清貧秘書はガラスの靴をぶん投げる

霧内杳/眼鏡のさきっぽ

文字の大きさ
63 / 64
最終章 心に決めた人

10-8

しおりを挟む
「清子。
先方の奥様への出産祝い……」

「もう手配済みです」

彪夏さんが言い終わらないうちに返事をする。
長い足で社内を歩く彼を、後ろから追いかけた。

「ちなみに、なんにしたんだ?」

「親子で使えるマッサージオイルとスキンケア用品、あとはスタイですね」

「上出来」

社長室に戻ってきてふたりきりになった途端、振り返った彪夏さんはキスしてきた。

「……仕事中はキス禁止ですが?」

私の声は冷たかったが、仕方ない。

「可愛い清子が隣にいるのに、キスするなっていうほうが無理だろ?
ここまで我慢してたんだから、許せ」

懲りないのか彪夏さんは笑っている。
彼はちょっとでも嬉しいと、すぐに私にキスしたがった。
さすがに仕事中は困ると禁止にしたのに、これだ。

「もー、諦めましたけどね……」

それでもふたりきりのときだけ、しかも軽く唇を重ねるだけで済ませているので、まあいいかとか思っている私は甘いんだろうか。

あのあと。
私は御子神社長付秘書に復帰した。
彪夏さんと心を通じ合わせて悩みがなくなり、仕事に打ち込めるようになったのもある。
それに。

「台湾のホテルの資料、集めました。
今度フェアをする、抽選会のマスコミ発表も手配済みです」

「やる気満々だな、清子」

私の報告を聞き、面白そうに彪夏さんがニヤリと笑う。

「当然です」

私は、私を支えてくれる彪夏さんを、公私ともに支えたいのだ。

仕事が終わり、私が帰るのは彪夏さんのレジデンスだ。
あのあと、すぐに引っ越した。
家族もこの週末に、引っ越す予定になっている。

「そういや父上、またいなくなったんだってな」

入浴を済ませ、まったりリビングで過ごしながら彪夏さんが聞いてきた。

「そーなんですよ」

ふたりで並んでソファーに座り、ほてりを抑えるようにスパークリングウォーターを飲んでいるだけだが、この時間が一日で一番、好きだったりする。

「突然、『アイスが食べたい!
コンビニ行ってくる!』って出ていって、それっきり」

呆れてしまうというかなんというか。
まあ、それが父らしいところでもあるから、仕方ない。
……と、諦められるくらいにはなった。

「そうか、本当に困った父上だ」

彪夏さんも私と一緒に笑っている。
もう、それしかできないのだ。



週末、実家へ行って荷物を運び出す。
といっても、家具家電はほとんど彪夏さんが新しく揃えてくれたので、持っていくものはさほどない。

「今度はオレの部屋がもらえるんだよな!」

「そーだよー」

真は自分の部屋がもらえるのが嬉しいのか、大興奮だ。

いつもお世話になっている画商の人も来たので、今回、父が残していった絵を整理する。

「全部売るのか?」

「そーですね……」

今まではこれが貴重な生活費だったが、これからは彪夏さんが面倒を見てくれるので残してもいいかな……?

「欲しいのがあったらあげますよ」

「マジか」

彪夏さんは驚いているが、別に、ねぇ。
それに、これからお世話になるお礼としても悪くない。

画商の人と一緒になって彪夏さんも絵を選んでいる。
それにしても、この絵のどこがいいんだろう?
私にはちっとも、父の絵のよさがわからない。

「清子、これ」

呼ばれて、広げられていた絵を見る。
ひときわ大きなそれには父にしては珍しく、人物が描いてあった。

「ねえ。
みんな、これ見て」

私の声で家族全員が寄ってくる。

「これって……」

家族全員、戸惑いを隠せない。
その絵は結婚式の風景で、花嫁と花婿を中心に五人の男性と三人の女性が描かれていた。

「たぶん清ねぇと俺たち、だよな?」

「にしては、女の人がひとり、多くない?」

花嫁と花婿を取り囲み、祝福している男女の大小は、ちょうど家族と一致する。
しかし、大人と思われる女性が花嫁以外にふたりいるのだ。

「もしかして清子の、実の母上じゃないか?」

「あ……」

彪夏さんに指摘されて気づいた。
この女性が着ているピンクのワンピースはきっと、唯一父が買ってくれた服で、母が気に入ってよく着ていたものだ。

「そっか……」

温かいものが胸を満たしていく。
父の中では母も、まだ立派な家族なんだ。

「それにしてもお父さん、こんな絵、描いてたんだ」

私の記憶では、父が家族の絵を描いたのはこれが初めてだ。
どういう心境の変化なんだろう?
もしかして彪夏さんの言葉が、少しは父の心に届いたのかな……。

「この絵は売れないな」

「そうですね」

笑って、彪夏さんを見上げる。
絵の中で私も彪夏さんも、家族もみんな笑っている。
しかも、ちゃんと父がいて亡くなった母もいる。
こんな素敵な絵、売れるわけがない。

「大事にしないとな」

「はい」

あんな父だが、私たちを思い、結婚を祝福してくれている。
父に対してのわだかまりが、完全になくなった気がした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

結婚直後にとある理由で離婚を申し出ましたが、 別れてくれないどころか次期社長の同期に執着されて愛されています

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「結婚したらこっちのもんだ。 絶対に離婚届に判なんて押さないからな」 既婚マウントにキレて勢いで同期の紘希と結婚した純華。 まあ、悪い人ではないし、などと脳天気にかまえていたが。 紘希が我が社の御曹司だと知って、事態は一転! 純華の誰にも言えない事情で、紘希は絶対に結婚してはいけない相手だった。 離婚を申し出るが、紘希は取り合ってくれない。 それどころか紘希に溺愛され、惹かれていく。 このままでは紘希の弱点になる。 わかっているけれど……。 瑞木純華 みずきすみか 28 イベントデザイン部係長 姉御肌で面倒見がいいのが、長所であり弱点 おかげで、いつも多数の仕事を抱えがち 後輩女子からは慕われるが、男性とは縁がない 恋に関しては夢見がち × 矢崎紘希 やざきひろき 28 営業部課長 一般社員に擬態してるが、会長は母方の祖父で次期社長 サバサバした爽やかくん 実体は押しが強くて粘着質 秘密を抱えたまま、あなたを好きになっていいですか……?

自信家CEOは花嫁を略奪する

朝陽ゆりね
恋愛
「あなたとは、一夜限りの関係です」 そのはずだったのに、 そう言ったはずなのに―― 私には婚約者がいて、あなたと交際することはできない。 それにあなたは特定の女とはつきあわないのでしょ? だったら、なぜ? お願いだからもうかまわないで―― 松坂和眞は特定の相手とは交際しないと宣言し、言い寄る女と一時を愉しむ男だ。 だが、経営者としての手腕は世間に広く知られている。 璃桜はそんな和眞に憧れて入社したが、親からもらった自由な時間は3年だった。 そしてその期間が来てしまった。 半年後、親が決めた相手と結婚する。 退職する前日、和眞を誘惑する決意をし、成功するが――

FLORAL-敏腕社長が可愛がるのは路地裏の花屋の店主-

さとう涼
恋愛
恋愛を封印し、花屋の店主として一心不乱に仕事に打ち込んでいた咲都。そんなある日、ひとりの男性(社長)が花を買いにくる──。出会いは偶然。だけど咲都を気に入った彼はなにかにつけて咲都と接点を持とうとしてくる。 「お昼ごはんを一緒に食べてくれるだけでいいんだよ。なにも難しいことなんてないだろう?」 「でも……」 「もしつき合ってくれたら、今回の仕事を長期プランに変更してあげるよ」 「はい?」 「とりあえず一年契約でどう?」 穏やかでやさしそうな雰囲気なのに意外に策士。最初は身分差にとまどっていた咲都だが、気づいたらすっかり彼のペースに巻き込まれていた。 ☆第14回恋愛小説大賞で奨励賞を頂きました。ありがとうございました。

契約書は婚姻届

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「契約続行はお嬢さんと私の結婚が、条件です」 突然、降って湧いた結婚の話。 しかも、父親の工場と引き替えに。 「この条件がのめない場合は当初の予定通り、契約は打ち切りということで」 突きつけられる契約書という名の婚姻届。 父親の工場を救えるのは自分ひとり。 「わかりました。 あなたと結婚します」 はじまった契約結婚生活があまー……いはずがない!? 若園朋香、26歳 ごくごく普通の、町工場の社長の娘 × 押部尚一郎、36歳 日本屈指の医療グループ、オシベの御曹司 さらに 自分もグループ会社のひとつの社長 さらに ドイツ人ハーフの金髪碧眼銀縁眼鏡 そして 極度の溺愛体質?? ****** 表紙は瀬木尚史@相沢蒼依さん(Twitter@tonaoto4)から。

シンデレラは王子様と離婚することになりました。

及川 桜
恋愛
シンデレラは王子様と結婚して幸せになり・・・ なりませんでした!! 【現代版 シンデレラストーリー】 貧乏OLは、ひょんなことから会社の社長と出会い結婚することになりました。 はたから見れば、王子様に見初められたシンデレラストーリー。 しかしながら、その実態は? 離婚前提の結婚生活。 果たして、シンデレラは無事に王子様と離婚できるのでしょうか。

鬼隊長は元お隣女子には敵わない~猪はひよこを愛でる~

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「ひなちゃん。 俺と結婚、しよ?」 兄の結婚式で昔、お隣に住んでいた憧れのお兄ちゃん・猪狩に再会した雛乃。 昔話をしているうちに結婚を迫られ、冗談だと思ったものの。 それから猪狩の猛追撃が!? 相変わらず格好いい猪狩に次第に惹かれていく雛乃。 でも、彼のとある事情で結婚には踏み切れない。 そんな折り、雛乃の勤めている銀行で事件が……。 愛川雛乃 あいかわひなの 26 ごく普通の地方銀行員 某着せ替え人形のような見た目で可愛い おかげで女性からは恨みを買いがちなのが悩み 真面目で努力家なのに、 なぜかよくない噂を立てられる苦労人 × 岡藤猪狩 おかふじいかり 36 警察官でSIT所属のエリート 泣く子も黙る突入部隊の鬼隊長 でも、雛乃には……?

あまやかしても、いいですか?

藤川巴/智江千佳子
恋愛
結婚相手は会社の王子様。 「俺ね、ダメなんだ」 「あーもう、キスしたい」 「それこそだめです」  甘々(しすぎる)男子×冷静(に見えるだけ)女子の 契約結婚生活とはこれいかに。

美しき造船王は愛の海に彼女を誘う

花里 美佐
恋愛
★神崎 蓮 32歳 神崎造船副社長 『玲瓏皇子』の異名を持つ美しき御曹司。 ノースサイド出身のセレブリティ × ☆清水 さくら 23歳 名取フラワーズ社員 名取フラワーズの社員だが、理由があって 伯父の花屋『ブラッサムフラワー』で今は働いている。 恋愛に不器用な仕事人間のセレブ男性が 花屋の女性の夢を応援し始めた。 最初は喧嘩をしながら、ふたりはお互いを認め合って惹かれていく。

処理中です...