君が手に、我が手を重ねて

風城国子智

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砦の秘密 2

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 砦の防御強化を行う為、にわかに忙しなくなった砦とリトを見やってから、そっと地下へ続く階段を下りる。
 砦に来てからというもの、リトは本当に、生き生きとしている。やはりリトはこの砦と『黒剣隊』の隊長である方が性に合っているのだろう。武術訓練中や、砦の周壁を昼夜となく見回る時の厳しい顔の中にも、帝都では見なかった頬の赤さがある。ほっとする想いと、少しの寂しさを感じながら、エリカは地下室の一室、春にリトが砦を撤退する際、持ち出せなかった雑多な書類や書物を適当に突っ込んだという部屋に入った。書類や書物が無造作に積まれたこの部屋に入り、整理を兼ねて、学者であった父が書いたものを探すことが、砦に暮らすエリカの日課になっている。
 エリカの他に、リトも、時折この部屋に入っているらしい。リトの母、前の隊長が残した手紙類の整理が進んでいることを見て取ると、エリカは壁際の、天窓からの光が僅かに降り注ぐ机に座り、時々掃除をしているのに何故かすぐに埃っぽくなってしまう本立てから、羊皮紙を糸で綴じ合わせただけの本を取り出した。砦に辿り着いて二、三日後、母に対する悲しみを紛らわせる為にこの部屋の整理を始めたエリカが最初に見つけた、父が書いた書物。帝国の様々な場所にある伝説や伝承から魔物を分類したという、本。
「その本は、前に母から見せてもらったことがある」
 この本をリトに見せたとき、リトは確かにそう、言った。
「魔物のことが詳しく書いてあるから、魔物を退治する方法を練る時にかなり役に立った」
 もしも砦から逃げるのであれば、この本は絶対に持って行こう。そう思いながら、エリカはめくりにくい本の頁に手を置いた。何回か読んでいるから、父の筆跡も、書いてある内容も、ほぼ頭の中に入っている。
 帝国やその周辺の伝説を総合すると、魔物はほぼ三種類に分けることができる。天空や地下深くに棲む、『神』に近い力を持つという『天魔』、普通の動植物と同じように地に暮らすが、普通の動植物よりも力を持った『地魔』、そして、何らかの理由により魔の力を持つ人間『人魔』。平原を跋扈する魔物は、ほぼ地魔、しかも他の地では類を見ない、人を襲う好戦的な種が多い。あくまで淡々と書かれた文章に、エリカの口から出てきたのは、溜息だった。
 リトが魔物を退治する光景を、この砦に隠れ住むようになってから何度も目にした。狼や鴉の姿をしたもの、巨大な分厚いマントのようにエリカ達の上に覆い被さろうとしてきたもの、それらの、闇より暗い色をしたもの達を、リトは、『黒剣隊』達の弓矢や投槍による後方支援の手を借りながら、剣一つで制していた。弓矢や投槍だけでは、魔物を退治することができない。それが、エリカが砦で知ったこと。弓矢や投槍で弱らせることができたとしても、最終的に剣でその影を一閃しない限り、魔物はその力を取り戻す。だからリトは、最前線で剣を振るう。そして。平原を跋扈する魔物が常に発している瘴気が、特に最前線で戦う者達の命を縮めていることも、エリカはこの砦に来て初めて、知った。魔物を退治した後、倒れて熱を出すリトを、エリカは何度も看病している。リトと同じように最前線で魔物と対峙していた前の隊長、リトの母は、リトがまだ幼い頃に病気で亡くなっている。
〈リトには、……死んでほしくない〉
 それが、エリカの本音。しかし自分にリトを止める力が無いことを、エリカは既に理解していた。
「自分の身は、自分で守って」
 そう言って、リトがエリカに自分の短剣を渡した、その理由も。容赦の無い魔物達の襲撃を最前線で留めるリトには、エリカまで庇う余裕はない。それが、エリカには悲しかった。だが。
「しょげない、エリカ!」
 自分で、自分を鼓舞する。自分の身は、自分で守れば良い。
 もしかしたら、エリカの父が、平原に跋扈する魔物を制する、命を縮めなくても良い方法をどこかにメモしているかもしれない。それを、捜し当てれば。意を決するように頷いてから、エリカは本立ての横の積まれた羊皮紙に手を伸ばした。
「うーん。……あ」
 めくっていた羊皮紙の間に、父の筆跡を見つける。引っ張り出したその紙には、帝国創立以前から西の地に伝わっているという、とある天魔に関する伝説が書かれていた。地魔を従える能力を持つが、怒りっぽく、人の血を媒介に人に取り憑く、魔物。その弱点が薔薇の香気らしいという行に、エリカは思わず微笑んだ。
 と。
「……あの」
 甲高い声に、はっと振り向く。
「こ、こんにちは、エリカさん」
 地下室の入り口に、細い影が立っているのが見えた。リトが介抱していた、キカという名の少年だ。
〈どうしたのかしら?〉
 『黒剣隊』の隊員達は、帝国騎士団の襲撃に備えて準備で忙しいはずなのに。心の中で首を傾げる。
「た、隊長に、言われました。え、エリカさんを手伝ってここの書類を整理してほしいと」
 平原で生まれ育ち、しかし平原から撤退する際に親族全てを病と魔物の襲撃によって失ってしまったキカは、『黒剣隊』の前の隊長であるリトの母に拾われた。そして、身体が弱過ぎて戦うことができないキカに、リトの母は読み書きと計算を教えた。
「平原から撤退する際も、隊長が持たせてくれた推薦状のおかげで、上級学校に通えることになったんです。……けど」
 帝都東の、閑静な学園都市の名を挙げたキカが、唇を震わせる。おそらくその街で、命を狙われ、自分の身を守り、学友達や学問の師匠達に迷惑をかけないように、キカはこの砦に逃げてきたのだろう。エリカが頷くと、キカはにっこりと笑い、リトの母が書いた書状の山の方へ手を伸ばした。
「前の隊長の字だ。懐かしいです」
 小さく呟かれたキカの言葉に、羊皮紙をめくる作業に戻ったエリカも思わず微笑む。
「うわっ、皇帝陛下が砦を訪れた時の書類もある。結構長く滞在していたみたい」
 と。
「……何、これ?」
 不意に変わったキカの口調に、エリカは再び顔を上げ、キカの方を見た。
「これは、……読めない」
 そのエリカに、キカが、小さな羊皮紙を見せる。
「何て書いてあるんでしょうか?」
 その羊皮紙をエリカに手渡すと、キカは元の作業に戻った。
 キカに渡された羊皮紙を眺め、小さく微笑む。この文字は、知っている。……母に教えてもらった、秘密の文章を書くときの、鏡文字。冷たい床に倒れていた母の、血の気の無い顔を思い出し、エリカは首を強く横に振った。そして再び、手の中の羊皮紙を見つめる。
〈……えっ?〉
 解読した、その羊皮紙の内容に、エリカの全身は硬直した。
 エリカの手の中にあるのは、熱烈で直截なラブレター。まだキスすらしていないエリカには衝撃過ぎる内容のもの。しかしそれだけで、身体が硬直したわけではない。もう一度、エリカは確かめるように、手紙の宛先と、差出人を見つめた。間違いない。これは、……エリカの父から、リトの母に宛てた、もの! と、すると。文面の露骨さから、ある考えに思い至る。まさかとは、思うけど。……リトとエリカが異母兄妹ということは、ないのだろうか?
「どうしました?」
 キカの声で、我に返る。
「な、何でも、ない」
 何とか取り繕い、エリカはキカに笑顔を見せた。
「なら、良いのですが」
 対してキカの表情は冴えない。
「どうしたの?」
 その顔色が気になり、尋ねる。まさか、鏡文字で書かれていない、エリカの父からリトの母への露骨な手紙があったのだろうか? エリカの危惧は、しかし幸いなことに、外れた。
「はい……」
 エリカの問いに、キカが俯き、部屋の隅を指差す。
「あの辺りから、なんか、呻り声が聞こえて、きてて」
「呻り声?」
 思わず、首を傾げる。エリカの耳には、そんな声は、聞こえない。
 エリカの父の本が置かれた机を離れ、キカが指差した場所へ行ってみる。身を屈め、陰に目を凝らすと、更に地下へと続くらしい、床に嵌め込まれた扉を引き開ける為の、輪になった金属製の取っ手が見えた。しかしキカの言う『呻り声』は、聞こえない。
「この下に、何かあるのかしら?」
 怯え続けるキカの方を振り向き、エリカは再び、首を傾げた。

 その日の、夕方。
 エリカはリトとともに、再び書物が積まれた地下に降り立った。
「キカが怯えてたのは、ここから呻り声が聞こえてたから、なのか?」
 やはり『呻り声』は聞こえていないのであろう、首を傾げたリトの質問に、小さく頷く。昼間ここで見つけ、ポケットにしまってしまった例の手紙が重く感じ、エリカは俯いてリトから目を逸らした。
 エリカとリトが異母兄妹かもしれないということを、母は知っていたのだろうか? おそらく、知らない。知っていたら、母はエリカとリトを婚約させない。ダリオは、知っているだろうか? もしまたダリオに逢えることがあれば、その時に、聞いてみるのが一番良いのだろう。もしダリオが事実を知っていれば、全てははっきりする。悩むのは、それからだ。そう考え、エリカは自分の思考を心の奥底に押し込んだ。
「この取っ手、……開けられるのか?」
 悩むエリカの前で、リトが、エリカが昼間見つけた輪の形をした取っ手に手を掛ける。床に隠されていた扉は、リトの力だけで意外に簡単に開いた。
「……階段?」
 リトの後ろから、開いた暗い空間を覗き込む。更に地下へと続く石造りの螺旋階段が、リトが手にした蝋燭の小さな明かりに揺れていた。
「下りてみよう」
 躊躇い無く、階段に足を置くリトの後ろを、そろそろと付いて行く。
 螺旋階段を下りた前にあったのは、何も無い、がらんとした、意外に広々とした空間。いや、一つだけ、何かがある。
「これ、は」
 部屋の中央まで歩いたリトが、首を傾げる。
「剣?」
 確かに、部屋の中央の床に、錆びた剣が殆ど柄まで突き刺さっているのが見えた。
「でも、何故、こんなところに刺さっている?」
 その剣の柄に、リトが腕を伸ばす。リトの小さな指の先で、錆びた金属がぼろぼろと床にこぼれ落ちた。
「特に何も、なさそうだな」
 エリカの方を向いたリトの言葉に、頷く。
「帰ろう」
 だが。
 エリカの方に差し出された、リトの手を、エリカは掴むことができなかった。
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