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はじまりの給湯室

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「いくら仕事ができて、かっこよくて、優しくて家事も完璧だとしても、それじゃ一気に台無しよね~」

残業前の小休止に冷めたコーヒーを入れ直そうか、なんてオフィスサンダルをペタペタいわせて給湯室までやってきたら、女子社員何名かの話し声。
おっと、先客がいたか。
なんとなく会話中に入っていくのも気まずいな、と中に入るのを躊躇しているこちらとはうらはらに、ますます会話は盛り上がり、そして冒頭の会話が聞こえてきたというところ。
鰻の寝床みたいな細長い四畳半の空間で繰り広げられる、ゴシップ大好き女子達の本日の話題は、どうやら社内男子の憧れの的、紺野洋子の彼氏のことらしい。

「台無し」と評された彼氏のことをかばうどころか、話題の主の彼女も彼女で火に油を注ぐみたいに、「社内最優良物件だと思ってたのに、こっちから誘わないとなんにもしてくれないし、エロいのは外見だけなんだから!まな板の上の鯉じゃないんだからさぁ、されるがままなんて、ほんと詐欺よ詐欺!!」と、まで語っちゃうものだから、

「いやあ~~~!!なんかショック!!!」

なんつって、その場はさらにヒートアップして……

そして私こと、山本郁子(26)は飲みかけのコーヒーが入ったカップとスティックコーヒーを手に持ったまま、完全に給湯室に入っていくタイミングを失ってしまったのであった。

ワタシ、コーヒー入レテ、オ仕事ニ、戻リタイダケナノニ、、、


紺野洋子といえば、長い手足と白い陶磁のような肌に赤く血色のよい唇。クリクリとした瞳がより映えるように計算された、眉あたりで切りそろえた前髪に胸のあたりまである栗色のロングヘアーから連想されるのは愛くるしいお人形さん。
彼女が歩けばいつも花のいい香りがして、人当たりが良くて笑顔が可愛いものだから、いわゆる「少女漫画の心優しいヒロインの見本」みたいな人物なんだと思っていた。

あの楚々とした感じがいいよね☆
なんて噂してたそこの男性社員!
あの娘の本性はそんな感じじゃないっぽいですよ!
そんでもって社内にハイスペックな彼氏(但し夜以外)がいるらしいですよ!

『あんな娘と付き合えたなら最高だよなぁ』

なんて、先日の会社の飲み会の席で、デレデレと鼻の下を伸ばして紺野洋子の話をしていた同僚の様子を思い出す。
ついでにその場のノリとはいえ、
「山本さんも紺野さんを見習って女子力上げないといけないんじゃないのぉ?今のままだと5倍は努力しないと、ずっと彼氏もできないんじゃないのぉ?」
……そんな大変失礼なことを言われたことまで思い出し、私は顔をしかめてしまうのだった。

女子力皆無の地味子で悪ぅございました!
つーか5倍ってどういうことよ??
それって現状の女子力なさすぎなんじゃねえの??
あの同僚から私はどんな風に見えているというのか……。

手に持ったスティックコーヒーを同僚に見立てて、力いっぱいグシャリと握りつぶしてやるも、そんなことではこのモヤモヤ感がおさまる訳でもなく。
給湯室に入ることもできず、そのまま話を立ち聞きすることになってしまったけれど、このままコーヒーを入れずにスゴスゴ部屋に戻るものなんだか癪に障る。

――おぬしら早く立ち去れい!!さもなくば仲間内にしか聞かれたくないであろうその会話をぶった切って中に入ってやるぞ!!――

ドス黒いオーラを放ち強く相手に念じてみるも、効果虚しく会話は続く。

「あんないい体してるのにね~見た目だけかぁ、なんかガッカリ」
「でも夜以外は理想的なんだし我慢すればいいんじゃないの?どこかでつまみ食いしちゃうとか!」
「えー。じゃあつまみ食いしちゃう?今度外資系の人と合コンするからその時がチャンスかなぁ?」
「あんたこの間もそんなこと言って合コン行ってたじゃん!この間帰りに一緒に消えた人とはその後どうなったのよ?」
「やだぁ、それはひみつぅ」
「あーあ。洋子にこんなボロクソ言われてるとも知らず、社内で爽やかな顔してバリバリ仕事をこなす神山さんがほんと不憫!!!」
「なによぉー、人ぎきの悪い!あんただって人のこと言えないでしょー?」

……魔だ。ここに魔窟がある。

いよいよ聞いては行けないものを聞いてしまった気になり、コーヒーを入れに給湯室に乱入する気もなくなった。
と、いうか紺野洋子の彼氏って営業部のエース・神山透だったのか。
高身長、高学歴、仕事ができて、体のラインもシュっとして、社会人あるあるの「仕事が忙しくて身体のメンテまで手がまわりませーん」的な筋肉が落ちてタルっとしてるなんてこともない。
一度仕事の打ち合わせで隣に座った時の横顔を思い返せば、まつげがフッサフッサで鼻が高くて、眩しいくらいのイケメンぷり。その上性格も穏やかで人当たりが良いときたものだから、陰では「王子」となんて称賛されているその存在。
なるほど、ありゃ確かにハイスペック。まさしく社内最優良物件だわ。いやあ洋子さん、お目が高い。

一人うんうん納得していると、後方でバサリと何かが落ちる音がする。
振り返ってみれば視界に入ったのはパリッとスーツを着こなした見目麗しき男性と床に投げ出された紙袋。

そう。
話題の人物、神山透が呆然とした表情で佇んでいたのだった。

横倒しの紙袋には仙台銘菓「萩と月」とのレイアウト。
なるほど宮城県からの出張帰りだったのね。
彼女が給湯室にいるって話を聞きつけて、わざわざお土産を渡しに会いにきたってところだろうか。

萩と月って美味しいよねー。
ドーム型のスポンジの中の卵色のクリームが堪んないんだよねー。
冷やして食べても美味しいんだよねー。
チョコ味も実はあるんだよねー……

ちらりと覗く化粧箱に目がとまれば、残業前の中途半端に空いたお腹がグゥと鳴り。床に転がる銘菓に思いを馳せながら、ちらりと神山透の様子を窺い見れば、顔色の悪いイケメンは震える手で口元を押さえたきり、どこか一点を見つめ立ち尽くしている。


……この顔、このリアクションは、多分、給湯室の彼女達の話、聞こえちゃってる、よ、ね……。


ハイスペック(但し夜以外)な彼氏が扉の外にいると気が付かない彼女たちのエゲツない会話は続いていく。
そしてそれを耳にする神山透は顔色を更に更に悪くする。そしてついには顔全体を手で覆ってうなだれると、

「山本さん、これから飲みに行きませんか?」


なぜか私を飲みに誘ったのだった。

……はぁ?!
私ぃ???
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