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第二章 湖を臨む都
2.31 二人の子供と一人の大人
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「その子、綺麗だね」
舌足らずな高い声に、はっと目覚める。
トールの視界に入ってきた天井は、暗い灰色に染まっていた。
〈どう、して〉
自分は、確か、病院のベッドに寝かされていたはず。動かない身体に、戸惑いを飲み込む。遠い天井と、トールの身体を覆う柔らかい掌を確かめ、トールは止めた息を吐いた。そう、自分は、不運な事故で命を失い、『異世界』の『本』として生まれ変わった。……そうだ、サシャは?
辺りを見回す前に、トールを持つ手が動く。
次に視界に入ってきたのは、柔らかいベッドの上で身動き一つしない、サシャの白い身体。
「サクラ様の部屋から取ってきた薬、ちゃんと効いてるみたい」
トールを掴む腕の上から聞こえる高い声に、サシャが横たわるベッドの端に腰掛けてサシャの白い髪を撫でる子供が、その丸めの顔をトールの方に向けてにっと笑う。サシャよりも、幼い。でもクリスよりは年上だろう。それが、霞んだように見える半透明の子供を素早く観察した、トールの結論。そっと見上げた、トールを抱きかかえたままベッド側でサシャを見下ろす半透明で青白い影も、まだ子供。子供達も、この部屋自体も、灰色の靄が掛かったようにぼやけ、そしてゆらゆらと揺れて見える。まるで水の中にいるようだ。そこまで考えて、トールは、自分とサシャが湖に落ちたことを思い出した。
「でも、大丈夫? ユキ」
ここは、何処だ? 何故、湖に落ちた一人と一冊がこんなところにいる? ……ここにいてはいけない。根拠の無い不安に焦りを感じ始めたトールの耳に、懸念を帯びた子供の声が響く。
「悪いことしたら、ずっとここに留まることになるって、ハルは言ってた」
「悪いことなんて、してない」
トールの上から響く子供の声に、眠るサシャを見つめていたユキと呼ばれた子供は頬を膨らませてトールを抱きかかえた子供の方を見上げた。
「むしろこの子の願いを叶えて」
「ユキ!」
だが。
ユキの弁明は、低い声に中断される。
振り向いた子供の腕の間から見えたのは、背の高い、これも半透明の人物。
「サクラ様の部屋から持ち出した仮死の薬、返しなさい、ユキ」
つかつかと、サシャが眠るベッド側まで近づいた細身の影が、ベッド横の椅子の上に置かれていた精巧なカットの硝子瓶を掴む。
「え、これ、仮死の薬だったの?」
驚きの声と共に立ち上がり、細身の人物の方へ手を伸ばしたユキという名の子供の頭を、細身の影が薬瓶を持っていない方の手でぽんぽんと撫でるのが、見えた。
「サクラ様の部屋から勝手に薬を持ち出すのはダメだと、私は言いましたね、ユキ」
叱るかにみえた口調も、穏やか。
「いや、でも、この子の願いを叶えるのに」
「とにかく、薬は返してもらいます」
もう一度、ユキの頭をポンポンと撫でた細身の影は、今度は一息でトールを持つ子供の前に立った。
「その子と、その本も」
「え?」
「この、本も?」
細身の影の言葉に、子供二人が戸惑いの声を上げる。
「……分かった」
ぎゅっと抱き締められる感覚の後、トールの身体は、細身の影が持つ冷たい手の中に収まった。
「ありがとう、アキ」
諦めきれない瞳でトールを見上げた子供に、細身の影は微笑む。
「ツバキ様がプリンを作っています。もうそろそろできあがると思いますよ」
「本当っ!」
「やったぁ!」
次に響いた、細身の影の言葉に、子供二人は飛び上がるように部屋の扉に突進した。
「ねえ、ハル」
そのまま部屋から出て行こうとした子供の一人、アキと呼ばれていた子供が振り返って細身の影を見上げる。
「やっぱり僕達、ずっとここにいないといけないの、ハル?」
その子供が発した、悲しげな声に、トールは言葉を失った。
「ここの方がずっと良いだろ」
俯いた、アキという名の子供の腕を、ユキという名の子供が強く引く。
「でも」
アキという名の子供は、それでも強く首を横に振ると、ユキという名の子供とともにトールの視界から消えた。
後に残ったのは、ハルと呼ばれていた細身の影と、トールと、眠り続けるサシャ。
「あの場所に戻る方法、ですか」
溜息のような声が、トールの耳に響く。
ハルという名の細身の影の、表情は見えない。それでも、何となくのレベルの、哀しみは、トールにも分かった。
「解毒剤は、必要無いですね」
そのハルが、ベッドに眠るサシャの息を確かめる。
そう言えば、この部屋も、子供達や細身の影の服にも、既視感がある。再びぐるりと辺りを見回したトールはようやく、その既視感の正体に気付いた。この部屋にあるベッドも、遠くに見える学習机も、トールの世界の家具店で見るもの。細身の影がまとうすっきりとした形のワイシャツとズボンも、サシャの世界のものでは、ない。
何故? 戸惑いと疑問に首を傾げたトールを、細身の影はサシャの胸の上に置く。弱く聞こえてきたサシャの鼓動に、トールは疑問点を忘れて息を吐いた。良かった。サシャは、……生きている。
背の高い、細身の影が、トールごとサシャを抱き上げる。
次の瞬間、トールの視界は、不意の闇に塗り潰された。
舌足らずな高い声に、はっと目覚める。
トールの視界に入ってきた天井は、暗い灰色に染まっていた。
〈どう、して〉
自分は、確か、病院のベッドに寝かされていたはず。動かない身体に、戸惑いを飲み込む。遠い天井と、トールの身体を覆う柔らかい掌を確かめ、トールは止めた息を吐いた。そう、自分は、不運な事故で命を失い、『異世界』の『本』として生まれ変わった。……そうだ、サシャは?
辺りを見回す前に、トールを持つ手が動く。
次に視界に入ってきたのは、柔らかいベッドの上で身動き一つしない、サシャの白い身体。
「サクラ様の部屋から取ってきた薬、ちゃんと効いてるみたい」
トールを掴む腕の上から聞こえる高い声に、サシャが横たわるベッドの端に腰掛けてサシャの白い髪を撫でる子供が、その丸めの顔をトールの方に向けてにっと笑う。サシャよりも、幼い。でもクリスよりは年上だろう。それが、霞んだように見える半透明の子供を素早く観察した、トールの結論。そっと見上げた、トールを抱きかかえたままベッド側でサシャを見下ろす半透明で青白い影も、まだ子供。子供達も、この部屋自体も、灰色の靄が掛かったようにぼやけ、そしてゆらゆらと揺れて見える。まるで水の中にいるようだ。そこまで考えて、トールは、自分とサシャが湖に落ちたことを思い出した。
「でも、大丈夫? ユキ」
ここは、何処だ? 何故、湖に落ちた一人と一冊がこんなところにいる? ……ここにいてはいけない。根拠の無い不安に焦りを感じ始めたトールの耳に、懸念を帯びた子供の声が響く。
「悪いことしたら、ずっとここに留まることになるって、ハルは言ってた」
「悪いことなんて、してない」
トールの上から響く子供の声に、眠るサシャを見つめていたユキと呼ばれた子供は頬を膨らませてトールを抱きかかえた子供の方を見上げた。
「むしろこの子の願いを叶えて」
「ユキ!」
だが。
ユキの弁明は、低い声に中断される。
振り向いた子供の腕の間から見えたのは、背の高い、これも半透明の人物。
「サクラ様の部屋から持ち出した仮死の薬、返しなさい、ユキ」
つかつかと、サシャが眠るベッド側まで近づいた細身の影が、ベッド横の椅子の上に置かれていた精巧なカットの硝子瓶を掴む。
「え、これ、仮死の薬だったの?」
驚きの声と共に立ち上がり、細身の人物の方へ手を伸ばしたユキという名の子供の頭を、細身の影が薬瓶を持っていない方の手でぽんぽんと撫でるのが、見えた。
「サクラ様の部屋から勝手に薬を持ち出すのはダメだと、私は言いましたね、ユキ」
叱るかにみえた口調も、穏やか。
「いや、でも、この子の願いを叶えるのに」
「とにかく、薬は返してもらいます」
もう一度、ユキの頭をポンポンと撫でた細身の影は、今度は一息でトールを持つ子供の前に立った。
「その子と、その本も」
「え?」
「この、本も?」
細身の影の言葉に、子供二人が戸惑いの声を上げる。
「……分かった」
ぎゅっと抱き締められる感覚の後、トールの身体は、細身の影が持つ冷たい手の中に収まった。
「ありがとう、アキ」
諦めきれない瞳でトールを見上げた子供に、細身の影は微笑む。
「ツバキ様がプリンを作っています。もうそろそろできあがると思いますよ」
「本当っ!」
「やったぁ!」
次に響いた、細身の影の言葉に、子供二人は飛び上がるように部屋の扉に突進した。
「ねえ、ハル」
そのまま部屋から出て行こうとした子供の一人、アキと呼ばれていた子供が振り返って細身の影を見上げる。
「やっぱり僕達、ずっとここにいないといけないの、ハル?」
その子供が発した、悲しげな声に、トールは言葉を失った。
「ここの方がずっと良いだろ」
俯いた、アキという名の子供の腕を、ユキという名の子供が強く引く。
「でも」
アキという名の子供は、それでも強く首を横に振ると、ユキという名の子供とともにトールの視界から消えた。
後に残ったのは、ハルと呼ばれていた細身の影と、トールと、眠り続けるサシャ。
「あの場所に戻る方法、ですか」
溜息のような声が、トールの耳に響く。
ハルという名の細身の影の、表情は見えない。それでも、何となくのレベルの、哀しみは、トールにも分かった。
「解毒剤は、必要無いですね」
そのハルが、ベッドに眠るサシャの息を確かめる。
そう言えば、この部屋も、子供達や細身の影の服にも、既視感がある。再びぐるりと辺りを見回したトールはようやく、その既視感の正体に気付いた。この部屋にあるベッドも、遠くに見える学習机も、トールの世界の家具店で見るもの。細身の影がまとうすっきりとした形のワイシャツとズボンも、サシャの世界のものでは、ない。
何故? 戸惑いと疑問に首を傾げたトールを、細身の影はサシャの胸の上に置く。弱く聞こえてきたサシャの鼓動に、トールは疑問点を忘れて息を吐いた。良かった。サシャは、……生きている。
背の高い、細身の影が、トールごとサシャを抱き上げる。
次の瞬間、トールの視界は、不意の闇に塗り潰された。
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