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最終章 そのときは
6-1
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安高課長――安高は警察に取り押さえられ、捕まった。
最後の切り札として拳銃を大事に隠し持っていたのだ。
とことん、卑怯なヤツだと思う。
ちなみにその拳銃はフリマアプリで手に入れたという。
以前から無法地帯になっているそれは問題になっていたが、こんなものまで放置していたとなればついに警察の手が入るだろう。
彼に撃たれた猪狩さんは今、集中治療室に入っている。
腰を一発、太股を一発、撃たれたが、特に太股の一発が大きな動脈を傷つけており、出血が酷くて三日経った今でもまだ意識が戻っていない。
「……はぁーっ」
休憩室でお弁当を食べながらため息が出る。
こんな状況だから休んでいいとは言われたが、家でひとりじっとしているのは耐えられなくて、頼んで出勤させてもらっていた。
それでも同情するような、興味津々といったような感じで周囲にうかがわれるのはいい気がしない。
「あなたも大変ねぇ」
いいともなんとも言っていないのに、年上の女性行員が私の前に座ってくる。
安高が立てこもった日、私をいびってきた二人組の一人だ。
相方のほうはもちろん、今は休んでいる。
「元彼は立てこもり犯で捕まって、今彼は大怪我なんてねぇ」
芝居がかった動作で彼女ははぁっと物憂げにため息をついてみせた。
「でも、安高課長があんな人だなんて思わなかったわ。
別れて正解よ、あなた」
安高は投資などで莫大な額の損失を出していた。
それを補填するためにお客様のお金を着服したりヤミ金融からお金を借りたりしたのならまだ理解するが、彼はそのお金を違法賭博に突っ込んでいたのだ。
それで稼いで一発返済を狙っていたらしいが、呆れてしまう。
もちろん、違法賭博でも莫大な負け越し金が発生していたらしい。
まあ、それを知らずに付き合っていた自分の間抜けっぷりにも笑えてくるが。
「それにしても、彼氏が大怪我だっていうのにこんなところでのんきに仕事なんてしてていいの?
ああ、もしかしてそれほど愛してないとか?」
彼女がにたりと嫌らしく笑った瞬間、テーブルを叩いて勢いよく立ち上がっていた。
おかげで周囲の人間が怯えたようにびくりとしたが、かまわない。
「そういう勝手な憶測で喋るの、やめてもらえませんか」
「憶測って、私は事実を……」
鼻白んだ様子で反論してくる彼女に全部言わせず、口を開く。
「私だって彼についていたいですよ。
でも、私は家族じゃないから病室に入れないんです。
それに私がめそめそ泣いて彼の怪我が治るならいくらでも泣きますが、そうじゃない。
それより私が泣いていたら彼が安心して寝ていられないので、私はちゃんとごはんを食べて、しっかりしていないといけないんです」
浮かんできた涙をぐいっと拭う。
私は家族じゃないから入れないのだと、ひさしぶりに再会したおばさんから申し訳なさそうに断られた。
こんなときなのに私は猪狩さんの傍にいられない。
それに一番、歯痒い思いをしているのは私だ。
なのに、あんな酷いことが言える人間が信じられない。
「安高課長の件だってそうです。
私が彼をそそのかしたとか、彼が私に貢ぐために着服していたとか。
事実と反する話を随分してくれましたね?」
「べ、別に、わざとってわけじゃ……」
もごもごと彼女が気まずそうに口の中で言い訳をする。
「おかげで私、警察からも本店の上層部からも疑いの目で見られているんですよね」
安高と付き合っていた過去と、さらに彼女たちのそういう証言から私は協力者じゃないのかと嫌疑もかけられているので嘘は言っていない。
もっとも、支店長代理がきっぱりと私はやっていないと庇ってくれたのもあって、表向きは関係ないとなっている。
それでも一度かかってしまった疑いは簡単には晴れないので、私の立場はかなり悪くなっていた。
「なので、名誉毀損で訴える準備を進めています。
覚悟、しといてくださいね」
余裕たっぷりににっこりと笑ってみせる。
訴える準備を進めているのは事実だ。
この一件を知った兄が、ツテを頼って弁護士を紹介してくれた。
もっとも、彼女たちを訴えるのはついでなのだが。
「う、訴えるって私は……!」
ヒステリックに彼女が叫ぼうとしたところで、遮るようにテーブルの上に置いていた私の携帯が鳴った。
「あ、すみません」
かまわずにさっさと携帯を取る。
怒りのぶつけどころを失って彼女は真っ赤になってぶるぶる震えているが、知るものか。
電話の相手は猪狩さんのお母さんだった。
彼の意識が戻ったという。
「すぐに、すぐに行きます!」
ばたばたとその場を片付け、あっけにとられている人たちを残して休憩室を出る。
速攻で支店長代理に早退の許可を取り、病院へと向かった。
今日は断られることなく病室へ入れてもらえた。
「猪狩さん!」
「おう、ひな」
だいぶいいのか、猪狩さんはベッドで上半身を起こしていた。
それを見て、みるみる涙が溢れてくる。
「……馬鹿。
心配、したんだから」
感情をぶつけるように彼の胸を拳で叩く。
しかしそれはへろへろだった。
「猪狩さんが死んじゃったらどうしようって怖かった」
「……すまん」
彼の手が伸びてきて、そっと私の背中をもう大丈夫だというふうに叩く。
「もし、猪狩さんがこのまま死んじゃったら、私はお見送りできないんだってつらかった」
「……ひな?」
怪訝そうに彼は、私の顔をのぞき込んだ。
「だから私、猪狩さんと結婚する」
この三日間、ずっと考えていた。
私か家族じゃないからこんなときなのに彼の傍にいられない。
もしものとき、最後のその瞬間まで傍にいることもできない。
そんなの、絶対に嫌だ。
猪狩さんが死ぬのはつらい。
それ以上に、なにもできずただ遠くから彼が死んだと連絡が来るのを待っているだけなのはもっとつらい。
だったら、結婚して夫婦になって、他人でなくなればいい。
「ひな、なに言ってるんだ?」
私がなにを言っているのか理解できないのか、猪狩さんは混乱している。
「猪狩さんが最後のそのときは、絶対に私が看取りたいって言ってるの」
ぎゅっと彼の手を握り、眼鏡越しに彼の目をじっと見つめた。
少しして彼が、手を振り払う。
拒否されたのかと思ったものの。
「ありがとう、ひな」
彼の手が私の背中に回り、私を抱き寄せる。
レンズの向こうの目は濡れて光っていた。
「でも、簡単に死んだら許さないんだから」
「わかった、次はこんな下手やらないように気をつける」
「意識が戻って、よかった……」
ぽろりと落ちた涙は壊れた蛇口のように次々に溢れ出てくる。
「よかった、本当によかったよー」
子供のようにわんわん声を上げて泣いた。
「ごめん。
心配させて、ごめん」
そんな私の頭を猪狩さんが優しく撫でてくれる。
泣きすぎて頭がぼーっとしている私の目尻に残る涙を、彼は指先で拭ってくれた。
「顔。
殴られたんだな」
彼の指が撫でる目もとはまだ、黒く色が変わっている。
三日も経てば治るかと思ったが、無理だった。
心配させたくないので絶対に言わないが角膜剥離も起こしていて、まだ僅かばかりだが違和感がある。
「あー、うん」
これは自業自得でもあるので、なんとなく笑って誤魔化した。
私がおとなしくしていれば、負わなくて済んだ傷だ。
「中の状況、教えてくれたときか」
「えっ、あっ、……うん」
あのときはあれでいいと思ったが、今となっては無駄な行動だったんじゃないかという気がする。
結局、安高が拳銃を持っているという重要情報は私も知らず、おかげで猪狩さんが撃たれるはめになってしまった。
「ひなが教えてくれて凄く助かった。
ありがとう。
係長もなかなか勇猛だなって褒めてたぞ」
「あっ、そうなんだ」
「でも無茶はするな。
ひなになんかあったら、……つらい」
本当につらそうに彼が顔を歪め、これ以上ないほど胸が激しく痛んで後悔が襲ってくる。
私は猪狩さんになにかあったらつらいし、彼だって私になにかあればつらいのだ。
「……うん。
ごめん。
次からは気をつける」
もしあのとき、本当に私が殺されていたら、猪狩さんは酷く後悔したのだろう。
もしかしたら助けられなかった自分を、責めていたのかもしれない。
私は安い挑発などせずにもっと、自分の身を守る行動を取るべきだった。
「まあ、次があったら困るけどな」
「そうだね」
困ったように彼が笑い、私も笑っていた。
「しかし、やっぱり安高は許せないな。
ひなを殴るのもだし、本気で殺そうとして」
猪狩さんの表情が険しくなる。
安高は私だけは絶対に殺すと決めていたらしい。
私が彼を思って着服の罪をおとなしくかぶってくれていればこんなことにはならなかった……というのが彼の言い分らしいが、お門違いも甚だしい。
「一発殴るくらいしてもまだ、気が済まないな」
その気持ちはわかる、わかるけれど。
「それについては考えがあるんだ。
猪狩さんの協力も必要なんだけど……」
私の考えを話すと彼は大賛成してくれた。
最後の切り札として拳銃を大事に隠し持っていたのだ。
とことん、卑怯なヤツだと思う。
ちなみにその拳銃はフリマアプリで手に入れたという。
以前から無法地帯になっているそれは問題になっていたが、こんなものまで放置していたとなればついに警察の手が入るだろう。
彼に撃たれた猪狩さんは今、集中治療室に入っている。
腰を一発、太股を一発、撃たれたが、特に太股の一発が大きな動脈を傷つけており、出血が酷くて三日経った今でもまだ意識が戻っていない。
「……はぁーっ」
休憩室でお弁当を食べながらため息が出る。
こんな状況だから休んでいいとは言われたが、家でひとりじっとしているのは耐えられなくて、頼んで出勤させてもらっていた。
それでも同情するような、興味津々といったような感じで周囲にうかがわれるのはいい気がしない。
「あなたも大変ねぇ」
いいともなんとも言っていないのに、年上の女性行員が私の前に座ってくる。
安高が立てこもった日、私をいびってきた二人組の一人だ。
相方のほうはもちろん、今は休んでいる。
「元彼は立てこもり犯で捕まって、今彼は大怪我なんてねぇ」
芝居がかった動作で彼女ははぁっと物憂げにため息をついてみせた。
「でも、安高課長があんな人だなんて思わなかったわ。
別れて正解よ、あなた」
安高は投資などで莫大な額の損失を出していた。
それを補填するためにお客様のお金を着服したりヤミ金融からお金を借りたりしたのならまだ理解するが、彼はそのお金を違法賭博に突っ込んでいたのだ。
それで稼いで一発返済を狙っていたらしいが、呆れてしまう。
もちろん、違法賭博でも莫大な負け越し金が発生していたらしい。
まあ、それを知らずに付き合っていた自分の間抜けっぷりにも笑えてくるが。
「それにしても、彼氏が大怪我だっていうのにこんなところでのんきに仕事なんてしてていいの?
ああ、もしかしてそれほど愛してないとか?」
彼女がにたりと嫌らしく笑った瞬間、テーブルを叩いて勢いよく立ち上がっていた。
おかげで周囲の人間が怯えたようにびくりとしたが、かまわない。
「そういう勝手な憶測で喋るの、やめてもらえませんか」
「憶測って、私は事実を……」
鼻白んだ様子で反論してくる彼女に全部言わせず、口を開く。
「私だって彼についていたいですよ。
でも、私は家族じゃないから病室に入れないんです。
それに私がめそめそ泣いて彼の怪我が治るならいくらでも泣きますが、そうじゃない。
それより私が泣いていたら彼が安心して寝ていられないので、私はちゃんとごはんを食べて、しっかりしていないといけないんです」
浮かんできた涙をぐいっと拭う。
私は家族じゃないから入れないのだと、ひさしぶりに再会したおばさんから申し訳なさそうに断られた。
こんなときなのに私は猪狩さんの傍にいられない。
それに一番、歯痒い思いをしているのは私だ。
なのに、あんな酷いことが言える人間が信じられない。
「安高課長の件だってそうです。
私が彼をそそのかしたとか、彼が私に貢ぐために着服していたとか。
事実と反する話を随分してくれましたね?」
「べ、別に、わざとってわけじゃ……」
もごもごと彼女が気まずそうに口の中で言い訳をする。
「おかげで私、警察からも本店の上層部からも疑いの目で見られているんですよね」
安高と付き合っていた過去と、さらに彼女たちのそういう証言から私は協力者じゃないのかと嫌疑もかけられているので嘘は言っていない。
もっとも、支店長代理がきっぱりと私はやっていないと庇ってくれたのもあって、表向きは関係ないとなっている。
それでも一度かかってしまった疑いは簡単には晴れないので、私の立場はかなり悪くなっていた。
「なので、名誉毀損で訴える準備を進めています。
覚悟、しといてくださいね」
余裕たっぷりににっこりと笑ってみせる。
訴える準備を進めているのは事実だ。
この一件を知った兄が、ツテを頼って弁護士を紹介してくれた。
もっとも、彼女たちを訴えるのはついでなのだが。
「う、訴えるって私は……!」
ヒステリックに彼女が叫ぼうとしたところで、遮るようにテーブルの上に置いていた私の携帯が鳴った。
「あ、すみません」
かまわずにさっさと携帯を取る。
怒りのぶつけどころを失って彼女は真っ赤になってぶるぶる震えているが、知るものか。
電話の相手は猪狩さんのお母さんだった。
彼の意識が戻ったという。
「すぐに、すぐに行きます!」
ばたばたとその場を片付け、あっけにとられている人たちを残して休憩室を出る。
速攻で支店長代理に早退の許可を取り、病院へと向かった。
今日は断られることなく病室へ入れてもらえた。
「猪狩さん!」
「おう、ひな」
だいぶいいのか、猪狩さんはベッドで上半身を起こしていた。
それを見て、みるみる涙が溢れてくる。
「……馬鹿。
心配、したんだから」
感情をぶつけるように彼の胸を拳で叩く。
しかしそれはへろへろだった。
「猪狩さんが死んじゃったらどうしようって怖かった」
「……すまん」
彼の手が伸びてきて、そっと私の背中をもう大丈夫だというふうに叩く。
「もし、猪狩さんがこのまま死んじゃったら、私はお見送りできないんだってつらかった」
「……ひな?」
怪訝そうに彼は、私の顔をのぞき込んだ。
「だから私、猪狩さんと結婚する」
この三日間、ずっと考えていた。
私か家族じゃないからこんなときなのに彼の傍にいられない。
もしものとき、最後のその瞬間まで傍にいることもできない。
そんなの、絶対に嫌だ。
猪狩さんが死ぬのはつらい。
それ以上に、なにもできずただ遠くから彼が死んだと連絡が来るのを待っているだけなのはもっとつらい。
だったら、結婚して夫婦になって、他人でなくなればいい。
「ひな、なに言ってるんだ?」
私がなにを言っているのか理解できないのか、猪狩さんは混乱している。
「猪狩さんが最後のそのときは、絶対に私が看取りたいって言ってるの」
ぎゅっと彼の手を握り、眼鏡越しに彼の目をじっと見つめた。
少しして彼が、手を振り払う。
拒否されたのかと思ったものの。
「ありがとう、ひな」
彼の手が私の背中に回り、私を抱き寄せる。
レンズの向こうの目は濡れて光っていた。
「でも、簡単に死んだら許さないんだから」
「わかった、次はこんな下手やらないように気をつける」
「意識が戻って、よかった……」
ぽろりと落ちた涙は壊れた蛇口のように次々に溢れ出てくる。
「よかった、本当によかったよー」
子供のようにわんわん声を上げて泣いた。
「ごめん。
心配させて、ごめん」
そんな私の頭を猪狩さんが優しく撫でてくれる。
泣きすぎて頭がぼーっとしている私の目尻に残る涙を、彼は指先で拭ってくれた。
「顔。
殴られたんだな」
彼の指が撫でる目もとはまだ、黒く色が変わっている。
三日も経てば治るかと思ったが、無理だった。
心配させたくないので絶対に言わないが角膜剥離も起こしていて、まだ僅かばかりだが違和感がある。
「あー、うん」
これは自業自得でもあるので、なんとなく笑って誤魔化した。
私がおとなしくしていれば、負わなくて済んだ傷だ。
「中の状況、教えてくれたときか」
「えっ、あっ、……うん」
あのときはあれでいいと思ったが、今となっては無駄な行動だったんじゃないかという気がする。
結局、安高が拳銃を持っているという重要情報は私も知らず、おかげで猪狩さんが撃たれるはめになってしまった。
「ひなが教えてくれて凄く助かった。
ありがとう。
係長もなかなか勇猛だなって褒めてたぞ」
「あっ、そうなんだ」
「でも無茶はするな。
ひなになんかあったら、……つらい」
本当につらそうに彼が顔を歪め、これ以上ないほど胸が激しく痛んで後悔が襲ってくる。
私は猪狩さんになにかあったらつらいし、彼だって私になにかあればつらいのだ。
「……うん。
ごめん。
次からは気をつける」
もしあのとき、本当に私が殺されていたら、猪狩さんは酷く後悔したのだろう。
もしかしたら助けられなかった自分を、責めていたのかもしれない。
私は安い挑発などせずにもっと、自分の身を守る行動を取るべきだった。
「まあ、次があったら困るけどな」
「そうだね」
困ったように彼が笑い、私も笑っていた。
「しかし、やっぱり安高は許せないな。
ひなを殴るのもだし、本気で殺そうとして」
猪狩さんの表情が険しくなる。
安高は私だけは絶対に殺すと決めていたらしい。
私が彼を思って着服の罪をおとなしくかぶってくれていればこんなことにはならなかった……というのが彼の言い分らしいが、お門違いも甚だしい。
「一発殴るくらいしてもまだ、気が済まないな」
その気持ちはわかる、わかるけれど。
「それについては考えがあるんだ。
猪狩さんの協力も必要なんだけど……」
私の考えを話すと彼は大賛成してくれた。
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