君が手に、我が手を重ねて

風城国子智

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砦の秘密 3

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 次の日。
 砦の周壁に設えられた、盾壁や狭間胸壁で守られた頑丈な歩廊に上がったエリカが見たものは、砦を囲む色とりどりの旗とマント。
「……すっげぇ」
 盾壁の矢狭間に顔を突っ込んだチコの声が、砦の皆の思考を代弁する。
「色、全部揃ってる」
 確かに、帝の近衛騎士である紫金騎士団の紫色と、この平原を含む帝国西方を守る黒銀騎士団の黒色のみならず、帝国南方、海原に浮かぶ島嶼部を守護する赤銅騎士団の赤色も、帝国北方、雪の多い山岳地帯を守護する白鉄騎士団の白色も、帝国東方、豊かな草原と穀倉地帯を守護する蒼鉛騎士団の青色も、矢狭間の細い隙間からでもはっきりと見える。帝国北方と東方は、最近、帝国外からの多大な侵入や圧力に曝されていると聞いているが、そのような時に、このような多勢を、この小さな砦を下す為だけに集めるとは。帝国は本気で、この砦を、『黒剣隊』を潰そうとしている。背中の震えを感じ、エリカは思わず、すぐ横にいたリトの腕を掴んだ。
「どうします?」
 そのエリカの耳に、パキトの、普段通りの声が響く。
「やっぱり逃げますか?」
「逃げても、……おそらく皆殺しにされるだけだろう」
 エリカの懸念と同じ言葉を、リトは小さく呟いた。
「じゃあ、戦うんですか?」
 急いたチコの言葉に、リトが笑う。
「その前に、……我々が命を狙われる理由を、糺しておきたい」
 そのリトの視線を追うと、騎士達の固まりから離れ、砦の正門の前に立つ馬に乗った二つの影が見えた。一つは、紫のマント。そしてもう一つは、黒のマントを羽織っている。
「平原側には、騎士はいないな」
 リト達の方へ走り来た隊員の一人、ウーゴに、リトが尋ねる。
「いないでしょうね。誰だって、魔物に殺されたくないでしょうし」
 ウーゴが頷くより先に、パキトの軽い声が響いた。確かに、騎士達は、砦の、丘に面した側半分しか取り囲んでいない。平原に面した側は、遠目でも、普段通りの荒野が、見えるのみ。魔物の出現は、殆どが平原側。丘と砦との間に魔物が現れることは、ほぼ無い。
「では」
 パキトに頷いたリトが、鋭い声で指示を出す。
「パキトの隊は、ウーゴの隊と入れ替わりに魔物を見張れ。ウーゴの隊は夕方まで休め。チコの隊は、ここで騎士達を見張れ。ただし動く時を見極めろ」
「じゃ、じゃあ……」
 全身を震わせるキカの肩を、チコが叩く。
「攻撃されたら……!」
「そのときは遠慮無く矢を射掛けろ」
「では」
 頷いて去るパキトの背を確かめたリトが、エリカに向かって左手を差し出す。
「これからあの騎士達に逢うけど、エリカも、来る?」
 切迫した状況にはそぐわない、リトの言葉と動作に、エリカはふっと肩の力を抜いた。
「もちろん」
 『黒剣隊』の庇護者であった母、シーリュス伯の娘として、隊員達を脅かすものの原因を知る必要がある。リトの手を取ることなく、エリカはリトの後ろから周壁の階段を降りた。
「鉄格子は降ろしておけ。扉を開けろ」
 扉の装置を操る隊員達に、リトがそう、指示する。すぐに、金属で補強した重い木製の正門扉は、錆びたような音を立てて開いた。
 下りたままの鉄格子の向こうにいたのは。
「ラウル!」
 言葉を、飲み込む。使者に立っていたのは、黒銀騎士団の団長シアノと、紫金騎士団の団長ラウル。
「へ、陛下の命に背いて、と、砦に戻るなど、ご、言語道断っ!」
 リトとエリカを認めたシアノが、つっかえながらも口上を紡ぐ。
「い、今からでも、とっ、投降すれば、は、反逆者としての、しょ、処刑だけは、ま、免れる、からっ!」
 その、どことなく頼りなげな声を、エリカはリトの後ろで、ラウルとシアノを見つめながら聞いていた。
 リトの上司であるシアノが、使者に立つのは分かる。だが何故、ラウルも? おそらく、シアノと仲が良いからだろう。エリカはそう、考えた。あるいは、帝の代理たる皇太子殿下の命に背いたリトに皇太子殿下が直々に制裁を下すことを示す為に、近衛騎士の長であるラウルが使者に立っているのかもしれない。
「シアノ殿、ラウル殿」
 震えが止まらないエリカの前で、リトが、馬上の二人に向かって一礼する。そして。
「皇太子殿下の、帝の命に背き、砦に戻ってしまったことに対する非は認めます。……しかしながら」
 二人を強く睨み、リトはおもむろに口を開いた。
「なぜ『黒剣隊』の隊員達が、我々の仲間が、理不尽にその命を狙われるのか、その理由が分からない限り、我々はここを明け渡すわけにはいきません」
 リトの言葉は滑らかで、そして誰にも口を挟めないほどに、強かった。
「我々の命を狙う理由、そして、ここにいるエリカの母、シーリュス伯を弑した犯人が判明し次第、我々はここを去りましょう」
 しばらく、無音の時が流れる。
「分かった」
 それだけ言うと、紫金騎士団の長ラウルは馬を返した。
「らっ、ラウル殿!」
 置いて行かれた形の黒銀騎士団長シアノが、情けない声を出してラウルの後を追う。正門を閉めるよう指示を出したリトを、エリカは呆然と見つめていた。
「これで、後は向こう次第だな」
 リトの言葉で、呪縛が解ける。
「何とか皆、無事に生き延びることができればいいけど」
 再び考えるような顔になったリトに、エリカはこくんと、頷いた。

 一日、砦を囲んだ騎士達は、何もしてこなかった。
「静かですね」
 夕方、様子を見る為に再び砦の周壁に登ったエリカに、青白い顔のままのキカがそう、声をかけてきた。
「このまま、僕達のこと、放って置いてくれたらいいのに」
「それは多分、無いな」
 聞こえてきたリトの、砦を巡って防御を確かめてきたのであろう、汗で髪が貼り付いた額を見つめ、エリカはキカと同時に頷いた。
「逃げる算段は、しておいた方がいい」
 そのエリカの耳に、リトの、砦警備の隊員達に向かう声が響く。
「普段通り、強大な魔物が砦を襲ってきた時と同じ方法だ。覚えているな」
「はい」
 エリカも、この砦に来て最初に、リトから、歩廊の周壁や中庭、そしてリトが執務に使っていたというエリカの居室にある地下への抜け道について教えられた。小さな砦を飲み込んでしまうような巨大な魔物が現れたときには、魔物の手が及ばない地下に潜って難を逃れることも。
「自分が助かることを、第一に考えろ。生き延びて、人々を守ることこそが、『黒剣隊』の責務。それを、……忘れないように」
 一時の逃走は、恥ではない。無力な人々を守れなくなることこそ、『黒剣隊』にとっての恥。リトの言葉を、エリカは温かく聞いていた。
 リトと兄妹でも、構わない。ふと、そう思う。ずっと、リトの側にいることさえ、できれば。そう思い、エリカはそっと、リトの小さな背を見つめた。

 そして、夜。
 眠れないエリカは、再び、砦の周壁に登った。
「エリカ?」
 魔物は夜、現れることが多いという。無人の平原を油断無く見つめていたリトが、エリカを認めて声を上げる。
「ちゃんと寝ておかないと、体力が保たない。騎士達に動きがあったら、素早く逃げなければならないんだから」
 心配顔のリトに、エリカは小さく首を横に振った。そしてそのまま、リトの横に立ち、狭間胸壁の向こうに見える平原を見つめる。動くものの無い、どこまでも平らな土地は、ただ冷たく、エリカの前に佇んでいた。
「今日は魔物、来ませんね」
 そのエリカの耳に、チコの声が響く。振り向くと、チコとキカが、投げる為の細い槍をしっかりと掴んで立っているのが、見えた。パキトの姿は見えない。おそらく騎士達が陣取っている丘側の盾壁を守っているのだろう。
「油断は禁物」
 楽観的な声のチコを、リトが制する。
「不意に現れるのが……」
 その時。重苦しい気配が、エリカを覆う。
「あっ!」
 振り向くより先に、何時の間に現れたのであろう、砦の周壁の倍以上ありそうな高い闇の壁が、エリカの視界に映った。
「エリカっ!」
 突然のことに呆然としてしまったエリカの手が、強く引っ張られる。
「キカっ! エリカを頼むっ!」
 たちまちにして、エリカの身体は、リト経由でキカの前にあった。その横では、チコとリトが、備え付けの投槍を次々とどす黒い壁に投げつけているのが見える。
「行きましょう、エリカさん!」
 中庭に下りる梯子に足をかけたキカに続き、エリカも梯子に手を掛けた。次の瞬間。
「え……?」
 エリカの身体が、冷たいものに包まれる。あっという間に、エリカの視界は真っ暗に覆われた。
「エリカっ!」
 だがすぐに、小さな手がエリカを掴んでくれる。リト、だ。冷たく柔らかい、魔物の暗闇に絡め捕られるのを感じながら、エリカはリトの手の、温かい方へと腕を伸ばした。
「エリカっ!」
 エリカを抱き締めたリトの、もう片方の手に握られた剣が、エリカを絡め取っていた影を叩き斬る。影の壁に剣を突き立て、落下速度を弱めることによって、リトとエリカは無事に、砦の外の地面に着地した。
「砦の壁に背を当てて、そこにいて!」
 エリカから腕を放したリトが、迫り来る魔物のどす黒い壁に鋭い剣を突き立てる。リトを、手伝わなければ。地面に落ちていた投槍を掴むと、エリカは魔物の、リトから離れた部分にその槍を落ちている分だけ次々と、投げた。
「エリカさん!」
 まだ避難していないのであろうチコの声とともに、弓と矢筒が足下に落ちてくる。
「私は大丈夫! チコは避難して!」
 頭上にそう叫ぶなり、エリカは狙うことなく次々と、魔物に向かって矢を放った。

 夜明けの光が、平原を照らす。
 光とともに、強大な魔物は、跡形も無くその姿を消した。
「良かったぁ……」
 胸を撫で下ろし、まだ呆然とエリカの前に背を向けて立つリトの方へと飛ぶように走る。次の瞬間、近づいたエリカを、リトは横へ突き飛ばした。
「え……?」
 倒れたエリカが、次に目にしたのは、エリカの足下に倒れたリトの、身動き一つしない姿。そのリトの背に刺さっていた複数の矢に、エリカの全身は震えた。……この矢は、どこから?
「……あっ!」
 砦を見上げ、声を上げる。いつの間にか、砦の周壁は、騎士団の色とりどりの旗で埋め尽くされていた。
「な、なんで……」
 リトが魔物にてこずっている間に、騎士団連合が砦を奪った。それだけは、分かる。しかし、どうやって? リトは魔物と戦っていたとはいえ、丘に面した側は、リトが信頼しているパキトの隊が守っていたはずだ。周壁自体も、意外に頑丈に作ってあった。なのに、何故? エリカの疑問は、悲しく解けた。砦の、平原側の門が、重々しく開く。そこから出てきたのは、ラウルと、……パキト。
「これで、良いか?」
 パキトが静かにラウルを見上げる。そのパキトを、エリカは強く睨んだ。
「これで、約束通り、サリナは解放してくれるんだろうな」
 震える声のパキトに、ラウルは小さく頷いたように、見えた。次の瞬間。
「えっ!」
 ラウルの剣が、無造作に動く。次にエリカが目にしたのは、肩から胸を深く切り裂かれ、地面に尻餅をついたパキトの、無惨な血の赤。
「ふん」
 呆然とラウルを見上げ、そして仰向けに倒れたパキトに、ラウルが鼻を鳴らす。そして。パキトの血に濡れた剣を、ラウルはエリカと、身動き一つしないリトの方へと向けた。
 震えよりも先に、視界が真っ黒に染まる。
 冷たい荒野が、エリカの身体を抱き留めた。
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