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第六章 消えぬ狂気
第八十一話 リリーとお出かけ
しおりを挟む「にゃはは、メンター面白い出店があるよ! わあ、怪しげな果物売ってる~」
アスピスの近隣にある街。
出店を覗きこむリリーが、ケラケラと笑いながら商品に指をさしていた。あまりにも失礼すぎることを大声で言うものだから恥ずかしい。ほら、ひげ面の店主も不愉快そうに顔をしかめているよ。
「うちの馬鹿がすみません」
リリーの頭を掴み下ろして一緒に謝ったら、ため息混じりに許してもらった。
「いいよ、もう。……それよりあんた軍人さんだろ? ずいぶん若いけど将校さんなのか?」
俺の胸元にある階級章を見ながら、店主が感心したような声をもらす。
「……ええ、まあ一応少佐です」
「ふぅん。つーことは、そこの嬢ちゃんはアンサスか。……そうだよな、猫耳生やしているやつなんかアンサスくらいのもんだし」
「そうそう。よろしくおっちゃん!」
「こら! 失礼だろうが!」
「いいよいいよ。なんだあんたら『アレス』……あ今は名前が変わったんだっけ?」
「……『アスピス』ですね」
「ああ、そうそう。『アスピス』の軍人さんだな。ちょっと待ってろ」
店主はそう言って、陳列棚に並んでいた果物を包丁で細かく切ると、紙コップの中に入れて渡してくれた。
「ほらよ、サービスだ」
「そんな、悪いですよ」
「遠慮すんな。いつも俺たちを守るために頑張ってくれているんだからよ。これくらいなんてことないさ」
「……ありがとうございます」
俺は店主からコップを受けとり、そのうちの一つをリリーに手渡す。リリーが破顔しながら「ありがとにゃ!」と可愛らしくお礼を言うと、店主は朗らかに笑ってくれた。
もらった果物を見ながら、正直複雑な気持ちになる。
かけてもらった言葉は嬉しい。
だけど、この戦争は単なる正義の戦いではない。
それを、この人は、街にいる人々は誰も知らないんだ。
「……」
俺たちは再び街を歩きだした。
首都フローラと比べると、街の規模はかなり小さい。地方都市というにはいささか誇張が生まれてしまうほどの大きさで、商店街のにぎわいも落ち着いていた。働く人々の表情も、街の様子に比例するように穏やかで。
「うっまいにゃあ。あの果物、毒々しい見た目をしてたわりに結構いけるにゃんね。めっちゃ甘くて美味しいにゃあ」
「……そうなのか」
俺は果物を口に入れる。
たしかに美味い。甘みが強くほんの少し酸味が効いていて、バナナに似た味がした。
「美味いな」
「うん、美味しいね。こんな美味しいものをタダで食べさせてくれるんだから、ほんとアンサスで良かったにゃん。役得役得」
現金なやつだ。
果物を頬張るリリーは、「ん~」とほっぺが落ちそうな上機嫌な顔をしていた。道行く人々が、そんな彼女に一瞥をくれている。
リリーは目が合った人に、からからと笑いながら手を振っていた。
「……」
なんでリリーと二人で出かけることになったのか。
特別な目的があったわけではない。ただリリーから外出に誘われて、なんとなく気分を変えたくて付き合っただけだ。
椿の件があって、積極的に仕事をする気分にもなれなかった。執務室にいると、必然的に補佐官の椿と顔を合わせる機会が増えてしまうし、話さざるを得ない状況になるとスノーが側に控えて椿へ圧をかけるしで、居心地が悪かった。
その場に居るだけで胃がキリキリと痛くなるんだ。正直、辛いものがある。あんなことになって仕方ないとはいえ、目の前で喧嘩されるのもキツイ。
「……メンターちゃんさあ」
リリーが振り返る。
「ん?」
「外出する機会なんてそうそうないんだから、そんなゾンビみたいな暗い顔していたらダメにゃんよ。せっかくの美形が台無しだぞー」
「……すまん。ちょっと気分が重くてな」
「まあ、仕方ないよね。あんなことになっちゃったし、居た堪れないのもわかるからね。……まさか椿姉があんなことしていたなんてショックだよにゃあ」
俺は何も言えなくて俯く。
椿に裏切られたショックは、かなり尾を引いていた。暴走しがちなところはあれど、彼女の気持ちは純粋なものだと信じていたんだ。だからこそ、期待に応えようとこころに誓ったのに。
その信頼を破壊された。
浮気をされたことよりも性質が悪い。一歩間違えば廃人になりかねない薬を知らぬうちに盛られて、自分の想いや気持ちを歪められていたのかもしれないんだから。
椿の真意がどこにあるかはわからない。まだ、彼女の口からはきちんとした弁明を聞いていないからだ。だけど、今はその機会を設けたいと思えなかった。彼女と向き合う覚悟があまりにも足りないし、向き合いたいという気持ちにすらなれない。
椿の笑みが、ふと浮かび上がる。
あの、欺瞞と虚飾に満ちた笑みが。本心がどこにあるかすらわからないあの空虚な美しい表情が。まるで花弁だけは綺麗な毒花のような。
――気持ち悪い。
口に入れた果物の甘みが、とたんに気持ち悪く感じられた。強い甘さが、蜜の味を彷彿とさせて。まるで吐瀉物でも転がしているような気分になって、俺は耐えきれずコップに向かって果物を吐き捨てた。
「……うっ」
「にゃ? どうしたにゃ?」
リリーが、俺に近づいて背中を撫でてくれた。
「え、体調でも悪かったにゃ? 大丈夫?」
「……すまない。ちょっと、甘いものが受け付けなくて……」
「……あー」
リリーが察したように顔をしかめる。背中を撫でる手が、こころなしか少し優しくなった気がした。
「んにゃー、こんな道中じゃゆっくりできんしなあ。……立てそう?」
「ああ、すまない」
「謝らなくていいよ。……そうだにゃあ、リリーちゃんが外出したときによく行ってる喫茶店があるんだけど、そこに行こ? そこなら少しはゆっくりできるだろうし」
「わかった」
俺はよろよろと立ち上がる。リリーが「支えるね」と言ってつかまってきた。俺の手をしっかりと握って、にっこりと微笑む。
「にゃはは、まるでデートみたいにゃんね。さあ、行こうか旦那さん!」
「……誰が旦那さんだ」
「えー、でも傍からみたらきっとそう見えるにゃんよ? ほら、道行く人々も見ているし」
「たぶん、夫婦とは思われてないよ。……せいぜい兄妹かな」
「あ、それもいいかもね。こんな美形がお兄ちゃんなら歓迎だにゃあ。せっかくなら兄妹設定楽しもうか、お兄ちゃん?」
「……こんな妹嫌だな」
「わあ、つれないにゃあ」
リリーは心底楽しそうに破顔して、俺を引っ張って進む。
この陽だまりのような優しい笑顔は、きっと彼女の本心から出たものなんだろうな。壊されたこころから作られたものだとは、嘘だとは思いたくはない。
「……へぇ」
リリーに連れてこられた喫茶店は、俺の想像していた感じとは百八十度違うものだった。
喫茶店といいながら、ものすごくカラフルで派手な衣装を着た店員さんが出てきそうなところを思い浮かべていた。
だが、訪れた店の内装はクラシックで落ち着いた雰囲気があった。東京の北千住にありそうな、隠れ家的な感じの静かな店である。ジャズが流れていた。あれは、たぶんコルトレーンの曲だ。そんなにジャズに明るいわけではないが、知っている曲だった。
「……おや、お久しぶりですね」
カウンターに立っていた壮年のマスターが、入店したリリーを見て、朗らかに微笑む。めちゃくちゃ渋くてかっこいい。
「うん、お久だにゃマスター。いつものやつお願いしまーす」
「かしこまりました。そちらの方は、リリーちゃんの上司さんかな?」
「そうそう、メンターだよ~」
「ほう……。私は「ゆり」と申します。以後お見知り置きを」
マスターはそう言って、丁寧に名刺を差し出してくれた。「頂戴いたします」と言って受け取ると、意外そうな顔をされてしまった。あ、軍人はこんなこと言わないか……。
俺は小さく咳払いをして言った。
「ご丁寧にありがとうございます。……私は露木稔と申します。階級は少佐です。リリーがお世話になっているようでして……。ご迷惑をおかけしていないでしょうか?」
「いえいえ、そのようなことはありませんよ。いつも静かにコーヒーを楽しんでくれています」
「……そうですか。良かったです」
胸を撫で下ろしていると、リリーが名刺を覗き込んで瞬きを繰り返した。
「ん? マスターの名字……」
「どうした?」
名刺には、「由利康介」と書かれている。
「……マスターの名前って初めて知ったんだけどにゃ。由利中佐と同じなんだ」
「由利中佐?」
知らない名だ。リリーの知り合いのようだが。
「……ああ。おそらく私の息子のことだと思います。由利壮馬と言いまして」
「えっ!? 由利中佐ってマスターの息子だったの!?」
リリーが目を白黒させながら唾を飛ばした。
「……びっくりしたあ。こんな偶然あるにゃんね」
「ふふ、そうですね。私もまさかリリーちゃんが壮馬のことを知っているとは」
「……えっと、リリーは由利さんのご子息とはどこで?」
気になって尋ねると、リリーは一瞬固まって、すぐににこやかな笑みを浮かべた。
「んーとね。……ちょっと大怪我をして病棟に移送されたときに会ったにゃ。優しい人だったにゃんよ。しかも、メンター以上の超美形だったし」
「……そうなんだな」
なんとなくだが、あまり深く追及しない方がいい気がした。
内部事情を知っているからこそわかるが、どんなに酷い外的な怪我を負ったとしても、基本的にアンサスが外部で治療を受けることはない。「栄養剤」と医務官の力があれば、大概の怪我はすぐさま治ってしまうからだ。
外部に移送される可能性があるとすれば、精神的な病気が認められ、拠点内での治療が困難とされる場合がほとんどだ。
つまり……由利中佐と会ったのは「アレス」の件で精神病棟に入れられているときと考えるべきだろう。
「息子のことを褒められるのは素直に嬉しいです。……そうだ、今日は焼き菓子をサービスしましょう。息子が世話になっているようですしね」
「え! やった、マスターありがとにゃ~」
リリーが尻尾を振りながら喜んでいる。
俺はマスターにお礼を言って、示された席に座った。しばらく待っていると焼き菓子とコーヒーが二つずつ運ばれてきた。リリーが目を輝かせる。
「……」
俺はコーヒーをすすった。
一口で深い苦味とその奥に隠れた酸味と微かな果実香を感じられた。かなりいい豆を使っているな。拠点でいつも飲んでいるやつとは比べものにならない。
「……メンターちゃん。焼き菓子もらうね? たぶん食べれないでしょ?」
リリーがマスターに聞こえないよう小声で言ってくれた。うなずくと、ニコニコと笑いながら俺のお菓子を持っていく。
「……ありがとうな」
「にゃにゃにゃ、大したことじゃないよ。それにほら、リリーちゃんマスターの焼き菓子大好物ですから。いくらでも食べたいんだよね~」
「……」
たしかに、見るからに美味そうだもんな。
きっと甘いものが駄目になってなければ、俺も美味しく食べられたんだろうが。
「甘いものが食べられないって、めちゃくちゃ酷いにゃんね。人生の半分損しちゃってる」
「そんなにか。……でも、たしかに甘いものが食べられないって損はするな」
「うんうん。メンターのためにお菓子を作る練習をこっそりしていたリンドウが可哀想だにゃあ」
「……まじか」
それはめちゃくちゃ申し訳ないな……。
「でも、まあ仕方ないよ。そうなっちゃうのも無理はないしさ」
「……こうなりたくはなかったけどな」
「ほんとね。まったく、椿姉は酷いことをしちゃってるよ」
「……」
何も言えなかった。
椿のことには、あまり言及したくない。思い返すだけでも憂鬱になってくるくらいなんだ。
しばらく俺たちは無言でコーヒーを楽しんだ。優しいジャズが、絶妙な音量で沈黙を揺らす。マスターが食器を洗い始めた。水道の音さえ、静かだった。
リリーが、コーヒーカップを受け皿に置いた。
「……で、さ」
黄色い瞳が、真っすぐに俺をとらえる。
「なにか、私に言いたいことがあったんじゃない? ……拠点だと話しづらいと思ったからさ、外出に誘ったんだけど」
俺は、目を見開く。
「……わかっていたんだな」
「うん、まあ。ああなった瞬間から予測できていたことだしにゃあ。メンターちゃん、分かっているでしょ?」
「……ああ」
「ま、もちろん話を聞くためだけじゃないけどね。メンター、死にそうな顔していたし、拠点に居づらそうだったからにゃ。息抜きも兼ねてね」
「……そうか。気を遣わせたな」
俺は軽く頭をさげ、リリーの目を見返した。
楽しそうだ。
心から、この状況を楽しんでいるとわかる目だ。
どうして……。
どうして、お前はそんな風に笑えるんだ。
何もかもを壊しておいて。
「……お前なんだよな、あの写真を撮ってスノーに見せたのは?」
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