清貧秘書はガラスの靴をぶん投げる

霧内杳/眼鏡のさきっぽ

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第七章 私を恋に落としてどうする気なんだろう

7-2

「では、本日の仕事は以上になります」

「ん、お疲れ」

私と目をあわせ、彪夏さんがにかっと笑う。
それに心臓が解くんと甘く鼓動したが、気づかないフリをした。

「それでは、失礼します」

「あ、清子」

退室しようとしたところで彪夏さんから声をかけられ、足を止める。

「来週の水曜、夕方から休みたいんだが、いいか?」

「来週の水曜……」

私の記憶ではなにもなかったと思うが、一応手帳を開いて確認した。

「何時くらいからですか?」

「そうだな……ここから清子の家まで有料使えば三十分くらい、そこからウッサーランドまで三十分だから六時……?」

彪夏さんはなにやら計算しているが、我が家に寄ってウッサーランドなどという不穏なワードが聞こえて落ち着かない。
ちなみにウッサーランドとは、ウッサーくんとウサミちゃんがいる、夢の国だ。

「でも、健太たちを拾わなきゃいけないし……五時だな!」

ぱっと顔を上げた彼は実にいい顔で笑っていて、眩しすぎてつい目を細めてしまった。

「あの、確認しますが、弟たちをウッサーランドに連れていこうとしていますか?」

「そうだが?」

なにを聞かれているのかわからないというふうに、彪夏さんが眼鏡の向こうで何度か瞬きをする。

「ええっと、それはさすがに、悪いです」

報酬でもなんでもないのに、あんな高価なテーマパークに連れていってもらうなんて、できるはずがない。
少し前に夢も国も値上がり、チケットが一万円なんてニュースでやっていたくらいだ。

「悪くないだろ。
あんな素敵なバースデーパーティを開いてくれたんだ、お礼にこれくらいするべきだろ?」

「そう、ですね……」

彪夏さんはドヤ顔だが、曖昧に笑って左の壁に目を向ける。
そこには望の描いた彪夏さんの絵が、額装されて飾られていた。
彼はお客様が来るたびに、義弟が描いてくれたのだと自慢している。

……彪夏さんがいいなら、いいか。
それに私を含め家族は誰もランドに行ったことがないので、喜ぶに違いない。

「少し調整が必要ですが、御子神社長のスケジュールは大丈夫だと思います。
弟たちの都合はわかりませんが」

「健太たちには今日、都合を聞きに行く」

それはもう決定事項らしいので、もうなにも言わなかった。

「それで清子、あとどれくらいで仕事は終わるか?」

「あと二時間……一時間半で終わらせます」

残りの仕事を計算し、返事をする。
あれとあれは下処理すれば他の人に回せるし、なんとかなるはず。
あまり、彪夏さんをお待たせするのも悪いし。

「わかった。
でも、無理はするなよ?」

「ありがとうございます。
では、失礼します」

今度こそ社長室を退室し、ギリギリ走らない速さで秘書室へと急ぐ。

「お疲れ様です!
嶋谷しまたに室長、打ち合わせいいですか?」

「いいよ」

急いで直行してきた私に何事か感じ取ったのか、嶋谷室長は苦笑いした。

私は秘書検定準一級とはいえ、秘書歴はやっと二年を過ぎたばかり。
本来なら社長秘書なんてまだ無理なのだ。
それを一年前の四月、抜擢した彪夏さんの、心の内はいまだにわからない。
とにかくそんな事情なので、秘書室のベテラン数人が補佐について助けてくれていた。

「あ、それってそういうことなんですね」

「うん、そう。
だからこういうときは……」

彪夏さんより少しだけ年上の嶋谷室長が、丁寧に明日の注意点などを教えてくれる。
少し垂れた目もとが優しげな彼は、その顔と同じく穏やかで優しい。
恋をするならきっと、嶋谷室長のような人だと思っていた。

「以上かな。
またなんかあったら、朝の打ち合わせのときに」

「わかりました。
ありがとうございます」

室長は無駄な時間を使わないので、打ち合わせは三十分ほどで終わった。
これなら残りの書類処理で宣言どおり終わりそう、かな。

あとは最速でキーを打ち続けた。
とにかく、言ったとおりに仕事を終わらせないと……。

「清子!
仕事は終わったか!」

時間ぴったりに彪夏さんが秘書室に迎えに来る。
あの人は待てができないのだ。

「あと五分で終わりますから、ちょっと待っててください!」

「わかった」

彪夏さんには目も向けず、画面だけを見てキーを打ち続けた。
ちなみに、思ったよりかかってあと三十分とか一時間とかになっても、素直に待ってくれる。
その分を誰かにさせるなんていう特別扱いを、彪夏さんは絶対にしない。
そういう、常識のある人で本当によかった。

「よしっ、と」

書類の処理が終わり、パソコンを落とす。
そこまでして初めて、隣に人の気配を感じた。
目を向けると、空いていた隣の席に座り、机に頬杖をついて彪夏さんが見ている。

「終わったのか?」

目があった途端、実に嬉しそうににぱっと彼が笑った。

「お、終わりました……ケド」

おかげで、あっという間に頬が熱を持っていき、語尾がぎこちなくなってしまう。

「じゃあ、帰ろう」

私が片付けを終わらせたタイミングで、彪夏さんがぐいぐい手を引いていく。
半ば引きずられるようにドアへと向かった。

「じゃあ、お疲れー。
お前らも早く帰れよ?」

「お疲れ様でしたー」

お疲れ様です、という声と共に、くすくすと笑い声が聞こえる。
社内では私と彪夏さんの婚約はもう、公表されていた。
前にも増して彪夏さんが私にかまうようになり、微笑ましくなっているようだ。

「あれだったら弁当かなんか買っていくが、もう遅いよな」

「そうですね」

時刻は八時半になろうとしている。
実家に着くのは九時前くらいになるだろう。

「仕方ない。
今日はこれで我慢してもらうか」

彪夏さんがちらりと視線を向けた後部座席には、お洒落なレジ袋が三つほど転がっていた。
あの袋は見覚えがある、近所で美味しいと評判のパン屋のものだ。
うちの社員がよく通っている。
私は、買ったことがないけれど。
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