清貧秘書はガラスの靴をぶん投げる

霧内杳/眼鏡のさきっぽ

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第六章 弟たちのため?私は……

6-2

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「彪夏!」

デザートまでふたりでしっかり堪能し、そろそろ帰ろうかと会場を出かけたところで、彪夏さんと同じくらいの歳の男性に呼び止められた。

浩二こうじ
ひさしぶり!」

彼とは旧知の仲らしく、肩を抱きあってバンバン背中を叩いている。

「これは失礼。
私は彪夏さんの友人の、芝浦しばうら浩二と申します」

戸惑ってみている私に気づいたのか、すぐに男性は挨拶してくれた。

「あ、私は彪夏さんの……婚約者、の、河守清子と申します」

婚約者とか言うのはなんかあれだが、しかしそう名乗らなければ、私なんてここにはいられない人間なのだ。

「河守清子さん……?」

私の名前を聞いて彼は、なにかを思い出そうとしているのか、宙を見ている。

「もしかして、ショーヘー画伯の娘さんですか……?」

少しして目的の答えにたどり着いたのか、彼は私へ視線を向けてきた。

「……はい。
ショーヘーは……父、です」

心臓がどっどどっどと速く脈打ち、全身から冷たい汗が出る。
まさか、こんなところで父を知っている人間に会うなんて。
いや、父の絵はセレブのあいだでは人気なので、こんなところだから、か。

「どうして、私のことを……?」

しかし、私があのショーヘーの娘だと知る人間はそうそういないはずだ。
彪夏さんだって実家に父の絵を飾っていたが、気づかなかった。

「半年ほど前かな。
アフリカに仕事で行った際、行き倒れていたお父さまのお世話をしたんですよ。
そのときにご家族のことを話しておられたので」

「父がご迷惑をおかけして、申し訳ありません!」

反射的に勢いよく頭を下げていた。
あの人はこう、どうして私たちだけではなく人に迷惑をかけるのだろう。

「えっ、頭を上げてください!」

そう言われても恥ずかしさと申し訳なさで頭は上げられなかった。

「清子」

彪夏さんに声をかけられ、びくんと身体が震える。
おそるおそる顔を上げると彼と眼鏡越しに目があったけれど、怖くてすぐに逸らしてしまった。

「私は迷惑だなんて思っていません。
むしろ、あのショーヘー画伯にお会いできてラッキーでした。
お礼にと絵を描いていただき、反対に申し訳ないくらいです」

芝浦さんは笑っているが、それでも恐縮してしまう。
 
「お父さまはお元気ですか?」

「あの。
もう一年以上会っていないのでわかりません……」

頭頂部に刺さる彪夏さんの視線が痛い。
今すぐここから逃げだしてしまいたいが、そういうわけにはいかなかった。

「そうですか。
まあ、彼のことですからどこかで元気にやっているんでしょうね」

「そう、ですね」

曖昧に笑い、彼にあわせておいた。
それに父がどこかで野垂れ死ぬ心配だけは、不思議としてない。
たとえミサイルの直撃を受けようと、「あれ? 今なんかあった?」とへらへら笑って怪我ひとつないイメージなのだ、我が父は。

「まさか、ショーヘー画伯の娘さんと彪夏が婚約するなんて思ってなかったよ」

「俺もだ」

なんて彪夏さんは笑っているが、彼のそれは本当に今、驚いているのだろう。
……いろいろな意味、で。

「式には呼んでくれよな」

「もちろんだ」

ふたりの談笑を、笑顔を貼り付けて聞いていた。
 
「じゃあ、また」

「ああ」

ふたりの話が終わり、今度こそ会場を出る。
車に乗っても彪夏さんは無言で空気が重い。
正直に謝ったほうがいいんじゃないかと考えていたら、彪夏さんが口を開いた。

「……なんで黙っていた?」

責めるわけでもなく、フラットな彪夏さんの声を聞いて頭に血が上る。

「言えるわけないじゃないですか!
家族も顧みずにふらふらして帰ってこない、家にもお金を入れない父だなんて!」

彪夏さんは悪くない、彼が誤解しているとわかっていながら、訂正しなかったのは私だ。
それでも逆ギレしていた。

「コンビニ行ってくるって家を出たっきり何年も帰ってこないのが普通な父親がいるなんて言えますか?
父親はいるもののお金を入れてくれないから貧乏なんです、なんて言えますか?
言えないですよね、普通」

「……すまん」

一気に捲したてたら、彪夏さんは謝ってきた。
それで一気に頭が冷える。

「その。
……すみません、彪夏さんは悪くないのに」

なんで、私はこんなことを。
ここは素直に謝るところじゃないか。

「いや、いい。
清子の気持ちはわかる」

ちらりと眼鏡の奥から、彪夏さんの視線がこちらへ向かう。
それになんと返していいのかわからず、黙ってしまった。
 
「ひとつ、聞いていいか」

少しして聞きにくそうに彪夏さんが聞いてくる。

「父親が家に金を入れてくれないって、本当か?
……って、本当だから貧乏なんだよな」

彪夏さんの疑問はもっともだ。
父の絵は大きさにもよるが、一枚数百万円で売れる。
お金がないわけでもないのに家に入れないのは不思議に思うだろう。

「あの人すぐに、お金を怪しげな事業に投資するんですよ……」

はぁーっと憂鬱なため息が私の口から落ちていく。
芝浦さんの言っていた半年前、まさにアフリカから手紙が来た。

【黒ダイヤの採掘事業に出資しています。
今度こそみんなをお金持ちにしてあげられるよ。
楽しみに待っててね。
採れた黒ダイヤの一部を送ります】

そして小袋に入れた小石が同封してあった。
仮に本物だとして、普通郵便でそんなものを送ってきたことにはなにも言わない。
それが父クオリティなのだ。
しかしこれは黒ダイヤではないと断言できる。
健太の金槌で叩いて確かめる案は、億が一の可能性があったら困るので却下した。
しかし鑑定に出すお金があるわけでもなく、それにタダの石ころだったときにもったいない。
それで健太の担任である理科の先生に見てもらったら、やはりなんの価値もない石ころだとお墨付きをもらった。

父は万事、そんな感じで騙されて常にお金がない。
さすがに家にいるあいだに売れたお金は、変な投資につぎ込む前に取り上げているが。
 
「……まあ、天才って変人が多いからな」

私の話を聞き彪夏さんは苦笑いしているが、これは慰められたんだろうか。

「清子って俺が思ってた以上に苦労してるんだな」

「可哀想だねとか、大変だねとか言いたいんですか」

今まで私の話を聞いた人は必ず、そう言って同情してきた。
でも私は大変ではあったけれど、可哀想ではない。
貧乏ながらに家族で楽しくやってきたのだ。
反発はあったが、受け入れていれば穏便に済むので、今まではそうしてきた。
彪夏さんもあの人たちと同じなんだろうか。

「んー、大変だとは思うけど、可哀想は違うかな。
清子んち、いつ行っても笑顔が絶えなくて楽しそうだし」

彪夏さんはちゃんと、我が家を見ていてくれた。
それだけでも嬉しいのに。

「それに清子が欲しいのはそんな安い同情じゃないと思うんだよな。
頑張ったなっていうのもなんか違う気がするし、わるい、うまい言葉が見つからない」

「……いえ。
それだけで十分です」

この人はこんなにも、私のことを考えてくれている。
それは私の心を満たしていった。
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