生前死後、変わらぬ想い。

たあこ

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君に出会って、追いかけて。

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「ん……」
 いつもと同じ目覚めだった。なんら変わりのない、俺の日常。
 変わったことといえば、学年くらいだ。今日から中学二年生になる俺は、いつも通り、少し遅めに家を出る。二年生というだけで少し背が伸びた感覚。
 昇降口のクラス表から、自分の名前、双葉ふたば綾瀬あやせの文字を探す。それは二年四組、そこにあった。
 今日から、先輩か……そわそわしながら教室へ入ると、みんなも同じように落ち着きがなかった。
 黒板にクラスの名簿が貼りだしてある。去年同じクラスだった人は少ない。コミュニケーション能力には自信がある方だから、きっと大丈夫だろう。近くの席の人に挨拶をして、友達のところに行く。
「また同じクラスだね!」
「おう、よろしくー」
 先生が入ってきて、バタバタと席に着く。すると、俺の隣の席の女子がすっと手を挙げた。
「先生、私視力が悪くてここからだと黒板が見えないんです。一番前の人と席を交換してほしいんですけど」
 眼鏡をかけても見えないとは相当らしい。先生も了解した。
 そうして彼女と交換し、俺の隣の席にやってきたのが、椎名しいな千歳ちとせちゃんだった。俺はこのとき、いわゆる一目惚れってやつをした。
「椎名さんだよね? 俺、双葉綾瀬。よろしく!」
「よ、よろしくお願いします……?」
 なぜか疑問形で言う彼女は、人見知りをするのか、あまり目を合わせてくれない。
 休み時間になり、俺は去年も同じクラスだった、幼馴染みの星夜の元へ向かった。
「星夜ー」
「あっ、綾瀬お前、可愛い子と隣だろ羨ましい!」
 雪成ゆきなり星夜せいや、腐れ縁の幼馴染みだ。勉強も運動もできて顔も良いのに、幼稚園のころから星夜のことを好きになった子を見たことがない。
「ふふー、めちゃくちゃ可愛いよ」
「くそ……まあ、好きになったらちゃんと俺に報告しろよ? 応援するから」
「はいはい」
 ちょっと腹立たしくて、自慢癖があって上から目線、余裕ぶった態度と何をやらせても完璧……、嫌味くさいし鬱陶しいけれど、俺は星夜が好きだった。

 四月二十日。入学してから二週間ほど経ち、友達ができ、男女問わずたくさんの人と連絡先も交換した。だがしかし。
「千歳ちゃんと一向に進展しないんですけど……!?」
 何をするわけでもなく星夜の家に遊びに来て、俺はそんなことをぼやいていた。星夜の部屋のベッドに寝転び足をバタバタさせる。数えきれないほど来たことがあるが、飽きないふかふかさだ。星夜の家は金持ちだから、知らないけれど恐らく高いベッドなのだろう。今更星夜に遠慮などしないが。
「自分から行動起こさねえと。ちゃんと話しかけてんの? いいこと教えてやるよ……待ってるだけじゃ、何も始まんないぜ」
「うざい……」
 そう言いつつ、星夜の言う通りだとは分かっていた。確かに、何もしていないから何も起こっていない、ただそれだけなのだ。しかし、その何かするのが難しい。
「まあ来年はクラス替えないし……。話せるくらいにはなっておけば、卒業までには連絡先くらい交換できるよね」
「え、最終目的それなの、お前草食系男子ってやつ?」
「うざい」
 星夜は好きな子もできたことないから分かんないでしょ、と言いかけたけれど、それは関係ない。客観的に見て、俺に勇気がないのは一目瞭然だ。

 五月。
「あの、双葉くん」
「なっ、何!?」
 授業中、突然話しかけられて挙動不審になる俺。しっかりしろ、頼りなさすぎる。
「消しゴム、落としましたよ」
「えっあ、あれ、本当だ。ありがとう!」
「どういたしまして?」
 想像の範疇を軽く跳び越えていく可愛さに、俺は目をそらす。この消しゴム、触ってもらっちゃったよ、レアだレア。家宝にしようかな……いややめろ、俺気持ち悪いぞ、ストーカーみたいだ。
 百面相をして幸せそうな俺だが、月末に悲劇が起きた。
「席替え!?」
 六時間目、担任が席替えを提案してきたのである。冗談じゃない、俺はこの楽園を維持するのだ。
「反対、反対です、俺は断固拒否します!」
 ガタッと席を立って抗議する俺に、クラスメイトが注目する。星夜がふざけて言った。
「どうしたのかなあ、綾瀬くんは席を離れたくない女の子でもいるのかなあ?」
「ば、ばかおま……あっ」
 しまった、この言い方ではいると認めたようなものではないか。自爆だ、お疲れ様でした。一部から冷やかしが飛んでくる。星夜に許さないという目線を送ると、当の本人は悪びれる様子もなく上手なウインクを送ってきた。千歳ちゃんはというと、相変わらず目立つ人だなあという顔をしている。どうやら鈍感なようだ。
 抵抗も虚しく、席替えは行われた。俺は千歳ちゃんの斜め後ろと、それなりの位置を獲得した。しかし問題はそこではない。俺の前、つまり千歳ちゃんの隣、すなわちオアシス、天国!
 そこに鎮座する男、雪成星夜は見事なまでのドヤ顔を決め込んでいた。
「よろしくね、椎名さん」
「あ、よろしくお願いします……?」
 俺に見せつけるように、ちょっとしたことで千歳ちゃんと会話をする星夜。俺は授業中、星夜の背中をシャーペンの先でつつくのが日課になった。
 それからも色々なことがあった。あれ以降の席替えは、まず班長を決めて、班長が班員と席を決めて、というやり方になったため、俺が班長になって千歳ちゃんと隣の席にした。千歳ちゃんの友達に先を越されることもあって、計四回の席替え中二回隣になった。最初の席とその次の席も足しても、六回中三回で二分の一の確率になる。そろそろ千歳ちゃんに怪しまれているかもしれない。でもその代わりに、彼女とそれなりに会話できるようになった。得たものは大きい。

 中学三年生になった。受験なんて言葉は聞きたくない。
 調子に乗った双葉綾瀬は、今日も元気に朝の挨拶。最初は何を言うにも疑問形で自信がなさそうだった千歳ちゃんも、最近は笑顔で挨拶してくれるようになった。本当に可愛くて仕方ない。
 さて、中学三年の五月には修学旅行というビッグイベントがある。俺は千歳ちゃんと同じ班になりたい。修学旅行の班は、先生と学級委員長と班長が話し合って決める。俺が班長になろうとしたら、学級委員長の星夜が任せておけと言ってきた。修学旅行の班長は普段の班長と違って、しっかり計画を練って班長会議に出たりするので、俺には正直向いていない。だから、星夜に任せることにした。そして、星夜は俺と千歳ちゃんを同じ班にしてくれた。持つべきものは友達である。
 修学旅行前日は楽しみすぎて眠れなかった。まるで遠足前の小学生だ。行きの新幹線でぐっすり寝てしまいそうだ、なんて思っていたら、隣が千歳ちゃんだった。絶対に寝ない。向かいは星夜と、千歳ちゃんの友達だ。
「千歳ちゃん隣だったんだ、良かった」
 本音が漏れる。
「私も良かったです」
 それはどういう意味だ、とドキリとする。
「話せない人だと緊張するので……」
 そういう意味か、そうだよな。でも、俺が隣で良かったと思ってもらえるというのは嬉しい。それだけでも十分だ。帰りもこの配置だと思うと、今から楽しみなくらいだ。
 東京。人だらけかと思っていたけれど、そうじゃない場所もあるらしい。班別研修でお台場を歩いていると、地図を見ていて車に気づかず進みそうになった千歳ちゃん。慌てて腕をぐいっと引く。
「危ない、大丈夫……ごめん、痛くなかった?」
「だ、大丈夫です……!」
 電気自動車だろうか、騒音がないのは良いけれど、静かすぎて気づけないというのはいかがなものか。
 二日目のネズミーランドでは、班を超えて自由に好きな人と回ってよかった。千歳ちゃんはクラスの女子三人と行くらしく、ここまでお邪魔するのは野暮だと思って我慢した。星夜と二人で回ることになったのだが、これは間違いだった。星夜は鬼だ。
「嫌だよ俺絶叫系なんか! 何が楽しくてあんなのに乗るために行列に並ぶのさ!」
「お前の都合なんか知らないよ、最悪吐いても内緒にしてあげるから」
 スペースマウンテンに二回、ビッグサンダーマウンテンに一回、スプラッシュマウンテンに一回。俺はプーさんのハニーハントやイッツアスモールワールドに行きたいのに、腕を掴んで離してくれなかった。
「星夜の鬼、悪魔! もう絶交だ、末代まで祟ってやる……あああ、嫌だ怖い無理あああああああ!!!!!!」
 何回乗っても怖いものは怖い。なんだこの速さは。死ぬんじゃなかろうか。
 どんなに喚いても動いている間は逃げ場がないので、星夜の手を潰す勢いで握ることで気を紛らわせた。多分、このときに握力を測定してもらえれば最高記録が出ると思う。しかし星夜の方はむしろそんな俺の手を握り返して、両手を高らかに挙げてイエーイと楽しげに叫ぶ。ただでさえ怖いのに手を挙げるなんて馬鹿だ、馬鹿としか思えない。俺は三回目辺りから泣いていて、しまいにはブツブツと許してくださいなんて呟く有様だ。とても千歳ちゃんには見せられない。
「ごめんなさい……もう許してください……ごめんなさい……」
 星夜はそんな俺を見てようやく反省したのか、夜ご飯を食べよう、とアリスのレストランに連れて行ってくれた。俺の家はシングルマザーで、母が必死に働いて用意してくれたお小遣いだと分かっていたから、あまり高いメニューは頼めない。このステーキがすごく食べたいけど、我慢しないと……、そう思っていたら、前の星夜が注文する。
「フランクステーキ二つ、ミネストローネ二つ、ストロベリームースとチョコケーキ一つずつ」
 よくそんなに食べる余裕とお金があるな、と驚いていると、次の俺に注文させる間もなく手を引いて前に進んだ。困惑する俺を差し置き、全額払う星夜。
 混んでいたので止めてはいけないと思い、料理を受け取って席に着いてから言う。
「ねえ、なんで」
「あれ、コーンスープの方が良かった?」
「そうじゃなくて」
 当然のように、ステーキとミネストローネとチョコケーキを俺の方に置いた星夜は、なんでという質問にきょとんとしている。
「友達でお金の貸し借りとかしたくないんだけど」
 星夜のことを対等な友達だと思っているからこそ、借りは作りたくない。俺の家の事情を気にしてのことならもってのほかだ、俺はきちんと料金を支払う。
「大丈夫でしょ、俺ら友達じゃないし。俺と綾瀬は親友だから」
 驚くほど当然のように言われる。なんて屁理屈だ。
「そ、そういうことじゃないよ、親友でもだめだって。払うから……」
「うーん……あ、いやこれ貸し借りじゃないぜ、奢りだよ。綾瀬は借りてないんだから返す必要なし。俺は貸してないんだから返してもらう必要なし。早く食えよ、冷めるぞ」
 そうだ、星夜はこういうところがある。いつだって自分がしたいようにするのだ。さっきのジェットコースターも、この奢りも、そこに気遣いや同情、俺の意向は一切なくて、星夜がしたいからそうする。ただそれだけなのだ。
「まだなんかあんの? 綾瀬、この期に及んで俺に気ぃ遣うとかやめろよなー」
 例えばこいつの鞄にこっそり代金を入れておいたとしても、きっとそれは何らかの方法で俺に戻ってくるだろう。星夜はそういうやつだから。
「……いただきます」
 だから俺も、割り切ってしまえ。
「人の金で食べる肉、サイコー」
「そこまで言えとは言ってねえだろー!?」
 星夜が笑う。俺も笑う。笑って、ありがとうと言った。星夜はどういたしましてなんて言わなかった。ステーキもミネストローネもケーキも、びっくりするほど美味しかった。
 このあとまた連れていかれたスペースマウンテンがなければ、満点だった。

 三日目も終わり、特に千歳ちゃんと進展しないまま帰りの時はきた。しかし、新幹線がまたあの席なので最高に幸せである。出発してすぐは思い出話で盛り上がったが、早々に疲れが出てきて、千歳ちゃんがうとうとしてきた。窓の外を眺めていると、肩に重さが。まさか、と思いつつ見ると、千歳ちゃんが俺に寄りかかってすやすやと寝息をたてていた。
 幸せすぎる空間でにやけそうなのを我慢する。千歳ちゃんの友達に見られたらあとで何を伝えられるか分かったもんじゃない。
 向かいに座る星夜は不機嫌そうにこちらを見ている。そんなに俺が羨ましいか、とドヤ顔を決め込んでみた。
 その後はいつの間にか俺も睡魔に負けて寝てしまった。途中で起きたら俺は星夜に寄りかかって寝ていて驚く。どういうことだと聞くと、俺が寝たあと、千歳ちゃんが起きて、男子に寄りかかって寝るのは恥ずかしいと言ったので星夜と代わったらしい。向かいには千歳ちゃんとその友達がお互いに寄りかかって寝ているという平和な光景が広がっていた。俺はまだ眠かったので、降りる駅に着くまで遠慮なく星夜に全体重を預けて眠らせてもらった。

 冬休みの三者面談。
 志望校を決定するわけだが、もちろん千歳ちゃんと同じ高校を目指す。俺には少し、いやだいぶレベルが高い。高校が物凄い進学校なわけではなく、俺の学力が平均以下なのだ。それでも目指すのは千歳ちゃんがいるから。ストーカーではなく追っかけだ。善良なストーカーだ。……この際いっそストーカーでいい。
 俺が勉強するにあたって、塾よりも頼もしい味方がいる。そう、星夜だ。星夜は学年一位の常連で、ときどき強制的にやらされる全国統一テストでも一桁を取るのを俺は知っている。それが俺と同じ高校に行くというから不思議なものだ。星夜なら県内トップの高校にも余裕で入ることができる。
「勉強教えて星夜」
「それが人に物を頼む態度か? ああ?」
「勉強を教えてください、星夜様」
「良かろう」
 それから俺の猛勉強の日々は続いた。学年二百三十人中、二百位以下から抜けたことのない俺がなんと、最後のテストで学年三十六位になった。
「愛の力はすごいねえ。おつかれ、綾瀬。俺嬉しいよ」
「俺も嬉しい……」
 見たことのない二桁の順位。成績表に現れた五。初めての経験に、嬉しさが込み上げる。
「このレベルなら愛しの椎名さんと同じ高校行けるんじゃない。良かったね、さすが俺の親友」
 褒められたのが気恥ずかしくて、素直にありがとうが出てこない。
「いつからお前の親友になったの?」
「えっ、親友だと思ってたの俺だけ!? 酷い!」
「うそ。……ありがと、星夜」
「笑うと結構可愛いじゃん」
「トゥンク……」
 馬鹿みたいな茶番を繰り広げて、下校する。あと何回こうやって笑えるのだろう。なんだかんだ言って、俺はこのうざい親友との帰り道が好きだった。

 受験を終え、合格発表の日はやってきた。俺と、星夜と、星夜と俺のお母さんで見に行く。俺は星夜と、合格者の書かれた紙が貼られるのを待つ。全部出し切ったはずだ。でも……。不安と緊張で泣きだしそうな俺を見かねてか、星夜が声をかけてきた。
「大丈夫。俺が教えたんだから、絶対に大丈夫」
 ……そうだ。星夜が教えたんだから、絶対に大丈夫。
 紙が貼られる。あちこちで歓喜や落胆の声が上がる。前にいた人が退いたので、俺は必死に番号を探す。ひゃくよんじゅうに……百四十二……。
「あ」
 百三十九、百四十一ときて、その次の番号は……
「ひゃく、よんじゅう、に……」
 努力で得た合格が、こんなに嬉しいものとは思わなかった。一瞬放心して、その後で、安心と嬉しさがぶわっと溢れてくる。涙も出てきた。
「せいやああああ受かったあああああああ」
「泣くなって」
 みっともなく泣きながら星夜に抱きつく。綾瀬はあんなに頑張ったんだから当たり前だろ、と笑いながら言って、俺の背中をぽんぽんと叩いた。
「星夜は?」
 星夜から離れて聞く。
「この俺が落ちるとでも?」
 いつも通りのドヤ顔で、星夜は言う。ああ、良かった。またあの時間を過ごせる。
 人垣の向こうに、満面の笑みの千歳ちゃんを見つけて、ふっと頬が緩んだ。
 涙が止まらなかったけれど、受かったと報告して号泣したお母さんを見たら、止まった。俺があんまり泣いているから、お母さんは最初落ちたと思ったらしい。

「そういや、卒業前に告白とかしねえの?」
 北風に身震いしながらの帰り道、星夜が聞いた。
「なんだろう……。うまく言えないんだけど、留めておくみたいで嫌なんだ」
 言葉が見つからないけれど、そんな感じだった。
「かっこつけるなよ。振られるのが怖いだけ、意気地なしだからだろ。素直になれよ」
「誰が意気地ないって!? 高校でちゃんと告白するし」
 星夜の煽りはいつものことなのに、俺はムキになってそう言ってしまう。
「言ったな。告白するんだよなあ、頑張れよー」
「他人事だと思って……」
 けれどようやく、確かに一度きちんと伝えるべきかもしれないと思った。

 そして俺たちは、高校生になる。
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