君が手に、我が手を重ねて

風城国子智

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囚われの後 2

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 その日の夜。
 強い風の音に、はっと目覚める。
 ベッドに横たわったまま天窓を見上げると、暗い夜空を過ぎる黒い雲が、どこか不吉に、エリカの瞳に映った。嵐が、来るのだろう。それとももう既に、来ているのか。
 不意に響く、金属扉の開く音に、はっと振り向く。扉の向こうにいたのは、サリナという名のあの少女。見張りの姿は、見当たらない。逃げるチャンスだ。おそらく風の音に怯えているのであろう、震えながらエリカの方に走り寄ってきたサリナの腕を掴むと、エリカは扉の方へ走った。
 と、その時。強い揺れと衝撃、そして轟音が、部屋全体を襲う。
「きゃあっ!」
 思わぬことに叫びつつ、それでもエリカはサリナを庇うように、金属扉の影に身を伏せた。
 全てが静まるまで、長い時間が掛かる。静寂が完全に戻ってから、エリカは恐る恐る、金属扉の影から顔を出し、辺りを窺った。
「……あ」
 もうもうと上がる土煙を、見透かすように見つめる。先程の轟音はこれであろう、地下室の、天窓があった壁が一部崩れ、外への階段になっているのが、見える。ここから脱出すれば、屋敷を彷徨うよりも捕まる可能性は低くなる。口の端を上げると、エリカはまだ震えているサリナの腕を強く引いた。

 サリナとともに、崩れた壁をよじ登る。
 久し振りの外は、夜だというのに明るかった。
「どうしたのかしら?」
 ぐるりと見回す前に、焦げた匂いで原因を知る。街の方が赤くなっている。火事だ。しかも大規模の。エリカと同じ方向を見つめ、おののくサリナの冷たい腕を、そっと掴み直す。赤くなった空の間に、煙とは違う暗い影も見える。あれは、もしかして。平原でリトが退治した影の色を、エリカはまざまざと思い出した。と、すると。一瞬で、心を決める。火事にしろ、魔物にしろ、とにかく今は、……逃げなければ。
 突っ立ったままのサリナの腕を引き、炎が見えるのとは逆の方向へ走る。確か、ラウルの屋敷には、薔薇園の方にも門があったはず。リトとともに迷い込んだ、その思い出を振り切ると、エリカは薔薇の匂いがする方へサリナを引っ張った。裸足の足に、地面が冷たく当たる。しかし痛さに顔をしかめている時間は無い。とにかく、逃げなければ。
 と。
 不意に横から現れた、闇より暗い影に、サリナを突き飛ばしてから地面に転がる。飛びかかってきたどす黒い影を、エリカは落ちていた鋤で突くように叩き、影が怯む隙に再びサリナの腕を掴んだ。
 そのまま、秋になっても咲き誇る薔薇園へ、二人で突っ込む。幸い、魔物らしき黒い影は薔薇園の前で止まり、炎の方へくるりと向きを変えた。
〈もしかして、あの魔物は薔薇が苦手なのかしら?〉
 その魔物の行動に、ふと、そんなことを考える。もしも、そうであるならば、しばらくの間ここに隠れているのも一つの手だ。しかし魔物からは逃れることができるとしても、炎がここまで延びてくれば、薔薇はすぐに燃えてしまう。やはり逃げた方が良い。エリカは再び、震えるサリナの腕を掴んだ。
 その時。
「誰かいるのか?」
 聞こえるはずのない声に、全身が震える。
「リトっ!」
 叫ぶなり、エリカは目の前の影に抱きついた。
「無事だったのっ?」
「ああ」
 おそらく火事を避けてここまで来たのだろう、煤に汚れて、それでもまだ美人に見える顔に、ほっと息を吐く。
「怪我は、無さそうだな」
 やはり、ラウルの屋敷にいたのか。リトの言葉に驚きを覚え、エリカはリトを見つめた。
「どうして、それを?」
「説明は後」
 とにかく、帝都から脱出しないと。リトの言葉にもう一度頷いてから、エリカは手近の薔薇を思い切りよくむしり取り、自分とサリナ、そしてリトの服のポケットに突っ込んだ。
「持って行こう。魔物が、嫌ってた」
「分かった」
 街が燃える、その煙が、この辺りまで濃く漂ってきている。薔薇園の向こうに見えた裏口に、エリカはリトに続いて飛び込んだ。

 走り通しで、帝都西端の河原まで辿り着く。
 河に掛かった橋は、避難民でごった返していた。
「北にも、橋があったはず」
 必死に橋を渡ろうとする人の多さに唇を噛むエリカの耳に、あくまで冷静なリトの声が響く。
「急ごう」
 エリカの手を掴んだリトの、久し振りの温かさに、エリカはこくんと頷いた。
 その時。帝都の中心部から、いきなり、津波のようなどす黒い影が橋の方へ伸びる。エリカが見つめる一瞬で、影は橋を渡ろうとしていた人々の半数を、その影の中に飲み込んだ。
「うわっ!」
「逃げろっ!」
 算を乱した人々が、エリカ達の方へ突進してくる。しかしリトの素早さは、全ての人を超越していた。
「エリカ!」
 エリカの腰に腕を回すやいなや、リトは強く地面を蹴り、人が少ない河原の端へ飛ぶ。バランス良く、河に落ちないようにエリカとサリナを支えるリトに、頷くことしかできない。そして。リトのその行動で不意に目の前に現れた巨大な影に、エリカの全身は一瞬、硬直した。その影の一部が、エリカとサリナの間をすり抜ける。その風圧で破けた、サリナの服からこぼれ落ちた薔薇の花びらに影が怯むのを、エリカは安堵とともに見た。やはり、推測は正しかった。魔物を避け、河を渡ることができれば、帝都から脱出できる。
 だが。
「二人は、ここにいて!」
 河原の端にエリカとサリナをしゃがませたリトが、落ちていた大剣を拾う。裂帛の気合いとともに影の方へその刃を向けたリトを、エリカは止めることができなかった。魔物を制し、人々を守ることが、リトを長とする『黒剣隊』の役目。だから今、エリカにできることは。
「サリナ、ここにいて」
 服を裂かれたときに皮膚をも傷付いたのであろう、僅かな血に濡れたサリナを河原の草影にしゃがませてから、ポケットの中の薔薇の花を半分、サリナに渡す。そしてエリカは、丁度落ちていた槍に残りの半分の薔薇の花を、着ていた絹服の裾を破いて縛り付けると、勢いを付けて、リトが対峙している大きな影の、リトから十分離れた場所へその槍を投げつけた。
 エリカが投げた槍を食らった影が、大きく震えるのが見える。次にエリカが目にしたのは、よじれた影を横に真っ二つにした、リトの姿。
「リト!」
 混乱する人混みを掻き分け、倒れかけたリトへと駆け寄る。幸い、リトに怪我は見当たらない。良かった。リトの華奢な身体を支えながら、エリカはほっと息を吐いた。
 だが。
「この、影。……まさか」
 地面に尻餅をついたリトが指し示す方向を見、息が止まる。いつの間にか、影は収縮し、恰幅の良い人間の姿になっていた。その影が指に填めていた指輪が、途切れた雲から覗く月明かりに光る。その指輪の紋章は、輝く太陽。……帝のみが身に着けることができる、紋章。
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