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第五章 堕ちゆく花
第七十六話 秘密は甘いものさ
しおりを挟む三海大将と桜がアスピスを訪れて三日が経とうとしていた。
時刻は昼下がり。仕事に集中しきれなかった俺は、少しでも気分を変えたくてマホガニーの机から離れ、拠点内の散策に出かけていた。
本館から出ると、ヒビの入ったレンガの階段を降りる。これまでところどころ古くなったモルタルの隙間から雑草が生えていたはずだが、今や綺麗さっぱり無くなっている。怠け者のネコヤナギやリリーたちが働いてくれるようになったおかげだ。こんなところにも、小さな変化が見られる。
少しだけ嬉しくなったが、下まで降りきったとき、俺は一気に憂鬱な気分になった。
階段下にそびえ立つフローラ像を見たからだ。
フローラ。
俺たちを騙し、自分の目的のために俺たちを利用している欺瞞の神だ。こいつのせいで、俺たちは数々の悲劇に巻き込まれている。
厳かな佇まいは立派で。神にふさわしい威厳が白い大理石の彫像からは漂っている。それが気に食わない。こいつは悪魔だ。こうやって崇められるような存在なんかではない。
「……」
今まで気にも留めていなかった。ただの飾り程度に見ていたはずのもの。それが今やこんなにも気にかかってしまう。変化は必ずしもいいことばかりではないと思い知らされる。
それに――。
本当に小さなことなのだが、最近気づいたことがある。アスピスの多くの備品や装飾は汚れたり壊れたりしたまま放置されていたのに、この拠点の至る所にあるフローラ像やフローラ教のシンボルは俺が来たときからどれも新しいのだ。
信仰にまつわるものだけがなおされている。
「……敬虔なことだな」
皮肉も口をついてしまうよ。
この世界のあり方が、軍上層部の信仰を守ろうとする姿勢が、こんなところにも現れている。この拠点で起こったことを隠匿するために「廃棄拠点」として低位に扱いつつ、信仰に関わるものだけは大切にするのだから、腹立たしい。
俺はなんとなく振り返った。
アスピス本館。小さな洋館は、陽光に照らされながらもどこか陰気くさい雰囲気が漂っていて、使われているはずなのに廃墟のような気配すらあった。
ここは、廃棄拠点だ。
凄惨な殺人事件が起こり、軍からも見放されたいわく付きの場所。
俺は最近になって、アスピスがなぜ廃棄拠点となったのか詳細を知ることが出来た。開示されたリンドウの情報と、ここを訪れた桜から聞いた話により、ここに渦巻いた悍ましい悪意と狂気を。供花事件という狂ったメンターにより引き起こされた惨劇を。
ここは、もともと「アレス」と呼ばれていた。陸軍保守派佐伯修二郎中将の子息、佐伯直哉大佐が責任者をつとめる、優秀な成績をおさめる拠点だった。だが、その佐伯大佐が突如狂い、凄惨な殺人事件を引き起こした。
佐伯大佐は、フローラ教の信仰の否定とフローラへの恨みを事件の動機としていたらしい。反フローラ主義に毒された狂人による犯行とされたこの事件は、しかし俺や三海大将には違う意味合いを持って見えていた。
三海大将と桜は言っていた。
――佐伯大佐は間違いなく転生者だと。
彼は反フローラ主義に傾倒する直前、奥さんの存在について言及していたらしい。『愛する妻は死んだ。蘇らせることができると言っていたのに』『フローラに騙された』と。
佐伯大佐はこの世界で妻帯していなかった。
つまり――別の世界に奥さんがいたと考えるのが自然だ。彼の言動やフローラへの並ならぬ憎悪を読み解くと、その解釈に行き着く。
俺や二階堂大佐と同じだ。自分の大切な存在を「開花症候群」で失い、絶望の果てにこの世界に転生させられたのだろう。彼の本心は分からないが、俺たちのように半信半疑ではなく、おそらくはフローラの甘言に深く縋ったのだ。それは彼が事件を起こす以前は敬虔なフローラ教徒だったことからも伺える。
そして、フローラに騙されたことに気づき、発狂して掌を返した。
「……」
フローラ像を見て、舌打ちをした。
佐伯大佐のやったことは決して許されていいことではない。いかな理由があれ、彼が尊い命を弄び壊したことは事実だし、その点にどんな弁明も通用するものではない。俺は彼のやったことを知ったとき吐きそうになった。これが人間にできる所業なのかと思い、激しく佐伯大佐を憎んだ。ここには、彼の被害者であるリリーとリンドウがいるのだ。彼女たちの仲間として、到底許すことはできない。
だが――その要因を辿ると、元はといえばこのクソ女神のせいだ。同じようにこいつに騙された身としては、その点だけは同情に値する。俺も一歩間違えば、狂っていたかもしれない。スノーがいなかったら、スノーの言葉に救われなかったら、俺も……。
「……メンター?」
俺は我に返り、正面を向いた。
そこにはジャージ姿のリンドウがいた。きょとんとした顔で俺を見ている。
「珍しいですね。この時間にお一人で外にいるなんて。椿姉は一緒じゃないんですか?」
「あ、ああ……。椿は礼拝堂にいるよ」
俺は内心の動揺を押し殺しながらそう答えた。
ついさっきまで佐伯大佐のことを考えていたからな。このタイミングでリンドウに声をかけられると、さすがにちょっと動揺してしまう。
「……ふぅん。そうなんですね?」
俺の顔を訝しげに見ながら答えるリンドウ。
「うん。リンドウは、相変わらず庭仕事をしてくれているのか?」
「いえ。一段落ついたので、今はランニングをしていました。メンターも一緒に走りますか?」
「……あはは、やめとくよ。リンドウの体力にはついていけないだろうし」
庭仕事の後にランニングとは。ゲームとは随分違う性格をしているが、こういうところはゲームのリンドウなんだな。
「……ペース合わせますよ? なにか悩んでいるみたいですし、走ればすっきりするかなって」
「ありがとう。大丈夫だよ」
「……そうは見えません」
リンドウは目を細めて、指をさしてきた。
「メンターはわかりやすいですから。悩んでいることは顔を見ていればすぐにわかります」
「……あー」
よく言われるからな。
そんなに顔に出ているんだろうか、俺。
「走るのに誘ったのは冗談です。……その、お嫌じゃなければ話してくださいませんか?」
「……えっと」
俺は頬をかいた。
悩みと言っても、リンドウに話せる内容とそうじゃないものもある。先日、追い詰められてスノーを頼ったことなんてそうだ。これはさすがにスノー以外には話しづらい。佐伯のことやこの拠点についてのこともそうだ。当事者に離せるような内容ではない。
それに……また前みたいにリンドウに甘えてしまうのも彼女に悪いしな。彼女の好感度は最近なぜか見えなくなってしまったが、それでも向けられる好意に気づけないほど鈍くなれるわけもない。俺の気持ちがどこにあるのか考えると、好意を利用するような頼り方は躊躇われる。
正直、リンドウはかなりの聞き上手だし、つい甘えたくなりそうになる。だが、それはあまり褒められたことではない。
スノーの笑顔が、ふいに浮かぶ。
……ダメだな、俺は。
「……ごめん。たしかにちょっと」
リンドウに柔らかく断りを告げようとした瞬間だった。
「メンター!」
俺の後ろからスノーの声がした。
「スノー? どうした?」
振り返りながら答えると、スノーはなぜか必死な形相で俺に近づいてきた。赤い瞳はいつもよりも鋭く、湧き上がる衝動を抑え込もうとする切実さに満ちていて。
思わず身構えてしまう俺の肩に、スノーは手を置いた。眼前に近づいた彼女に、緊張してしまう。
「……お、おい?」
なんなんだいきなり?
隣に立っていたリンドウもスノーの様子に驚いているようだった。
スノーは、声を震わせながら言った。
「てめえに聞きたいことがある」
「……」
「てめえが寝ているとき……いや、起きたときでもいい。甘い味を口の中に感じたことはあるか? ハチミツみたいな味だ」
「……え?」
俺は思わず目を見開く。
それは、この拠点に来てからしょっちゅうある。ほぼ毎日に近いペースで、なぜか口から甘い味がしていた。そう、スノーが言うように蜂蜜のような味が。
なんで、スノーがそんなことを訊いてくるんだ?
「質問に答えろ。どうなんだ?」
「……えっと、あるけど。最近はあまりないけど、前まではほぼ毎日感じていたな……」
「……っ」
スノーの目が、明らかに動揺で揺れた。
俺とリンドウは目を合わせる。
様子が明らかにおかしい。
「……それがどうしたんだ? なにか不味いことでも」
「椿はどこだ?」
スノーは俺の質問には答えず、そう訊いてきた。
「礼拝堂にいるが。……おい、いったいどうしたんだよスノー? それと椿が何の関係があるんだ」
「今は話せない」
「……なんで?」
「あのクソアマと話をつけてからだ」
スノーは、俺の肩から手を離した。
その形相に息を呑む。かつて荒み切り、憎しみに満ち満ちていたときの顔に近いものがあったからだ。
俺は立ち去っていくスノーに何も言うことができなかった。何も言えないまま、虚空に手を伸ばす。
「……いったい何が」
俺は気づけなかった。
後ろにいるリンドウの表情に。
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