人魚を食べる

霧内杳/眼鏡のさきっぽ

文字の大きさ
3 / 4

永遠に生きる

しおりを挟む
恋人が病にかかった。
風邪などすぐに治る病気ならいいが、あと数ヶ月の命だという。
だから俺は――友人を殺そうと決めた。

「ちょっと出掛けてくるな」

「いってらー」

軽い調子で彼が俺に手を振る。
穏やかな様子からは余命幾ばくもないなんて見えない。
しかし病はもの凄い速さで、彼を蝕んでいた。
昨日はひとりで立てたのに、今日は俺の支えがないと立てない。
もう、時間はいくらも残されていないのだと感じさせた。

「おおーい」

掲げたレジ袋を振り、暗い海へと声をかける。
まもなくしてぴちゃんと水音がしたかと思ったら、水面から男の顔が覗いた。

「ひさしぶりだね」

「そうだな」

すいすいと泳いできた彼が波打ち際に座る。
俺もその隣に腰掛けた。

「恋人の調子はどうだい?」

「あー、思わしくない」

答えながらレジ袋の中から缶ビールを出し、彼に渡す。
彼はカシュッといい音を立ててプルタブを起こし、ぐびぐびと喉を鳴らしてビールを飲んだ。

「あー、おいしー。
海の中にはこんなものないからね」

「そうだな」

苦笑いしつつ、俺も缶ビールを開けて飲む。
上半身全裸の男の下半身は魚で、彼はいわゆる人魚というヤツだった。

知り合ったのは少し前、釣りをしていた俺の針にかかった。
そのときは驚いたというより、驚きすぎて反対に釣り針にかかる間抜けな人魚がいるのだと可笑しくなった。
彼は人間の世界に興味津々で港や桟橋に近づいているらしい。
それで運悪く、俺の竿にかかった。
目をキラキラさせていろいろ聞いてくる彼が面白くてそれ以来、親しく付き合っている。

「僕も人魚の薬が人間に効かないか調べてみたんだけど、反対に毒になって殺してしまうらしい。
役に立てなくて申し訳ない」

本当にすまなさそうに彼が詫びてくる。

「いや、いい。
こっちこそ、気を遣わせてすまないな」

それに人魚の薬が役に立たなくても、彼には俺の役に立つ方法がある。
しかし俺はそれを切り出すのを迷っていた。

「君には本当にお世話になったから、どうにかしてやりたい気持ちは山々なんだけどね……」

二本目のビールを飲みながら、はぁーっと酒臭い息を彼が吐く。

「……なあ」

まるで決まらない心のように、手の中で缶を弄んだ。

「もし、オマエにしかできないことがあるんだ、とか頼んだら、やってくれるか」

彼が承知してくれなければ、恋人の命はもうすぐ尽きるのだとわかっていた。
それでもどこかで、嫌だと断ってくれと願ってしまう。
俯いていた顔を上げると、眼鏡のレンズ越しに見えた彼は真剣な表情をしていた。

「ほかならぬ君の頼みだ。
どんなものでも承知するよ」

重々しく彼が頷く。
……ああ。
どうしてオマエは、そんなにもいいヤツなんだ。
だから俺は、オマエとの時間を失いたくないのに。

「……じゃあ。
恋人のために死んで、くれ」

自分からでた声は緊張からか酷く掠れ、震えていた。
人魚の肉を食べれば、不老不死になるという。
だから俺は、恋人に彼の肉を食べさせようと思っていた。

「いいよ」

まるで今日の夕食リクエストを承知するかのごとく、軽い調子で彼が答える。
それは俺の考えを知っているかのようだった。

「ほんとにいいのか!
俺は死ねと言ってるんだぞ!」

つい、彼に怒鳴っていた。
断ってくれれば彼を殺さない口実ができる。
彼を殺すなんて恐ろしいことをしないで済む。

「いいんだって。
君の釣り上げられたとき、本当ならどこかの研究機関にでも売られて死んでいるはずだった。
でも君は僕に人間世界の話をしてくれ、人間の食べ物を食べさせてくれた。
しかも、友達とまで呼んでくれる。
そんな君に、報いたんだ」

彼の手が、俺の頬に触れる。
そのとき初めて、自分が涙を流しているのに気づいた。

「それに君が、こんなに悩んでくれたってだけで十分だよ」

俺と目をあわせ、にっこりと彼が笑う。
それでようやく、決心がついた。

しかし、いざ殺そうとすると手が震える。
そんな俺を見かねて、彼は自分の首を掻き切ってくれた。

「ありがとう。
愛してる」

それが、彼の最期の言葉だった。

どこの肉が効果があるのかわからないので、漢方ではだいたい効能のある肝と腹の肉を切り取り、持ってきたクーラーボックスへと入れた。

「本当にすまない」

残りの死体を、彼の希望どおり海へと流す。
今度生まれ変わったら、人間になれるようにと祈った。

「ただいまー」

「おかえりー」

家に帰ると恋人は、だいぶ調子がいいのかベッドで半身を起こしタブレットで本を読んでいるようだった。

「すぐにメシの用意をするな」

「メシの用意って、僕はもう食べられないの知ってるだろ」

忘れているのかと彼が呆れる。

「わかってるけど、気分の問題」

それに笑って返しながら、キッチンへと立った。
友人の肉は、固形物を受け付けなくなった恋人のためにポタージュ状に加工する。

「ほら、メシ」

「はいはい」

彼は諦めたかのようにタブレットを傍らに置いた。
簡易テーブルを置き、その上に料理した友人の肉を並べる。

「これなら少しは食べられるだろ」

「そうだね」

恋人が食べてくれそうで、安心した。
しかしスプーンを持ったものの、すぐに下ろしてしまう。

「ねえ」

「なんだ?」

「これは君が、食べるべきだと思うんだけど」

じっと、恋人がレンズ越しに俺と目をあわせてくる。
どう見ても彼のための料理なのに、なぜこんなことを言うのだろう。

「これ。
君の友達の肉だよね?」

彼の指摘で、背中が大きく震えた。

「そんなこと、あるわけねーだろ。
だいたいなんで、俺が人間の肉なんかオマエに食べさせるんだよ」

誤魔化して見せながら目が泳ぐ。

「人間じゃなくて人魚の肉、だよね?」

一瞬、心臓が止まった。
どうして彼は、知っているんだ?

「前にね、君が海辺で誰かと話しているのを見かけた。
お酒を飲んでて、本当に楽しそうだったよ。
声をかけようと近づいて、相手がただ者ではないのがわかった。
だから僕は、知らないことにしたんだ」

恋人が俺と友人が話しているのを見ていたなんて知らなかった。
しかもそんな、気を遣わせていたなんて。

「これはあの、彼の肉だよね?
だったら君が、食べるべきだ」

しかしそれと、この肉を俺が食べるべきだというのがわからない。

「これを食べれば病気が治るんだぞ?」

そのために俺は友人の命を奪い、肉を手に入れてきた。
なのになぜ、頑なに恋人は断る?

「そうだね。
でも僕は、死ぬよりも忘れられるのが怖い」

俺をじっと見る、恋人の目はどこまでも真剣だった。

「僕はずっと、君に僕を覚えておいてほしい。
そうすれば永遠に、君と一緒にいられる」

恋人のいわんとするところはわかった。
しかしそれと、人魚の肉を俺が食べるのとは繋がらない。

「じゃあ、これを食べればいいじゃないか。
それでオマエが俺を覚えておいてくれれば、永遠に一緒にいられる」

「それじゃダメなんだ」

彼が首を振って俺の言葉を否定する。

「僕は人魚の彼を知らない。
僕が生き続けたところで、人魚の彼を覚えていてあげられないんだ」

「でも、アイツはそんなこと、ひとことも……」

彼が俺の手を握り、またううんと首を振る。

「きっと人魚の彼だって、君に覚えていてほしいと願っていたはずだよ。
だって、ライバルだからね、それくらいわかる」

悪戯っぽく笑って彼が頷く。
恋人はどこまで知っているのだろう。
それでも俺は、オマエのために友人に手をかけるほど、深く愛しているのに。

「だから、ね。
これは君が食べて」

恋人が、テーブルの上の料理を俺のほうへと押す。

「そして永遠に生きて、僕とその友人を覚えていてよ。
お願いだ」

縋るように彼が俺を見る。
愛する彼に懇願され、断るなんてできなくなった。

「わかった」

食器を手に取り、スプーンを握る。
俺は友人だったものの肉を食べた。
それは酷く、苦かった。


【終】
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

意味が分かると怖い話(解説付き)

彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです 読みながら話に潜む違和感を探してみてください 最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください 実話も混ざっております

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

BL 男達の性事情

蔵屋
BL
 漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。 漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。  漁師の仕事は多岐にわたる。 例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。  陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、 多彩だ。  漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。  漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。  養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。  陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。  漁業の種類と言われる仕事がある。 漁師の仕事だ。  仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。  沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。  日本の漁師の多くがこの形態なのだ。  沖合(近海)漁業という仕事もある。 沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。  遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。  内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。  漁師の働き方は、さまざま。 漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。  出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。  休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。  個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。  漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。  専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。  資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。  漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。  食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。  地域との連携も必要である。 沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。  この物語の主人公は極楽翔太。18歳。 翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。  もう一人の主人公は木下英二。28歳。 地元で料理旅館を経営するオーナー。  翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。 この物語の始まりである。  この物語はフィクションです。 この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。

性別交換ノート

廣瀬純七
ファンタジー
性別を交換できるノートを手に入れた高校生の山本渚の物語

入れ替わり夫婦

廣瀬純七
ファンタジー
モニターで送られてきた性別交換クリームで入れ替わった新婚夫婦の話

処理中です...