無能な神の寵児

鈴丸ネコ助

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紅桜抜刀篇

第65話 穢れた殺意

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どこまでも続く澄み切った青空。
雲ひとつ見えず終わりの見えない青を反射する地面の血池。

そこに佇む黒髪の美女。
桜色の美しい着物を纏い、両手で大切そうに刀を抱きしめる彼女からは溢れんばかりの魅力と、人外の殺気が放たれている。

そんな彼女と対峙する青年が一人。

「あら、坊や。久しいわね」

足元に広がる血よりも紅いその瞳を輝かせ、その手に握る刀を彼女に向けて殺気を放つ。
問いかけにも答えず剣を交えようとする青年の瞳を見た彼女─紅桜は悟った。
青年─シノアの堕落を。

「…そう、あなたも血に酔ったのね。私と同じ…うふふふ…」

その言葉を合図に二人の刀が交差する。
足元に広がる血池によってある程度動きは制限されるはずなのだが、二人の動きに衰えは感じられない。
むしろ、動くことにより舞う血しぶきが二人の感覚を研ぎ澄まし、命のやり取りというメインディッシュに相性抜群のスパイスを加えているようだった。

「ふふ…一体どんな修行をしたのか知らないけれど、これほど成長してるなんて驚いたわ。最後にあってから何年ぐらいたつのかしら?」

シノアと激しい剣戟を振るいながら心底楽しそうにつぶやく紅桜。
しかし、そのつぶやきに反応することなくシノアは攻撃をさらに苛烈なものへと変えた。

荒々しくも研ぎ澄まされた剣閃を危なげもなくかわす紅桜だったが、だんだんとその表情から笑みが消えていき15分ほど経つと、完全に無表情となっていた。

「坊や…もし、3年…いや、たとえ10年かけてその境地に辿りついたのだとしてもそれは称賛に値するわ。今のあなたは間違いなく、今まで挑んできた者達の中で最強よ─」

シノアの刀を弾き後退した紅桜は、刀を鞘に納めると静かに語り始める。

「─だけど、ただひたすら血を求めるだけのあなたじゃ私には勝てない…」

その言葉を置き去りにして紅桜はシノアの腹部に正拳突きをお見舞いした。
身体がくの字になるほどの衝撃を伴ったその攻撃はおぼろだったシノアの意識を覚醒させ、血の酔いから醒まさせた。
血反吐を吐きながら状況を掴もうとするシノアに刀を突き付ける紅桜。
今までが遊びだったと思えるほどの殺気を放ちながらシノアを立ち上がらせると、死合の続きを催促する。

「さて…目が覚めたわね?早く続きをしましょうか…」
「かはっ…こ、これはどういう…」

混乱するシノアを無視して、紅桜の猛攻は始まる。
目で追うことが億劫になるほどの速さで繰り広げられる剣戟は、もはや達人という言葉すら生温く、人ではない何かがぶつかり合っていると表現する方が正しいだろう。

紅桜から放たれる剣閃をなんとか躱すシノアだが、混乱状態ということもありうまく捌ききれていない。

そんなシノアに冷や水を浴びせ覚醒させようとする紅桜。彼女の場合冷や水が、血であることは日常茶飯事だが…

「“舞い散れ血桜、空華乱墜くうげらんつい”」
「ッ!血変桜化けっぺんおうか!」

美しい桜色の花びらと血のようにどろどろとした紅い花びらが交差する。
幾度となくその奥義を放ってきたことでまるで本物のような桜刃を使役する紅桜に対し、シノアの桜はまだ未熟だ。
血を変化させているからという理由もあるが、まだ血の生臭さが残っておりあまりにも殺意に満ち過ぎている。

「はぁ…はぁ…はぁっ…」
「あら、驚いたわ。まさか使えるようになっているなんてね…」

お互いの桜刃がぶつかり合い血の海に沈んだところで紅桜は思わず声を上げる。
少しばかり出血させ気力を削ろうと考えていたのだが、シノアは無傷。
ある程度スタミナは消耗しただろうがそれは時間と共に回復するものだ。
実質無傷といえるだろう。

「正直驚いたわ。いったいどれくらい修行したのかはわからないけど完全にその子を使いこなしているようだし、よほど自分を追い込んだのね」

シノアの右手に握られた桜小町を見つめながら、感嘆の声を上げる紅桜。
そこには世辞などは一切含まれておらず、その言葉が嘘偽りのない真実であることを告げていた。

その言葉の真意がわからないシノアはただ無言で構えを取る。
突然斬りかかってきたかと思えば、手を止めて称賛の言葉を送り始める。
シノアからすれば紅桜の行動は意味不明であり、常人にも理解不能だ。

しかし、紅桜からすればそれは些細なことであり、老齢な彼女には他者との交わりなど隙を作ること以外の何物でもない。

「だけど、まだ足りない。何かを喪って得た強さなど、何の価値もないしすぐに身を滅ぼすことになるわ」
「っ…なぜ、それを」

まるでここまでに至るシノアを見てきたかのような物言いに思わず、声を上げるシノア。
ようやくまともに会話できたことに微かな喜びを得た紅桜は、その妖艶な笑みをより深いものにして言葉を紡ぎ始める。

「剣には性格、そして感情が現れるものよ。今の坊やの剣は悲しみと怒りに満ちている。大切なものを喪った悲しみ、理不尽に立ち向かえなかった自分自身に対する怒り、いろんなものが混ざり合って刀が悲鳴を上げているのよ。そんな悲しい剣じゃ、私は斬れないわよ」

何もかも見透かしたその瞳を向けられるシノアは紅桜の言葉に歯噛みする。
彼女の言う通りシノアはフィリアを喪って以来、八つ当たりするかのように生物を殺してきた。
その結果、怨嗟の炎が彼に宿り悪魔よりも恐ろしい存在に身を堕としかけた。
そんな汚れた感情に塗れた剣で、数万年という気の遠くなる年月を純粋な殺意と共にあった伝説の妖刀に打ち勝てるだろうか?

「さて、心は入れ替えた?それじゃあ始めるわよ」

答えは否。紅桜に勝つには、彼の剣は穢れすぎていて潔すぎる。
もっと不純を知り純粋な殺意を身に纏えるようにならなければ、その領域に達することなどできない。

いずれ死神となる青年とその相棒が再び対峙する。
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