『魔導書』に転生した俺と、君との日々。

風城国子智

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第二章 湖を臨む都

2.36 冬空に、置いて行かれて

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 柔星祭やわぼしのまつりの、次の日。

 その日、サシャは、普段以上にしっかりとマントとフードを装備して、手伝いのために寄宿していた『星読ほしよみ』の館を出た。

〈どこへ、行くんだ?〉

 行き先を聞いていないトールは、戸惑いながらも、黙ってサシャを見守る。

 マントの隙間から見える景色は、白一色。その白の中を、サシャは、時折足を滑らせながら歩いて行く。しばらくサシャの様子を見守っていてようやく、トールはサシャの目的地に気付いた。

〈まさか。でも、……何故?〉

 寒さで凍った河を渡り、細かい雪が木々を染める森を歩いて辿り着いたのは、『扉』が刻まれた、件の崖。その、やはり白く染まった半開きの扉の絵の奥、洞窟になっている暗い場所にその細い身を滑り込ませたサシャは、マントの下からトールを取り出し、ちょっとした椅子のようになっている岩の上におもむろにトールを置いた。

「……」

 唇を震わせたサシャが、トールを見下ろして首を横に振る。

〈……?〉

 泣きそうなサシャの表情に脳裏が疑問符でいっぱいになったトールの眼前で、サシャは決意したように踵を返し、そして足早にトールの前から去って行った。

 後に残ったのは、洞窟の暗がりと、僅かな隙間から見える白のみ。

〈え……?〉

 戸惑いしか、出てこない。

 サシャの行動の理由が分からない。

 吹雪が来始めているのだろう、トールの眼前で舞い始めた粉雪に、トールは正直途方に暮れていた。

 そのまま、段々と白から黒へと変わっていく光景を、動けないままに眺める。

 音は、全く無い。地面を叩く氷の音も、空を劈く雷の音も、聞こえない。トールの世界の、あの煩い雪とは、全く違う。雪を溶かした泥混じりの融水を傍若無人に歩道にまき散らして走る車の列が、トールの視界を通り過ぎる。ここに置き去りにされたまま、一人淋しく消えてしまうのだろうか。目の端を過ぎる黒い服の人々が、トールの所為で泣いている人々の影が、トールの前身を強く揺さぶる。寒さの所為か段々と薄れていく意識の中、トールの全身は震えに震えていた。

 その時。

「トール!」

 吹雪の白の中から、サシャの白い髪が現れる。

「ごめんなさい! でも、やっぱり」

 叫ぶようにトールを抱き締めたサシャの、細かい雪に濡れた袖に、トールはほっと息を吐いた。サシャがトールを抱き締めている。そのことが、嬉しい。

 だが。

[サシャ]

 洞窟のような遺跡から外に出ようとしたサシャを、制する。

 薄暗くなった空からは、風のような雪が間断無く降り注いでいる。視界も、良くない。このような状況では、迷子になるのは必至。一晩だけなら、この遺跡に留まるのも悪くない。トールがそう提案する前に、洞窟の遺跡から一歩出たサシャは、吹きだまりらしい雪山に足を取られ、白い地面に突っ伏した。

[サシャ!]

 トールを抱き締め続けるサシャの、身体の冷たさと弱っていく胸の鼓動を確かめる。おそらく、寒いのに外にいた所為で凍えてしまったのだろう。トールとサシャの上に積もっていく柔らかい雪を、トールは恨めしげに睨んだ。しかし、ただの『本』であるトールに、サシャを助ける術は無い。悔しい。冷たいサシャの腕の中で、トールは唇を噛みしめた。

 その時。

[……あれ、は?]

 先程までトールが居た、崖に穿たれた洞窟型の遺跡から出てきた大柄な影に、はっと身構える。あの影には、……見覚えがある。トールがその人の名前を思い出す前に、色素の薄い瞳が、トールの目の前に現れた。この人、は。……かつてサシャに岩塩をくれた、そして雨の日に森で足を滑らせたサシャを助けてくれた、『冬の国ふゆのくに』のタトゥ!

「……」

 何故、遺跡から『冬の国』の人間が? 驚きで頭がいっぱいになったトールの横で、落ち着いた様子のタトゥが身動き一つしないサシャの様子を確かめる。そしておもむろに、タトゥはサシャとトールをその太い腕で雪の中から抱き上げた。

 そしてそのまま、目印の無い雪道を歩き始める。どこを見ても白い景色。その中を迷うことなく平然と進むタトゥの腕は、ほっとするほど温かい。サシャは、大丈夫。根拠も無くそう思い、トールは胸を撫で下ろした。

 そのトールの視界に、灰色に塗り潰された壁が映る。北都ほくとの、城壁? トールが首を傾げる前に、城壁の一部が開き、見知った顔がトールの目の前に現れた。

「サシャ!」

 カジミールの、声だ。薄れゆく意識の中で、それだけを確かめる。確か、北都の城壁には、『星読み』達が都の外にある観測所に向かうために設えられた『星読み』専用の出入り口がある。ここは、その出入り口。

 カジミールの腕の中に移されたサシャの細い腕の中で、息を吐く。

 顔を上げた時には、まだ開いていた扉の向こうに、タトゥの姿は、無かった。
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