清貧秘書はガラスの靴をぶん投げる

霧内杳/眼鏡のさきっぽ

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第七章 私を恋に落としてどうする気なんだろう

7-4

――翌週、水曜日。

「清子!
行くぞ!」

夕方、秘書室に現れた彪夏さんは、すでに私服になっている。

「えっ、もうそんな時間ですか!?」

こんな日に限って、資料作成に手こずっていた。
このままでは夜まで終わりそうにない。

「申し訳ないんですが、私を置いていってください」

私に付き合わせて遅くなり、ランド滞在時間がほとんどないとかになったら、楽しみにしている弟たちに申し訳なかった。

「なに言ってるんだ、清子も一緒に行くに決まってるだろ?」

私の後ろに立ち、彪夏さんはパソコンの画面をのぞき込んだ。

「ここ、間違ってるぞ」

「うそっ!?」

指された場所を確認したら、確かに間違っていた。
これでは私がランドに行くなんて、絶望的だ。

「ううっ、行きたいのはやまやまなんですが、弟たちとだけで行ってきてください……」

ポチポチと力なく、指摘された場所を修正する。
私だってウッサーランドに行くのを楽しみにしていた。
楽しみにしすぎて子供のように昨晩、なかなか眠れなかったくらいだ。
なのに、こんなことになるなんて……。

「あー、河守さん?
それは僕がやっとくから、今日はもう帰っていいよ」

苦笑いで嶋谷室長が声をかけてくれる。

「でも、これは私がやるべき仕事なので」

彪夏さんはなにか言いたそうだったが、それよりも早く口を開いた。
私が一人前じゃないから、室長たちが仕事を負担してくれている。
ならば自分に与えられた仕事は、きちんとやり遂げるべきだ。

「うん、河守さんのそういう、責任感のあるところはいいと思うよ。
いつもなら時間がかかってもやってもらう。
けど、今日は、ね?」

困惑気味に嶋谷室長が見上げた先には、私に圧をかけている彪夏さんの顔がある。
私だけならいいが、こんな圧の強い社長に居座られたら迷惑だろう。

「……わかりました」

今はここから早く彪夏さんを引き離すのが、私の重要な仕事だと理解した。

「ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします!」

勢いよく室長に頭を下げ、席を立つ。

「ほら、行きましょう」

彪夏さんを促し、秘書室を出た。

「仕事はよかったのか?」

少しだけ心配そうに彪夏さんが聞いてくるが、邪魔をしたのは誰ですか?
そして間近で、一連のやりとりを聞いていましたよね?

「そうですね、誰かさんのおかげで嶋谷室長が代わってくださいました」

はぁーっと、物憂げにため息をつく。
これで少しくらい、ああいうのは困るとわかってほしい。

「嶋谷にはあとで、礼をしないといけないな」

そんなことをいいながら、到着したエレベーターに乗る。
わかっているんだか……ううん。
きっと彪夏さんなら、今日は自分の我が儘を通したとわかっているんだと思う。
そうじゃないとみんな着いていかないし、私だって尊敬しない。
――それに。

秘書室に差し入れるならなにがいいかと思案している彪夏さんをちらり。
いつもは私の仕事を待ってくれている彼が、今日はあんなに急かしてきた。
このあとの時間があるのもあるが、それだけ楽しみにしていたんだと思う。
そういうのがちょっと、可愛かった。

「清子、違う。
こっちだ」

いつもの車に向かおうとしたら、少し離れた区画へと連れていかれた。
そこには大型のミニバンが停めてある。
さらに、助手席と運転席後部席にチャイルドシートを設置してあった。

「どうしたんですか、これ?」

私の記憶が正しければ、彪夏さんの所有する車の中にミニバンはなかったはずだ。

「買った」

コンビニでお茶を買ったくらいのテンションで言われても、困る。

「いつものSUVだと清子の家族全員乗れないだろ?
だから買ったんだ」

そのためだけにこんな高級車を買う、彪夏さんの感覚がわからない。
私が貧乏人だからなんだろうか。

「そう、ですか……」

しかし、なにを言っても彪夏さんには無駄なので、そこはもう諦めてなにも言わずにおいた。

「望が助手席で美妃を運転席の後ろにしたが、よかったか?」

「いいと思います」

一瞬、なんで望が助手席なんだろうとは思ったが、車内スペースの問題だと気づいた。
後部座席にチャイルドシートを二つ置くと狭くなっちゃうもんね。

美妃用のチャイルドシートの隣に私が座り、出発する。
途中、保育園へ望と美妃を迎えに行った。

「河守です、望と美妃を迎えに来ました」

「こ、こんにちは」

出てくれた保育士さんが、ぽっと顔を赤らめて急に髪とか気にしだす。
私の後ろに彪夏さんというイケメンが立っているせいだというのはわかるが、なんかそれにムッとした。

「さやねぇちゃん!」

すぐに望と、美妃を抱いた保育士さんが出てくる。
彼女も彪夏さんの顔を見て、急にそわそわしだした。

「ひゅうがおにぃちゃん!」

かけよってきた望は私ではなく、彪夏さんに抱きついた。

「今日もいっぱい、遊んだか?」

「うん!」

元気よく頷いた望を、彪夏さんが軽々と抱き上げる。

「お姉さん、こちらの方は……?」

ちら、ちらっと保育士さんふたりの視線が彪夏さんに向かう。

「あっ、えっと。
……婚約者、です」

「いつも望と美妃がお世話になっております」

彪夏さんがにっこりと微笑んだ途端、目の前にいる保育士さんだけではなく、お迎えに来ていた他のお母さんたちからも小さく悲鳴が聞こえた。

「これからもふたりを、よろしくお願いします」

「あっ、こちらこそ!」

彪夏さんに頭を下げられ、ふたりが慌てて頭を下げる。

「では、今日はこれで」

「あっ、はい!
望くん、美妃ちゃん、さようならー」

保育士さんに見送られ、美妃を抱いて歩きだした彪夏さんのあとを追う。
チャイルドシートに望たちを座らせ、実家へと向かった。

斜め前にある、彪夏さんの顔を盗み見る。
本当は健太が時間があるから、望たちを迎えに行くと言っていたのだ。
それを、どうせ巧を迎えに行くし、一度帰ってくるの大変だろとやめさせ、俺が迎えに行くからいいと押し切ったのは彪夏さんだ。
そのときはそれもそうだなと思っていたが、もしかして望がいじめられた件もあるし、さりげなく釘を刺しに来たのかな。
なんとなく、そんな気がした。

彪夏さんが大会社の社長だと名乗らなくても、その身なりと雰囲気でかなりのお金持ちだというのはわかる。
それに、イケメンの機嫌を損ねて嫌われるのは嫌だもんね。
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