プリマヴェーラ・ストラトス―転生したらヒロイン全員病んでいて修羅場な件―

浜風ざくろ

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第五章 堕ちゆく花

第六十三話 上書きの上書き

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 拠点『アレス』

 それは、ボクとリリーが生まれた場所。

 そして地獄となった場所。

 すべてが狂い、すべてが壊れ、すべてが絶望に沈み、やがて廃棄拠点と呼ばれるようになった場所。

 



  

「……朝か」

 俺は目を覚まして、ふうっと息をついた。

 椿の姿はなかった。

 だけど、ベットには彼女の名残がたしかにあって。

 よれたシーツを平らに伸ばした。手の平からは微かに残った熱さがたしかに伝わってくる。

 椿が昨日ここにいたんだ。そして朝まで一緒に寝ていたんだ。

 花のような香りにくらくらする。

 彼女の残り香はひどく甘く刺激的で。椿に口づけを寄せられたことを思い出してしまう。頭を横に振って、そのときの情景を打ち消した。

「……」

 あれから、俺は意識を失った。

 頭が少し痛いのと、唇にまた蜜のような甘さが残っているくらいで、他に異常はなさそうだった。シーツが汚れていたりも、自分の身体に痕が残ったりもしていない。

 あれから意識をすぐに失ってしまったが、何もなかったようでほっとする。

 よかった。一時の欲望に流されるわけにはいかないからな……。

 俺はベットから降りると、下着を着替え、壁に立てかけてある軍服を手にとった。袖を通すと、不思議と気持ちが引き締まる。時刻は八時前。起きた時間はいつもより遅かった。

 窓を開ける。

 吹き抜ける風は冷たい。昨晩の熱さの伴う緊張を解してくれるようにさえ感じられた。

 眼下に広がるアイリスの花畑。その中に、黙々と動き回るジャージ姿の少女の姿があった。リンドウだ。

 彼女は、俺の姿に気づくと手を振ってくれた。俺も同じように振り返したが、何とも言えないバツの悪さに目を逸らしてしまった。昨晩椿とあんなことがあったばかりなのに、素知らぬ顔をして手を振る自分が、不誠実な人間になったようにすら感じられたのだ。

 椿には手を出していないが、それでもきまりが悪いものは悪い。

 俺は窓から離れて、溜息をついた。

 少し窮屈に感じられるのは気のせいだろうか。ちょっとだけ息苦しいというか、居場所が狭まった感覚というか。堂々と振る舞いたいのに、振る舞えないジレンマ。

 椿に証を渡して、ネコヤナギに手を差し伸べて。俺は前に進むために選択してきたはずで、そのことに後悔はないはずなのに。

「……」

 正しいと信じたい。

 自分の意思で動いたのだから。

 そう、信じたいんだ。

 俺は、左手の薬指に目をやった。

 これを渡したときの椿の涙を思い浮かべる。あんな顔をさせてしまったんだ。もっとしっかりしないといけないよな。分かっている。いずれ椿の求めに応える必要があることも、ちゃんと分かっているんだ。

 だけど、それには時間がいる。

 分かってもらえないかもしれないが、どうにか分かってもらいたいものだ。

 人の気持ちというものは、そう簡単に変わるものではないのだから。

「……そうだよな」

 俺は呟いて、しばし足元を見つめたあとに、少しだけ重い足を動かして外に出た。

 メランコリーな気持ちを抱えながら、食堂へ向う。正直、お腹は空いていない。だが、なにか胃に入れておかないと作業効率が落ちる。せめて食パン一つだけでも身体に入れておかなければ……。
 
 廊下の角を曲がったときだった。

「パパ」
 
 シオンと鉢合わせになった。彼女は起伏のない表情をわずかに緩めて、俺に抱きついてきた。
 
「……おはよ」

「……ああ、おはよう」

 いつものことだけど、あまり引っ付かないでほしいなあ。

 離れようとしてみたが、やはり離してはくれない。アンサスは人間よりも力が強いからな。引き剥がそうとしてもなかなか難しいのだ。

 シオンのことも何とかしないといけない。どうにか所構わず引っ付いてくることは止めさせたいところなんだが……。

 額に手を置いて溜息をついていると、シオンが俺の脇腹辺りに鼻を押し付けて、くんくんと匂いをかぎ始めた。

「……」

 シオンは俯くと、さらに強く抱きついてきた。少しどころではなくかなり強い力だったから、締め付けられるような圧迫感で身体が軋んだ。

「い、痛い痛い! どうしたんだいきなり」

「……」

「し、シオン?」

「……変な匂いがする」

 シオンが顔を上げ、俺を見つめた。吸い込まれるようなエメラルドの瞳には、水の中に落とした一滴の墨汁のような微かな濁りがあって。わずかに暗く、わずかに淀んでいた。

「……なんの匂い? いやな感じ」

「えっと」

 痛みに顔をゆがませながら、俺は苦笑いする他なかった。匂いっていわれたら、どうしても椿のことを連想してしまう。さきにシャワーを浴びておくべきだったか。

「……上書きするね? パパは、私のだもん」

 シオンはそう言って、さらに強く抱きついてくる。腕に込められた力には幼い憤りが滲んでいた。

 痛みが耐えられないレベルのものになってきたときだった。

 シオンが、俺の身体から引き剥がされた。

「なにしてんだ、おめえ」

 スノーが呆れ顔でシオンの首根っこを掴んでいた。

 引っ張られた反動で膝をつきながら、俺は息を吐く。

「た、助かったよ。ありがとうスノー」

「ああ。……って、暴れるな! こら!」

「がるるっ」

「なんか唸ってんだけど。おいメンター、一体なにがあったんだよ?」

 俺が簡単に事情を説明すると、スノーは少し驚いたような顔をして、やがて大きな溜息をついた。

「……アホくせえ。んなことがあったんなら、シャワーくらい浴びてから来いよ」

「すまん」

 尤もです。

「はっ、夫婦生活も順調なようで何よりだよ。あーあー、朝からこんな話を聞かされるなんて思いもしなかったねぇ」

「……言っとくけど、俺は何もしてないからな? ただ一緒に寝てほしいと言われたからそうしただけで」

 キスをされたことは言わなかった。なんとなくスノーには話したくなかったからだ。

「ふうん。……まあ、手を出そうと出してなかろうと別にどちらでもいいよ。結婚してんだからお前らは。そのへんは外野の俺がどうこう言う話じゃねえし」

「まあ、そう言われたらたしかにそうかもしれないが……」

「てめえらの好きにすりゃいいさ。ただ、シャワーは浴びてこいって話だな」

「……」

 あー、これは信じてもらってなさそうだ。本当に手を出してなんかないんだけどな。

 ちょっとモヤモヤするというかなんというか。誤解されたままでいたくなかったので再度訂正しようとしたら、ネコヤナギが現れた。

「……なにしてんの~?」

「おう、ネコスケ。飯を食いに来たらちょうどメンターの野郎と会って話をしていたんだ」

「ふぅん。おはよーイケメンター」

 ネコヤナギは相変わらず眠そうな顔で、気だるげに挨拶してくれた。その様子を見ていたスノーが、安心したように表情を和らげる。

 よかった。いつもの調子を取り戻してくれたみたいだ。

「がるるっ」

「わあ、なんだなんだ~。シオンちゃんが野犬みたいに唸ってるぞ~。何をそんなに怒ってんだ~」

「……パパから変な匂いがするの。上書きしないと」

「変な匂いねえ」

 ネコヤナギがこちらを向いて、目を細めた。尻尾がゆらゆらと揺れている。

「なんの匂いなのかな~? ネコヤナギさんも気になりますね~」

 スノーがこちらを睨んできた。いや、すまん。シャワーを浴びなかったのは完全に俺の過失だ。

「……よくわからんけど、与太話はこの辺にしてさっさと食堂に行くぞ。俺は腹減ってしかたねえんだ。ネコスケも来いよ。一緒に食おうぜ」

「あいあいさ~」

 ネコヤナギはやる気がなさそうに敬礼の姿勢をとると、スノーと俺をかたみがわりに見てきた。

 小さく笑う。

「……ほんと、優しいよねスノーちゃんは」

「? なんのことを言われてんのか分かんねえけど、ありがとよ。……おら、てめえも来るんだシオン! メンターは忙しいんだからあまり邪魔すんなって何度も言ってんだろ?」

「パパ、上書き……」

「んなもんは、そのうち自然と落ちるから気にすんな! な、メンター。そうだよな?」

「あ、ああ……」

 スノーの鋭い目が、「さっさとシャワーを浴びてこい」と言っている。はい、行きます。しっかり身体をこすって落としてきますのでお許しください。

 そうやって思念を送ると、溜息をつかれた。

「アホタレ」

 スノーはそう言って、暴れるシオンを担ぎ上げるとそのまま食堂の方へ向かった。手足をバタバタ動かしていたシオンだったが、抵抗虚しくあっさりと連れて行かれる。

 俺を呼ぶシオンの声が遠くなったころ。

 残っていたネコヤナギから背中を叩かれた。

「……ばーか」

 眠そうな目は、非難するように細められていて。激しく揺らめく尻尾に、彼女の感情が現れていた。

 突然、抱きつかれた。

「お、おい」

「ばーか。上書きの上書きだよ」

 ネコヤナギは頬を膨らませながらそう言うと、俺から離れて舌を出す。あっかんべえの表情だった。俺はきっと間抜けな表情をしていたんだろうな。呆れたように笑ったネコヤナギは、足早に去っていった。

「……」

 俺は頬をかいて、一人苦笑いを浮かべる。

 シャワー、浴びなきゃなんだけどな。 
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