月に落ちていくように

月日

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波紋のはじまり

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思考の海に飛び込み奥底へもぐってしまった所為で、ナトラージャにエスコートされていたにも関わらずに、だ。
直也はナトラージャ達とはぐれ、住宅が立ち並ぶ場所に迷ってしまっていた。

来た道を引き返し、市場を目指せば良いことだ。
しかし、ぼけっとしていて曖昧な記憶しかない直也は市場に着くことなく、細く入り組んだ道へ道へと迷い込む。

途方に暮れそうになった時、住宅の塀に絡まる薔薇の蔦の群れ、奇妙に膨れているそこが目に付いた。
そこから助けを求めているように、子供の小さな腕が一本。

直也は見たことのない光景に、身体を跳ねさせ声のない悲鳴を上げた。
ありえないような場面に出くわした時、人は固まるものだ。
そうなった直也は「助けて!」と蔦の中から子供の声が聞こえ、我に返りなんとか身体を動かして駆け寄った。

うねうねと波打つ蔦の塊の奥、突き出された腕で空いた間から、少年の琥珀色の大きな目と合う。
銀髪が似合う淡い褐色の肌を持つ少年の顔は、人形のように整っている。
などと、例に漏れず、面白いようにスローモーションのように少年の相貌が見えた。
助けが来たことに少し安堵するよう顔を歪めた少年を見て、直也は、刺々しい蔦に躊躇することもせずに手を突っ込んだ。

掻き分けて掻き分けて、棘が指に刺さって赤く染まっていく。

「痛い痛いんだよ! クソっ! あともうちょっとなのに!!」

直也は、悪態を吐くのは久しぶりだと少し現実逃避しながら、精一杯に手を動かす。
ズタズタになっていく手は血で染まり、蔦に付着していく。

「手が! もう良いから!!」

怖いだろうに。涙を流しながらも気丈にもこちらを気遣う少年の言葉に、直也はますます助けなければと蔦を掻き分けるペースを早くした。
掻き分けても、掻き分けてもどうにも蔦がうねうねと動き拒む。
手も腕も、目を背けたいほどかなり傷ついている。

とめどなく涙を零す少年がいきなり目を瞠り、切羽詰まったように叫ぶ。

「後ろ!!」
「え?」

言葉に促され、直也が後ろを振り返ろうとした。
しかし、急激に何かの花の香りが漂い、それを含んだ空気が肺に入ると瞼が重くなってくらっとする。
頭の重さで後ろへ倒れそうになり、一度は踏ん張ったのだが、脚の力が抜け身体が支えられなくなった。
ああ。地面に後頭部を打ちつけるかもしれない。と、この現実からは程遠い出来事に、客観的で冷静な自分のどこかが呟いた。

「みぃーつけた」

傾いた身体は、背後で誰かにしっかりと支えられた。
目の前の少年ではない、どこかで聞いた事のある少年の声が直也の耳の近くで聞こえ、それがこそばゆくて肩を竦めると、耳元でクツリと笑いが一つ。

「とりあえず――――眠れ」

子守唄を歌うような優しい声が命令して、視界は真っ白な手に遮られる。
「だれ?」と聞こうとした直也だったが、濃厚な花の香りはさらに意識を奪っていった――――。





直也と背丈の同じぐらいのフードの少年が、ずっしりと重さを増した直也の身体を背後から受けとめた。
手で目隠しをしたまま、頬に唇を寄せる。

「んっ……」

くすぐったかったのだろう、意識のない直也が小さく呻いた。
それにクスッと笑い、軽々と自身と向き合うように抱え直す。
片手で抱きかかえられた直也は、フードの少年に顔をさらした。
フードの少年は、空いた手で直也の頬を触ろうとして、

「何をする気だ!!」

蔦に囚われている子供の声に、頬に触れる寸前で邪魔された形となり、直也に向けていたその掌を蔦へと掲げる。

「お前達。断りもなく行動するな」

冷たく言い放ち、握り潰す仕草をすれば、直也が苦戦していた蔦がゆらりと揺れて消えて行った。
どさりと音を立て地面に落ちた子供以外、最初から何もなかったかのように跡形もない。

「その人を離せ!!」

一瞬固まっていた子供は、すぐに直也を助けようと駆け寄ってくる。
だがフードの少年は、すぐさま掲げていた手の照準を子供へと移した。

「お前、邪魔。どこか行け」
「あ―――――」

直也の時と正反対の声色で命令をすれば、直也に少し触れた子供は、風で霧が散るように消え去った。
それをフードから覗く、鈍く光る青灰色の瞳が一瞥(いちべつ)して、自身の片腕の中にいる直也に向ける。

子供がいたはずの場所へ向けていた手で、くったりと眠る直也の顎を掴み、首を傾けさせる。
そのことで晒された首に、何を思ったのか、フードの少年は顔を埋めスンと鼻を鳴らす。
すると、青灰色の瞳が淀んだものから生き生きと輝きだした。

「似ている…………」
「ぁっ」

首に軽く当てて動く赤い唇から逃げようと、眠ったままの直也が身じろぐ。
カッシャンと音を立てて、何かが落ちた。
顔を上げフードの少年は、音の発生源を見て「魔道機か」と呟く。

すぐに興味を失くしたのか、フードの少年は直也へと顔を戻すと目を瞠った。
視線の先は、先ほどの鳶色と違う黒々とした髪がある。
信じられないものを見たというように、フードの少年は呆然と呟く。

「――――同じ……いろ…………」

それに数秒遅れて目から水が溢れ出し、重さで耐えきれなかったそれは雫となり、一つぽたりと直也の頬へ落ちた。

壊れ物のようにそっと黒髪を梳き、白い頬に優しく触れる。
頬を包んだまま、直也の唇を親指の腹でなぞった。

「ゃっ……」

くすぐったそうに少し眉間を顰め、直也は小さな声をもらす。
それに、愛おしげに眼を細めたフードの少年は、寝息を立てる唇に自身のそれを合わせようとした。
だが次の瞬間、フードの少年の瞳は鈍い光を灯し直し涙を止め。

「――――それにしても、美味しそうなイイ匂い」

舌を這わせた赤い唇を三日月型にした。

「あーあ。元に戻っちゃったか」

目が瞑ったままの直也の口から少し楽しげな声が発せられ、フードの少年は顔を離し、驚いたように瞼を引き上げる。

「なん、で……起きて………………?」
「これぐらいの毒なんて、僕だったら簡単に解けるよ」

少し時間が掛るけどね。と直也は目を開け独り言ちると、艶やかに笑む。
問い掛けを無視して少年の腕からするりと抜け、 それなりの距離を取り自身の両手を顔の前へ持ち上げた。
蔦の棘でズタズタに傷ついた腕や手は、血がかなり滲んで痛々しい。

「ああ。痛いと思ったら、こんなに傷ついてしまって…………痛かっただろ?」

誰に話しかけているのか囁きながら、直也は労わるように自身の腕や手を擦った。
すると不思議と手が触れあった場所は、血も傷も服でさえ綺麗に修復されていく。

完全に何もなかったように綺麗になった手の甲に、直也は軽く唇を押し当てる。
それが合図のように、掌越しに覗く黒色の瞳が、冷めた琥珀色へ変化した。
太陽光の影響ではなく、自発に光る瞳を笑うように細める。

それを見て息を呑んだフードの少年は、怒りの声を張り上げた。

「お前は!!」
「この子は、心身ともにまだ弱い。全力は出さないように。居候の身だし、大切にしなくちゃね」

燃え上がるような雰囲気を放出させるフードの少年を尻目に、直也は胸に手を当て、自身に言い聞かせるように呟いた。

のんびりとしている直也に、息を荒げているフードの少年は右足で地面を蹴り飛び掛かる。

「さあ、おいで」

何を思ったのか両腕を広げ、慈悲深い瞳を短気な少年へ向けた直也は、不釣り合いに口端を上げ嗤う。

「――――もっとも、この子に触れられたら、ね?」
「こっのぉおおお!! うっ、あ゛あ!!」

勢い良く腕を振りかざした少年は、直也に触れる寸前でその両腕に火花が散り、稲妻と炎が纏わりついた。
悲鳴を上げ、それらを振り払おうとするが治まりそうにない。

「今日は見逃してあげるから、諦めな」

直也の声が、その場に凛と響いた。

フードの少年は、恨めしそうに唸った。
一歩後退して後ろへ飛んで空に浮き、何もなかった空間から現れた無数の蔦に包まれる。
蔦の球体が出来上がり収縮したそれは、陶器が真っ二つに割った時のような音をさせ爆ぜた。

フードの少年の姿はなく、爆ぜた場所から黒の薔薇の花弁が舞う。
それが数十枚も風に乗って、広範囲に地面へ落ちてく。

「もっとも。こちらも限界だったのだけれど……。当分は、表に出てこれないな」

「ごめんね。ナオヤ」そう呟いた直也は苦笑し、空を愛おしげに見つめた。
足元から吹き上げる風と共に、直也の瞳は琥珀色からいつもの黒色へ戻って行った。



◆ ◆ ◆



迷子にならないよう、しっかりと直也の腰を抱いていた。
だが、それなのにちょっと目を離した隙に、ナトラージャの隣にも周りにも直也は居なかった。

「ナオヤ!!」

はぐれたと知ったすぐ後に呼びはじめ、少し喉が嗄れていた。
ユアンとは、別々に直也を探している。

外見がぼけッとしている割には、しっかりしている子なのに。
まさか、直也を攫った貴族が気付いてまた……?
そんな、嫌な考えが脳裏をかすめる。

ずっと目を離さずにいれば良かった。
いや。
そもそも抱き上げていれば良かったのだ。
あの子は軽くて、片腕だけで事足りるのだから……。とナトラージャは悔いた。

あの子が、どこかで泣いているかもしれない。
そんな想像に、胸を締め付けられる。
泣かせたくないと、思っているのに。

それにしても。とナトラージャは眉間を寄せた。
周りの静けさは、何か妙だ。
いつも細い割には人々が往来するこの道で、今の時間ではそれなりににぎわっているはずだった。
それが、ナトラージャ以外居ず、気味が悪い。

本能的に感じ取った嫌な空気に、それならば直也を一刻も早く見つけなければと、早足で目の前の角を曲がった。
するとそこには、一人。道の中央で、先客がいた。

「ごめんね。ナオヤ」

申し訳なさそうに呟いた人物の言葉は、その人物と合間ってかなり奇妙だった。

何が、奇妙か。すぐにそれはわかった。
言葉がわかる――――この大陸の共通語を話しているし、内容も本人自身へ向けての言葉なので可笑しかったからだ。

「ナオヤ?」

ナトラージャは、数拍置いて呆けたように名前を呼んだ。

空を見上げ困ったように笑っていた直也が反応して、こちらへとゆらりと振り向く。
見定めるように目を細めた直也の雰囲気は、いつものほのぼのとしている春の陽気のようなものとは真逆にあった。
いつもならばおっとりとしている瞳は、良く手入れされた剣先のように鋭く冷たい光を放っている。

「誰だ」

威圧感に唸るような声を絞り出し身を硬くしたナトラージャに、直也は喉の奥でクツリと笑う。
けれど、すぐに真剣な顔へと変わり、首を傾げ自身の胸に右手を置いた。

「この子をお願いね?」

どういう意味だ。とナトラージャが怪訝そうな顔になる前に、直也の身体が傾ぐ。

反射的にナトラージャはその細い身体を難なく抱きとめ、腕の中をまじまじと見る。
小さな寝息を立てているのは、表情も雰囲気もいつもの直也だ。

「あれは、なんだったんだ…………」

疑問を投げかけたナトラージャだったが、真剣なそれは散漫し、自身に触れる温かさに安堵の笑みを浮かべる。

「――――ナオヤ」

甘く甘く呼び、少し力を込めて直也を更に抱きしめ、さらされた額に唇を当てた。
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