君が手に、我が手を重ねて

風城国子智

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囚われの後 1

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 はっと、目覚める。
 見たことが無い暗い天井が、霞んだエリカの視界に映った。
「リトっ!」
 叫んで起き上がり、辺りを見回す。どうやら、エリカは地下室のようなところに閉じ籠められているらしい。天井に近いところに開けられた細い窓から降り注ぐ月光に揺れる草の影と、地下特有の湿った壁、そして天窓の向かいにある、ぴったりと閉じられた金属製の扉から、そう判断する。そして、この閉じられた空間にいるのは、エリカのみ。
「リト……」
 とりあえず、今のところ、エリカは無事だ。しかし、リトは? エリカのすぐ傍で、身動き一つせず横たわっていたリトの姿が、エリカの脳裏を不吉に過ぎった。いや、リトが、……死んでしまうなんて。そんなことは、あり得ない。横たえられていた簡素なベッドの上で、エリカは激しく首を横に振った。だが、しかし。エリカと、倒れているリトを笑って見下ろしていたラウルに突きつけられた、パキトの血に染まった刃の色を、思い出す。あの場所で、リトがラウルに殺されていないとしても、リトは反逆者の汚名を着せられている。帝国では、反逆を企てた者は、それが未遂であろうと既遂であろうと、帝都にある闘技場で死ぬまで、猛獣や剣闘士と闘わされる運命。おそらくリトも、生きて捕らえられたとしても、……もう二度と、逢えない。頬を伝い落ちる涙に、エリカはもう一度強く、首を横に振った。
「そんな弱気でどうする、エリカ!」
 複数の魔物を剣一つで倒す技を持っているのだ。闘技場に放り込まれても、あのリトならきっと、生き延びる。だから、エリカは。……なるべく早くここから脱出して、リトを助ける。そう。そうすることが、最善。確かめるように、エリカは強く、頷いた。
 と。その時。ぴったりと閉じられていた金属製の扉が、重い音を立てて開く。その向こうにいたのは、小さな盆を持った、まだ幼い感じがする、やせた少女。その少女が持つ盆の上に乗った皿から漂う美味しそうな匂いに、エリカのお腹ははしたなくぐうと鳴った。
 とにかく、腹が減っては何とやら、だ。食事があるのなら、ありがたく頂こう。やせた少女がベッド側の腰棚に置いてくれた盆に、エリカはこくんと頷いた。
 次の瞬間。エリカの目の前で、少女の足がふらつく。
「あ、危ないっ!」
 一息でベッドから立つと、エリカは倒れそうになった少女を支えた。
「大丈夫?」
 腕から伝わる、少女の肉の無さに、はっと胸を突かれる。
〈この子、食べさせてもらってないんだわ〉
 扉向こうに見える、おそらく見張りらしい男がこちらを向いていないことを目だけで確かめると、エリカは盆の上の小さなパンを一つ、少女の手の中に滑り込ませた。
「……?」
「いいから、ここで食べちゃいなさい」
 不釣り合いなほど大きな目でエリカを見つめた少女に、にっこりと笑う。少女が口に入れたパンを咀嚼するまで、エリカは見張りから少女を庇うように、少女の身体を支えていた。

 その、次の日。
〈うーん、この案だと、やっぱり見張りを殴らないとダメだなぁ……〉
 どうすればここから脱出できるかをあれこれ考えていたエリカの耳に、金属扉が開く重い音が響く。振り向くと、昨夜食事を持って来てくれた少女が、湯気の立つ手桶を抱えているのが、見えた。
「これ、は?」
 正直、驚く。
「……」
 昨晩と同様に無言で、少女は手桶と盥、そして着替えを地下室へと運び込む。おそらく、エリカをここに閉じ籠めた者の命令で、少女は動いているらしい。渡された着替えの、これまでに触ったことのない柔らかさに、エリカは思わず息を吐いた。
〈これ、絶対絹地だよね。しかも東方の、高級品〉
 とにかく、湯浴みができるのなら、久し振りにさっぱりするのも良いかもしれない。汚れた姿のままでは、脱出時に怪しまれるおそれもある。見張りに湯浴みを覗かれないよう、金属扉がきちんと閉まっていることを確認してから、エリカはおもむろに汚れの溜まった服を脱いだ。
〈……あ〉
 脱いだ服のポケットに入れっぱなしだった、砦の地下室で見つけた例の手紙に気付く。エリカの父からリトの母に贈られたらしい、秘密の恋文。この手紙のことも、きちんと確かめなくては。心の痛みを覚えながら、エリカは着替えのポケットにその手紙を隠した。
 用意された盥に、その身を沈める。少女が水で調整してくれたお湯は、丁度良い温かさ。久し振りの心地良さに、エリカはうっとりと微笑んだ。
 と。
 背中を擦ってくれた少女が、エリカの正面に来る。その少女の、湯気で身体に貼り付いた服に小さく光る膨らみを見つけ、エリカは好奇心から尋ねた。
「それは、何?」
「……」
 エリカの問いに、少女の頬が赤くなる。だが、少女が胸元から取り出してエリカに見せてくれたペンダントに刻まれた文字に、エリカの背は一瞬で緊張した。
『パキトとサリナ 永遠に結ばれる』
〈パキト……!〉
 裏切り者。その言葉を、どうにか飲み込む。リトを、『黒剣隊』を裏切り、ラウルに殺された青年の歪んだ顔が、エリカの脳裏を過ぎった。同時に思い出したのは、パキトの最期の言葉。もしかして、この子が、パキトが助けようとしていた、少女? おそらく絶対、そうに違いない。と、すると。ここは、まさか。少女のペンダントから、もう一つの推測を導き出す。この地下室は、ラウルの、オルディナバ公の屋敷内、なのか? ならば。ラウルに何度か招待されているから、屋敷の内部は大体頭に入っている。見張りさえ何とかすれば、脱出できるかもしれない。心の中で、エリカはこくんと頷いた。だが。
〈この子は、……どうしよう?〉
 エリカの着替えを手伝ってくれている、無言の少女を、じっと見つめる。確かに、パキトの行為は許せない。しかし、この少女に、……罪は無い。一緒に逃げることができるならば、連れて行きたい。それが、エリカの正直な想い、だった。
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