プリマヴェーラ・ストラトス―転生したらヒロイン全員病んでいて修羅場な件―

浜風ざくろ

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第五章 堕ちゆく花

第七十八話 リンドウ その2

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 ――リンドウ、今日ね、メンターといっぱいお話しちゃった! しかもクワガタの育て方を教えてもらって、一緒に育てることになったんだよ! これって一歩前進だよね?

 ――ねえねえ、今日嬉しいことがあったのよ! 今日の出撃で怪我した場所を、メンターが診てくれたの。そのときにね、「アイリスの綺麗な肌に傷がつくのは嫌だな」って言ってくれて……。きゃー! 綺麗ですって……!
 
 ――リンドウリンドウ。聞いて! 佐伯大佐がね、私の誕生日に花を贈ってくれたの! 誕生日なんて祝ってくれると思ってなかったのに……! 嬉しすぎて泣いちゃった!

 ――ねえ、リンドウ。今日ね、突然メンターから指のサイズを聞かれたんだけど……。どういうことなんだろ。どういうことかな!? ね、ね、期待していいのかな、これ。期待しちゃうよね。

 ――えへへ……リンドウ、ついにやったわ。メンターが、私に指輪をくれるって。戦力増強が目的なのは分かってるんだけど……でも「結婚」してくれるのよ? 「結婚」してもらっちゃった。頑張ってきて良かったよ……。

 ――ねえ、リンドウ。

 ――私、メンターのこと大好き。



 
  

 
「あああああああぁ……あああ、ああああああああああああっ!」

 ユウスゲが発狂した。

 『アレス』の主力部隊が出撃から戻ってきてすぐのことだ。突然頭を掻きむしりながら叫び声をあげて、本館に向かって走り、物凄い勢いで頭を壁に打ち付けはじめた。

 あまりにも唐突なことだったので、何が起こったのかわからなかった。全員、唖然として血を流しながら頭を打ち付けるユウスゲを見つめる。骨が砕けるような音が、何度も何度も、何度も何度も何度も響いて。

 リリーが、泣き叫びながらユウスゲを止めに入った。

「みんな、止めて! ユウスゲを止めてぇ!」

 ボクはようやく我に返って、リリーとともに暴れ狂うユウスゲの身体につかまる。小さく華奢な身体。この身体のどこにそんな力があるのかと思うほどの怪力で暴れ、ボクたち二人がかりでも止められない。額から血を流しながら暴れるユウスゲは獣のようだった。

 それから遅れてやってきた数人で取り押さえ、ユウスゲはようやく沈静化した。「出血がすごい! 医務官呼んできて!」と誰かが叫ぶ。誰かが泣いていた。誰かが嘆いていた。

 組み敷かれたユウスゲは、虚ろな目で壁を見ていた。「死なないと死なないと死なないと死なないと……」と譫言のように繰り返していて。口の端から泡を吹いている。

 完全に常軌を逸していた。

 完全に、精神が崩壊していた。

「ユウスゲ! ユウスゲッ! しっかりするにゃ!」

 リリーが泣きながら声をかけても、ピクリとも反応しない。ただただ壊れた音楽プレイヤーのごとく「死なないと」と言い続けていた。

「……こんなの……ひどすぎる」

 キヌガサが呻くように呟いていた。

 ボクは、何も言えなかった。ただただ異常な状況に対する恐怖で唇を震わせることしかできない。

 佐伯大佐が突然おかしくなった。何が起こったのかはわからない。本当に突然、この拠点にあるフローラ教のものを壊し始め、「フローラのような邪神の崇拝は禁止する」とわけのわからないことを言い出して、ボクたちの信仰の自由を奪った。

 それに強い不満を抱き、直談判をしたカルミアが、ボクたちの目の前で処刑された。いや、あれは処刑なんて生優しいものじゃない。ただの虐殺だった。無意味なまでにカルミアを壊し、無意味なまでにカルミアを苦しめ、無意味なまでにその光景を私たちに見せつけ、ただただ佐伯大佐は笑っていた。

 そして、何の脈絡もなくユウスゲにカルミアを殺すように命令したんだ。「こいつ処分しないと、リリーも処分するけど大丈夫かあ?」と忘れ物の破棄を確認するような気楽さで、笑いながら佐伯大佐は言い、動けないユウスゲの前でリリーの腕だけを廃棄処分にした。泡を吹いてのたうち回るリリーを足蹴にし、「いいの?」と脅しながら。

 ユウスゲは泣き叫びながら、カルミアにとどめをさした。助けて、と命乞いをするカルミアを、武装で刺し殺していた。

 見ていられなかった。あまりにも酷すぎて。我を忘れて慟哭するユウスゲの声は、今でも頭に小縁ついて離れない。地獄そのものだった。

 ユウスゲは罪の意識に苛まれ、笑うことさえ無くなり、それでもリリーを守るために戦った。

 でも、みんなにリンチされ壊されたシレネを犠牲にして、とうとう限界を迎えた。ユウスゲは、罪悪感に耐えきれず、壊れた。壊された。

 壊され、たんだ……。

「……なんで、こんなことに」

 なんでなんだよ。

 なんでだ。ボクたちが一体何をしたって言うのだろう? こんな目に遭わされる理由が何一つわからない。怒りと悔しさでわけがわからないくらい心臓がうるさかった。涙が、勝手に溢れてくる。

 リリーが泣いている。

 泣いている。

 泣いている。泣いている。泣いて泣いて泣いて――。

「お疲れ様ー」

 ヘラヘラと笑いながら、佐伯大佐が現れた。

 ボクの肩が勝手に震える。みんな、引きつった顔で佐伯大佐を見ていた。

 彼は何かに取り憑かれているかのようだった。痩せこけた頬に、目元に浮かんだドス黒い隈。やつれ果てているはずなのに、目だけがエネルギッシュな輝きに満ちている。狂人。悪魔。そんな言葉が、浮かんでしまう。

「ん? ん? なんだなんだ、どうしたんだ? いったい何の騒ぎだ? 何を、みんな、そんな深刻そうな顔をしているのかな?」

「……」

 誰も何も言わない。

 ヘラヘラと笑っていた佐伯大佐が、我を喪失して泣き叫ぶリリーを見た瞬間、真顔になった。

「うるさいなあ」

「す、すみません! ユウスゲが急にこんなことになって混乱してるんです……! す、すぐに下がらせますから!」

 ホトトギスが慌てて頭を下げ、リリーを連れて行こうと立たせようとした。

 その瞬間、佐伯大佐は「よし」と言い放った。

「うるさくて不快だから、リンドウを殴れ。いますぐ、ここにいる全員で」

 沈黙。

 現実感が持てない。いま、なんて言ったんだろう? 殴る? ボクを――?

「……え、なんで?」

 思わず訊ねたホトトギスが、佐伯大佐から殴られた。

「口答えするな。廃棄処分にされたいか?」

「……い、いえ。すみません」

 ガタガタと震えながらホトトギスは謝る。ボクはその光景を、遠くの火事でも眺めるように見ていて。呆然と立ち尽くすことしかできないボクに、佐伯大佐はグズグズに溶けた笑みを向けてきた。

「ほら、はやくやれ。殴れ。やらないと、全員、カルミアのようにしちまうぞ?」

「……」

「はやくやれよ! あぁ!?」

 視界が揺れた。

 鈍い痛みが頭に爆ぜる。殴られた。そう意識したときには、袋だたきにされていた。鳩尾を蹴られ、背中を押され、倒れ込んだところを何度も何度も何度も何度も何度も何度も――足蹴にされる。

 ごめんね、ごめん、ごめんなさい、許して――。

 そんな声がした。痛い。耳鳴りがする。痛い。息が、息ができないよ。痛い。苦しい。丸まって耐えても、痛くて苦しくて。なんで。痛いよ。くらい。怖い。痛い痛い痛い痛い。佐伯大佐の笑い声。こわい。なんで、こんな目に。痛い。痛い。イタい、イタイ――。

「……やめてぇ!」

 リリーの声がした。

 目が腫れていて何も見えない。でも、わかる。ボクの目の前に、リリーがかばうように立ってくれている。

「お願い……お願いしますにゃ! ……もう、リンドウには酷いことをしないで……」

「あ?」

「殴るなら私を殴ってにゃ……。リンドウは、何も悪いことなんてしてない! だから、私を……」

「……っぁ」

 リリー。

 駄目だ、駄目だよ。

 そんなことを言ったら、キミが酷い目に遭う。ボクをかばったらダメだ。ボクなら大丈夫だから。キミには、もうこれ以上なにも失ってほしくなんかない。

 そう言おうとした。でも、声が出ない。くぐもった声にならない笛のような音がこぼれるだけで。

「……もうこれ以上、リンドウやみんなが酷い目にあっているのは見たくないにゃ。お願い佐伯ちゃん……もう止めるにゃ」

「……」

「佐伯ちゃん、こんな酷いことをするような人じゃなかったでしょ? いったいどうしちゃったの? なんでこんなことを……」

「……」

「お願い、正気に戻って! もう、誰も傷つけないでよ! 私たちが何か悪いことをしているなら謝るし、何か悩んでいることがあるなら一緒に考えてあげるから……だから、だからお願い……」

 リリーは嗚咽をこぼしながら、必死に訴えかけていた。

 沈黙が降りる。

 リリーの切実な言葉は、ボクたちの心情を代弁したもので。突然変わってしまったメンターに対する困惑と、理不尽に対する怒りと、どうしようもない悲しみと――。すべての想いがこもっていた。

 でも、そんな訴えが届くなら、佐伯大佐は最初からこんなことはしない。

 相手は、悪魔だ。 

「……ひっ」

 怯えた声を出すリリー。

 佐伯大佐が、リリーのそばにいるんだ。

「……泣けることを言うじゃないか。邪神の人形の分際で」

 ヘラヘラと笑いながら、佐伯大佐は言った。

「お前の美しい友情には感心したぞ。うん、うん……そうだよな、お前はリンドウが大好きだもんなあ。だから庇いたくもなるよなあ」

「……」

「あは、あははっ。そうだ、俺はね、苦しんでいるんだ。もうどうしようもないくらい酷いことだ。縋ったものにすら裏切られて、騙されて。だから、俺はあのクソ女神が創ったものをぜんぶぜんぶぶち壊したいと思って……あははは、こうなっちゃった」

 ――もう、戻ることはできないんだよ。

 佐伯大佐はそう言って、壊れたように笑うと急に声のトーンを落とした。

「でも、そうだな……。アイリスも言ってくれたしな。お前の言うとおり『酷いこと』とやらはやめよう。勇気を出して進言したことに免じて、お前の大切なリンドウも傷つけないと約束するよ」

「……え?」

「だけどそれだと俺の痛みはなくならないからなあ……どうしようか。……ああ、そうだ」

 芝居がかった口調。

 ボクは、必死に手を伸ばす。

 駄目だ。

 リリー、逃げて。

「お前がみんなの代わりにはけ口になるんだ。それならもう、『酷いこと』はしないよ」 
   
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