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4.アンドロイドの真実

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それは、ただの偶然だと思っていた。

「カスミ。
申し訳ないんですが倉庫から、薬品を取ってきてもらえないですか」

「わかったー」

いつも、倉庫に物を取りに行くのはハーキースの役目だった。
倉庫のさらに奥、そこは立ち入り禁止区域で、できれば近づいて欲しくないからだ。

……ちょっとは信頼されてきたのかな。

嬉しくて鼻歌さえ飛び出そうな勢いで、倉庫から言われた薬品を手に戻ろうとして。

――奥へと続く扉が僅かに開いていることに気がついた。

……なんで開いているんだろう。

日頃、厳しく立ち入り禁止区域にだけは入らないようにと言われている。

……どうして、入っちゃいけないんだろう。
見られると困る物があるのかな。

あたまをよぎるのは、ヴァレット博士が非人道的な実験をしようとして、学会を追われたということ。

……入っちゃいけないってわかっている。
でも、ちらっと見るだけだったら。

いけないことだとわかっていながら興味が勝った。
足音を忍ばせ、そっと覗いたカスミが見たものは……培養槽の中で眠る、人間。

「なに、これ……」

ごとん、床に落ちた薬品が重い音を立てたがかまっている余裕はない。

「これ、なに?
どういう、こと?」

培養液の中でゆらゆらと揺れる髪はハーキースと同じ色だった。
髪だけじゃない。
背格好も、その顔立ちすら。

「ハーキース……じゃない。
ヴァレット博士?」

ピッ、ピッ、心拍を示す規則正しい電子音が、静かに部屋の中に響く。

親子にしても似すぎている。

ハーキースは本当に、アンドロイド?

「……見たんですね」

淡々とした声に振り返ると、ハーキースが冷ややかな目で培養槽の中のヴァレット博士を見ていた。

「あの、その、……」

ばくばくと心臓の音がうるさい。
喉はからからに渇き、つばを飲み込むごくりという音が大きく響いた。

「まあ、あなたに見て欲しかったのもありますが」

「え?」

皮肉るように頬を歪めて笑い、つかつかと中に入ってきたハーキースは培養槽のヴァレット博士と対峙するようにその前に立った。

「僕は博士のコピーです。
この身体も、記憶も、性格も」

「そんな……ありえない」

「ありえなくないでしょう?
あなたはそれを、研究していた。
それに、試作品とはいえ、目の前に僕は立っている」

ヴァレット博士から引き継いだ研究は、人体が滅びる前にその意識を新しい身体に移し、生きながらえるものだった。

しかしまだまだ課題も多く、実現にはほど遠いものだ。

それが、完成していたなどと。

「じゃあ、ハーキースはヴァレット博士?」

「どうなんでしょうね。
……最近、思うんですよ。
僕がここで眠っているヴァレット博士ならば、この僕は誰なんだろうって」

――だん!

ハーキースが培養槽を叩くと、ピシピシとヒビが入っていった。

データの上ではたぶん、ハーキースはヴァレット博士なのだろう。

科学者としてはわかっていたが、カスミには断言できなかった。

「最初は、適当にあしらっておけばいいと思っていました。
けれど、ころころ表情の変わるカスミがおもしろくて。
気付いたら、ずっとカスミと一緒にいたいと願うようになっていました。
この感情は博士のものじゃありません。
私の、私自身のものです。
私はヴァレット博士じゃない。
博士を殺せば、私はハーキースになれますか」

――だん!

再びハーキースに叩かれた培養槽はピシピシとさらにヒビを広げていく。

……ハーキースはアンドロイドなんかなじゃい。
立派な、人間だ。

それも、ヴァレット博士じゃなく、ハーキースというひとりの人間。

苦悩するハーキースがたまらなく愛おしく、思わずぎゅっとカスミは抱きしめていた。

「私もハーキースと一緒にいたい。
ヴァレット博士じゃなくて」

ヒビの入った培養槽は耐えきれずにピシピシとヒビを広げ続け、ついに培養液を吹き出した。
ヴァレットの心拍の異常を関知し、ビービーとけたたましくアラートが鳴り響く。

「ハーキースはハーキースだよ。
ヴァレット博士じゃない」

「カスミ……」


培養液で顔を濡らしたハーキースはまるで、泣いているように見えた。

まもなくアラートが止まってピーッと平坦な電子音に変わり、ヴァレットの心拍が停止したことを告げた。

「私は博士を、殺しました……」

そのままハーキースは培養液の水たまりに崩れ落ちた。



アンドロイドに人間は殺せない。

この世界の常識だ。

当然、製造するときにそうプログラミングされる。

非常識なヴァレットだったが、そこだけは常識人だったらしい。
ハーキースは間接的とはいえ、ヴァレットを殺すという反アンドロイド的な行為をしたために、その回路には多大な負荷がかかっていた。

それはハーキースの活動を危うくするほどに。

「ハーキース、絶対助けるから。
そしてこれから、ふたりで一緒に暮らしていくの」

ハーキースを必死で調べるが、いまのカスミにはわからないことだらけ。

どこが壊れているかすら、見当がつかない。

「絶対に助ける。
助けるから」

「カスミ」

手を掴まれ、ハーキースに視線を向けると、静かに首を振られた。

「なんでっ!?
これから、ふたりで幸せに……」

「いいんです、カスミ。
このまま活動を続けていてもカスミが死んだあと、ずっと長い時間をひとりで過ごさなければなりませんでした。
そんなこと、私には耐えられない。
あなたを残して活動を停止するのは、つらいですが」

「ハーキース……」

カスミの頬の上を、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちていく。

「きっと、博士の命令に反してあなたを研究所に入れたときから、私はおかしくなっていたんです」
「やだ。
ハーキース、死なないで」

「すみません、最後の命令違反です。
許してください」

ぎくしゃくと上がったハーキースの手が、カスミの涙を拭う。
握ったその手は冷たくなっていた。

「笑って、ください。
あなたの、笑顔が、好き、でした」

無理矢理笑顔を作る。
ハーキースもぎこちなく笑顔になった。

けれどそれは人間の表情ではなく、あきらかに機械の作られたものもの。

「カスミ……ニ……デアエ……テ……ヨカッタ……」

ザラザラとした機械音で、最後はよく聞き取れなかった。
ゆっくりとハーキースの瞼が閉じられ、握った手は固まったまま動かない。

「ハーキース?
ハーキース?
ハーキース!」

ガタガタと身体を揺すってみたものの、ハーキースはぴくりとも動かない。

その身体はすでに、ただの物になっていた。



研究所の裏にふたつの穴を掘る。

ひとつにはヴァレット博士を入れて埋めた。
もうひとつにはハーキース。

アンドロイドに墓などと笑う人間がほとんどだろう。
けれどハーキースはアンドロイドじゃない。

「ハーキースはずっと、人間だったよ」



【終】
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