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第三章 ノブレス・オブリージュ
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御子神社長――彪夏さんの実家は、古くからの高級住宅街にあった。
どこも塀の向こうは軽く森になっており、建物が見えない。
たまに見えたかと思ったら重文指定されてもおかしくないくらい年季が入っていた。
その中の一軒に車は入っていき、建物の傍にある広い駐車場に彪夏さんは車を止めた。
「ほぇ……」
車を降りて建物を見上げる。
それはイギリス貴族のお屋敷のような佇まいがあった。
「ただいま帰りました」
彪夏さんに連れられて中に入り、玄関ホール正面に飾られている絵を見て固まった。
「え、なんでここに……?」
この、幼児の描いたような、稚拙に見える風景画は父の描いたものだ。
確認しなくても断言できる。
「どうしたんだ?」
私が止まっているので彪夏さんは怪訝そうだ。
「……この絵」
絵を指した私の指は、細かく震えていた。
「ん?
この絵がどうした?」
「いつ、どこで手に入れましたか……?」
最近ならば今の父の居場所がわかるかもしれない。
いや、わかったところでなんだという話ではあるが。
しかし父は美妃が生まれたことも、もっといえば真由さんが美妃を身籠もったことすら知らないのだ。
「五、六年前かな。
知り合いから面白い画家がいるんだと薦められて、気に入ったから買ったと父は言っていたな」
「五、六年前……」
だったら前々回、家に帰ってきた頃か。
ならばこの絵は、あのとき入れてくれた、まとまったお金の一部なんだろう。
「なんだ、清子もこの絵が気に入ったのか?
しかし残念ながらこの絵は父の大のお気に入りだから、俺にも譲ってくれないんだ」
彪夏さんに促され、出迎えてくれた女性と共に家の中へと入っていく。
「そう、ですね……」
私にはあの絵のよさがまったくわからない。
わかっているのは父の絵がセレブのあいだでは高値で取り引きされているという事実だけだ。
そしてそれが、我が家の家計の一部になっているのも。
「ただいま帰りました」
「おかえりなさい、彪夏さん」
リビングでは初老の男女が私たちを迎えてくれた。
「紹介します、僕が結婚を考えている河守清子さん。
清子、父と母だ」
「はじめまして、河守清子です」
彪夏さんに紹介されて、頭を下げる。
「はじめまして、彪夏の父です」
彪夏さんのご両親もにこやかに笑ってそれに返してくれた。
「清子さんは彪夏の、秘書をしているという話だったな」
「そうなんです。
一緒に仕事をしているうちに、優しいのに凜とした強さのある清子さんにだんだん惹かれていって……」
続く話を、笑顔を貼り付けて聞いていた。
彪夏さんの私像は美化が過ぎて、笑うのを堪えるのに必死だ。
「清子さんは息子の、どこがいいのかしら?」
「あっ、そうですね」
お母さんから聞かれ、慌ててしまう。
彪夏さんのいいところ……?
いつもの好青年ぶりは演技だって知っちゃったしな。
しいていえば……。
「優しいところですね。
私には五人の弟妹がいるんですが、彪夏さんは弟妹たちにも気を遣ってくださいます。
そういうところに惹かれました」
〇・五秒で結論を出し、にっこりと笑って答える。
それにこれはあながち嘘ではない。
昨日、真が騒いでも美妃が泣いても嫌な顔すらしなかった彪夏さんは、よくできた人だと思っていた。
「まあ!
このふてぶてしい息子が優しいですってよ!
清子さんあなた、騙されてない?」
「えっと……」
興奮しているのかお母さんはお父さんをバシバシ叩いているが、これはなんと答えるのが正解なのだろう?
「ヤダな、母さん。
僕がふてぶてしいなんて」
わざとらしく声を上げて彪夏さんは笑っているが、だからふてぶてしいと言われるのでは……?
「彪夏さんは優しい、……です。
入社二年目なのに社長付きの秘書に大抜擢されてガチガチになり、失敗した私を笑って許してくれました。
あのときから彪夏さんは、私の憧れの人です」
御子神社長付き秘書になってすぐの頃。
私はアポイントメントをひとつ忘れ、すっぽかしてしまいそうになるという失敗を犯してしまったのだ。
そのときはすぐに先輩が気づいてギリギリで間に合って事なきを得た。
平謝りする私に彪夏さんは。
『まだ緊張しているんだろ?
気にするな。
それに人間だから誰だって失敗はする。
俺だって昨日、取引先の新社長の名前、間違えたしな』
怒るどころかそう言って笑い、私を許してくれた。
それはそれでどうかと思うが、おかげで失敗しないようにしなければとガチガチに緊張していた肩の力が抜けた。
あとで、彪夏さんは記憶力がよく、あれは私を慰めるためのジョークだったと知った。
そんなふうに社長に気を遣わせてしまった自分が情けなかったし、同時に感謝もした。
それ以来、御子神社長から頼られる秘書になりたいと日々、精進を続けている。
「まあ……。
この息子がそんなふうに人を気遣えるなんて!」
ぽっと頬を赤らめ、またお母さんはお父さんをバシバシ叩いている。
どうも興奮すると堪えきれなくなって、誰かを叩いてしまうみたいだ。
しかしお母さんの中で、彪夏さんはどういう人間なんだろう?
会社では部下たちを思い遣ってくれる、いい社長なんだけれど。
どこも塀の向こうは軽く森になっており、建物が見えない。
たまに見えたかと思ったら重文指定されてもおかしくないくらい年季が入っていた。
その中の一軒に車は入っていき、建物の傍にある広い駐車場に彪夏さんは車を止めた。
「ほぇ……」
車を降りて建物を見上げる。
それはイギリス貴族のお屋敷のような佇まいがあった。
「ただいま帰りました」
彪夏さんに連れられて中に入り、玄関ホール正面に飾られている絵を見て固まった。
「え、なんでここに……?」
この、幼児の描いたような、稚拙に見える風景画は父の描いたものだ。
確認しなくても断言できる。
「どうしたんだ?」
私が止まっているので彪夏さんは怪訝そうだ。
「……この絵」
絵を指した私の指は、細かく震えていた。
「ん?
この絵がどうした?」
「いつ、どこで手に入れましたか……?」
最近ならば今の父の居場所がわかるかもしれない。
いや、わかったところでなんだという話ではあるが。
しかし父は美妃が生まれたことも、もっといえば真由さんが美妃を身籠もったことすら知らないのだ。
「五、六年前かな。
知り合いから面白い画家がいるんだと薦められて、気に入ったから買ったと父は言っていたな」
「五、六年前……」
だったら前々回、家に帰ってきた頃か。
ならばこの絵は、あのとき入れてくれた、まとまったお金の一部なんだろう。
「なんだ、清子もこの絵が気に入ったのか?
しかし残念ながらこの絵は父の大のお気に入りだから、俺にも譲ってくれないんだ」
彪夏さんに促され、出迎えてくれた女性と共に家の中へと入っていく。
「そう、ですね……」
私にはあの絵のよさがまったくわからない。
わかっているのは父の絵がセレブのあいだでは高値で取り引きされているという事実だけだ。
そしてそれが、我が家の家計の一部になっているのも。
「ただいま帰りました」
「おかえりなさい、彪夏さん」
リビングでは初老の男女が私たちを迎えてくれた。
「紹介します、僕が結婚を考えている河守清子さん。
清子、父と母だ」
「はじめまして、河守清子です」
彪夏さんに紹介されて、頭を下げる。
「はじめまして、彪夏の父です」
彪夏さんのご両親もにこやかに笑ってそれに返してくれた。
「清子さんは彪夏の、秘書をしているという話だったな」
「そうなんです。
一緒に仕事をしているうちに、優しいのに凜とした強さのある清子さんにだんだん惹かれていって……」
続く話を、笑顔を貼り付けて聞いていた。
彪夏さんの私像は美化が過ぎて、笑うのを堪えるのに必死だ。
「清子さんは息子の、どこがいいのかしら?」
「あっ、そうですね」
お母さんから聞かれ、慌ててしまう。
彪夏さんのいいところ……?
いつもの好青年ぶりは演技だって知っちゃったしな。
しいていえば……。
「優しいところですね。
私には五人の弟妹がいるんですが、彪夏さんは弟妹たちにも気を遣ってくださいます。
そういうところに惹かれました」
〇・五秒で結論を出し、にっこりと笑って答える。
それにこれはあながち嘘ではない。
昨日、真が騒いでも美妃が泣いても嫌な顔すらしなかった彪夏さんは、よくできた人だと思っていた。
「まあ!
このふてぶてしい息子が優しいですってよ!
清子さんあなた、騙されてない?」
「えっと……」
興奮しているのかお母さんはお父さんをバシバシ叩いているが、これはなんと答えるのが正解なのだろう?
「ヤダな、母さん。
僕がふてぶてしいなんて」
わざとらしく声を上げて彪夏さんは笑っているが、だからふてぶてしいと言われるのでは……?
「彪夏さんは優しい、……です。
入社二年目なのに社長付きの秘書に大抜擢されてガチガチになり、失敗した私を笑って許してくれました。
あのときから彪夏さんは、私の憧れの人です」
御子神社長付き秘書になってすぐの頃。
私はアポイントメントをひとつ忘れ、すっぽかしてしまいそうになるという失敗を犯してしまったのだ。
そのときはすぐに先輩が気づいてギリギリで間に合って事なきを得た。
平謝りする私に彪夏さんは。
『まだ緊張しているんだろ?
気にするな。
それに人間だから誰だって失敗はする。
俺だって昨日、取引先の新社長の名前、間違えたしな』
怒るどころかそう言って笑い、私を許してくれた。
それはそれでどうかと思うが、おかげで失敗しないようにしなければとガチガチに緊張していた肩の力が抜けた。
あとで、彪夏さんは記憶力がよく、あれは私を慰めるためのジョークだったと知った。
そんなふうに社長に気を遣わせてしまった自分が情けなかったし、同時に感謝もした。
それ以来、御子神社長から頼られる秘書になりたいと日々、精進を続けている。
「まあ……。
この息子がそんなふうに人を気遣えるなんて!」
ぽっと頬を赤らめ、またお母さんはお父さんをバシバシ叩いている。
どうも興奮すると堪えきれなくなって、誰かを叩いてしまうみたいだ。
しかしお母さんの中で、彪夏さんはどういう人間なんだろう?
会社では部下たちを思い遣ってくれる、いい社長なんだけれど。
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