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第3章 嫌じゃ、ない
1.朝食
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朝、目が覚めたら蔭木課長は隣にいなかった。
「……」
寝室を出ると、キッチンから小さく鼻歌が聞こえてくる。
目を向けたそこには、蔭木課長が立っていた。
しかも私のものである、ピンクのフリフリエプロンで。
ちなみにこれは私の趣味ではなく、兄のプレゼントだ。
「起きたのか。
おはよう」
ちらっとだけ私を見て、冷蔵庫を開けて玉子を取り出す。
パカリと小気味いい音を立てそれをボールに割り、シャカシャカといいリズムで混ぜていく。
「もうすぐ朝食できるぞ。
顔洗ってきたらどうだ?」
ジャーッと今度は、それを手際よくフライパンへと流し入れた。
さもそれが当たり前かのように。
「……そう、ですね」
とりあえず考えることを放棄して洗面所へ向かった。
冷たい水で顔を洗えば、次第にあたまをはっきりしてくる。
……あれはいったい、なにをしているんだろう。
いや、朝食を作っているのはわかる。
でもなんで、それが当然とばかりに蔭木課長が作っているのかわからない。
「できたぞー」
「……あ、はい」
洗顔を済ませて洗面所を出たときには、蔭木課長がテーブルにできた料理を並べていた。
だし巻き玉子に、小松菜と油揚げの煮浸し、大根おろしののった厚揚げにえのきのお味噌汁。
それにあとはほかほかの炊きたてご飯。
「あの……」
「ああ、勝手に食材使わせてもらったぞ」
エプロンを外して彼が椅子に座るので、私も釣られるようにその前に座る。
「いただきます」
箸を握り、蔭木課長は朝食を食べはじめた。
「その、蔭木課長が作ったんですか」
「俺が作らないで誰が作るんだ?」
だって御曹司がこんな家庭的な料理を作るだなんて信じられるはずがない。
「食べないのか?」
私がいつまでもぼーっと見ているものだから、怪訝そうに彼が顔を上げた。
「あ、いえ。
……いただき、ます」
箸を取り、お味噌汁を一口。
「……美味しい」
「よかった」
ぱっと蔭木課長の顔に花が咲く。
だしの素しかないはずなのに、それはいい鰹の匂いがした。
「料理は趣味なんだ。
普段でも忙しくないときはよく作る」
「そうなんですね」
彼の作った料理は全て美味しかった。
おかげで朝は小食でトーストくらいしか食べない私だけど、今日はしっかりと食べた。
「一緒に暮らせるようになったら毎日作ってやる。
あ、いや、翠の料理も食いたいし、悩ましいな」
蔭木課長は真剣に悩んでいるが、そんな日が来るんだろうか。
「片付けは俺がしてやるから、さっさと準備しろ」
「えっ、作っていただいたうえに片付けまでなんて、そんな」
私が止める間もなく、さっさと蔭木課長は流しへ食器を下げていく。
「いいからさっさと準備しろ」
「あいたっ!」
それでもやめさせようとシャツを引いたら、振り返った彼にデコピンされた。
ヒリヒリと痛む額を手で押さえ、彼を見上げる。
「俺は翠を甘やかせたいの」
ゆっくりと顔が近づいてきて、自分が赤くした額に口付けが落とされる。
「ほら、いいから」
眼鏡の奥で笑った彼にとうとう追い払われ、仕方なく寝室へ行く。
着替えて化粧を済ませてリビングに戻ると、蔭木課長は携帯を見ていた。
「あの、そろそろ出ますけど……」
「ん、そうか」
携帯を胸ポケットにしまい、蔭木課長も立ち上がる。
一緒の電車で出社する気なんだろうか。
「じゃあ、いってくる」
身を屈め、彼が顔を近づけてくる。
どういう意味かわからなくて、ぽけっと見つめていた。
「いってらっしゃいのちゅーはしてくれないのか?」
僅かに首を傾け、どうしてかわからないという顔で見られた。
……なんだそのバカっぽいのは。
なんて口に出さなかった私を褒めてあげたい。
「ほら」
また、彼から顔を近づけられる。
きっとこれは私がするまで続けるのだろう。
はぁーっと心の中でため息をつき、顔を上げた。
あの、形のよい薄い唇に自分の唇を触れさせるだけ。
少しだけ背伸びをしたが、それだけじゃぐらぐら揺れて目標が逸れそうなので、その首に腕を回した。
目標を定めて目を閉じ、勢いよく顔を近づける。
――が、しかしながら、触れたのは唇じゃなく鼻だった。
「下手くそ」
目を開けた蔭木課長の手が、私の後ろあたまへと回る。
目を閉じる暇もなく、唇が重なった。
「キスするときは鼻をずらすの。
そんなのもわかんないのか。
まあ、この間まで処女だった翠には難しいか」
馬鹿にするように彼の右の口端がつり上がり、かっと頬が熱くなる。
勝手に手がネクタイを掴み、彼の顔を引き寄せた。
今度こそ狙いを定め、自分から唇を重ねる。
顔を少し傾けるのを忘れずに。
「……これでいいんですか」
蔭木課長を真似して笑ってやる。
最初は目をまん丸く開いて私を見ていた彼だけど、すぐに満面の笑みに変わった。
「上等」
ぎゅーっと抱き締められ、彼の匂いが私を包む。
「これで今日も元気に頑張れそうだ」
しばらくしてようやく私を離した蔭木課長は、歪んだネクタイを直した。
出ようとしたけれど、蔭木課長の手にはスーツケースが握られていない。
「あのー、荷物は……?」
「昨日帰国してるのに、スーツケース持って出社したらおかしいだろうが。
帰りに取りにくる」
「はぁ、そうですか……」
さも当たり前なように言っていますが。
なら昨日、一度帰ってから来てもよかったんですよ?
時間はあったはずだし。
駅で彼とは別れた。
さすがに従業員が多数乗っている電車で一緒に出勤するわけにはいかないらしい。
一発で疑われちゃうもんね。
蔭木課長は私が地下へ降りていくところまで見届け、そのあとタクシーを拾ったようだ。
「……」
寝室を出ると、キッチンから小さく鼻歌が聞こえてくる。
目を向けたそこには、蔭木課長が立っていた。
しかも私のものである、ピンクのフリフリエプロンで。
ちなみにこれは私の趣味ではなく、兄のプレゼントだ。
「起きたのか。
おはよう」
ちらっとだけ私を見て、冷蔵庫を開けて玉子を取り出す。
パカリと小気味いい音を立てそれをボールに割り、シャカシャカといいリズムで混ぜていく。
「もうすぐ朝食できるぞ。
顔洗ってきたらどうだ?」
ジャーッと今度は、それを手際よくフライパンへと流し入れた。
さもそれが当たり前かのように。
「……そう、ですね」
とりあえず考えることを放棄して洗面所へ向かった。
冷たい水で顔を洗えば、次第にあたまをはっきりしてくる。
……あれはいったい、なにをしているんだろう。
いや、朝食を作っているのはわかる。
でもなんで、それが当然とばかりに蔭木課長が作っているのかわからない。
「できたぞー」
「……あ、はい」
洗顔を済ませて洗面所を出たときには、蔭木課長がテーブルにできた料理を並べていた。
だし巻き玉子に、小松菜と油揚げの煮浸し、大根おろしののった厚揚げにえのきのお味噌汁。
それにあとはほかほかの炊きたてご飯。
「あの……」
「ああ、勝手に食材使わせてもらったぞ」
エプロンを外して彼が椅子に座るので、私も釣られるようにその前に座る。
「いただきます」
箸を握り、蔭木課長は朝食を食べはじめた。
「その、蔭木課長が作ったんですか」
「俺が作らないで誰が作るんだ?」
だって御曹司がこんな家庭的な料理を作るだなんて信じられるはずがない。
「食べないのか?」
私がいつまでもぼーっと見ているものだから、怪訝そうに彼が顔を上げた。
「あ、いえ。
……いただき、ます」
箸を取り、お味噌汁を一口。
「……美味しい」
「よかった」
ぱっと蔭木課長の顔に花が咲く。
だしの素しかないはずなのに、それはいい鰹の匂いがした。
「料理は趣味なんだ。
普段でも忙しくないときはよく作る」
「そうなんですね」
彼の作った料理は全て美味しかった。
おかげで朝は小食でトーストくらいしか食べない私だけど、今日はしっかりと食べた。
「一緒に暮らせるようになったら毎日作ってやる。
あ、いや、翠の料理も食いたいし、悩ましいな」
蔭木課長は真剣に悩んでいるが、そんな日が来るんだろうか。
「片付けは俺がしてやるから、さっさと準備しろ」
「えっ、作っていただいたうえに片付けまでなんて、そんな」
私が止める間もなく、さっさと蔭木課長は流しへ食器を下げていく。
「いいからさっさと準備しろ」
「あいたっ!」
それでもやめさせようとシャツを引いたら、振り返った彼にデコピンされた。
ヒリヒリと痛む額を手で押さえ、彼を見上げる。
「俺は翠を甘やかせたいの」
ゆっくりと顔が近づいてきて、自分が赤くした額に口付けが落とされる。
「ほら、いいから」
眼鏡の奥で笑った彼にとうとう追い払われ、仕方なく寝室へ行く。
着替えて化粧を済ませてリビングに戻ると、蔭木課長は携帯を見ていた。
「あの、そろそろ出ますけど……」
「ん、そうか」
携帯を胸ポケットにしまい、蔭木課長も立ち上がる。
一緒の電車で出社する気なんだろうか。
「じゃあ、いってくる」
身を屈め、彼が顔を近づけてくる。
どういう意味かわからなくて、ぽけっと見つめていた。
「いってらっしゃいのちゅーはしてくれないのか?」
僅かに首を傾け、どうしてかわからないという顔で見られた。
……なんだそのバカっぽいのは。
なんて口に出さなかった私を褒めてあげたい。
「ほら」
また、彼から顔を近づけられる。
きっとこれは私がするまで続けるのだろう。
はぁーっと心の中でため息をつき、顔を上げた。
あの、形のよい薄い唇に自分の唇を触れさせるだけ。
少しだけ背伸びをしたが、それだけじゃぐらぐら揺れて目標が逸れそうなので、その首に腕を回した。
目標を定めて目を閉じ、勢いよく顔を近づける。
――が、しかしながら、触れたのは唇じゃなく鼻だった。
「下手くそ」
目を開けた蔭木課長の手が、私の後ろあたまへと回る。
目を閉じる暇もなく、唇が重なった。
「キスするときは鼻をずらすの。
そんなのもわかんないのか。
まあ、この間まで処女だった翠には難しいか」
馬鹿にするように彼の右の口端がつり上がり、かっと頬が熱くなる。
勝手に手がネクタイを掴み、彼の顔を引き寄せた。
今度こそ狙いを定め、自分から唇を重ねる。
顔を少し傾けるのを忘れずに。
「……これでいいんですか」
蔭木課長を真似して笑ってやる。
最初は目をまん丸く開いて私を見ていた彼だけど、すぐに満面の笑みに変わった。
「上等」
ぎゅーっと抱き締められ、彼の匂いが私を包む。
「これで今日も元気に頑張れそうだ」
しばらくしてようやく私を離した蔭木課長は、歪んだネクタイを直した。
出ようとしたけれど、蔭木課長の手にはスーツケースが握られていない。
「あのー、荷物は……?」
「昨日帰国してるのに、スーツケース持って出社したらおかしいだろうが。
帰りに取りにくる」
「はぁ、そうですか……」
さも当たり前なように言っていますが。
なら昨日、一度帰ってから来てもよかったんですよ?
時間はあったはずだし。
駅で彼とは別れた。
さすがに従業員が多数乗っている電車で一緒に出勤するわけにはいかないらしい。
一発で疑われちゃうもんね。
蔭木課長は私が地下へ降りていくところまで見届け、そのあとタクシーを拾ったようだ。
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