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第六章 消えぬ狂気
第八十二話 狂気のはじまり
しおりを挟む「うん、そうだよ」
リリーは俺の質問にニコニコと笑いながら答えた。
「……なんでそんなことをしたんだ?」
「なんでって。メンターが酷いことされてるから、どうにかしたいって思ったんだよ。リリーちゃんのやったことって何も間違えてないよね? 知らないままだったら、これからもあの薬を盛られていたかもしれないんだし」
「……まあ、そうだけどな。だけど、違うだろ」
「なにが言いたいの?」
「お前は、本当に俺のために動いたのか?」
リリーがコーヒーをすすって、
「うん、もちろん。……って言っても信じないよねえ」
「ああ。本当に心配してくれて、現状に憂いて動いてくれたやつはそんな楽しそうな顔はしないさ」
「にゃはは、だよねだよね。心配していたなら、こんな顔はできないのが普通だよにゃあ。リリーちゃんは、そこらへんおかしいからにゃ」
「……自分が楽しみたいからか?」
吐き出した声に、どうしても非難の色が混ざってしまう。俺はカウンターで食器を洗うマスターを一瞥し、なるべく感情を抑えるように意識する。
「自分が楽しむために、現状を壊そうと動いたんだろ? お前はそういうやつだもんな」
「そうだよー。つまんなかったからさ、面白くしてやろうと思ってやったの」
リリーは悪びれもせずにそう言った。
俺は気色ばんだ。喉から出かかった言葉を一旦飲み込むために、コーヒーに口をつけて気持ちを落ち着かせる。
「……そういうの良くないよ。そんな、人間関係を壊すような行いを楽しむなんて」
「分かってるよ~。でもにゃ、さっきも言ったとおり、動機はどうあれやったことに間違いはないでしょ? 人間関係を優先して、不正や犯罪を見過ごすのもおかしい話だしさ。椿姉のやったことってそういうことだよ?」
「……」
そうだ。
リリーの言うとおり、椿のやったことは犯罪以外の何物でもなくて、それを告発したリリーを責めるのは本来お門違いだ。分かっている。リリーがやったこと自体は、何も間違ってはいないというのは。
「メンターちゃんはさ、私が知らないフリをしていた方が良かったと思うの? 椿姉に薬を盛られ続けて、そのまま廃人になっていたかもしれないのに。椿姉に自分の考えも意思も捻じ曲げられているかもしれないのに。それでも、欺瞞だらけのスカスカな結婚生活が大切だったっていうのかな?」
「それは……」
「メンターにとってその生活が、今までの平穏が大切なものだったとしたらごめんね。でも、それははっきり言って偽物だにゃ。椿姉が、自分の都合がいいように作った幻想でしかない」
――だから、みんな怒っているんでしょ?
リリーはそう言って、くすりと喉を鳴らす。
「スノーちゃんもネコヤナギも、すごく怒ってるじゃん。二人にとってメンターは大事な仲間にゃんよ。その仲間を、そんな風に弄ばれて許せるわけないにゃ。……こうなるのは必然だし、こうならないと駄目だったと思うけどにゃあ」
「……」
「メンターは、私が自分の楽しみのために動いた事自体が不快なんでしょ? 行動自体の正しさは置いておいてさ。でも、それを責めて何になるの? 私に謝ってもらったら満足する?」
「別に謝ってもらいたいわけじゃないよ」
ただ、ものすごくモヤモヤしてしまう。
リリーがやったこと自体は正しいし、リリーを責めたところでどうにもならないことなんか理解している。俺の言っていることは、きっと八つ当たりに近い。変わってしまった現実に対する嘆きを、彼女にぶつけようとしているだけなのかもしれない。
だからこそ、言葉がしどろもどろになる。
でも……俺は……俺はどうしても言葉を尽くしたかった。リリーと話したかったんだ。単にどうにもならないわだかまった感情を彼女にぶつけたいだけじゃない。
「……じゃあ、なんなのさ? メンターは私にどうしてほしいの?」
「……」
いつの間にか店内の音楽が変わっていた。
灯火のように薄明るいポップなジャズは、優しくて物悲しいクラシックになっていた。グスタフ・ランゲの「花の歌」だ。ゲームでもオープニング画面や拠点画面で使われるピアノ曲である。
俺は机に目を落とした。
コーヒーはもう空である。リリーも俺の分も、もう無くなってしまっていた。
どうしてほしいのか。
リリーに求めたいことなんて一つだ。
俺は……あんなふうになっても笑えてしまえる彼女を、壊しておいてそのことを傍から楽しむ彼女のことを、見ていられなかったんだ。腹が立つ。そして、それ以上に悲しい。
彼女は、佐伯大佐から拷問を受けていた。
桜から聞いた話だった。リリーはリンドウを庇ったせいで、佐伯大佐の慰み者にされたんだ。その恐怖とショックで、彼女は歪んでしまった。異常な状況と凄惨な虐待により、人間性を破壊尽くされ、感情のほとんどを欠落させてしまったんだ。
リリーは壊れている。たぶん、あの拠点にいる誰よりもずっと。
「俺は……悲しかったんだよ」
自分の正直な気持ちを伝えた。
リリーは小さく目を見開いて、やがて柔らかく微笑んだ。
「悲しかったの?」
「ああ、こんなことになってしまったことも、それを見て楽しんでしまえるお前も……。お前のやったことが間違いだなんて糾弾はできないよ。お前の言ったとおり、やったこと自体は間違えていないんだから。……でも、あんな風に引っかき回して、人の気持ちや想いを弄んで楽しんだらいけないんだ」
「なんで?」
「……こうやって悲しむ人がいるからだよ。笑うときと場所は間違えないで欲しいんだ」
「うーん。そんなこと言われてもにゃあ……」
「……リリー」
「だって、それしかないんだもん。楽しいとか面白いとかしか感じないんだし。他の感情は全部薄くなっちゃったんだから、それに縋るしかなくない?」
リリーはニコニコと笑いながら問いかけてくる。
その笑顔は、可愛らしいのにとても空虚で。
俺の目には寂しそうに見えた。
「私だってね、こんなのおかしいんだろうなって分かってるよ。自分が壊れていることもちゃんと分かっている。だけどさ、奪われちゃったんだからしょうがなくないかにゃ? あるもので、残った感情で、生きていくしかないんだから」
「……」
「メンターちゃんの言っていることは綺麗事だよ。私のように、感情を奪われて壊されたことがない人の言うことだからにゃ」
「……そうかもしれないな」
たしかに俺には彼女ほど壮絶な暴力を受け、壊された経験なんかない。俺の言っていることがただの綺麗事と言われたとしても詮無いことかもしれない。
だけど、それでも。
それでも俺は、見過ごすことはできない。
道化の華となってしまった彼女を。
そして、彼女の中に残っている微かな想いの残滓を。
「……お前はさ」
「うん」
「お前は誰よりも楽しそうなのに、誰よりも寂しそうなんだ。……虚空に向かって笑っている。今回なんてとくにそうだよ」
「……」
「俺は、そんなお前を見ていられないんだ。こんなことを楽しんでいても何にもならないじゃないか」
「……だから引っかき回すのをやめろって?」
俺がうなずくと、リリーは深くため息をついた。
「傲慢な物言いだにゃ。リリーにはそれしかないって言ったのに、それをやめろって酷いんじゃないの?」
「……ああ、分かっているよ。でも、今後もこんなことになるのは嫌だから。今のうちに言っておきたいんだ」
「そう」
リリーはくつくつと笑いながら、半月にゆがんだ目で俺を見た。
「だったらさ、リリーちゃんを元に戻してよ。私に感情をちょうだい?」
「……」
「そうしたら、やめられるよ。たぶんね」
――そんなこと無理だろうけど。
リリーの挑発的な嘲りに滲む諦観が、俺の胸を一層締め付ける。
リリーは店内の音楽に合わせて鼻歌をならし、コーヒーカップのふちをなぞった。白く細い指先を見つめるリリーの瞳は、綺麗なはずなのにどこか濁っていて。
彼女の中に潜む闇が滲んでいるようだった。
「お前は、取り戻したいと思うのか? かつての自分を」
俺がそう問うと、リリーはゆっくりと目線を上げる。
口元を吊り上げて言った。
「今よりも楽しくなるなら、戻りたいかもね」
俺は何も言わず、目を伏せた。
花の歌は悲しかった。聴き慣れたはずのクラシック音楽は、リリーという人生の悲劇を強調するように響いていて。
俺の中で生じた迷い。
それはリリーの言うとおり傲慢そのものな考えでしかない。
左手の紋章に目を落とす。
――俺はきっと、彼女を元に戻すことができる。
この左手に宿った力なら、彼女の歪みすら元に戻すことができるだろう。一度目の使用はみんなの傷を治すことに、死んだ椿を元に戻すことに注力していたから戻らなかっただけで。
だが……それをやってしまっていいのか?
やってしまったら、すべてが変わる。
彼女が縋ってきた感情以外のものが戻ってきてしまう。そうなったとき、彼女は果たしてどうなってしまうのか?
壊れたのは、それだけの恐怖を体験したからだ。
その恐怖まで蘇らせることになるかもしれない。
「……」
なにが正解なんだろうな?
傲慢にはなりたくない。でも、このまま彼女の歪みを放っておくべきでもないと思う。
俺は、どうするべきなんだろうか。
【キャラクターイベント】
・個別キャラクタールート「リリー」
開放されたキャラクタールートが進行しました。『ルート1 狂気のはじまり』をクリア。『ルート2 道化の望み』が開放されました。また、リリーの情報の一部が閲覧可能となります。
・生命の調律
達成条件:拠点内における究極の奇跡「生命の調律」の発動。
拠点内での「究極の奇跡」の使用により、シオンの固有ストーリーが発動します。また、同キャラクターの個別キャラクタールートが展開されます。
イベント進行は選択肢より任意で決定できます。
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