白薔薇の魔女は離縁を望む

十井 風

文字の大きさ
15 / 17

第14話

しおりを挟む
 気がつくと寝台の上だった。体を起こし、周りを見る。寝台の周りには可愛らしい動物のぬいぐるみが何体も置かれていた。
 部屋の机でフェリクスが読み物をしているのに気付く。
「あの、旦那様……」
 恐る恐る声を掛けると、フェリクスは手に持っていた書類からセルウィリアに視線を向けた。
「気が付いた? 無理させてごめんね」
 彼の言葉に先ほどまでの事を思い出す。ぼっと火が付くように顔が赤くなった。

「腰は大丈夫?」
 フェリクスは寝台に近付き、セルウィリアの腰をさする。恥ずかしくてセルウィリアは、話題を変えようと部屋を見回した。
「あの、どうして寝台にぬいぐるみがあるのですか?」
 聞くと、今度は彼が恥ずかしそうにする番だった。照れくさそうに笑い、セルウィリアから視線を外す。

「実は一人で寝るのが子どもの頃から怖くてさ。イェリンに頼んでぬいぐるみを作ってもらったんだ。寝台に飾っていないと眠れなくなっちゃって。こうやって出張中でもぬいぐるみを数体持って行くんだ。……幻滅した?」
 フェリクスは上目遣いでセルウィリアを見やる。その様子がまるで子どものようで愛らしく思えたセルウィリアは、思わず彼の頭を撫でた。

「誰にも苦手な事はありますよ、旦那様」
「君にもあるの?」
「えぇ、もちろんですわ。言いませんけど」
「どうしてさ、僕は苦手なこと言ったじゃないか」
 子どものように駄々をこねるフェリクス。それが面白くてセルウィリアはクスクスと笑っていた。

 笑いながらセルウィリアは不思議な気持ちになる。
 嫁ぐ前は離縁をしてもらう為に頑張ろうと思っていたくらいなのに、今はこの仮初の妻としての生活が板についてきたような気がしていた。進んで離縁してもらいたいと思っていない自分が大きくなってきている事に気付いた。

 ぬいぐるみがないと怖くて一人で眠れないという夫を見ると、守ってあげたくなるような愛おしい感情を抱く。この感情の名前を自分はまだ知らないが、離縁する事になったらきっと寂しいと思うのだろう。

(あら……もしかしてわたくしは離縁されたくないと思っているのかしら)

 ちくりと痛む心。思わず胸に手を添えると、フェリクスが怪訝そうにこちらを見ていた。どうして心がざわつくのだろう。離縁すれば自由になれるはずなのに。嫌だと思っている自分がいるなんて知らなかったし、信じられなかった。

 セルウィリアが帝都にやって来てから数日後。皇女マルグリットが開催する舞踏会にフェリクスと参加する事になった。
 フェリクスは昼から仕事を休み、セルウィリアを連れて帝都の仕立屋にやって来ている。帝都にやって来る時、舞踏会に参加する為の衣服を持って来ていなかったのだ。それを知ったフェリクスは、君に似合うドレスを探そうと言って皇族御用達の仕立屋へと連れてきた。

 セルウィリアは自身の見目に興味がない上に、お洒落にも疎かった。神代だった頃は、毎日着るものは決まっていたし、用意された衣服を着るしかない。セルウィリアにとって、苦痛ではなかったが、自分で選べる今はどのようなものを見繕えば良いのか分からない。

「気になるものは無かった?」
 店の中を見渡すも、答えを出さないセルウィリアに、フェリクスは気遣うように問う。そういうわけではない、と首を横に振ると理由を知りたがるように彼は片方の眉を上げる。
「今まで自分で選んでこなかったので、どのような服を選べば良いのか分からなくて……」
 正直に言うと、フェリクスは目を丸くした後、パァッと笑顔になって店主と顔を見合わせた。どこか嬉しそうである。

「それなら僕が君に似合う服を選んでも良いかな?」
「ええ、もちろんですわ。むしろ、そうしていただけると助かります」
 フェリクスの申し出を快く受け取ると、彼は店主と共に様々な服を手に取り、セルウィリアに合わせていく。これでもない、あれでもないと言いながら選ぶ彼の表情は明るい。彼の無邪気な顔を見ると、気持ちが温かくなる。

「本当は生地を一から選んで仕立ててもらいたいのだけどね。時間が無いから既製品から選ばせてもらったよ」

 熟考の末、フェリクスは熟成された葡萄酒のような黒に近いような赤色の生地で作られたドレスを選んだ。セルウィリアは、舞踏会に着ていくには地味すぎるのではないかと思ったが、よく見てみると、薄い金色の糸で刺繍が施されている。細かな部分まで丁寧に職人が糸を通している一級品であった。

 そして、フェリクスが選んだのは糸と同じ色で作られた薔薇を象ったヘッドドレスだった。神代だった頃、白薔薇を象ったヘッドドレスをよく身に着けていたのを思い出す。

 フェリクスが選んだ衣装に身を包み、試着室から出てみると、彼は店主と共に感動したようにため息をついた。
「すごく似合っているよ。とても素敵だ!」
 拍手をする勢いでフェリクスは褒めてくれた。その瞳は嘘偽りないように、煌めいている。セルウィリアは、照れくさいやら恥ずかしいやら、何となく彼とは視線を合わせないようにした。

「じゃあ、店主殿。この一式を買うよ。このまま着ていくから」
「かしこまりました、お客さま」
 フェリクスが小切手を取り出し、金額を書き、店主へと渡す。商品の購入が済んだ後、セルウィリアの手を引いてフェリクスは店を出た。
 店の前には既に馬車が停まっている。おそらく、セルウィリアが試着している最中に用意したのだろう。彼の手際の良さにセルウィリアは驚いた。

 馬車に乗り込み、舞踏会の開催場所である宮殿へと向かう。既に何人かは到着していて、宮殿の前には豪華な馬車が数台並んでいた。豪奢な意匠が施されている馬車ばかりである。格式の高い貴族たちなのだろう。

「孤児院に援助をしてくれそうな人にコンタクトを既に取ってあるんだ」
 降りる直前の馬車の中でフェリクスは窓を見つめながら、セルウィリアに話す。
 あれからフェリクスの方で既に協力してくれる人を探してくれていたのか、と嬉しくなった。

「一人はモルガン女帝陛下の兄であるルドゥー公爵。彼は、慈善活動に熱心だと有名な人でね、君の孤児院の話をしてみたら是非援助させてくれと言ってくれたよ」
「まぁ、とてもありがたいですわ。舞踏会でお会いしたらお礼を言わなければ」
「もう一人がヴェンティス公爵。あのヴェンティス商会の社長を務めているんだ。若いが、事業は軌道に乗っていて資金はたっぷりあるはず。ただ、孤児院の話はまだ出来ていなくて今日の舞踏会で時間を少しくれと話を付けてある。そこで、資金援助の交渉をする感じかな」

 ヴェンティス商会は帝国一の商会である。幅広く展開しており、帝国内にある品はほとんどヴェンティス商会から流通しているものらしい。皇族とも関わりが深い公爵家でもあるため、資金援助を取り付けられればかなり心強いだろう。

 セルウィリアは、淡々と説明するフェリクスに心から感謝した。
「旦那さま、本当にありがとうございます」
 そう言った自分は、きっと笑みを浮かべていただろう。そんな気がした。


 ****

 フェリクスが妻の為に、苦手なあのヴェンティス公爵と交渉の場を設けようとしたのは自分でも驚きだった。出来れば、公爵とそっと関わらずにいられたら良いと思っていたくらいだし、ましてや当初は離縁をしようとしていたセルウィリアの為にここまで動けるのが自分でも分からないくらい不思議だった。

 何故だかは分からないが、彼女の為なら何でも出来る気がする。それは、確信に近い感情だった。

 だから、セルウィリアからお礼を言われた時は嬉しかったし、今までの自分の行動が認められたような気がして幸せな気持ちにもなった。
 でも、それより。

「旦那さま、本当にありがとうございます」

 当たり前のようにお礼を言った彼女のなんと美しい笑み。乾いた土地に咲く一輪の花のように鮮やかで気高くてとても美しい。今までたくさんの貴族令嬢達と関わってきたフェリクスでも、こんな美しい表情をする人は見た事がない。

 ギュウッと心臓が握られるように苦しく、痛くなった。気付かぬうちに胸元の服を掴んでいた。ドッ、ドッ、ドッ、と一定の間隔で強く鼓膜に響く鼓動の音。

(僕の妻は可愛すぎるのでは……?)

 フェリクスが知らない感情に出会った瞬間だった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

冷徹公爵の誤解された花嫁

柴田はつみ
恋愛
片思いしていた冷徹公爵から求婚された令嬢。幸せの絶頂にあった彼女を打ち砕いたのは、舞踏会で耳にした「地味女…」という言葉だった。望まれぬ花嫁としての結婚に、彼女は一年だけ妻を務めた後、離縁する決意を固める。 冷たくも美しい公爵。誤解とすれ違いを繰り返す日々の中、令嬢は揺れる心を抑え込もうとするが――。 一年後、彼女が選ぶのは別れか、それとも永遠の契約か。

どうぞ、おかまいなく

こだま。
恋愛
婚約者が他の女性と付き合っていたのを目撃してしまった。 婚約者が好きだった主人公の話。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

旦那様に学園時代の隠し子!? 娘のためフローレンスは笑う-昔の女は引っ込んでなさい!

恋せよ恋
恋愛
結婚五年目。 誰もが羨む夫婦──フローレンスとジョシュアの平穏は、 三歳の娘がつぶやいた“たった一言”で崩れ落ちた。 「キャ...ス...といっしょ?」 キャス……? その名を知るはずのない我が子が、どうして? 胸騒ぎはやがて確信へと変わる。 夫が隠し続けていた“女の影”が、 じわりと家族の中に染み出していた。 だがそれは、いま目の前の裏切りではない。 学園卒業の夜──婚約前の学園時代の“あの過ち”。 その一夜の結果は、静かに、確実に、 フローレンスの家族を壊しはじめていた。 愛しているのに疑ってしまう。 信じたいのに、信じられない。 夫は嘘をつき続け、女は影のように フローレンスの生活に忍び寄る。 ──私は、この結婚を守れるの? ──それとも、すべてを捨ててしまうべきなの? 秘密、裏切り、嫉妬、そして母としての戦い。 真実が暴かれたとき、愛は修復か、崩壊か──。 🔶登場人物・設定は筆者の創作によるものです。 🔶不快に感じられる表現がありましたらお詫び申し上げます。 🔶誤字脱字・文の調整は、投稿後にも随時行います。 🔶今後もこの世界観で物語を続けてまいります。 🔶 いいね❤️励みになります!ありがとうございます!

【書籍化決定】憂鬱なお茶会〜殿下、お茶会を止めて番探しをされては?え?義務?彼女は自分が殿下の番であることを知らない。溺愛まであと半年〜

降魔 鬼灯
恋愛
 コミカライズ化決定しました。 ユリアンナは王太子ルードヴィッヒの婚約者。  幼い頃は仲良しの2人だったのに、最近では全く会話がない。  月一度の砂時計で時間を計られた義務の様なお茶会もルードヴィッヒはこちらを睨みつけるだけで、なんの会話もない。    お茶会が終わったあとに義務的に届く手紙や花束。義務的に届くドレスやアクセサリー。    しまいには「ずっと番と一緒にいたい」なんて言葉も聞いてしまって。 よし分かった、もう無理、婚約破棄しよう! 誤解から婚約破棄を申し出て自制していた番を怒らせ、執着溺愛のブーメランを食らうユリアンナの運命は? 全十話。一日2回更新 7月31日完結予定

完結 愚王の側妃として嫁ぐはずの姉が逃げました

らむ
恋愛
とある国に食欲に色欲に娯楽に遊び呆け果てには金にもがめついと噂の、見た目も醜い王がいる。 そんな愚王の側妃として嫁ぐのは姉のはずだったのに、失踪したために代わりに嫁ぐことになった妹の私。 しかしいざ対面してみると、なんだか噂とは違うような… 完結決定済み

私が愛する王子様は、幼馴染を側妃に迎えるそうです

こことっと
恋愛
それは奇跡のような告白でした。 まさか王子様が、社交会から逃げ出した私を探しだし妃に選んでくれたのです。 幸せな結婚生活を迎え3年、私は幸せなのに不安から逃れられずにいました。 「子供が欲しいの」 「ごめんね。 もう少しだけ待って。 今は仕事が凄く楽しいんだ」 それから間もなく……彼は、彼の幼馴染を側妃に迎えると告げたのです。

【完結】妻の日記を読んでしまった結果

たちばな立花
恋愛
政略結婚で美しい妻を貰って一年。二人の距離は縮まらない。 そんなとき、アレクトは妻の日記を読んでしまう。

処理中です...