黄昏は悲しき堕天使達のシュプール

Mr.M

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三章 Remnant 6月

第55話 止まない雨

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視線の先に
闇と同化しかけた2つの建物が見えた。
建物から漏れる光は少なく弱々しかったが、
それでも街灯のないこの道では、
灯台ほどではないにしても心強い目印だった。
俺は大きく息を吐いてからペダルを踏み込んだ。
建物を囲むように
L字に走っている道路に沿って
稲置川が流れていて、
その稲置川は数10m先で忌寸湾へと
合流していた。
古めかしい2棟の建物の窓明かりは
空き部屋が多いのか、
それとも住人がまだ帰っていないのか、
6部屋分しか灯っていなかった。
その中でB棟の灯りは2つ。
1階と4階の2部屋だけだった。

俺は建物の敷地へ自転車を乗り入れた。
それぞれの棟の前に駐輪場が設けられており、
俺はA棟の前の駐輪場に自転車をとめた。
塾の荷物を籠に入れたまま
俺は自転車から離れた。
何も考えずにここまで来てしまったが、
当然俺に相馬の部屋を訪ねる勇気はない。
ただ初恋の少女の家を
一度見ておこうと思っただけだ。
ふと俺の行動はストーカーになるのだろうかと
自問して慌てて首を振った。
この時代ストーカーという言葉は
まだ世間では認知されていなかった。
知られていなければ存在しないことと同じ。
そう自分に言い訳をして、
俺は暗闇に紛れながら
B棟1階の明かりの点いた窓へ近づいた。

「やめてよ!」
その時。
突然少女の声が静まり返った敷地に轟いた。
俺は驚いて周りを確認したが誰もいなかった。
「こっちに来ないで!」
ふたたび少女の声が響いた。
その声は俺が目指している
明かりの点いた窓から聞こえてきた。
嫌な予感がした。
俺は注意深く音を立てないよう
慎重に歩を進めた。
見ると明かりの点いた部屋は
窓が開いていて半分は網戸になっていた。
俺は網戸の下へ身を寄せて耳を澄ませた。
静寂の中で
テレビ番組の不自然な笑い声が聞こえた。
俺はそうっと頭を出して中を覗き込んだ。
壁を背に座り込んでいる相馬の姿が
目に飛び込んできて、
俺は咄嗟に身を伏せた。

「どうした?
 抵抗するとまた痛い目に遭うぞ。
 大人しくしていればすぐに終わる」
男の声に俺はふたたびこっそりと中を窺った。
大きな背中が見えた。
銀色の長髪が腰のあたりまで伸びていて、
俺は一瞬女かと錯覚した。
狭い部屋には2人の他に人の姿はなかった。
長髪の男は
夜の闇のように黒いハットを被り、
真夏の影のように黒い服を着ていた。
「それ以上近づいたら大声を出すわよ」
男の背中の向こうに見える相馬が声を荒げた。
「それでどうなる?
 誰かが助けてくれると思っているのか?
 しかしそんな都合のいいことは起こらない。
 人は他人のトラブルに
 巻き込まれたくないんだ」
次の瞬間、
男が相馬に覆いかぶさった。
「やだ!やめてぇぇ!」
彼女の悲鳴が部屋を飛び出して夜空に舞った。
俺は一旦、
窓から離れた。
そして駐車場の砂利の所で
拳大の石を拾ってから
ふたたび明かりの下へ戻ると、
それを窓ガラスに叩きつけた。
ガシャン!
という大きな音が夜空に響いた。
俺はすぐに窓から離れて闇に紛れた。
「誰だ!」
という声と共に男が窓から顔を出した。
銀色の髪は鼻の下まで伸びていて、
男の表情を覆い隠していた。
それでも
男の顔が赤みがかっているのがわかった。
髪の隙間から覗く鋭い目が
男の狂気を物語っていた。
男は「チッ」と舌打ちをすると、
「チェリー、割れたガラスを片付けておけ!」
と声を荒げた。
俺は男がテレビの前に座ったのを確認してから
その場を離れた。
それから自転車に跨って一心不乱に漕いだ。

気が付くと俺は
「Riverside Doom 春日」の前にいた。
俺は駐輪場へ自転車をとめて侵入した。
屋上で1人ぼうっと夜空を見上げていると
無性に煙草が吸いたくなった。
だが。
あいにく俺は煙草を持っていなかった。
考えまいとしても先ほどの光景が頭に浮かんだ。
相馬は日常的に父親であるあの男から
暴行を受けているのだろうか。
母親はそのことを知っているのだろうか。
おそらく知らないのだ。
父親は母親のいない時を狙って
相馬を襲ったに違いない。
男は酒を飲んでいたようだった。
しかしどんな言い訳をしようと
男の行動は許されないことだった。
一度ナカマイ先生に相談するべきだろうか。
しかし相馬が誰にも話していないとして、
それが彼女の意思ならば。
その時突然、
周囲が暗闇に包まれた。
雲が月を覆い隠したのだ。
ふいに冷たいモノが頬に当たった。
続いてぽつりぽつりと小さな雨粒が
そこかしこを濡らすと、
あっという間に大降りになった。

家に帰るとずぶ濡れの俺を見た母が驚いていた。
「どうしたの?」
と訊ねる母に
「何でもない」
と言って俺は階段を駆け上がった。
部屋のドアを開けるとき、
階下から
「お風呂に入らないと風邪を引くわよ」
という母の声が聞こえた。


翌日になっても雨は止まなかった。
そして案の定、俺は熱が出た。
母は「すぐにお風呂に入らないからよ」
と呆れた顔で体温計に目を落としていた。
ベッドの中で俺は、
相馬が学校に行ってるのかが気になっていた。
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