残された脂肪を蓄えた胴体が膝をついた瞬間、間欠泉のごとく血が噴き上がった。
「――あはっ」
汚い血。
でも、やはりいいわね。
首を切った瞬間の爽快感と気持ちよさは、何物にも代え難い快楽がある。これだから止められない。醜い人間を殺すのは。
アンサスたちが、遅れて叫んだ。武器を構えようとする。だけど、メンターが死んだ彼女たちはただの木偶だ。戦闘許可が自動解除され、彼女たちの手から粒子となって武器が消えていく。
まるでホタルだ。美しい光景ね。立ち向かう術が消えて、泡を食う彼女たちも滑稽で滑稽で。
私は、無力となった彼女たちを引き裂いた。首を斬り、首を切り、クビをきり、クビヲキリ、あはは……逃げようとしたやつも追いすがって、くびをねじり切った。血の雨が降った。あの豚とは違って、きれいな雨だった。さすがアンサス。流れる血も美しいのね。
私は、顔についた血をぬぐった。
赤い空も綺麗だね。
ねえ、椿もそう思わない? うふふ、泣いてしまったか。あんなさかった豚みたいなやつと、陰口ばかり叩くやつらのことを仲間って思っていたのね。優しい子。そして愚かな子。本当に、本当に、あなたは純真でしょうもない。
「あはっ、あははははははははっ」
ああ、おかしい。
これでようやくミノルちゃんを迎える準備ができるんだ。この美しい血溜まりは、訪れる彼に捧られる供物のようなものかしら。うふふ、彼は腰を抜かしちゃうかな。苦悶に満ち満ちた表情のまま死んだ首を見せてあげたい。
ああ、ダメよ。そんなことしたら怖がっちゃうでしょ? うふふ、私は人でもアンサスでも虫でもあるからややこしいわね。美しさの価値観がそれぞれ違うのだもの。ね、ね、ミノルちゃん。虫は血を美しく、殺意を甘く感じるものよ。
もう、嬉しくて楽しくて悲しくて怒っていて面白くて寂しくて嬉しくて嗤いが止まらない。ねえ、フローラ。私の大切な朋友。あなたなら分かってくれるでしょう? 大事な人に会いたがっているあなたなら。その人に会うためにすべてを捧げようとするあなたなら。
私は、椿の身体で初めて絶頂した。
もう、とまらない。
「ネェ、ミノルちゃん。はヤく。ハやく、私ノとこロにきテ」
一生愛し合いましょう。
現世ではできなかったことを、フローラの涅槃で。私たちの理想郷で、愛を語り合いましょう。歌を忘れたカナリアになってしまったあなたへ。私が、歌を歌える優しい世界を送りましょう。
これより始まるのは生誕祭。
すべてが死に絶え、「エリカ」が生まれる最高の前夜祭。
私たちの永遠のはじまり。
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