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第五章 堕ちゆく花
第七十五話 私たちの勝ち
しおりを挟むつまらないことは嫌い。
だから、つまらないものは積極的に面白くしないといけないとリリーちゃんは思うんだよね。最近の「アスピス」はとくにつまらないもん。
想いが実って幸せそうな椿姉。
自分の気持ちに蓋をして、椿姉の幸せに付き合うメンターちゃん。
仮初の、歪んだ結婚生活。
見ていてつまらないにゃ。
アスピスは名を変えた廃棄拠点だ。どす黒い殺意と狂気が渦巻いた、絶望に満ちた喜劇の劇場なんだにゃ。私が見たいのは血でメイクしたピエロが踊り狂う愉快な催しであって、六畳一間で繰り広げられるような素朴で陳腐な男女の営みではない。もっとみんな踊らないとにゃ。私たちはみんな、壊れているんだから。
まともなフリは退屈だよ。
踊っていた方が楽しいに決まっている。
佐伯ちゃんも言っていたにゃ。お前たちは女神の人形なんだから、もっと踊らないとって。
ね、だから、私は壊すんだよ。
今のこの状況を。
――リンドウのためにもね。
リンドウ。
私の大好きな人。あの子は、メンターちゃんのことが好きだから。アイリスの愛に憧れる可哀想なリンドウのために、安心して依存できる、愛に溺れられる相手をちゃんと用意してあげたい。
そのために、どのみち椿姉は邪魔なんだにゃ。
ネコヤナギが言ったとおり、追い落とさないといけない。
ああ、楽しいにゃ楽しいにゃ。
「……ねえ、スノーちゃん」
私は廊下を歩いていたスノーちゃんを呼び止めた。振り返った彼女の嫌そうな顔。
スノーちゃんはどうやら私のことが苦手みたいにゃんね。だからいつも私が話しかけると梅干しでも食べたかのように表情を歪める。けっこう好きな顔なんだよね、かわいいにゃ。
「……なんだよリリカス」
「リリカス言うにゃ。……ちょっとスノーちゃんに話したいことがあってさ、いま少し時間いいかな?」
「あー無理だな。これからアイスを食べなきゃならねえ。また今度で」
スノーちゃんは軽くあしらうように言って、立ち去ろうとした。私はその腕にしがみつく。
「おい、離せよ」
「アイスなんていつでも食べられるにゃ。ほんとちょっとだから話聞いてよ。メンターと椿姉のことで、話しときたいことがあるんだ」
「……メンターと椿のこと?」
スノーちゃんは眉を顰めながら言った。
うなずいて、懐から封筒を取り出すと、スノーちゃんに手渡す。
「……なんだこりゃ?」
「中身、見てみて」
私は笑いをこぼすのを堪えながら、真面目くさった真剣な顔を取り繕った。
こういうときは笑ったらダメらしいもんね。
スノーちゃんは糊付けしてある封筒を丁寧にあけて、中から写真を取り出した。首を傾げながら写真を見つめ、やがて鋭い三白眼をこちらに向けてくる。
「……おい、これ隠し撮りだろ。てめえ、とうとう盗撮に目覚めやがったか」
「違うよ。いいからちゃんと見てよ」
スノーちゃんは写真に再び目を落とした。
そこには眠っているメンターに寄り添う椿姉が映っている。椿姉が、メンターの口に何かを塗っているところがね。
「……椿とメンターだな。これがなんだよ?」
「椿姉が何かを塗ってるでしょ? なんだと思う?」
「なにって……。よく見えねえからわからねえよ。口が乾燥しないようにリップクリームでも塗ってあげてるんじゃねえの?」
「違うよ。二枚目見て」
二枚目の写真を見たスノーちゃんの表情が変わった。
「……これ」
「スノーちゃん、これがなんだかわかる?」
「……ああ。お前、まさか」
「うん。椿姉、メンターにこれを塗っているんだよ、ほぼ毎晩」
写真が落ちた。
私はスノーちゃんから胸倉を掴まれ、持ち上げられた。
「……そんなわけあるかよ、てめえ」
「……」
「そんなわけ、あるか。椿がそんなことをメンターにするわけがねえ。……てめえ、冗談で言っているならぶっ殺すぞ?」
「冗談じゃないにゃ」
怒りに燃えるスノーちゃんの目を静かに見つめ返す。
まあ、信じられるわけないにゃんね。スノーちゃんと椿姉は仲が良い。スノーちゃんが荒みきっていたときから、どういうわけか椿姉にはある程度こころを許していたからね。二人は友達なんだ。
その友達がまさか、スノーちゃんにとっても大切なメンターに、麻薬を与えているなんて思いもしないだろう。
――でも、事実だ。
「それは捏造でもなんでもないにゃ。椿姉は、『女神の愛液』をメンターに摂取させているの」
「なんのためにだ!? なんで、そんなことを椿がしないといけねえ!」
「『女神の愛液』は極少量なら意識を混乱させる効果があるから、一昔前は自白剤や新興宗教が洗脳を行う目的なんかで使われていたこともあるんだよね。つまり、そういうことだと思うよ」
「……」
「椿姉は、メンターの意識を操ろうとしていたにゃ。理由や動機は……あの人の普段の様子を見ていたら腐る程あると思うけど」
スノーちゃんの瞳が揺れ動く。
椿姉はああだからね。これまでの彼女の行動から、スノーちゃんは勝手に色々連想して、思い当たることを見つけ出してくれているようだ。たとえば、急にメンターが結婚したこととかさ。椿姉にとって都合の良い事が色々起こっているからね。
椿姉がマインドコントロールしたかどうか、本当のところはわからないし、真相は彼女が自白しない限りは闇の中だけどね。でも、それが必ずしも事実である必要はない。
それらしい事実があれば、人は猜疑に囚われる。コツは本当のことに少しの嘘や尤もらしい理屈を混ぜて伝えること。詐欺でもよく使われる手法だ。スノーちゃんは真っすぐで、物事をあまり深く考えるタイプではない。そういうタイプはこの手の手口に騙されやすい。
「……」
スノーちゃんは、手を震わせながら私の胸倉から手を離した。足元に転がる写真に動揺で濁った目を落とし、唇を噛んでいた。
「……ねえ、スノーちゃん」
憂慮しているように、私は顔を曇らせてみせた。こみ上げる笑いを堪えながら。
「私は、メンターのことが心配なの。……このままだと、メンターが廃人になるんじゃないかって」
「……っ」
「椿姉が何を考えてこんなことをしているかもわからなくて、怖いにゃ。……でも私じゃ椿姉は止められないし、どうすればいいの? 私にとっても、メンターは大切な人なんだにゃ」
――ねえ、お願い。スノーちゃん助けて?
深刻そうにそう伝えると、スノーちゃんはバキバキと音が鳴るほどに拳を握りしめた。
身体を震わせながらしばらく黙り込んでいた彼女は、ゆっくりとしゃがみ込んで写真を拾い上げる。
「……これ、借りるぞ」
「うん」
あはは、勝った。
これでスノーちゃんは、私たちの味方についてくれる。
スノーちゃんはふらふらとした足取りで歩き出した。たぶん、これから椿姉とメンターのところへ向かうだろう。どんな地獄が展開されるのか、楽しみだ。
私はスノーちゃんの姿を見えなくなるまで見送り、噴き出した。
「……残念だね、椿姉」
あなたは、これで終わりだよ。
あの甘ちゃんなメンターちゃんが椿姉をどう扱うかは知らないけど、でもまあ……間違いなく二人の信頼関係には無視できないほどのヒビが入るだろうね。うふふ、面白くなってきたにゃ。
ねえ、リンドウ。キミもそう思ってくれるでしょ?
私は、キミのためにも舞台を温めたんだからね?
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