プリマヴェーラ・ストラトス―転生したらヒロイン全員病んでいて修羅場な件―

浜風ざくろ

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第五章 堕ちゆく花

第七十三話 太陽のように尊く

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 重たい沈黙だった。

 立ち昇る煙は、まるで霧のように三海大将の険しい表情を濁らせる。

 悪寒が止まらない。滲む手汗を押さえつけたくて、腕を握りしめていた。湧き上がる感情に耐えるように。震えを押さえつけるように。

 三海大将の話は、状況証拠の集積により導き出されたものであり、客観的な根拠としてはまだ薄いものだろう。だが、だからといって無視できるようなものではないし、かなりの説得力を帯びているのは間違いなかった。生贄のためとするのは早計かもしれない。しかし少なくとも、フローラが防衛以外のなにかしらの目的をもってアンサスを創り、俺たちに戦争をさせているのは間違いない。

 では、その意図がどこにあるのかと考えたとき、戦争自体が、殺し合いをする状況そのものが、フローラにとって必要となると見なすこともできる。防衛以外で、なんためにその状況がいるのか――。

 生誕祭。

 なにかの誕生を祝うワールドストーリーのタイトル。

 何かを創り出そうとしている。そのための儀式として、アンサスと骸虫の殺し合いが必要となり、俺たちは生贄にされている。そう考えると、数々の状況証拠が、俺の中でうまく繋がってしまうんだ。

 その何かは、おそらくフローラが失った伴侶。

 それは――。

「……ふざけんじゃねえ」

 沈黙を破り捨てるように、スノーが声を吐いた。

 怒りを圧し殺した声。

「捧げられているだ? ……てめえ、何を馬鹿なことを言っているんだよ。そんなわけがねえだろうが」

「……そんなわけがないと私も思いたいよ。しかし、私の考察はかなりの部分で正確なはずだ。二階堂も異論なく認めていたしな」

「知らねえよ、んなこと」

 そう吐き捨てて、スノーは三海大将を睨めつけた。

「俺たちは、そんなくだらねえ理由で命をかけてるんじゃねえ。俺たちの戦争を汚すようなことを言いやがって。――てめえ、舐めてんじゃねえぞ?」

「スノー」

 止めようと腰を浮かせたら、三海大将が手を前に差し出して「構わない」とジェスチャーしてきた。

 スノーは俯く。

 怒りで身体を震わせながら。

「……俺たちは、守るために戦っているんだ。そこには誇りがある。俺たちアンサスの不屈の矜持が。不変の美しい想いが。それなのに……生贄になるために戦わされてきたって? 受け入れられるかそんなもん!」

 スノーは叫んだ。

「そんなことが、そんなことがあるわけねえんだ! みんなは……マリーたちは、そんなくだらねえことのために命を散らしたんじゃねえ! みんな、誇りに殉じたんだ……。そうじゃなきゃならねえんだ!」

「……」

「そうじゃないと……あまりにも浮かばれねえよ。あんな目に合って、シオンも……俺の目の前で……」

 スノーの赤い瞳が、どす黒い感情のさざめきで揺れ動く。

 それは誇りのために生じた怒りであり、

 仲間の誇りを守ろうとする優しさであり、

 そして、その誇りが無為なものへと墜ちゆくことへの恐怖だった。

 地獄を見てきた彼女が、絶望とともに死んでいった仲間たちのために少しでも意味を見出そうと足掻き、苦悩し、生まれた想い。

 その切なる想いは、あまりにも重く。

 だからこそ、俺はかけるべき言葉を見出せずにいた。

「取り消せよ。……そんなこと、断じて認められねえ」

「……」

 三海大将が、桜のほうを見た。

 彼女はうなずいて、ゆっくりと微笑む。

「……スノー、ごめんなさいね。あなたがこの話を憤りをもって承服しないことは分かっていたわ。でも、それでも誤解しないでほしいの。先生は別に我々のこれまでの戦いの意義を否定しているわけではないのよ」

「……」

「それに、まだ推測の域を出るものでもないですしね。完全にそうと決まったわけではない。私たちは最悪の状況を想定して準備をしておきたいのよ。だから今日こうして話をもちかけたし、二階堂ちゃんと露木少佐に限定して話をしている。もし先生の言うことが正しかったとしたら、遅きに失してしまう可能性もあるから」

 桜はそう言って、口元を着物の袖で隠した。

「だから、発言を取り消すことはできないわ。ごめんなさい。……あくまで私個人の意見としてだけど、おそらく先生の言うことに誤りはないと思う。仮に生贄って部分が違うとしても、この戦争が単に防衛のためだけに行われているわけではないことはまず間違いない。なにかしらの意図が隠れている。それも我々の存在意義を脅かすような悪逆が潜んでいることでしょう。――あの、腹黒クソ女神のね」

 俺は息をのんだ。

 半分目を見開いた彼女の笑みは、穏やかなようで、背筋が凍りつきそうなほどの怒りに満ち満ちていて。

 その迫力は、スノーさえも押し黙らせてしまった。

「……あのクソ女神の魂の片鱗や残滓は、この世界あらゆるところに存在する。だから、私にはあのクソ女神が邪悪な存在であることは、昔から分かっていた。これまで先生以外の前では、けっして口にできなかったことですけど」

 桜は拳を固く握り、震えるほどに握り、言った。
 
「……今までいったいどれほどの同胞が、この世界を守ろうと戦って死んでいったか。その死があのクソ女神の描いた茶番の一部だったなんて認められるわけがないわ。断じてよ。断じて――私たちの誇りは汚されていいものなどではないわ」

 ――だからね。

「意味のないものにさせないために、私は戦うと決めたわ。フローラにどんな意図があるとしても、この桜の手で止める。このプリマヴェーラを、私たちの誇りを守るために」



 


 三海大将との話し合いは終わり、俺たちは協力関係を築くことになった。

 フローラへの反逆。

 それは、この世界そのものに対する反逆に他ならない。

 それがいかに無謀なことなのかは、この世界がいかにフローラの影響に侵食されているか考えれば分かろうものだ。プリマヴェーラはフローラの涅槃だ。フローラの支配に置かれた楽園なのだ。

 俺たちは生き残るために、世界の常識と戦わねばならなくなるかもしれない。

「……」

 俺は小高い丘を登る。

 あらゆる花々が咲き誇る美しい場所。斜陽をうける花びらは、まるで燃えるように輝いていて。こんな美しい光景が、悍ましい女神の祭壇の一部なのだと信じたくはなかった。

 身体の悪寒は、まだ消えない。

 俺は鳥肌の立つ腕を撫でる。

 もし三海大将の考察が正しいとしたら、だ。こんなにも悍ましいことがあるだろうか。フローラは己の伴侶を創るために、プリマヴェーラの人々をすべて生贄にしようとしているのだとしたら、俺たちやアンサスたちがしてきたことは一体なんだったというのか。

 フローラの茶番。桜はそう表現したが、俺たちはやつの目的のために働きアリとなって、命を削ってきたことになっていたんだろうか? 俺は、そんなことのために転生させられたのか? アンサスは、そんなことのために生まれてきたというのかよ……。

「……」

 俺たちに課せられた使命はすべて嘘だったのだろうか。

 使命を果たした末に果たされるはずだった約束も。

 「開花症候群」に侵された大切な人の命が救われるという話も――。

 すべて、まやかしなのか。

「……俺たちは、騙されていたのか」

 俺は、つぶやいて笑った。

 怒りすらもわかなかった。ただただ恐ろしくて、心が摩耗しすぎていて、本来は憤ってしかるべきことのはずなのに、感じることすら億劫に思える。

 涼花。

 俺の大切な妹の顔が浮かぶ。

 お前に会いたい。会いたいよ。俺は、お前を守るために、お前の健やかな日々を願って、ただただ頑張ってきたんだ。俺は、兄ちゃんは、お前のために……。

 もう、救えないのか?

 俺は、お前を救うことができないというのか? お前は花に侵されたまま、朽ち果てていくというのか?

 救いたいと思った。でも、救えるかどうかわからなかったから、フローラやエリカを信じきれなかったから、俺はその嘘に縋らずにいられたけど――。でも、期待しないわけではなかったんだ。

 元気になったお前に、もう一度会えるかもしれないって。

 踏みしめる足は重い。

 息が乱れているのは、歩き疲れたからじゃない。

「……」

 一人でいたくなかった。一人で考えていたら、また花の香りに誘われて良からぬことを考えてしまいそうだから。

 椿には頼りたくない。彼女の好意に甘えて、過ちを犯してしまいそうで怖いから。

 リンドウやネコヤナギにも頼れない。彼女たちには俺の苦悩は話しづらい。彼女たちは何の事情も知らないし、椿と同じように好意を利用するようなことになってしまいそうだから。

 俺は――。

 やっぱり俺は、最低なんだ。

 自分の気持ちに、今日だけは嘘がつけそうもない。

 俺は、立ち止まった。

 丘の頂上にある開けた場所。中央に生える桜の木の下にある、人知れず存在する小さな墓所。

 そこには、白い髪をたなびかせる女神がいた。

「……メンターか」

 スノーの静謐な声は、穏やかな風にのって届いた。

「邪魔してごめんな」

「いや、いいよ。なんとなく、来るんじゃねえかなって思っていたから」

 その言葉に、心が波打った。

「……そうか」

 嬉しい。

 どうしようもなく、嬉しいと思ってしまった。そんなことを言ってもらえると思ってもいなかったから。

「……どうしてもお前と話したくて。その……来てしまった」

「ふぅん。椿じゃなくて俺なんだな」

 ちょっと嬉しそうな響きに聴こえてしまった。

 だめだな、今の俺はボケている。

「……まあ、お前さんのことだから俺のことが心配になってきてくれたんだろ? そんな風に言葉を濁さなくてもわかるぜ」

「……」

「……あん? 違うのか?」

「……。いや、間違えていないよ」

 心配していたのは事実だし、たしかに間違えてはいないけど、そうじゃない。どちらかというと理由は自分勝手なものだから。

 でも、さすがにそれは口に出せなくて、「……鈍いな」と身勝手な不満を呟いてしまう。

「……なんか言ったか?」

「いや、なんでもないよ」

 俺は小さく笑いながら、スノーの隣に立った。その側には小さな墓石が鎮座していて、周りには彼女の仲間たちを象徴する花々が植えられていた。

 手を合わせようとして、一瞬戸惑う。この世界の合掌の所作は、フローラ教のものだからだ。

「……手を合わせなくていいよ」

 スノーはそう言ってくれた。

「こころの中で思ってくれるだけで充分だ。それであいつらは喜んでくれるさ」

「……ありがとう」

「はっ、礼を言うのはこっちだよ。俺の仲間のためにありがとうな」

 スノーの微笑みは花よりも優しかった。沈みゆく陽の光をうけた彼女の肌は、まるで橙色の染料で描かれた陶磁器のようで。素朴でいながら、見惚れてしまうほどに綺麗だった。

 俺は目をそらした。危ない感情を抱きそうになったから。

 墓石に目を落とし、手を合わせる代わりに黙祷をささげる。

 穏やかな沈黙が流れた。俺たちは何も言わず、ただ墓所の中で弔う。

 風が、花を泣かせた。

「……俺はよ」

 スノーがぽつりと口火を切った。

「てめえと爺さんが言っていたことは、正直あまりついていけなかった。てめえが別の世界から来ただとか、この世界が集合意識によって創られただのなんだとか……」

「……無理はないよ。俺も当事者じゃなくて傍から聞いていたら訳がわからないと思うし」

「ああ。……わかったことは一つだ。フローラがクソ野郎ってことだけだ」

 スノーは拳を握りしめる。

「てめえらの話は正直信じられないよ。気持ちの上では理解できたとはいえねえ。でも……あの爺さんと桜が、あそこまでしてまで俺たちに与太話を聞かせるとも思わねえんだ。だから、言っていたことは本当なんだろうよ」

「……そうだな」

「だからよ。だから……」

 スノーは言葉を切って、言った。

「俺は……お前らを信じようと思う。お前が別の世界から来ただとかなんだとかも含めてな。時間はかかるかもしれねえが、ちょっとずつ飲み込んでいくよ。……そして、そのうえで俺も戦う。こいつらの犠牲を、無為なものに終わらせるわけにはいかねえからな」

「……スノー」

「……こいつらは、本当にいい奴らだった。本当に、どいつもこいつも……あんな風に死んでいい奴らじゃないんだよ。マリーも、ヒアシンスも、アイビーも、ダリアも、マーガレットも、キキョウも……。みんな、みんな」

 慈愛に満ちたスノーの瞳は微かに濡れていた。きっと彼女には、仲間たちの姿が、彼女たちと過ごした日々が見えているのだろう。

「……俺は正直、クソ虫どもが憎い。憎くて憎くて仕方ないんだ。それは今でも変わらねえ。一匹残らずぶち殺してやりてえって思うくらいにな」

 ――俺の戦いは復讐のためにあった。

「……復讐か」

「ああ、復讐。あれから、それ以外のことは何も考えられなかった。敵を殺す、ただ敵をぶち殺して、なにもかもすべてを破壊して……。持て余すほどの怒りと憎しみに突き動かされてきた」

「……苦しいな。その生き方はあまりにも苦しい。こんなこと言うのは失礼かもしれないけど……」

「いや、いいよ。間違ってないからさ。ずっと苦しかった。ずっとずっとずっと……俺は、そんな生き方をこころのどこかで辞めたいと思っていた」

「……死のうとしていたんだな」

 俺の言葉に、スノーが目を見開く。

「……なんで分かるんだよ」

「俺も同じだったからだ。俺も……すべてを失って死を選んだんだ。そしてこの世界に転生した」

 俺は、スノーに自分が転生した経緯を話した。両親を理不尽に失い、妹と二人きりになってしまったこと。妹のためにすべてを捧げて生きてきたこと。そして、その妹さえ失ってしまったこと。

 これまで二階堂大佐以外には話していない自分の生い立ちを。

 彼女には聞いてもらいたいと思った。

「……」

 俺の話を聞いたスノーは、何も言わなかった。

 静かな眼差しで俺を見据える。赤い瞳に映った俺は情けないほど曖昧な笑みを浮かべていて、どんな風に受け止められたかわからない不安が表情に現れている。情けない顔だった。でも、そう思っても取り繕うことはできなくて。

「……そうだったんだな」

 スノーはそう呟いて、頭を掻いた。

 そして、俺の胸元に拳を置いた。
 
「……わりい。俺は口下手だから、こういうときどう声をかければいいかわからん。わからんが……その……」

「……」

「……めちゃくちゃ頑張ってきたんだな。今まで、馬鹿にしてきてごめん。俺は、何も知らなかったのに偉そうなことばかり言っていたよ」
 
 ああ、駄目だ。

 なんで――こんなにも目頭が熱くなるんだ。

「お、おい……。泣くなよ。そんな表情されたら、もっとどうすればいいか分からなくなるじゃねえか」

「……すまん。無理だ、止まらない」

「そ、そうか……。まあ、仕方ねえよな。俺たちはずっと苦しんできたんだから」

 スノーの言葉が、こころに沁みるようだった。

 ああ、駄目だ。

 この感情に、輪郭を与えてはならない。駄目なんだよ。この想いには蓋をするって決めているじゃないか。

 でも、こんな――こんなの。

 ネコヤナギの言葉を思い出してしまう。ああ、俺はいま、ネコヤナギの気持ちが本当の意味で理解できたのかもしれない。

「……許してくれ」

 俺は涙を流しながら、そう懺悔した。

「……誰も責めないよ。安心しろ」

 違うんだ。

 違うんだよ。これは、そういう意味じゃないんだ。目をそらせなくなるくらい大きくなる想いに対して、それによって裏切ってしまいかねない気持ちについて、懺悔しているんだ。

 涼花。

 俺は、初めて――。

「……なあ、メンター。俺はよ、ずっと眠りたかったんだ。でも、でもよ……今は眠りたいとは思わなくなっちまったよ。お前のおかげでな」

 スノーは優しく拳を押してきた。

「だから、前を向こうぜ。俺が、お前を、アスピスのみんなを守るからよ。今度こそな……仲間を守るんだ」

 一緒に頑張ろう。

 スノーの言葉は、俺を溶かしていく。

 ああ――。

 俺は、彼女に太陽を見た。

 

 
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