物語のかけらを集めて

駒野沙月

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愛玩植物

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 朝起きたらまず、彼のもとに向かう。ここ数週間ほどでできた、私の新しい日課だ。

「おはよう、ポチ」

 今日も、彼は棚の上でひとり佇んでいた。

 彼に目らしい目がないせいで分かりにくいが、おそらく窓の外を眺めているのだろう。そんな彼につられて、私も窓の外に広がる空を見上げる。
 確かに今日はいい天気だ。外に出たくてたまらなそうな彼の姿も、分からなくはない。

 そうこうしているうちに、彼もようやく私に気づいたらしい。なにやら不満そうにすぐさま腕のあたりをぺしぺし叩かれた。
 叩かれたと言ってもただの戯れのようなもので、別に痛くはないがくすぐったい。彼はいつも早起きだから、寝坊助な私に「遅い」とでも言っているのだろうか?

「ごめんごめん、今連れて行くから」

 早く早くと急かすようにパタパタ揺れている彼を、鉢ごと抱えてベランダに出る。日当たりと風通しの良い場所を好む彼にとって、我が家のベランダは一番のお気に入りスポットらしい。
 日なたに鉢を置けば、彼は気持ちよさそうに花と葉っぱを揺らす。無邪気なその姿に、無意識に口角が緩んでいくようだ。

 温かな風と眩しく心地よい日差し、そして気持ちよさそうな彼の姿。

 そんな光景に、覚めたはずの眠気が再び私の目蓋を閉じていくのを感じる。……いけない、今日も仕事に行かなければ。


 そう思いつつも、私はしばらくベランダから動けなかった。





 植物である彼がこうして自我を得たのは、ついこの間のことだ。


 彼──品種はアザレアというらしい──は、元々観賞用に購入した花で、その時は「普通」の園芸品種にすぎず、当然動くこともなかった。
 しかし、何があったかは全く分からないが、彼はいつしか自らの意思で動き出した。鉢から出ることこそ不可能だが、葉っぱや茎を動かすことはできるし、私をぺしぺし叩いたり急かすようにぱたぱた揺れたり等、ある程度の感情表現だって可能だ。

 初めて彼が動いた時は、流石の私も驚いた。
 しかし、数週間も経てばすっかり慣れたらしい。まったく、人間の慣れというものは恐ろしいものである。今や、彼は我が家のペットのような存在だ。一人寂しく暮らす私にとっては、唯一の家族とも言える。


 愛玩動物ならぬ、「愛玩植物」といったところだろうか。


 もっとも、人間よりもずっと素直に感情を表現する彼を見ていると、動物と植物の境目など分からなくなってくるのだけれど。
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