153 / 351
第四章 帝都の日々
4.39 製本師の目標①
しおりを挟む
「ここ、かなぁ……?」
春の日差しの下、金属がぶつかり合う音が間断無く響き渡る狭い路地の一角を頼りなく見上げたサシャに、エプロンのポケットの中から大きく頷く。間違いない。ここには、前にヴィリバルトに連れられて来たことがある。帝都の北西側、修理や金属加工の小さな工房がひしめく路地の中に、今日の一人と一冊の目的地はある。
「カレヴァのところのお客さんかね?」
不意に横から響いた濁声に、サシャの心臓が飛び上がる。
「ここの二階にいるよ。さっき、金箔を少し買いに来たからね」
「あ、はい。ありがとうございます」
サシャの隣に立ち、サシャと同じように小さな家の二階を見上げた恰幅の良い影に、サシャは大きく頭を下げる。その影が示した、家と家の狭間に設えられた勾配のきつい階段を、サシャは一歩一歩、慎重に登っていった。セルジュを庇おうとした時の背中の傷は、大丈夫そうだ。アランのおかげで、毒の影響も無くなっている。
[頭、気をつけろよ]
前にヴィリバルトに連れて行かれた時、ヴィリバルトの護衛、エゴンが、階段の上に伸びていた横木を意外と身軽に避けたことを思い出す。緊張からだろう、赤みが強くなったサシャの頬に、トールはそう、声をかけた。
「うん」
サシャは小さいから、やたら大きいエゴンのように天井を心配する必要は無いかもしれない。そう、トールが思い直す前に、サシャの足は階段を登りきり、しっかりとした扉の前に立っていた。
「こ、こんにちは」
扉を叩いたサシャが、恐る恐る、扉を押す。
意外に軽く開いた扉の向こうには、明るい空間が広がっていた。
「誰だね?」
大きく開いた窓の前にある大きな机の上に何かを広げて作業をしていた細身の影が、ゆっくりと一人と一冊の方を向く。その動作で揺れた、ほぼ白に近い黄金の髪に、北向でサシャを助けてくれた『冬の国』の大柄な人物のことを思い出し、トールは大きく息を吐いた。
「あ、あの、すみません」
トールが思い出したのと同じ人物をサシャも思い出したらしい、上ずった声が、トールの耳に響く。
「この『本』を、直して、ほしい、の、ですが」
『本』であるトールの背表紙をそっと掴み、エプロンのポケットから引き出したサシャの震える手を感じる間もなく、トールの裏表紙は、かつて、狂信者の炎に焼かれかけた自分を直してくれた者の節くれ立った確かな手を感じていた。
「ああ」
そのトールをひっくり返し、サシャがセルジュを庇った時に表紙に付いた深い傷を確認した薄色の瞳が、笑うように揺れる。
「これなら、表紙の革と板を換えるだけで良いだろう」
この人、カレヴァは、書物を保護し、装飾する技術を持つ製本師。工房は小さいが、確かな技術を持っていると、サシャの現在の庇護者であるグスタフ教授は太鼓判を押していた。一度直してもらっているのだから、トールは、カレヴァの技術の良さを知っている。破れた表紙を直してもらって、再び、サシャと共にいることができるようになれば、それだけで、嬉しい。
「で、あの、お代、は……」
トールを収めていたのとは別のエプロンのポケットから、サシャが小さな巾着袋を取り出す。サシャ謹製の巾着袋の中身は、サシャがグスタフ教授の手伝いで書物を写して貯めた銀貨。これで、足りるだろうか? ここへ来るまでに何度もサシャが口にした言葉を、トールは、サシャの細い腕の感覚と一緒に思い出していた。
サシャが差し出した銀貨を見下ろしたカレヴァが、大きく首を横に振る。やはり、足りないか。肩を落としたトールを広い机の一角に置くと、カレヴァは机の下の引き出しを開け、一枚の乾いた葉を取り出した。
「こ、これ……!」
乾いた葉を見たサシャの瞳が、丸くなる。カレヴァの手の中にある葉は確かに、北向から帝華の森へと逃げていた夏の日に、『紙』の材料候補としてサシャがトールの頁の間に挟んだもの。
「お代は良い」
机の横にある小さな木の椅子に座ったカレヴァは、横の椅子に座るようサシャに促してからおもむろに、机に置かれたトールを取り上げた。
「ここに書いてある『紙』について話してくれ」
春の日差しの下、金属がぶつかり合う音が間断無く響き渡る狭い路地の一角を頼りなく見上げたサシャに、エプロンのポケットの中から大きく頷く。間違いない。ここには、前にヴィリバルトに連れられて来たことがある。帝都の北西側、修理や金属加工の小さな工房がひしめく路地の中に、今日の一人と一冊の目的地はある。
「カレヴァのところのお客さんかね?」
不意に横から響いた濁声に、サシャの心臓が飛び上がる。
「ここの二階にいるよ。さっき、金箔を少し買いに来たからね」
「あ、はい。ありがとうございます」
サシャの隣に立ち、サシャと同じように小さな家の二階を見上げた恰幅の良い影に、サシャは大きく頭を下げる。その影が示した、家と家の狭間に設えられた勾配のきつい階段を、サシャは一歩一歩、慎重に登っていった。セルジュを庇おうとした時の背中の傷は、大丈夫そうだ。アランのおかげで、毒の影響も無くなっている。
[頭、気をつけろよ]
前にヴィリバルトに連れて行かれた時、ヴィリバルトの護衛、エゴンが、階段の上に伸びていた横木を意外と身軽に避けたことを思い出す。緊張からだろう、赤みが強くなったサシャの頬に、トールはそう、声をかけた。
「うん」
サシャは小さいから、やたら大きいエゴンのように天井を心配する必要は無いかもしれない。そう、トールが思い直す前に、サシャの足は階段を登りきり、しっかりとした扉の前に立っていた。
「こ、こんにちは」
扉を叩いたサシャが、恐る恐る、扉を押す。
意外に軽く開いた扉の向こうには、明るい空間が広がっていた。
「誰だね?」
大きく開いた窓の前にある大きな机の上に何かを広げて作業をしていた細身の影が、ゆっくりと一人と一冊の方を向く。その動作で揺れた、ほぼ白に近い黄金の髪に、北向でサシャを助けてくれた『冬の国』の大柄な人物のことを思い出し、トールは大きく息を吐いた。
「あ、あの、すみません」
トールが思い出したのと同じ人物をサシャも思い出したらしい、上ずった声が、トールの耳に響く。
「この『本』を、直して、ほしい、の、ですが」
『本』であるトールの背表紙をそっと掴み、エプロンのポケットから引き出したサシャの震える手を感じる間もなく、トールの裏表紙は、かつて、狂信者の炎に焼かれかけた自分を直してくれた者の節くれ立った確かな手を感じていた。
「ああ」
そのトールをひっくり返し、サシャがセルジュを庇った時に表紙に付いた深い傷を確認した薄色の瞳が、笑うように揺れる。
「これなら、表紙の革と板を換えるだけで良いだろう」
この人、カレヴァは、書物を保護し、装飾する技術を持つ製本師。工房は小さいが、確かな技術を持っていると、サシャの現在の庇護者であるグスタフ教授は太鼓判を押していた。一度直してもらっているのだから、トールは、カレヴァの技術の良さを知っている。破れた表紙を直してもらって、再び、サシャと共にいることができるようになれば、それだけで、嬉しい。
「で、あの、お代、は……」
トールを収めていたのとは別のエプロンのポケットから、サシャが小さな巾着袋を取り出す。サシャ謹製の巾着袋の中身は、サシャがグスタフ教授の手伝いで書物を写して貯めた銀貨。これで、足りるだろうか? ここへ来るまでに何度もサシャが口にした言葉を、トールは、サシャの細い腕の感覚と一緒に思い出していた。
サシャが差し出した銀貨を見下ろしたカレヴァが、大きく首を横に振る。やはり、足りないか。肩を落としたトールを広い机の一角に置くと、カレヴァは机の下の引き出しを開け、一枚の乾いた葉を取り出した。
「こ、これ……!」
乾いた葉を見たサシャの瞳が、丸くなる。カレヴァの手の中にある葉は確かに、北向から帝華の森へと逃げていた夏の日に、『紙』の材料候補としてサシャがトールの頁の間に挟んだもの。
「お代は良い」
机の横にある小さな木の椅子に座ったカレヴァは、横の椅子に座るようサシャに促してからおもむろに、机に置かれたトールを取り上げた。
「ここに書いてある『紙』について話してくれ」
0
あなたにおすすめの小説
【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜
一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m
✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。
【あらすじ】
神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!
そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!
事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます!
カクヨム(吉野 ひな)にて、先行投稿しています。
悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる
竜頭蛇
ファンタジー
ある日、前世の記憶を思い出したシド・カマッセイはこの世界がギャルゲー「ヒロイックキングダム」の世界であり、自分がギャルゲの悪役令息であると理解する。
評判が悪すぎて破滅する運命にあるが父親が毒親でシドの悪評を広げたり、関係を作ったものには危害を加えるので現状では何をやっても悪評に繋がるを悟り、家との関係を断って出家をすることを決意する。
身を寄せた教会で働くうちに評判が上がりすぎて、聖女や信者から崇められたり、女神から一目置かれ、やがて最強の聖騎士となり、伝説となる物語。
異世界転生~チート魔法でスローライフ
玲央
ファンタジー
【あらすじ⠀】都会で産まれ育ち、学生時代を過ごし 社会人になって早20年。
43歳になった主人公。趣味はアニメや漫画、スポーツ等 多岐に渡る。
その中でも最近嵌ってるのは「ソロキャンプ」
大型連休を利用して、
穴場スポットへやってきた!
テントを建て、BBQコンロに
テーブル等用意して……。
近くの川まで散歩しに来たら、
何やら動物か?の気配が……
木の影からこっそり覗くとそこには……
キラキラと光注ぐように発光した
「え!オオカミ!」
3メートルはありそうな巨大なオオカミが!!
急いでテントまで戻ってくると
「え!ここどこだ??」
都会の生活に疲れた主人公が、
異世界へ転生して 冒険者になって
魔物を倒したり、現代知識で商売したり…… 。
恋愛は多分ありません。
基本スローライフを目指してます(笑)
※挿絵有りますが、自作です。
無断転載はしてません。
イラストは、あくまで私のイメージです
※当初恋愛無しで進めようと書いていましたが
少し趣向を変えて、
若干ですが恋愛有りになります。
※カクヨム、なろうでも公開しています
バーンズ伯爵家の内政改革 ~10歳で目覚めた長男、前世知識で領地を最適化します
namisan
ファンタジー
バーンズ伯爵家の長男マイルズは、完璧な容姿と神童と噂される知性を持っていた。だが彼には、誰にも言えない秘密があった。――前世が日本の「医師」だったという記憶だ。
マイルズが10歳となった「洗礼式」の日。
その儀式の最中、領地で謎の疫病が発生したとの凶報が届く。
「呪いだ」「悪霊の仕業だ」と混乱する大人たち。
しかしマイルズだけは、元医師の知識から即座に「病」の正体と、放置すれば領地を崩壊させる「災害」であることを看破していた。
「父上、お待ちください。それは呪いではありませぬ。……対処法がわかります」
公衆衛生の確立を皮切りに、マイルズは領地に潜む様々な「病巣」――非効率な農業、停滞する経済、旧態依然としたインフラ――に気づいていく。
前世の知識を総動員し、10歳の少年が領地を豊かに変えていく。
これは、一人の転生貴族が挑む、本格・異世界領地改革(内政)ファンタジー。
追放された味噌カス第7王子の異種族たちと,のんびり辺境地開発
ハーフのクロエ
ファンタジー
アテナ王国の末っ子の第7王子に産まれたルーファスは魔力が0で無能者と言われ、大陸の妖精族や亜人やモンスターの多い大陸から離れた無人島に追放される。だが前世は万能スキル持ちで魔王を倒し英雄と呼ばれていたのを隠し生まれ変わってスローライフを送る為に無能者を装っていたのだ。そんなルーファスはスローライフを送るつもりが、無人島には人間族以外の種族の独自に進化した先住民がおり、周りの人たちが勝手に動いて気が付けば豊かで平和な強国を起こしていく物語です。
神様の忘れ物
mizuno sei
ファンタジー
仕事中に急死した三十二歳の独身OLが、前世の記憶を持ったまま異世界に転生した。
わりとお気楽で、ポジティブな主人公が、異世界で懸命に生きる中で巻き起こされる、笑いあり、涙あり(?)の珍騒動記。
田舎農家の俺、拾ったトカゲが『始祖竜』だった件〜女神がくれたスキル【絶対飼育】で育てたら、魔王がコスメ欲しさに竜王が胃薬借りに通い詰めだした
月神世一
ファンタジー
「くそっ、魔王はまたトカゲの抜け殻を美容液にしようとしてるし、女神は酒のつまみばかり要求してくる! 俺はただ静かに農業がしたいだけなのに!」
ブラック企業で過労死した日本人、カイト。
彼の願いはただ一つ、「誰にも邪魔されない静かな場所で農業をすること」。
女神ルチアナからチートスキル【絶対飼育】を貰い、異世界マンルシア大陸の辺境で念願の農場を開いたカイトだったが、ある日、庭から虹色の卵を発掘してしまう。
孵化したのは、可愛らしいトカゲ……ではなく、神話の時代に世界を滅亡させた『始祖竜』の幼体だった!
しかし、カイトはスキル【絶対飼育】のおかげで、その破壊神を「ポチ」と名付けたペットとして完璧に飼い慣らしてしまう。
ポチのくしゃみ一発で、敵の軍勢は老衰で塵に!?
ポチの抜け殻は、魔王が喉から手が出るほど欲しがる究極の美容成分に!?
世界を滅ぼすほどの力を持つポチと、その魔素を浴びて育った規格外の農作物を求め、理知的で美人の魔王、疲労困憊の竜王、いい加減な女神が次々にカイトの家に押しかけてくる!
「世界の管理者」すら手が出せない最強の農場主、カイト。
これは、世界の運命と、美味しい野菜と、ペットの散歩に追われる、史上最も騒がしいスローライフ物語である!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる