人魚を食べる

霧内杳/眼鏡のさきっぽ

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会員限定のコース

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その店では人魚を食べさせてくれるらしい。
ただし、会員のみ。
僕には縁のない話だと思っていたが――。


その日、訪れた取引先の社長は具合が悪そうだった。

「大丈夫ですか」

「あ、ああ」

社長がグラスに注いでごくごくと水を飲み干す。
僕がここに来てもう三杯目。
なぜかやたらと水を飲んでいる。

「なんか、妙に喉が渇くんだよね……」

彼はまたグラスに水を注ぎかけたがそれすら煩わしくなったのか、二リットルのペットボトルに直接口をつけた。

「あの。
言いにくいですが、糖尿病とか……?」

喉が渇くなど、それくらいしか思いつかない。

「先週受けた健康診断では、まったくの正常値だったんだけどね。
でも、やっぱりそう思うよね。
病院行くか……」

社長は気が重そうにため息をつき、また水を飲んだ。

「はい、行ってきてください。
社長には長生きしてもらわないといけませんから」

「それで末永くお取り引きを、ってか」

「はい」

「言うね、君も」

もしかして不快にしたかと思ったが、社長は可笑しそうに笑っている。

「君のそういうところ、私は好きだよ」

息をつくように社長が水を飲む。

「ありがとうございます。
しかし、社長に長生きしてもらいたいのは本当です」

彼は僕によくしてくれ、叔父と甥くらいの関係になっていた。
上司よりも尊敬しており、悩みを相談したりもしている。

「君にそう言ってもらえると嬉しいよ」

眼鏡の向こうで目尻を下げ、社長がふわりと笑う。
その表情に顔が熱くなる思いがした。

「そうだ。
君、人魚に興味はないかね?」

「人魚、ですか?」

伝説上の生物だが、セレブのあいだでは不老不死の妙薬、また珍味として密かに食べられているとの噂はある。
その人魚がどうかしたんだろうか。

「そう、人魚。
馴染みの店から人魚の肉が手に入ったと連絡をもらったんだが、この状態では行けそうにない」

非常に残念そうに社長はため息をついた。

「はぁ……。
人魚の肉、ですか……」

「あ、疑っているな」

不満そうに彼の口がへの字に曲がる。

「い、いえ!」

慌てて笑い、その場を取り繕った。
社長の機嫌を損ねたくない。
しかし、彼は本当に人魚など信じているんだろうか。

「まあ、疑うのも無理はない。
実際のところ、私も信じていないしね。
だいたい、人魚の肉は不老不死の妙薬だというのに、こうやって病気になっている時点で、効いてないではないか」

可笑しそうに笑いながらペットボトルを持ち上げたが空だと気づき、彼はそのへんに放り投げた。
新しいものの封を切り、ごくごくと喉へ水を流し込む。

「社長もお人が悪い」

怒らせたわけではないのだとほっとし、出されていたコーヒーを飲んだ。

「いや、すまない。
しかしこの、人魚のものだという肉が大変美味でな。
次はいつ入るのかと連絡を心待ちにしていたのだ」

「そんなに美味しいんですか、その、人魚の肉」

グルメで有名な社長が心待ちにするほどとは、かなりのものだと思われる。

「ああ」

たっぷりの余韻を持たせて彼が頷く。
それだけ、人魚の肉は美味しいのだと思わせた。

「せっかくひさしぶりに入ったというのに行けないのは非常に残念だ」

「へえ。
社長がそこまで仰るのなら一度、食べてみたいですね」

しかし社長でも滅多に食べられないようだし、僕のような庶民など一生縁がないだろう。
などと思っていたが。

「だろ?
ぜひ、行ってくるといい」

「へ?」

社長がなにを言っているのかわからず、まじまじとその顔を見ていた。

「私の権利を譲るよ。
本来は会員限定なんだが、私が紹介するから問題ない。
お世話になっている君に、あの素晴らしい肉を味わってもらいたいんだ」

力強く社長が頷く。

「お世話になってるなんて、そんな。
お世話になっているのは私のほうです」

「いいから、いいから。
店のほうには私から連絡を入れておくよ」

「ありがとうございます……!」

ここまでしてくれる社長には絶対に報わなければ。
そう、誓いを新たにした。
しかし、話しているあいだにも二リットルのペットボトルが二本空いており、糖尿病にしても飲み過ぎではないかと心配になった。


仕事が終わり、社長から教えられた店へ行く。
ごく普通の……というとそこらの店よりも高級感があって語弊があるが、それでも人魚の肉を出しているというのに想像の範囲からは出ない店だった。

「あの。
紹介してもらった……」

「お待ちしておりました」

特段、なにも言われず席に案内される。

「本日は特別コースと承っておりますが、よろしいでしょうか」

「あっ、はい!
それでお願いします!」

「では、失礼いたします」

頼んだ飲み物が出てきて、コースが始まる。
オードブルはサーモンなどを使った当たり障りのないものだった。
とはいえ、いつも僕が食べている料理よりは何倍も高いのだが。
スープも、そのあとの魚料理も別に特に変わりはない。
〝人魚〟だから魚料理かもとは思っていたが、予想は外れたらしい。

口直しのソルベを食べながら、そわそわとメインの登場を待つ。

「メインの、人魚のシチューでございます」

僕の前に置かれたお皿の中身は、ごく普通のビーフシチューに見えた。
どっぷりとスープに具材が入っているスタイルではなく、煮込んだ肉をメインにボイルした野菜が添えられ、ソースがかかっている。

……これが、人魚の肉。

逸る気持ちを抑え、フォークとナイフを手に取った。
肉にナイフを入れたが、まったく抵抗がない。
フォークだけでもいけそうだ。
顔の高さまで持ち上げた、フォークに刺した肉をしげしげと見つめる。
見た目は牛肉となんら変わらない。
人魚の肉とはたまに聞くA6ランクの牛肉なんだろうか。

知らず知らず、喉がごくりと音を立てる。
おそるおそるフォークを口に入れた瞬間、僕は思いっきり目を見開いていた。

「えっ、あ?」

牛肉とは違う、甘みが口いっぱいに広がる。
しかも肉は口に入れた途端、まるで綿飴のように消えていった。

「なんだ、これ?」

二口目はさっきよりも味わって食べた。
甘みのあとに塩味がきて、最期に一瞬、苦みで終わる。
複雑な味でこんな食べ物は今まで味わったことがない。
社長が夢中になるのも納得できた。

「ああ、美味しかった……」

名残惜しく、パンで皿に残ったソースを拭う。
この世の中にこんなに美味しい食べ物があったのか。

「ご満足いただけましたでしょうか」

「はい、満足です……」

食後のコーヒーになってオーナーが挨拶に来た。
その頃になってもまだ余韻に浸っていて、ほぅ……と感嘆のため息が漏れる。

「よろしければ当店の会員になりませんか。
次回から人魚の肉が入った際、ご連絡を差し上げます」

「あー……。
どう、しようかな……」

あの肉をまた味わいたいので、できれば入りたい。
しかし今日の食事は社長の奢りだったのでいいが、一回出ていく金額を考えると迷った。

「本来なら入会料がかかるのですが、うちを贔屓にしてくださっているあの方のご紹介です。
特別に免除しますよ」

そっとオーナーに背中を押され、僕は入会を決意した。

「あー、本当に美味しかったな……」

大満足で店を出る。
社長のおかげで会員にもなれたし、今度お礼を言わなければ。

「あれ?」

歩き出そうとして、店の裏に止まった車から誰かが降りてくるのが見えた。
支えられて出てきたのは社長、だった。

「ん?
んん?」

両側から若い男性に支えられている社長の下半身が、魚のように見える。
暗闇の中、目を凝らすがすぐに店に入ってしまい、見えなくなった。

「ま、気のせいだろ」

気を取り直し、駅へと向かう。
店の裏口を照らす明かりしかなく、暗くてよく見えなかった。
それに一瞬だったし、見間違いに違いない。
もしかしたら人魚の肉なんて食べたから、そういう幻を見たのかも。

それにしても諦められず、体調が悪いのを押してまで来るとは。
けれどそこまで社長があれを食べたい気持ちはよくわかった。

「次はいつかなー」

さっき食べたばかりだというのに、早くも人魚の肉が食べたくなっていた。



翌日、お礼の品を持って会社を訪れたが、社長は不在だった。
なんでも、入院していつ退院できるかわからないのだという。
見舞いに行きたいと言ったが、断られた。
あの日の様子からしてよほど悪い病気が見つかったようで、回復を祈る。
しかしやはり、あれが人魚の肉というのはただの触れ込みだろう。
本当に人魚の肉ならば、社長が病気になったりするはずがない。
会社から出たところで、携帯が通知音を鳴らした。

「やった」

そこには例の店からメールが届いていて、人魚の肉が入ったという。
思ったよりもずっと早く再びあの肉を味わえるようだ。

その後、何度か人魚の肉を食べた。
調理方法はシチューに限らないらしく、ローストや包み焼きの日もある。
調理方法が変わればまた味も変わり、本当に素晴らしい。

「うー」

ペットボトルからごくごくと水を喉に流し込む。
僕のまわりには何本も空になったペットボトルが転がっていた。

喉が、乾いて乾いて仕方ない。
まるであの日の、社長のように。
不意に初めて人魚を食べた帰り際、見かけた社長の姿が頭をよぎる。
……まさか、ね。


【終】
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