【完結】革命を起こされた王女は敵の司令官に一途に愛される

十井 風

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第3話 林檎の砂糖煮

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 翌日の夜もヴェルは同じように窓から空を眺めていた。今日の天気も曇天。年中がほとんど雲に覆われるツィベローズ国では、晴天は珍しい。生きている間にどれだけ星を眺められるだろうか。
「姫様、眠れませんか?」
 飽きることなく、夜の帳を見ていると、ダリアが心配そうに声を掛けてきた。彼女もストレスのせいか、顔がやつれている。目の下にはうっすらとクマが出来ていた。眠れないのは彼女も同じなのだろう。無理もない、幽閉生活を送るヴェルに付き合っているのだから。

 宮殿には革命軍の兵士がうろうろしているし、ヴェルの付き人であるダリアでさえも、少し怪しい動きをしたと思われれば斬られる可能性だってある。命の保証があるとは言えない場所でずっと仕事をしなければならないのは、相当神経にくるだろう。自由に動き回ることすら出来ないのだから、息抜きだって出来やしない。

「ありがとう。今日はもう大丈夫よ、貴女も早く休んで」
 ヴェルが振り返ると、ダリアは少しほっとしたように微笑んだ。自分よりも彼女の方が休みが必要だと思った。
(あまり彼女に心配させられないわね)
 いつまで自室に幽閉されるのかは分からないが、少しでもダリアが健やかに過ごせるよう、主たるヴェルが彼女に心配をかけるような言動は控えようと思った。本当はダリアを実家に帰らせてあげたいが、一度言ってみたところ、猛反発を受けたのだ。『姫様のおそばを離れられるものですか!』と。
 亡き母と親友とも呼べるほど親しい間柄だったダリアは、ヴェルの事を自分の娘のように大事にしてくれている。

 『クリスティアナ様の忘れ形見である姫様を一人になんてしたら、あたしがあの世にいった時、こっぴどく怒られてしまいます!』
 ヴェルに気負わせないようにと笑って言っていたダリアを思い出す。 
 自分だって今の状態が辛いはずなのに、自分を犠牲にしてまでヴェルに尽くそうとしてくれる彼女の気持ちが本当に嬉しかった。彼女が居なければ、ヴェルは正気を保てていたかどうか分からない。

「姫様……お言葉に甘えさせていただきます」
 やはり体が辛いのだろう。ダリアはこめかみを押さえながら頭を下げた。
「ええ、そうして頂戴。顔色が悪いわよ」
「申し訳ございません……お先に失礼いたします」
 ダリアは青白い顔で幽鬼のようにふらふらと部屋を出て行った。心配で様子を見たいが、ヴェルは部屋から一歩も出ることは叶わない。途中で彼女が倒れないよう祈るばかりだ。

 ダリアが下がった後、ヴェルはひとり空を見上げる。ほろりと一筋の光が頬を流れた。涙だった。
 泣こうと思っているわけではないのに、どうしてか涙が流れてしまう。張り詰めている糸が切れそうな感覚。ダリアのように自分も心身ともに疲労が溜まっているのだろうと思った。

(おかあさま……会いたい)
 今は亡き母を思うと心が締め付けられるような感覚になる。母の温かい腕に包まれて安心したい。不安と寂しさから子どものようにヴェルは泣きじゃくった。

『どうしてわたくしを置いていくの、おかあさま!』
 母の葬儀で死を受け入れることが出来ずに、泣いて暴れて叫んだ記憶が蘇る。いつも優しく笑ってヴェルを見守ってくれた唯一の家族。愛犬オリバーを叱る時だけは怖かったけれど、オリバーだってよくなついていた。使用人や他の貴族からも慕われていた美しい母。ずっと一緒に居られると思っていた。

(わたくしはどうしたら良いの? 分からないの、おかあさま……)
 母が生きていれば答えを教えてくれただろうか。今だけで良い、母と話がしたかった。
 現実にそんな奇跡が起こるはずもなく、無情なくらい空は暗かった。今日くらい星の一つでも見せてくれたらいいのに。

 散々泣いた後、疲れてぼうっとする。まるで子どもに戻ったような気持ちだった。膝を抱えて背中を丸くする。自分の温もりでさえ心を落ち着かせる。殻にこもるかのようにヴェルはさらに丸くなった。
 泣き止むのを待っていたのか分からないが、落ち着いた頃に扉が控えめに叩かれる。
「俺です」
 今度はちゃんと扉をノックしてお伺いをたてている。真面目な彼の一面を垣間見る気がして、無意識のうちにヴェルはくすりと笑っていた。

「どうぞ」
 ヴェルが許可を出すと静かに扉が開き、片手に小さな手籠を持ったセドリックが入ってきた。右手は包帯でぐるぐる巻きになっていて、随分と痛々しそうだ。どうしたのか聞こうとしたが、気軽に聞けるような関係ではないことを思い出してぐっと言葉を飲み込んだ。
 セドリックもヴェルの泣き腫らした目を見て、何かを言おうとした様子だったが、彼も同じように黙り込んだ。お互い聞きたいことはあるのに聞けない。沈黙だけが時を刻む。

「あの……貴女の侍女からこれが好きだと聞いて用意したんだ」
 意を決したかのように彼が口を開いた。
 セドリックは手籠をヴェルに差し出す。受け取った手籠には、クロスがかけられていて中身はまだ見えないが、甘くて酸っぱい果実の香りがふわりと鼻孔をくすぐった。
「開けてもよろしいかしら?」
 ヴェルが問いかけると、セドリックは無言で頷く。飼い主に期待の眼差しを向ける犬のようだ。オリバーもクッションや絨毯をめちゃくちゃにした後、母に見つかるまでは今のセドリックのような顔でヴェルを見上げていたものだった。

 クロスを取ると、籠には白い器が入れられていた。器には、切られた林檎が入っているがどれも大きさは不揃いだし、形もいびつなものだった。一緒に入っていたフォークで林檎を一個取ろうとすると柔らかすぎて形が崩れてしまった。
「これは……砂糖煮かしら?」
「あ、ああ……」
 セドリックはどこかばつの悪そうな顔で頷いた。ちらちらとヴェルの方へ視線を何度も向ける。食べてもらうのを期待しているかのようだ。

 林檎の砂糖煮はたしかにヴェルの好物である。幽閉される前は宮廷料理人に何回も作ってもらっていた。彼らプロが作っていた砂糖煮は、目の前にある不揃いな大きさの林檎――しかもどろどろ――ではない。これは素人が作ったものだ。おそらくセドリックの手作りなのだろう。

(どうしてわたくしに菓子を持ってくるのかしら?)
 セドリックが持って来たのだから食べても良いのだろう。だが、ヴェルには素直に喜んで受け取る余裕は無かった。毒が入っているかどうかは気にならなかったが——生かすと言った以上、彼が毒を仕込むとは考えにくかったからだ——、彼が見ているこの場で食べようとはしなかった。

「ねえ、聞いていいかしら?」
 林檎の砂糖煮に対しての感想が無かったせいか、悲しそうに眉を下げてセドリックが見つめてくるが、ヴェルは構わず続けた。
「わたくしはこれからどうなるの」
「しばらくはここに居てもらう」
 セドリックはヴェルから視線を外して答えた。少し気まずそうに、包帯が巻かれた右手を撫でている。

「この国はどうなるの?」
 道に迷った子どものような声で問いかけた。
「民がリーダーを決める。選挙をするんだ。選挙で選ばれた元首と議員で構成した議会を作る」
「元首はどうせ貴方でしょうね、護国卿。ダリアが教えてくれたの。国を護った英雄だと民は言っているって」
 セドリックは黙り込む。口を開こうとしたがすぐに閉じた。何か言いたげにしていたが、ヴェルがじっと見つめると観念したように言葉を紡ぎ始める。
 
「俺が……憎いか?」
 傷付いた仔犬のような瞳でヴェルを見つめるセドリックに、彼女は言葉が出てこなかった。
(どうして貴方がそんなに悲しそうなの?)
 セドリックの悲し気な表情にヴェルの心は鼓動を早くする。どうして? なんでそんな顔をするの?

「……憎いのはきっとわたくし自身よ。もっと早くお父さまを止めていれば良かった。自分がどうなろうと、民を思えば動かなくちゃいけなかったのに。……動かなかったから」
 自嘲するようにヴェルは笑いながら告白する。セドリックを憎いと思ったことはない。彼だけじゃない、革命を起こした民のことも。父や兄は処刑されたが、長年民を苦しめる悪政をやっていたからいずれはそうなるだろうと思っていた。
 
 自分が置かれている今の状況だってかなり恵まれている方だ。内乱を起こされた王朝の一族が生き残ったとて、綺麗な服は着られないし、食事だって満足に与えてはもらえないだろうし、住み慣れた自室で過ごせることなんてあり得ない。
 だから憎むとすれば自分自身だ。おめおめと生き残ってしまった。母もオリバーもいないこの世で生き残り、ダリアに負担をかけてしまっている。全て自分自身がいるせいでこうなっているのだとヴェルは責めた。

「貴女が動いても国王は耳を貸さなかったと思う。だから……これ以上自分を責めるな」
 体が温かなものに包まれた。それがセドリックの腕だということに気がつくまで、時間がかかった。思考がふわふわとして頭が真っ白になる。
 彼はヴェルの心の内を読み取ったかのように。ヴェルが求めていたことをしている。人の温もりが心地よい。たとえ相手が彼(セドリック)だとしても。

「俺は知っている。貴女が自分なりに生きようとしていたこと」
 ヴェルの小麦色の髪に彼の吐息がかかる。心臓の音が耳元で鳴っているのではないかと錯覚するくらい、鼓動がうるさい。
「小さい頃から王に認められようとしていた。だけど、国王は優秀な貴女を女性だからという理由で政から徹底的に排除していた」
「どうしてそのことを……」
 問いかけようとしたヴェルに、セドリックの抱き締める力は強くなった。何も言わないでくれとでも言いたげに。

「もう自分を責めないでくれ……」
 頼む、と懇願するような彼の声。人の温もりは凍りかけた心を容易く溶かしていく。張り詰めた糸が一気に緩むように、ヴェルはセドリックの腕の中で泣きじゃくった。あれほど泣いたのにまだ涙は出るものだ。
 今だけは。立場も忘れてただ温もりを感じていたい。ヴェルは子どものように泣き続けた。
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