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第1章 前世の婚約者ってなんですか
2.結婚相手は前世の婚約者?
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私の実家は横浜で『春風自転車』という自転車工場をやっている。
都内住みの私のところからだいたい電車で一時間くらいだ。
「すみません、東口って……」
駅に着いたところで、若い男性に声をかけられた。
傍らには大きなスーツケースがあって、きっと地方から出てきて困っていることは容易に想像できる。
助けてあげたいところ……だけど。
「えっ、あっ、そのっ」
一瞬で顔が熱を持ち、夏の暑さのせいだけだとは思えない汗が一気に噴き出す。
「東口ってどう行けばいいですか」
「ひ、ひがしぃ口、で、ですか?
その、あの、あ、あ、あっち、あっちに……」
顔なんて上げられないし、当然、目を見て話すなんて無理。
しどろもどろに話す私に、彼がとうとうはぁっと短くため息をついた。
「ええ、ありがとうございました」
早口にそれだけ言った彼の足音が遠ざかっていく。
ようやく顔を上げたときには誰もいなくなっていた。
「……はぁーっ」
情けなくなってとぼとぼと改札に向かう。
私の欠点、それは基本、家族以外の人間を前にするとテンパってしまってまともに喋れなくなること。
典型的な内弁慶のコミュ障なのだ。
おかげでいまだに、恋人なんてできたことがない。
家に帰ると隣接する工場は止まっていた。
土曜日だから当たり前といえば当たり前なんだけど。
でもしんと静まりかえる工場はなんだかもの悲しくて、昔からあまり好きじゃない。
「ただいまー」
不用心にも鍵がかかっていない玄関の戸をがらがらと開け、勝手に家に上がる。
こういうところはいまだに、昔ながらの下町だ。
「あらあら、おかえりなさい」
すぐに母がエプロンで手を拭きながら出てきた。
それにほっとしてしまうのって……なんだろうね?
「ただいま。
父さんは?」
「茶の間でお待ちかねよー」
にこにこ笑う母に先導されて茶の間へ行く途中で、弟の温人が二階から降りてきた。
「げ、姉ちゃん帰ってきたんだ」
「帰ってきたら悪いか」
じろっと温人を睨んでやる。
「い、いや、今日は絶対、帰ってこない方がよかったのに……」
視線を泳がせ、ごにょごにょと温人は言っていて、なにを言っているのか聞き取れない。
「オレ、知らないからな」
などと言いつつ、私の後ろを着いてくる。
いったい、なんなんだろうね?
「父さん、ただいま」
「おう、帰ったか。
まあ、座りなさい」
私の姿を認め、父は見ていたタブレットを置いて老眼鏡を外した。
少しでも置いていかれないようにと、いろいろ最新のものを導入している父の姿勢は尊敬できる。
それでたまに、負債が増えているが。
「それで、話ってなに?」
父の斜め前、私の定位置に座る。
母は台所へお茶を淹れに行き、温人は少し離れたところで携帯をいじりだした。
「これにサインしなさい」
父は傍らからおもむろになにか紙を出し、広げて私の前へと滑らせた。
確認する私の手が、次第にわなわなと震えだす。
「……ちょっと、これなに?」
私の声は地を這っていったが仕方ない。
だってそれは――婚姻届だったんだったから。
「なにって婚姻届だが?」
父がうそぶいて、なにかがぷちんとキレた。
「だからなんで、いきなり婚姻届なのよ!」
ダン!と思いっきり、それをテーブルに叩きつける。
けれど父はいたって冷静だった。
「こうでもしないとお前、一生結婚しないだろうが」
「うっ」
図星を突かれて言葉が詰まる。
さすが父親というか、娘のことをよくわかっていらっしゃる。
「姉ちゃん、喪女だしな」
「うっ」
さらに温人の言葉が追い打ちをかける。
確かにいままで、彼氏も彼女もいたことがない、が。
「確かにコミュ障だけど、人並みに身だしなみは整えてるし」
「服のパターン三つくらいしかないじゃん。
しかもショップに行けなくて通販で買ってサイズや色が合わない奴」
「うっ」
ゲームをしながらさらっ、さらっと言い放つ温人の言葉がどすどすと胸に突き刺さってくる。
――事実なだけに。
「だからといっていきなり結婚とか」
「みんなー、お茶が入ったわよー」
殺伐とした空気の中に母ののんびりとした声が響いてきて、一気に緊張が解けた。
「すずちゃんが来るっていうからお母さん、朝から張り切ってケーキ焼いたのー」
にこにこ笑いながら母がテーブルの上にパウンドケーキとコーヒーを並べていく。
慌てて婚姻届を畳んで避けた。
「まずは甘いものでも食べて落ち着きましょう?」
気づけば温人も私の隣に座り、パウンドケーキに手を伸ばしている。
私も渋々ながら手を伸ばした。
「美味しい」
「そう?
よかったー」
やっぱり母はにこにこと笑っている。
うちでは母の笑顔が最強なのだ。
父とどんなに険悪な親子喧嘩をしようと、温人と取っ組み合いの喧嘩をしようと、母の笑顔の前では仲直りをせざるをえない。
「……で。
この、雨山……?って誰なのよ?」
改めて見た、婚姻届の夫の欄には〝雨山清人〟と端正な字で記載してある。
「お前の前世の婚約者だ」
都内住みの私のところからだいたい電車で一時間くらいだ。
「すみません、東口って……」
駅に着いたところで、若い男性に声をかけられた。
傍らには大きなスーツケースがあって、きっと地方から出てきて困っていることは容易に想像できる。
助けてあげたいところ……だけど。
「えっ、あっ、そのっ」
一瞬で顔が熱を持ち、夏の暑さのせいだけだとは思えない汗が一気に噴き出す。
「東口ってどう行けばいいですか」
「ひ、ひがしぃ口、で、ですか?
その、あの、あ、あ、あっち、あっちに……」
顔なんて上げられないし、当然、目を見て話すなんて無理。
しどろもどろに話す私に、彼がとうとうはぁっと短くため息をついた。
「ええ、ありがとうございました」
早口にそれだけ言った彼の足音が遠ざかっていく。
ようやく顔を上げたときには誰もいなくなっていた。
「……はぁーっ」
情けなくなってとぼとぼと改札に向かう。
私の欠点、それは基本、家族以外の人間を前にするとテンパってしまってまともに喋れなくなること。
典型的な内弁慶のコミュ障なのだ。
おかげでいまだに、恋人なんてできたことがない。
家に帰ると隣接する工場は止まっていた。
土曜日だから当たり前といえば当たり前なんだけど。
でもしんと静まりかえる工場はなんだかもの悲しくて、昔からあまり好きじゃない。
「ただいまー」
不用心にも鍵がかかっていない玄関の戸をがらがらと開け、勝手に家に上がる。
こういうところはいまだに、昔ながらの下町だ。
「あらあら、おかえりなさい」
すぐに母がエプロンで手を拭きながら出てきた。
それにほっとしてしまうのって……なんだろうね?
「ただいま。
父さんは?」
「茶の間でお待ちかねよー」
にこにこ笑う母に先導されて茶の間へ行く途中で、弟の温人が二階から降りてきた。
「げ、姉ちゃん帰ってきたんだ」
「帰ってきたら悪いか」
じろっと温人を睨んでやる。
「い、いや、今日は絶対、帰ってこない方がよかったのに……」
視線を泳がせ、ごにょごにょと温人は言っていて、なにを言っているのか聞き取れない。
「オレ、知らないからな」
などと言いつつ、私の後ろを着いてくる。
いったい、なんなんだろうね?
「父さん、ただいま」
「おう、帰ったか。
まあ、座りなさい」
私の姿を認め、父は見ていたタブレットを置いて老眼鏡を外した。
少しでも置いていかれないようにと、いろいろ最新のものを導入している父の姿勢は尊敬できる。
それでたまに、負債が増えているが。
「それで、話ってなに?」
父の斜め前、私の定位置に座る。
母は台所へお茶を淹れに行き、温人は少し離れたところで携帯をいじりだした。
「これにサインしなさい」
父は傍らからおもむろになにか紙を出し、広げて私の前へと滑らせた。
確認する私の手が、次第にわなわなと震えだす。
「……ちょっと、これなに?」
私の声は地を這っていったが仕方ない。
だってそれは――婚姻届だったんだったから。
「なにって婚姻届だが?」
父がうそぶいて、なにかがぷちんとキレた。
「だからなんで、いきなり婚姻届なのよ!」
ダン!と思いっきり、それをテーブルに叩きつける。
けれど父はいたって冷静だった。
「こうでもしないとお前、一生結婚しないだろうが」
「うっ」
図星を突かれて言葉が詰まる。
さすが父親というか、娘のことをよくわかっていらっしゃる。
「姉ちゃん、喪女だしな」
「うっ」
さらに温人の言葉が追い打ちをかける。
確かにいままで、彼氏も彼女もいたことがない、が。
「確かにコミュ障だけど、人並みに身だしなみは整えてるし」
「服のパターン三つくらいしかないじゃん。
しかもショップに行けなくて通販で買ってサイズや色が合わない奴」
「うっ」
ゲームをしながらさらっ、さらっと言い放つ温人の言葉がどすどすと胸に突き刺さってくる。
――事実なだけに。
「だからといっていきなり結婚とか」
「みんなー、お茶が入ったわよー」
殺伐とした空気の中に母ののんびりとした声が響いてきて、一気に緊張が解けた。
「すずちゃんが来るっていうからお母さん、朝から張り切ってケーキ焼いたのー」
にこにこ笑いながら母がテーブルの上にパウンドケーキとコーヒーを並べていく。
慌てて婚姻届を畳んで避けた。
「まずは甘いものでも食べて落ち着きましょう?」
気づけば温人も私の隣に座り、パウンドケーキに手を伸ばしている。
私も渋々ながら手を伸ばした。
「美味しい」
「そう?
よかったー」
やっぱり母はにこにこと笑っている。
うちでは母の笑顔が最強なのだ。
父とどんなに険悪な親子喧嘩をしようと、温人と取っ組み合いの喧嘩をしようと、母の笑顔の前では仲直りをせざるをえない。
「……で。
この、雨山……?って誰なのよ?」
改めて見た、婚姻届の夫の欄には〝雨山清人〟と端正な字で記載してある。
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