君が手に、我が手を重ねて

風城国子智

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再び西へ 1

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「……サリナの怪我は、軽そうだな」
 怪我と疲れで気を失っているサリナを確かめたリトの言葉に、ほっと胸を撫で下ろす。乾いた落ち葉の上に座ったまま、エリカは振り向き、やっとの思いで逃げ出すことができた帝都の方をちらりと見やった。火事と魔物の騒動から一夜明け、太陽が高い位置に来ていてもまだ、街のあちこちから煙が上がっている。木々の隙間から見えた光景から、エリカはそっと、視線を外した。
「エリカは、怪我は無い?」
 そのエリカの耳に、リトの、いつになく気遣わしげな声が響く。
「ええ、大丈夫」
 そのリトにエリカは笑顔を作って見せた。疲れは、ある。しかし怪我は、していない。リトの方も、魔物相手にあれだけ暴れたにも拘わらず、少し青ざめた顔色の他は特に怪我もなさそうだ。もう一度リトを見上げ、エリカは再度、胸を撫で下ろした。
「本当に?」
 そのエリカに、念を押すように、リトがエリカの手を取る。
〈……どうしたのかしら?〉
 エリカは思わず首を傾げた。
「そ、その、ラウルに、何か、されたと、いう、ことは……」
 そのエリカの前で、頬を赤くしたリトがエリカから目を逸らす。あることに思い至り、エリカははっと、自分が着ている絹服を見つめた。昨日、サリナがこの服と湯浴み用のお湯を持ってきた理由は、もしかすると。
「だっ、大丈夫っ」
 声が、上擦る。
「何も、されてないからっ!」
「良かった。……エリカが大丈夫なら、良いんだ」
 エリカの言葉に、リトが静かに微笑んでくれたのが、エリカには嬉しかった。
「ところで」
 そのリトに、尋ねる。
「何故私が、ラウルの、オルディナバ公の屋敷にいるって分かったの?」
 砦でパキトが裏切り、ラウルがエリカ達に刃を向けた時には、リトは矢傷で意識を失っていたはずなのに。エリカの問いに、リトは再び頬を赤くした。
「前に、ダリオさんに言われたから。……ラウル殿が、エリカを狙ってるって」
「はいっ?」
 エリカに血塗られた刃を向けた、ラウルの残酷な笑みが、脳裏を過ぎる。あのラウルが、エリカを? 震えが、エリカの全身を支配した。
「ま、それも、今は終わったこと」
 そう言いながら、リトは、気を失っているサリナを背負い、エリカに右手を差し出した。
「行こう。……帝都を、離れなければ」
「ええ」
 混乱に助けられる形で、咎められることなく帝都を脱出することはできた。だがリトは、大勢の人々の目の前で、魔物と化していた時の帝を屠っている。魔物の跋扈から人々を守ることがリトの職務とはいえ、忠誠を誓うべき帝を弑したことについては必ず、重い罪に問われるだろう。それまでに、少なくともサリナは、比較的安全な、エリカが生まれ育った西の街に連れて行った方が良い。そこまで考え、エリカはリトの手を取らずに一息で立ち上がった。エリカの母、シーリュス伯が亡くなった今、西の街がどうなっているかは、分からない。しかし万が一、家令であるダリオが何らかの理不尽な理由で街から去っていたとしても、エリカに武術を教えてくれた街の警備隊所属の師匠と、エリカと一緒に武術を習った警備隊の人々がいる。エリカとリトは無理でも、サリナだけなら、匿ってもらえるだろう。
「『黒剣隊』の仲間達のことも、ちゃんと無事か、確かめないと」
「ええ」
 落ち葉に隠れた木の根に足を取られながら、それでもリトに遅れまいと、エリカはリトが背負うサリナの背をしっかりと、見つめた。
 と。
「誰だっ!」
 不意の気配に、リトが叫ぶ。その叫びに呼応するかのように、リトとエリカの周りを五、六人の男達が取り囲んだ。服装は質素だが、持っている槍の穂先は鋭い。盗賊だろうか? エリカは思わず身構えた。だが。
「帝都からの避難者だな」
 唇を引き結んだリトの鼻先に槍を突きつけた、年長の男性が、大きく叫ぶ。
「我々の村を迂回して去るのなら、何もしない」
「えっ?」
 この深い森の中に、村があったとは。思わぬことにきょとんとしてしまう。
「何があった?」
 一方、冷静な顔色のリトは、槍の穂先から年長の男の方へ視線を向けた。
「け、怪我をした避難者が、魔物化したんだっ!」
 そのリトの問いに答えたのは、リトの横で槍を構えていた若者。
「お、お嬢様が怪我の治療に当たっていたのに、そのお嬢様を……」
「殺したの?」
 思わず叫んだエリカに、若者は首を横に振った。
「ま、まだ、生きてる、けど……」
「村の賢者が言うには、魔物化した人間に怪我をさせられた者も、遅かれ早かれ魔物と化してしまうらしい」
 若者の言葉を補足したのは、リトの前にいた年長の男性。
「そうか」
 村人達の言葉に、リトが押し黙る。
「分かった」
 こくんと頷いたリトが、エリカの方へ手を伸ばした。
「どちらへ行けば、君達の村を迂回して西の街に行ける?」
 そして年長の男に尋ねる。
「あ、あっちだ」
「ありがとう」
 年長の男が示した方へ、リトはエリカを手招きした。
「行こう」
 立ち去るリトとエリカに、男達が道を空ける。
「……そうだ」
 その男達に、リトは思い出したような声を上げた。
「君達の村に、薔薇はあるか?」
「お、お嬢様が、好きで、育てて……」
「じゃあそれを、怪我人と、お嬢様に、持たせて」
 リトの考えに思い至り、エリカは村人達に微笑んでみせた。
「多分、魔物除けになるから」

 森の中にある村々を避け、迂回に迂回を重ねて西へ向かう。それでも、意外に早く、木々の向こうに西の街の周壁が朧気に見えて来、エリカはほっと息を吐いた。
「大丈夫?」
 そのエリカを、時折意識を取り戻すがまだ動けないサリナを背負って歩くリトが気遣う。
「大丈夫」
 サリナを背負い、更に村々や人々、獣達の気配を確認しながら歩くリトの気苦労は並大抵のものではなかったはずなのに。だからこそ、リトを労うように、エリカは殊更笑顔を作った。
「案外早く着いたな」
 リトの方も、目の前の景色に明らかにほっとしているようだ。
「助かったよ。エリカが森の食物について詳しくて」
「そ、そんな……」
 エリカに微笑みを見せるリトに、エリカは頬が上気するのを感じた。森が多い帝国西方だから、森の動植物について知ることは、当然のこと。それでも、エリカの父が西の街に遺していた、勉強用の植物の本を熟読しておいて良かった。リトの為に森で採取した栗や茸の、火を通せば意外においしく食べることができたその味を思い出し、エリカはリトに微笑みを返した。
 と、その時。
「ううっ……」
 リトの背にいたサリナが、苦しげに呻く。次の瞬間、サリナを覆ったどす黒い影に、エリカははっと身構えた。これは、帝都を襲った魔物の色。もう少しだというのに。しかしエリカが唇を噛む前に、異変を察知したリトはサリナを背から滑り落とし、森で採取してあった気を失わせる毒草をサリナの口に押し込んだ。
「ううっ……」
 呻くサリナが、ゆっくりと静かになる。その時になって初めてエリカは、リトの右腕から血が滲んでいることに気付いた。おそらくサリナが暴れたときに怪我をしたのだろう。手当をしなければ。
「リト!」
 エリカは一息で、リトの横に立った。だが。
「来るんじゃない!」
 その声とともに、リトはエリカを突き飛ばす。
「な、なんで……」
 そのリトの行動に驚愕しつつ顔を上げたエリカは、リトの身体右半分を覆うどす黒い影に目を瞬かせた。まさか、リトも、魔物化を?
「……」
 唇を噛みしめたリトが、帝都で拾いずっと身に着けていた腰の剣を抜く。何をするつもりなのだろうか? リトの意図を即座に見抜いたエリカは、リトの、剣を持つ腕に飛びついた。
「ダメっ!」
 力尽くで、リトから剣をもぎ取る。その剣を遠くに投げ捨て、エリカはリトの、暗い影に覆われた右腕をぎゅっと掴んだ。
「魔物化してしまったら、私は、君を」
「大丈夫」
 エリカを引き剥がそうとするリトに、無理に笑顔を作る。
「西の街には必ず、薔薇がある」
 この森には、野生の薔薇は自生していない。だが、エリカの母、西の街を差配していたシーリュス伯が薔薇好きであったからだろう、西の街では至る所に、エリカの母が寄付した薔薇の苗が根付いている。父が母に贈った蔓薔薇は無くなってしまったが、西の街に行けばきっと、魔物化を抑えることができる薔薇の花が咲いている。
「薔薇の花、取ってくる。だから、それまで、……死なないで」
 エリカの言葉に、リトが頷いたのが、見える。
「分かった。……でも」
「分かってる」
 エリカはぎゅっと唇を噛みしめると、リトが安心する言葉を紡ぎ出した。
「もし私が戻る前に、リトが魔物になっていたら、私が、……退治する」
「ありがとう」
 そして。リトの返事を聞く前に、エリカはリトから身を離し、転がるように、西の街の周壁へと向かった。

 森を駆け下り、西の街に辿り着く。
 正門には紫色のマントが見えたので、エリカは裏門までぐるりと迂回した。
〈ここには、彼らがいませんように〉
 その願いとともに顔を上げたエリカは、視線の向こうに見知った姿を認めて息を呑んだ。あれは……!
「チコ! キカ!」
 リトの部下、『黒剣隊』の年若い隊員の名を呼ぶ。
「エリカさん!」
 すぐに、チコとキカの懐かしい顔が、エリカのすぐ前に現れた。
「エリカさん、無事だったのっ! 良かったぁ」
「隊長は? 一緒なのか?」
「お願い、リトを助けて!」
 キカとチコに、叫ぶ。
「分かった」
 エリカの話を聞いた、警備隊の一員でもあるエリカの師匠が、エリカの話に戸惑うキカとチコに的確な指示を出した。
「キカは、ダリオさんのところへ行って薔薇を集めろ! チコは、俺と一緒にリトのところへ」
「分かりました」
「承知!」
 とにかく、ぐずぐずしてはいられない。エリカはくるりと踵を返すと、リトが倒れている森の中へ、チコと師匠を案内した。
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