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第4章 私が叶えたい恋ってなんだろう……?

4.あなたに言われるのは、嬉しい

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待ち合わせの駅で私を見つけた滝島さんは笑顔で片手を上げたが、すぐに眼鏡の下の眉を寄せて私の前に立った。

「どうした?」

そっとその手が私の頬に触れる。
見返した、レンズの奥の瞳にははっきりと、心配だと書いてあった。

「な、なんでもないですよ。
さっき、元彼に会って。
それで」

「またデブだとか言われたのか?
何度も言うが伊深はデブなんかじゃない。
それに最近は痩せて前より綺麗になった」

滝島さんの親指が私の目尻を撫でる。
それで初めて、自分は泣いていたのだと気がついた。

「違いますよ。
少し痩せたみたいだから、この調子でもっと痩せて綺麗になったら考え直してやるって。
それで、嬉しく、って……」

違う、全然嬉しくなかった。
それよりも滝島さんへのバレンタインのプレゼントを奪われて悔しかった。

「なんだよその、上から目線。
ぜってー綺麗になって見返してやろうな!」

にかっ、と滝島さんが私に笑いかける。
その笑顔になぜか、胸の奥がツキッと一瞬、鋭く痛んだ。

「はい!」

嘘でもいいから彼へ笑い返す。
いまの痛みは気のせい。
きっと、そう。

駅を出て並んで歩く。
歩く速さはゆっくりめで私にあわせてくれるなんて、俺様のくせに紳士だなーっていつも思う。

「でも、突然食事に連れていってくれるって、どうしたんですか」

「どうしたんですかって今日、お前の誕生日だろーがー」

「……へっ?」

つい、足が止まった。

「さっさと歩け、馬鹿。
人の邪魔になるだろーがー」

「あっ、はい」

我に返って少し先の滝島さんを追いかける。

「なんで滝島さんが知ってるんですか」

そんなこと、話していないはず。
あれか、やっぱり失敗した日に話した!?

「〝うさっこたん〟のプロフに書いてあった。
しかもご丁寧にバレンタインが誕生日とか、プレゼントはチョコしかもらえないから最悪ー、とも呟いていた」

「……」

確かに個人アカウントの誕生日は公開にしてあるし、そんな呟きもした。
がしかし。

「なんで滝島さんが知ってるんですかー!?」

もしかして戸辺さんと一緒で神絵師だったりして、知らないうちに個人アカウントをフォローしていたりとか!?

「んー?
なんでだろうな」

ニヤニヤと愉しそうに滝島さんは笑っているけど。
本当になんで!?
個人アカウントではミツミだってフォローしていないのに!

「よかったな、今日は風船も飛んで。
お誕生日、おめでとう。
ちなみに、何歳になったんだ?」

「……二十四ですよ」

「ふーん」

ふーん、ってなに?
訊いておいてそれだけ?

「あ、ここ」

滝島さんが入っていったのは、高級フレンチレストランだった。
ここなら、少しいい服を着てこいも納得だ。

「あのー、いいんですか」

「誕生日プレゼントだから気にするな」

何事もないかのように滝島さんは受け取ったメニューを開いた。

「コースでいいか」

「はい、お任せします」

「わかった」

奢りってことは、あんまり高いのを頼んでもダメだし、気を遣って安すぎるのを頼むのもよくない。
なら、任せるのが一番。

すぐに目で合図してウェイターを呼び、滝島さんは注文をはじめた。
そういうのは凄くスマートで、手慣れているように感じた。

「伊深の誕生日に」

「ありがとうございます」

少しだけグラスを上げて乾杯する。

「本当なら彼氏に祝われた方が嬉しいんだろうけど、俺で悪いな」

「いえ、嬉しいです」

嬉しい?
英人に祝われて?
彼は別れた私からバレンタインのチョコを奪っていったくせに、私の誕生日なんてすっかり忘れていたのに?
それに付き合っていたときだって自分のバレンタインが優先で、私へのプレゼントなんて他の女からもらったチョコだった。

食事は和やかに進んでいく。

「そういえば昨日、課長にガツンと言ってやったんですよ」

「へぇ、なにを?」

「ミツミさんとSMOOTHさんのリプを、他社にものをねだる卑しい奴、みたいなことを言うんで、Twitterで他社に自社商品をモニター宣伝してもらうことの効果についてしっかり説明して差し上げました」

「すげーな」

おかしそうに肩を揺らし、声を殺してくつくつと滝島さんは笑っている。

「それで、どうだった?」

「わかったって認めてくれました。
しかも今日の申請、少しだけ緩くなってたんですよ!
滝島さんのおかげです」

感謝の気持ちで一杯で、彼へあたまを下げる。

「よせよ。
伊深が頑張ってるからだろ。
この調子でプレゼン、頑張ろうな」

眼鏡の下で眩しそうに目を細め、滝島さんが私を見る。
その顔にドキドキしたけれど、きっとこれは酔っているからで。
だってもう、ワインをグラスで二杯も飲んだし。
そろそろ、やめどきだな。

「しかし、今日の伊深は特に綺麗だな。
そのワンピース、よく似合っている」

「あ、ありがとうございます」

途端にぽっと、頬が熱くなる。
大石課長に見られるのはあんなに嫌だったのに、滝島さんは嫌じゃない。
なんでだろう。

「いま、何キロだっけ」

「五十二キロ、です」

「見えないよなー」

って、実体重より太って見えるってことですか!?

「もっと痩せて見える。
頑張ったな」

「えっ、あっ、……ありがとう、ございます」

滝島さんに褒められるのは嬉しい。
もっと頑張ろうって気になれる。
不思議、だけど。

今日は遅くなったから送ってやるって、タクシーが拾えそうなところまで少し歩く。

「あ、ちょっと待っててください!」

「おい!」

滝島さんの制止を振り切り、見えてきたコンビニに駆け込む。
こんなところの、しかもギリギリ間に合わせで済ませるのは嫌だけど、なにもしないのはもっと嫌。

「だから待ってて言っただろ」

すぐに滝島さんもコンビニに入ってきた。
レジで会計を済ませたばかりのチョコを差し出した。

「本当はちゃんと用意したんです。
でも、事情があって渡せなくなっちゃって。
わざわざ誕生日だからって食事にまで連れていってくれたのに、こんなのじゃあれですが」

「……嬉しい」

いきなりぎゅっと、滝島さんから抱き締められた。
ふわっと香る、微かな香水と彼の体臭の混ざった匂い。
なぜかそれに、あたまがくらっとした。

「伊深からチョコがもらえるだなんて思ってもいなかった。
嬉しい。
大事に食う」

私を身体から離し、目尻を下げてニコッと笑った滝島さんの、眼鏡の奥の影から笑い皺がのぞく。
さっきからドキドキと速い心臓の鼓動が落ち着かない。
けれどきっとこれは、ワインの酔いがまだ抜けていないからであって。

「そんな、たいしたもんなじゃないので」

「いや、たいしたもんだ」

今度こそ通りに出てタクシーを拾った。
滝島さんは窓の外を見たまま黙っている。
あんなに喜んでくれるなら、もっとちゃんとしたのを渡したかった。
せっかく買ったあれが英人に食べられてしまうのだと思うと腹立たしい。

「あの、寄っていきますか」

自分のマンションが迫り、一応、声をかけてみる。

「いや。
今日はこんな気持ちだと、本気で伊深を抱いてしまいそうだから」

「それって……」

――どういうことですか?

言い終わらないうちにタクシーが停まった。

「おやすみ、伊深。
週末使ってレポートまとめておけよ。
来週、プレゼンの練習するからな」

「ああ、はい。
おやすみなさい」

私を降ろし、タクシーは走りだす。

……滝島さん、なに考えているんだろう?
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