子持ち愛妻家の極悪上司にアタックしてもいいですか?天国の奥様には申し訳ないですが

霧内杳/眼鏡のさきっぽ

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第3章 極悪上司と運動会

3.情けは人のためにならない、……けど

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すぐにワインが運ばれてくる。

「じゃあ、お疲れ」

「お疲れ様です」

西山さんが注いでくれたワインで乾杯した。
私も注ぎ返そうとしたけれど、いいと断れたのはなんかモヤる。

「ん、ワインってけっこう、美味しいんだ。
これならいけるかも」

「よかったです」

ご機嫌で西山さんはグラスを傾けた。

ワインを一杯も空けないうちに、サラダが届く。
そつなくそれも、西山さんが取り分けてくれた。

「それにしても今週、ずっと京塚主任の機嫌悪くてまいったよね」

「あー……そう、ですね」

その原因も知ってしまえば、よき父親らしくて好感が持てた。
それにかなり苛々して彼の沸点は低くはなっていたものの、当たられた方はそれなりに原因があったわけだし。

「オレなんて三回も怒鳴られちゃったよ」

呆れ気味に西山さんは笑っているが、それはあなたが悪いのでは?
なんてことは言わないでおく。
現に私は、一度も怒鳴られなかった。

「でも原因が、杏里ちゃんの運動会のお弁当とかさー。
あの顔でパパだなんてオレ、いまだに信じられないもん」

なんだろう。
今日は妙に、彼の言うことが私の癇に障る。
きついことを言わないように、気を遣う。

「京塚主任は娘さん思いの、いいパパだと思いますよ?」

「それが信じられないんだって!
いくら娘のためだからって、わざわざ自分から降格を願い出る?
オレなら無理、無理]

ひらひらと顔の前で、西山さんが立てた手を振る。
あなたには無理でも、京塚主任はできるんです。
それだけ、娘さんを愛しているから。
つい、なにかを言い返してしまいそうで、グラスのワインを一気に呷った。
ふーっ、と息を吐き、気持ちを落ち着ける。

「私はそういうことができる、京塚主任を尊敬しています」

「ふーん、そうなんだ」

興味なさげにそれだけ言い、西山さんはサラダのレタスを口に入れた。
私ももそもそとお皿のサラダを食べ進める。

「お待たせいたしました」

しばらくの微妙な沈黙のあと、頼んでいたピザが運ばれてきた。

「美味しそうだね。
……そうだ、追加、頼むよね?」

「そうですね」

何事もないかのように西山さんがメニューを広げる。
私も笑顔を作ってそれを見た。

「パスタ?
あ、この肉盛りも美味しそうだね」

「思い切ってそれにしちゃいます?」

「じゃあ、それで」

短く頷き、店員が下がる。
ピザカッターを握り、彼はピザを切り分けた。

「ここ、マルゲリータが自慢なんだって」

「うわっ、楽しみです」

はしゃいでとろけるチーズがこぼれないように口に入れる。
我ながら、わざとらしいな、と思いながら。

その後は京塚主任の話は出ず、当たり障りのない芸能人の話なんかした。

「……でさ。
その俳優の初映画作品がいま、公開されてるんだけど……。
よかったら、一緒に行かない?」

自信なさげに、ちらっと彼の視線が向かう。

「えっと……」

彼の欲しい答えはわかっている。
けれど彼から純粋な気持ちを向けられれば向けられるほど、反対に私の気持ちは冷めていっていた。

「……ごめんなさい」

私の気持ちを聞いた途端、みるみる彼の顔が萎れていく。

「あ、うん。
そうだね、まだそこまで親しいわけじゃないもんね」

残念な気持ちを隠さないまま、それでも彼が笑ってみせる。
それに申し訳ない気持ちになったものの、それでも前言を撤回する気にはなれなかった。

「今日はその……すみません、でした」

会計を済ませ、店を出る。

「だから。
あやまらないでよ。
惨めになってくるからさ」

隣を歩きながら、彼は私の顔をちっとも見ない。

「その。
……映画はダメだったけど、また食事に誘ってもいいかな」

視線は逸らしたまま、独り言のように彼が続ける。

「えっと」

情けは彼のためにならない。
わかっているけれど、酷く傷ついている彼を切り捨てる度胸も私にはなかった。

「……食事だけ、なら」

「よかった」

ぼそり、と呟かれた彼の声は、安堵に満ちていた。
私は酷いことをしている。
これ以上、彼の恋が進むことはないのに。
自覚はあるけれど、彼をこれ以上傷つけないためにはどうしたらいいのか、私には経験も覚悟もない。
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