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第4章 俺はもの、だから
5.会えない
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蔭木さんたちが帰り、応接室の片付けをしてきた給湯室には、あの騒ぎですっかり忘れてしまっていたカフェラテが置きっぱなしになっていた。
「あーあ」
すっかり冷めてしまったそれを一気に流し込む。
ここでは音成さんが女王様。
逆らってはやっていけない。
わかっていたのになんで、私は蔭木さんと結婚なんてしてしまったんだろう。
ううん、結婚は半ば脅されてだから仕方なかったかもしれない。
でもわかっているのになんで――好きに、なっているんだろう。
いままで目を背けていた現実が一気に襲ってきて、急に身体が冷えた。
仕事が終わり確認した携帯には、今日は行けないとだけ蔭木さんからLINEが入っていた。
「……来ないんだ」
晩ごはんは面倒くさくなって、店で値引きになっているお弁当を買って帰る。
出張のない日、いつも私の部屋に来るわけじゃない。
スケジュールや付き合いの都合で来ない日だってある。
「見直ししてアップしよ」
お弁当を食べ終え、できあがっていた原稿を見直ししつつ、コピペしてサイトにアップしていく。
それにしても今日は危なかった。
移り香に音成さんが気付くなんて。
――ピコピコ、ピコピコ。
携帯が鳴りだし、見てみたら蔭木さんからだと表示されていた。
「はい」
『今日は悪かったな』
蔭木さんの後ろは、酷く騒がしい。
「ううん。
こちらこそ、助けてもらってありがとうございます」
『まさか、あれくらいで気付くなんてな。
……それで。
しばらくそっち、いけないと思う。
香がご機嫌斜めでな』
『紘太朗、誰と話してるの!?』
すぐ傍から音成さんの声が聞こえてきて、びくりと肩が揺れる。
『うるさい、仕事の話だ。
あっち行ってろ。
……悪いな、また連絡する』
「……はい、無理はしないでくださいね」
『ありがとう。
じゃあ』
そこで電話はプツンと切れた。
再び音成さんが蔭木さんを呼ぶ声が聞こえていたから、慌てて切ったのかもしれない。
「音成さんって」
いったい、なんなんだろう。
好きでもないのに蔭木さんを拘束して。
それにさっき、若い男性の声も一緒に聞こえていた。
その人はかなり親しげに「香」と彼女を呼んでいた。
婚約者と一緒にいるのに、そんな男性を連れているのってなに?
私には理解できない。
いつもは出張前日にうちに来るのに、今回は蔭木さん、来なかった。
音成さんに振り回されている、と何度かLINEが入ったからもしかして、彼女はなにかしら気付いているのかもしれない。
「こんなんで旅行とか大丈夫なのかな……」
この出張が終わったら、約束していた旅行に行くことになっている。
でも、こんな状態だと不安……。
九州出張へ行った日の夜、蔭木さんから電話がかかってきた。
『ひさしぶりに翠とゆっくり話せる』
とはいえ、時刻はすでに十一時になろうかとしている。
今日は催事の設営で忙しかったはずだ。
「お疲れ様です。
無理はしないで早く寝てくださいね?
明日も早いんでしょう?」
『翠の声を聞いたら疲れなんて吹き飛んだ!
……と言いたいところだが。
今回は充電してこられなかったから、つらい』
本当に蔭木さんの声は死にそうで心配になってくる。
「あの、その、……頑張って、ください」
こんなときに、こんな言葉しかかけることができない自分が歯がゆい。
仮にも小説なんて書いているんだから、もっといい言葉があるだろうに。
『翠が言ってくれたからちょっと元気が出た。
頑張るな』
電話の向こうで彼が、小さくふふっと笑った。
「その、頑張らなくていいので。
あ、いえ、手を抜いていいというわけでもなくて、でも無理はしてほしくなくて、あの」
自分でも言っていることが支離滅裂だとは思う。
でも。
『ん、わかってる。
翠は優しいなー』
蔭木さんの声が随分柔らかくなった。
「わ、私は優しくなんか、ない、……です」
『翠はやっぱり、可愛いな。
いますぐ、抱き締めたい』
ふっ、と蔭木さんの匂いが鼻腔を掠めた気がするけれど、気のせいだろうか。
「帰ってくるまでおあずけ、です」
いつもは飾っている、お土産でもらったシュタイフを抱き寄せる。
蔭木さんの代わりじゃないけど。
『帰ったらふたりでゆっくりしような。
宿、最高のところを取ったから、期待してていいぞ』
「はい」
――早く、帰ってきて。
口から出かかった言葉を飲み込んだ。
いままで長期出張でいなくても、そんなことを思ったりしなかったのに。
『あまり遅くなると、翠も明日、仕事だもんな。
じゃあ、おやすみ。
愛してる』
「おやすみなさい」
リップ音を最後に聞き、電話を切る。
「帰ってくるのは来週の木曜日か……。
長いなー」
今日は水曜日で、約一週間ほどいないことになる。
いつものことといえばいつものことなんだけど、今回は出発前に会っていないからか長く感じる。
「音成さんは大丈夫なのかな……」
結局、彼女のことは訊けなかった。
あれから、私のことを疑っていないのか、とか。
「ううん、いまは楽しいことだけ考えよう!」
あたまを振って不安なことを追い出した。
蔭木さんはあんなに旅行を楽しみにしていたのだ。
私だってふたりでの旅行は嬉しい。
ならいまは、楽しいことだけを考えよう。
「あーあ」
すっかり冷めてしまったそれを一気に流し込む。
ここでは音成さんが女王様。
逆らってはやっていけない。
わかっていたのになんで、私は蔭木さんと結婚なんてしてしまったんだろう。
ううん、結婚は半ば脅されてだから仕方なかったかもしれない。
でもわかっているのになんで――好きに、なっているんだろう。
いままで目を背けていた現実が一気に襲ってきて、急に身体が冷えた。
仕事が終わり確認した携帯には、今日は行けないとだけ蔭木さんからLINEが入っていた。
「……来ないんだ」
晩ごはんは面倒くさくなって、店で値引きになっているお弁当を買って帰る。
出張のない日、いつも私の部屋に来るわけじゃない。
スケジュールや付き合いの都合で来ない日だってある。
「見直ししてアップしよ」
お弁当を食べ終え、できあがっていた原稿を見直ししつつ、コピペしてサイトにアップしていく。
それにしても今日は危なかった。
移り香に音成さんが気付くなんて。
――ピコピコ、ピコピコ。
携帯が鳴りだし、見てみたら蔭木さんからだと表示されていた。
「はい」
『今日は悪かったな』
蔭木さんの後ろは、酷く騒がしい。
「ううん。
こちらこそ、助けてもらってありがとうございます」
『まさか、あれくらいで気付くなんてな。
……それで。
しばらくそっち、いけないと思う。
香がご機嫌斜めでな』
『紘太朗、誰と話してるの!?』
すぐ傍から音成さんの声が聞こえてきて、びくりと肩が揺れる。
『うるさい、仕事の話だ。
あっち行ってろ。
……悪いな、また連絡する』
「……はい、無理はしないでくださいね」
『ありがとう。
じゃあ』
そこで電話はプツンと切れた。
再び音成さんが蔭木さんを呼ぶ声が聞こえていたから、慌てて切ったのかもしれない。
「音成さんって」
いったい、なんなんだろう。
好きでもないのに蔭木さんを拘束して。
それにさっき、若い男性の声も一緒に聞こえていた。
その人はかなり親しげに「香」と彼女を呼んでいた。
婚約者と一緒にいるのに、そんな男性を連れているのってなに?
私には理解できない。
いつもは出張前日にうちに来るのに、今回は蔭木さん、来なかった。
音成さんに振り回されている、と何度かLINEが入ったからもしかして、彼女はなにかしら気付いているのかもしれない。
「こんなんで旅行とか大丈夫なのかな……」
この出張が終わったら、約束していた旅行に行くことになっている。
でも、こんな状態だと不安……。
九州出張へ行った日の夜、蔭木さんから電話がかかってきた。
『ひさしぶりに翠とゆっくり話せる』
とはいえ、時刻はすでに十一時になろうかとしている。
今日は催事の設営で忙しかったはずだ。
「お疲れ様です。
無理はしないで早く寝てくださいね?
明日も早いんでしょう?」
『翠の声を聞いたら疲れなんて吹き飛んだ!
……と言いたいところだが。
今回は充電してこられなかったから、つらい』
本当に蔭木さんの声は死にそうで心配になってくる。
「あの、その、……頑張って、ください」
こんなときに、こんな言葉しかかけることができない自分が歯がゆい。
仮にも小説なんて書いているんだから、もっといい言葉があるだろうに。
『翠が言ってくれたからちょっと元気が出た。
頑張るな』
電話の向こうで彼が、小さくふふっと笑った。
「その、頑張らなくていいので。
あ、いえ、手を抜いていいというわけでもなくて、でも無理はしてほしくなくて、あの」
自分でも言っていることが支離滅裂だとは思う。
でも。
『ん、わかってる。
翠は優しいなー』
蔭木さんの声が随分柔らかくなった。
「わ、私は優しくなんか、ない、……です」
『翠はやっぱり、可愛いな。
いますぐ、抱き締めたい』
ふっ、と蔭木さんの匂いが鼻腔を掠めた気がするけれど、気のせいだろうか。
「帰ってくるまでおあずけ、です」
いつもは飾っている、お土産でもらったシュタイフを抱き寄せる。
蔭木さんの代わりじゃないけど。
『帰ったらふたりでゆっくりしような。
宿、最高のところを取ったから、期待してていいぞ』
「はい」
――早く、帰ってきて。
口から出かかった言葉を飲み込んだ。
いままで長期出張でいなくても、そんなことを思ったりしなかったのに。
『あまり遅くなると、翠も明日、仕事だもんな。
じゃあ、おやすみ。
愛してる』
「おやすみなさい」
リップ音を最後に聞き、電話を切る。
「帰ってくるのは来週の木曜日か……。
長いなー」
今日は水曜日で、約一週間ほどいないことになる。
いつものことといえばいつものことなんだけど、今回は出発前に会っていないからか長く感じる。
「音成さんは大丈夫なのかな……」
結局、彼女のことは訊けなかった。
あれから、私のことを疑っていないのか、とか。
「ううん、いまは楽しいことだけ考えよう!」
あたまを振って不安なことを追い出した。
蔭木さんはあんなに旅行を楽しみにしていたのだ。
私だってふたりでの旅行は嬉しい。
ならいまは、楽しいことだけを考えよう。
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