お稲荷様に嫁ぎました!

霧内杳/眼鏡のさきっぽ

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最終章 あなたと私の未来

3.黄泉へ

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きつく目隠しをし、寝室へ入れてもらう。

「朔哉」

私をベッドの傍に座らせ、環生さんは朔哉の手を握らせてくれた。

「私が絶対に、助けるから。
だからもうちょっとだけ、頑張って。
絶対に絶対に助けるから。
だから」

朔哉からの返事はない。
ただ、苦しそうな荒い呼吸が聞こえるばかり。
手探りでそっと、朔哉の頬に触れる。
想いを込めるように唇を重ねた。

「……待っててね」

私は――黄泉へ、降りる。



「……気持ち悪い」

黄泉比良平坂の入り口は、塞いである岩の隙間からすでに、鋭い腐臭のする空気が漏れていた。
入りたくない、けれど黄泉に行かなければ朔哉の病気は治らない。
小さく深呼吸し、岩を押す。
千引ちびきの岩といわれるだけあって重いが、必死に力込めて押した。

「開いた……」

僅かに人ひとり滑り込める穴が開いた途端に、肺を刺す空気が私を包んだ。
目を開けていられなほど、ぼろぼろと涙がこぼれ落ちる。
まさに毒ガスだ。

「でも、行かなきゃ……」

一歩踏み込んだ先は鼻を摘ままれてもわからないほどの闇だった。
うか様我持たせてくれた狐火の提灯を掲げると、辺りがぼぅと蒼白く照らされる。
ぴちょん、ぴちょんと水滴が落ちる音が響く。
なにかがかさかさと這いずり回り視界の隅を通り過ぎるが、気づかないフリで前へと進んだ。
目指すはうか様の母親、伊弉冉様のいるところ。

うか様から聞いた朔哉を救う方法。
それは伊弉冉様から言の葉を譲り受けるというものだった。

「伊弉冉様って……」

「私の母親。
それで、黄泉の国の女王」

自分の母親のことなのにうか様は、忌ま忌ましそうに吐き捨てた。

「伊弉冉の元にある言の葉は、文字通り言霊が宿った木の葉。
これがあれば絶対に、心桜の願いは叶うから、朔哉もよくなる」

「そんなものがあるなら……!」

どうしてすぐに、教えてくれなかったの!?

「でもそれは、伊弉冉の元へ行って、譲り受けなければならない。
私たちは天照大御神様に禁じられているから黄泉には入れないし、人間の心桜は入った途端……それどころか漏れている空気に触れるだけでも死ぬ。
それに仮にたどり着けたとしても、伊弉冉が出す無理難題をクリアしないといけない」

「そんな……」

唯一の手段は、絶望的だった。
伊弉冉様の試練はいい、どんなものでもクリアしてみせる。
けれどそこまでたどり着けない。

「どうにかして、黄泉に入れないんですか」

「入ったら死ぬのよ!?
それでもいいの!?」

うか様がヒステリックに叫ぶ。
でも私はそれを、妙に冷静に見ていた。

「かまわない、です。
だって朔哉のためなら命を捨ててもいいって言いましたよね?」

「心桜……」

ぎゅっとうか様に抱きしめられた。
私の身体に触れる彼女の手は……震えていた。

「手段がないわけじゃないの。
あれがあれば……」

「あれってなんですか?」

なにかいるなら、探すし作る。
それくらい、平気。

「んーっと、こういう感じの、薄い着物で……」

うか様が説明してくれたものには見覚えがあった。
今日、崩れてきた物の中に入っていた奴。

「それたぶん、倉庫にあったあれだと思います」

「ほんとに!?
すぐに取りに行こう!」

大急ぎでうか様の屋敷へ向かい、倉庫からそれを出す。

「これ、ですか……?」

「これこれ!
これがあれば黄泉には入れるから!」

その着物は防護服的な役割があるらしく、それを羽織っていれば黄泉に入っても無事でいられるようだ。

「本当に心桜、行くの?」

「はい」

鳥居の前でうか様は盛んに手を揉んでいた。

「朔哉のためですから」

「気をつけていくのよ」

「はい」

中は暗いからと、狐火の提灯を彼女は持たせてくれた。
それを手に鳥居をくぐる。
こうして私は、黄泉比良平坂を下っている。



坂を下ったところに、なぜか桃の木があった。
なっている桃が暗闇の中で、まるで電飾のように輝いている。

「目印になるよね……」

桃の木を尻目にさらに歩みを進める。
もうどれくらい歩いたのか、わからない。
見えるのは僅かに、提灯の照らす範囲だけ。

「あとどれくらいなんだろう……?」

伊弉冉様は最奥にいるのだと聞いている。
けれどその最奥が、入り口からどのくらい先にあるのかわからない、とも。
うか様たち神様にとって、黄泉は忌むべき場所。
入った人などいないし、いても帰ってきた人はいない。

「……人の子、かえ」

唐突に、声が響いてくる。
それはチューナーの微妙に合っていないラジオのようで、酷く落ち着かない。
しかもそれを聞いた途端、叫びだしそうなほどの恐怖に駆られた。
身体の内側をぞわぞわと蛇が這いずり回っている気がする。
必死に歯を食いしばり、悲鳴を飲み込む。
全身は粟立ち、髪の毛までも逆立ちそうだった。

「……人の子がこんなのところへ、なんのようかえ」

あたまの中へ直接響いてくるその声が、おかしそうにころころと笑った。

「……言の葉を、もらいに」

震えそうになる声を必死に押さえ、極めて冷静に言葉にする。

「……ほぅ」

ぽっと、目の前に白い炎が灯る。
それは二列になって私の前を、ぽぽぽぽっと照らした。

「言の葉が、欲しいのかえ」

一段高くなった前方に脇息に寄りかかる、若い女の人がいた。
髪は優に身丈を超えて地面に広がっている。
白い裸体は所々朽ちており、そこから巻き付く蛇が這い出したりしていた。

「そうか。
……ほれ」

後ろの木から一枚の葉がちぎれる。
目の前にすっと飛んできたそれに飛びついた。
が、それはするっと私から逃げてその女の元へ戻ってしまう。

「そんなに簡単に、やるわけなかろうて」

ころころと女が笑う。
彼女が伊弉冉様、なんだろうか。
それにしても黄泉の女王はすでに死んでいるからか、人間から素顔を見られようと消えることはないらしい。

「我はずっとこんなところにひとりであろう?
だから、暇で暇で」

彼女が脇息から身体を起こすと瞬く間に、目の前へお膳にのった料理が並んでいく。

「しばし我に、付き合ってくれないかえ?」

にっこりとそこだけ赤い唇が、口角をつり上げた。

「ほれ、一献」

杯を持つ手が震える。

――黄泉のものを口にしてはならない。
たとえ、水の一滴でも。

神話を読んで知ってはいたし、ここに来る前に何度も、うか様から言い聞かされた。
口にすれば二度と、黄泉からは出られない。

「ほれ、早く飲まぬか。
ほれ、ほれ」

いつまでも口をつけない私を、彼女はじっと見ていた。
ニヤニヤと笑っているところからして、わかっていて勧めている。
彼女の言うことを聞かなければ、言の葉はもらえない。
けれど飲めば私は黄泉から出られなくなり、言の葉は朔哉の元に届かない。
どうしたらいいのかわからず、ただただ杯に注がれた酒を見つめる。

「早う飲め、早う。
それとも我の酒は飲めないのかえ?」

彼女の目が、すーっと細くなった。
飲まねばどのみち、殺される。
半ばやけくそでくーっと一気にそれを口に含んだ。

「……!
ごほっ、ごほっ!」

それはのども通していないのに私の全身を焼き、吐き出したのは真っ赤な血だった。

「もっと飲め。
食べよ」

ぼたぼたと血を吐いている私にかまわず、彼女はさらに杯へ酒を注いだ。
少しだけ落ち着き、膳の前へ座り直す。
尾頭付きの鯛に赤飯、それに吸い物と祝いの膳だが、どれも腐りウジが涌いていた。

「……伊弉冉様。
言の葉をいただきたいです」

彼女の前で平身低頭する。
瞬間、飛んできた杯が私のあたまを直撃した。

「まだ我は満足しておらぬ。
満足するまで帰さぬぞ」

「お願いでございます。
朔哉が、朔哉が待っているのです」

ひたすら地面に額を擦りつけ、伏して願う。
それしか私には、できないから。

「……朔哉、とは誰ぞ?」

彼女の声色が、僅かに変わる。
まるでいいおもちゃでも見つけたかのように。

「私の夫でございます」

返事はない。
ただごくりとのどの鳴る音がしたので、酒でも飲んでいるのかもしれない。

「夫は妻を裏切るもの。
……我も、裏切られた」

ふっと、彼女が皮肉るように笑う。
黄泉に伊弉冉様を迎えに来た夫である伊弉諾様は、見るなという約束を破って伊弉冉様の姿を見た。
あんなに愛し合っていたのに、夫の仕打ちに伊弉冉様が怒り狂っても仕方がない。

「朔哉は絶対に、伊弉諾様のようなことはしません」

するわけがない。
私がしないでって言ったら、絶対に聞いてくれる。
それにたとえ、伊弉諾様のように妻の朽ちた醜い姿を見たとしても、朔哉は私を愛してくれる。
根拠のない、確証だけど。

「なら、試してみるかえ」

蛇が私の身体に巻き付き、例の着物を剥がした。

「かはっ」

血液が沸騰する。
肺からせり上がってきた血を吐いた。

「かはっ、かはっ」

意識が、朦朧とする。
目の前が徐々に霞んでいく。

「さて。
その男はお主をちゃんと、迎えに来るかのう」

ころころと彼女の笑う声が、いつまでも響いていた。
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