2 / 4
白紙を埋める前に
しおりを挟む
「榊」
ノック無しで聞こえてきた低い声に、顔を上げる。
「昼、行かないか?」
研究室に入ってきたのは、隣の研究室にいる同僚の槙野。ここへ来てから十一ヶ月の付き合いだから、気配だけで分かる。
「ああ」
計算式で黒くなっている紙束から目を逸らし、机の上に投げ置かれた腕時計を見る。十三時を少し過ぎた時間。まだ少し、どこの食堂も混んでいる頃合いだろうが、腹の虫が暴れ始めている。
「……?」
腕時計を掴みながら槙野の方を見、首を傾げる。大柄な槙野の後ろにいるはずの、槙野の隣の研究室を使っている遠藤の、細身の影が無い。
「遠藤は?」
腕時計を腕に嵌めながら、尋ねる。
「昨日飲み過ぎたんで、今日は休むらしい」
槙野の回答は、普段通りのあっさりとしたものだった。
「不採用通知が立て続けに来て、自棄になったんだろうな」
続く槙野の言葉に、心の中で肩を竦める。
自分と、槙野と遠藤。三人は、一年という約束でこの研究所に職を得ている。再任用の制度は無いから、一年で新しい職を見つけなければならない。一つの採用枠に百人以上が応募する常任の研究職に就くことができる確率は、限りなく小さい。今の任期付き研究職に採用されたこと自体、奇跡なのだ。
「そう」
胸を過った焦燥感を、素っ気ない言葉で封じ込める。
「どこで食べる?」
小さな財布を上着のポケットに突っ込み、念のために机の上を確認する。大丈夫。計算途中の紙の横には、まだ諦めていない公募に応募するための書類が乗っている。その二つの紙束の上に、重し代わりの本を置く。
「実は俺も食欲無いんだ」
次に耳に響いたのは、槙野の意外な台詞。
「昨日、遠藤に深夜まで付き合ってて、さ」
それならば、分かる。槙野の、ポジティブなエネルギーではち切れそうな大柄な身体に目を向ける。自分と違い、槙野は、この研究所のみならず研究所が入っている大学の中にもたくさんの友達がいるらしい。そのうちの何人かを紹介されたが、覚え切れていない。
「じゃあ、南側の蕎麦屋が良いんじゃないか」
「そうだな」
槙野の頷きに、息を吐く。
古い暖房設備が動いている小さな研究室内とは違い、槙野の背中を見ながら進む古ぼけた廊下は、建物内とは思えないほど寒かった。
ノック無しで聞こえてきた低い声に、顔を上げる。
「昼、行かないか?」
研究室に入ってきたのは、隣の研究室にいる同僚の槙野。ここへ来てから十一ヶ月の付き合いだから、気配だけで分かる。
「ああ」
計算式で黒くなっている紙束から目を逸らし、机の上に投げ置かれた腕時計を見る。十三時を少し過ぎた時間。まだ少し、どこの食堂も混んでいる頃合いだろうが、腹の虫が暴れ始めている。
「……?」
腕時計を掴みながら槙野の方を見、首を傾げる。大柄な槙野の後ろにいるはずの、槙野の隣の研究室を使っている遠藤の、細身の影が無い。
「遠藤は?」
腕時計を腕に嵌めながら、尋ねる。
「昨日飲み過ぎたんで、今日は休むらしい」
槙野の回答は、普段通りのあっさりとしたものだった。
「不採用通知が立て続けに来て、自棄になったんだろうな」
続く槙野の言葉に、心の中で肩を竦める。
自分と、槙野と遠藤。三人は、一年という約束でこの研究所に職を得ている。再任用の制度は無いから、一年で新しい職を見つけなければならない。一つの採用枠に百人以上が応募する常任の研究職に就くことができる確率は、限りなく小さい。今の任期付き研究職に採用されたこと自体、奇跡なのだ。
「そう」
胸を過った焦燥感を、素っ気ない言葉で封じ込める。
「どこで食べる?」
小さな財布を上着のポケットに突っ込み、念のために机の上を確認する。大丈夫。計算途中の紙の横には、まだ諦めていない公募に応募するための書類が乗っている。その二つの紙束の上に、重し代わりの本を置く。
「実は俺も食欲無いんだ」
次に耳に響いたのは、槙野の意外な台詞。
「昨日、遠藤に深夜まで付き合ってて、さ」
それならば、分かる。槙野の、ポジティブなエネルギーではち切れそうな大柄な身体に目を向ける。自分と違い、槙野は、この研究所のみならず研究所が入っている大学の中にもたくさんの友達がいるらしい。そのうちの何人かを紹介されたが、覚え切れていない。
「じゃあ、南側の蕎麦屋が良いんじゃないか」
「そうだな」
槙野の頷きに、息を吐く。
古い暖房設備が動いている小さな研究室内とは違い、槙野の背中を見ながら進む古ぼけた廊下は、建物内とは思えないほど寒かった。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
還暦の性 若い彼との恋愛模様
MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。
そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。
その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。
全7話
冷遇妃マリアベルの監視報告書
Mag_Mel
ファンタジー
シルフィード王国に敗戦国ソラリから献上されたのは、"太陽の姫"と讃えられた妹ではなく、悪女と噂される姉、マリアベル。
第一王子の四番目の妃として迎えられた彼女は、王宮の片隅に追いやられ、嘲笑と陰湿な仕打ちに晒され続けていた。
そんな折、「王家の影」は第三王子セドリックよりマリアベルの監視業務を命じられる。年若い影が記す報告書には、ただ静かに耐え続け、死を待つかのように振舞うひとりの女の姿があった。
王位継承争いと策謀が渦巻く王宮で、冷遇妃の運命は思わぬ方向へと狂い始める――。
(小説家になろう様にも投稿しています)
サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします
二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位!
※この物語はフィクションです
流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。
当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる