溺愛社長の2度目の恋

第9話 幸せになるのを許してほしい

9-4

病院での処置が終わり、家に帰る。

「夏音に怪我がなくてよかった……！」

また目にいっぱい涙を溜め、有史さんは私を抱き締めた。
そんな彼の眼鏡にはヒビが入り、こめかみには大きなガーゼが貼られ、手にも包帯が巻かれている。
軽い打ち身の私とは違い、彼のほうが重傷だ。

「あの……」

「夏音まで事故で失ったら、僕は生きていけない」

大げさ……でもないか。
有史さんは深里さんを事故で失っている。
きっと身近な人をまた事故で失うのがつらいのだと思ったものの。

「夏音が死んだら、今度は僕も死ぬよ」

「……え？」

ぼそりと落とされた声は重く、彼の顔を見ていた。

「有史、さん？」

「僕は夏音を失いたくない。
檜垣にだって渡したくない」

レンズの向こう、彼の目には強い嫉妬の炎が燃えている。

「なにを、言って」

檜垣さんを私に勧めたのは有史さんだし、結婚だって反対しなかった。
なのにいまさら、なにを言っているんだろう。

「あー、ちょっと待って」

私を止めるように片手を前に出し、もう片方の手で照れたように有史さんは顔を隠した。

「僕も自覚したのはついさっきなんだ。
だからまだ、上手く気持ちの整理ができてないというか……」

自覚?
気持ちの整理?
さっきから有史さんがなにを言いたいのかさっぱりわからない。
すーはーとしばらく深呼吸したあと、彼は改めて口を開いた。

「僕は夏音が好き」

真っ直ぐに有史さんが私を見る。
レンズの向こう、強い意志のこもる目に、心臓がどくんと一回、強く鼓動した。

「……みたいなんだ」

しかしすぐに、自信なさげに逸らされた。

「……みたい、とは？」

そんな、他人事のように言われても困る。

「だからー、まだ気持ちの整理ができてないの」

ままならい気持ちをどうにかするように、有史さんは自分の髪を掻き回している。

「僕はもう、深里以外の人間を愛せないのだと思ってた。
でも、夏音の泣きそうな顔を見て、僕はそうやって思い込んで、夏音への感情を見て見ぬフリをしていたんだって気づいたんだ」

彼の両手が、私の両手を取った。

「いっぱい傷つけてごめん。
もうこんなことを言う資格なんかないんだろうけど。
でも、僕は夏音が好きだ。
愛してる」

レンズ越しに目をあわせ、じっと有史さんが私を見つめる。
こんなに悲しくなる愛の告白があるのだと初めて知った。

「……遅いんですよ。
私は檜垣さんとの結婚を、受け入れたんですから」

気持ちをぶつけるように、とん、とん、と力なく彼の胸を叩く。
もういまさら、断れない。
私にだってそれくらい、わかる。

「そうだよね、もう離婚届も出しちゃっただろうし」

有史さんの口から乾いた笑いが落ちていく。

「……出してないです」

「え？」

「出してないです、離婚届」

真円を描くほど、大きく有史さんの目が見開かれる。

「夏音！」

「えっ!?」

なんの予告もなく、いきなり有史さんから思いっきり抱きつかれた。

「よかった、まだ離婚届、出してなかったんだ」

興奮しているのか、バンバンと痛いくらい背中を叩かれる。

「……どうしても、サインできなくて」

「うん、うん、僕はもう、夏音に愛想尽かされて、とっくの昔に離婚が成立しているとばかり思っていたよ。
よかった、夏音がまだ僕の奥さんでよかった」

「有史さん……」

これ以上ないほど、彼は喜んでいる。
しかし問題が解決したわけではない。

「だったら、大丈夫だよ。
僕が檜垣に謝って、夏音を返してくれって土下座するよ」

「謝るのは私も一緒です」

私が流され、有史さんに当てつけて檜垣さんとの結婚を承知したのが、そもそもの間違いだったのだ。
檜垣さんには誠心誠意、謝罪しなければ。

「そうだね、ふたりで謝ろう」

有史さんの手が私の頬に触れ、指先が目尻を撫でる。

「許してくれますかね？」

その手に自分の手を重ね、甘えるように頬を擦りつけた。

「きっとふたりなら大丈夫だよ」

「そうですね」

目尻を下げ、にっこりと有史さんが笑う。
その顔を見て、大丈夫だという気持ちになれた。