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最後の晩餐
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――もう、全部終わりにしよう。
その日も僕は始発で家に帰り、僅かな仮眠を取っていた。
眠るというよりも、気絶が正しい気がする。
それくらい疲労困憊で本当ならベッドでぐっすり眠りたいが、それだと起きられる自信がなくて床の上に丸まっていた。
二時間ほどして携帯がアラームを鳴らす。
起きてシャワーを浴び、出社しなければいけない。
わかっているがぴくりと指が反応しただけで、動けずにいた。
静かな朝に、アラームが鳴り響く。
このままでは遅刻する、上司にまた怒鳴られる。
気持ちばかり焦るが、少しも身体は動かない。
どっど、どっどと心臓が激しく鼓動し、じっとりと脂汗を掻く。
別に、起きられないわけではない。
瞼は開き、じっと手の中の携帯を見つめていた。
警告音のようにアラームが僕を追い詰めていく。
頭の血管が脈打ち、爆発しそうだ。
この恐怖から逃れるためには――アラームを止めればいい。
唐突にそう、気づいた。
携帯の画面へと近づけた僕の指は、緊張からぶるぶる震えていた。
いや、アラームを止めるという当たり前のことをするだけなのに、こんなに緊張している自分がわからない。
震える指でそっと、停止ボタンをタップする。
その瞬間、世界は静寂に包まれた。
「……はぁ」
なぜか詰めていた息をそっと吐き出す。
「シャワー浴びる時間、もうないな……」
起き上がらずにごろりと寝返りを打つ。
もうなにもしたくない。
始発で帰り仮眠を取ってまた出勤するだけの毎日に疲れてしまった。
急に今、というわけではなく、きっと僕というコップに注がれたそんな虚無は今まで、表面張力でどうにか溢れずにいたのだろう。
それが今日、とうとう限界を迎えただけの話だ。
「……いっそ、死ぬか」
それが酷く、いい考えな気がした。
どうせ生きていたところでいいことなんかない。
僕のような人間はまっとうな会社には雇ってもらえず、次もブラック企業に決まっている。
そもそもまっとうな会社がこの世に存在するのかも怪しい。
だったらこんな人生、終わらせるに限る。
どうやって死のうかあれこれ思案していたら、腹が鳴った。
死ぬ前に最後の晩餐も悪くないと眼鏡をかけ、キッチンを漁るとパックの飯と卵が出てきた。
いつ買ったか記憶のない卵だが、幸いにも賞味期限内だった。
飯をレンジで温め、パックを開ける。
立ち上る湯気が僕の眼鏡を曇らせた。
かまわずにパックに直接卵を割って落とす。
黄身を一周するように醤油をかけて、箸で乱雑に混ぜた。
適度に混ざったところでパックを持ち上げ、口の中へと掻き込む。
「……うまい」
なんの変哲もない卵かけご飯なのに、自然と口からそう漏れていた。
口の中に広がる卵のコクと甘み、そこに醤油のしょっぱいアクセント。
卵だけなら液体だが、固形物の飯が食べ応えを感じさせる。
さらに飯のぬくもりが卵の味を押し上げていた。
夢中になって卵かけご飯を掻き込む。
ほぼエナドリで栄養を取っていた僕にとってひさしぶりのまともな飯は、感動すら覚えさせた。
もっとも、卵かけご飯のみではまともな飯とは言えないが。
しかし、今までの僕からすれば、立派なまともな飯だ。
「ああ……」
卵かけご飯を完食し、胃とともに僕の心は満たされていた。
……メシって、こんなにうまいんだ。
それすら僕は、忘れていた。
卵かけご飯でこんなに満足するのなら、牛丼なら?
焼き肉なら気絶するほど感動するのか?
焼き肉かー、最後に食べたのはいつだっけ?
焼き肉、食べたいなー。
急に最後に焼き肉を食べないと死ねない気分になってきた。
そうだ、今はまだ死ぬときではない。
焼き肉を堪能してからでなけば。
決意を新たにしたところで携帯が鳴った。
見ると会社から着信している。
「僕は焼き肉食べに行くんで」
着信拒否し、ついでに電源も切った。
とりあえず有り金全部持って焼き肉屋に行こう。
うまい肉を腹一杯食べて、生きるか死ぬか、これからどうするか考えればいい。
いつもとは違い軽い気分で、僕はシャワーを浴びた。
【終】
その日も僕は始発で家に帰り、僅かな仮眠を取っていた。
眠るというよりも、気絶が正しい気がする。
それくらい疲労困憊で本当ならベッドでぐっすり眠りたいが、それだと起きられる自信がなくて床の上に丸まっていた。
二時間ほどして携帯がアラームを鳴らす。
起きてシャワーを浴び、出社しなければいけない。
わかっているがぴくりと指が反応しただけで、動けずにいた。
静かな朝に、アラームが鳴り響く。
このままでは遅刻する、上司にまた怒鳴られる。
気持ちばかり焦るが、少しも身体は動かない。
どっど、どっどと心臓が激しく鼓動し、じっとりと脂汗を掻く。
別に、起きられないわけではない。
瞼は開き、じっと手の中の携帯を見つめていた。
警告音のようにアラームが僕を追い詰めていく。
頭の血管が脈打ち、爆発しそうだ。
この恐怖から逃れるためには――アラームを止めればいい。
唐突にそう、気づいた。
携帯の画面へと近づけた僕の指は、緊張からぶるぶる震えていた。
いや、アラームを止めるという当たり前のことをするだけなのに、こんなに緊張している自分がわからない。
震える指でそっと、停止ボタンをタップする。
その瞬間、世界は静寂に包まれた。
「……はぁ」
なぜか詰めていた息をそっと吐き出す。
「シャワー浴びる時間、もうないな……」
起き上がらずにごろりと寝返りを打つ。
もうなにもしたくない。
始発で帰り仮眠を取ってまた出勤するだけの毎日に疲れてしまった。
急に今、というわけではなく、きっと僕というコップに注がれたそんな虚無は今まで、表面張力でどうにか溢れずにいたのだろう。
それが今日、とうとう限界を迎えただけの話だ。
「……いっそ、死ぬか」
それが酷く、いい考えな気がした。
どうせ生きていたところでいいことなんかない。
僕のような人間はまっとうな会社には雇ってもらえず、次もブラック企業に決まっている。
そもそもまっとうな会社がこの世に存在するのかも怪しい。
だったらこんな人生、終わらせるに限る。
どうやって死のうかあれこれ思案していたら、腹が鳴った。
死ぬ前に最後の晩餐も悪くないと眼鏡をかけ、キッチンを漁るとパックの飯と卵が出てきた。
いつ買ったか記憶のない卵だが、幸いにも賞味期限内だった。
飯をレンジで温め、パックを開ける。
立ち上る湯気が僕の眼鏡を曇らせた。
かまわずにパックに直接卵を割って落とす。
黄身を一周するように醤油をかけて、箸で乱雑に混ぜた。
適度に混ざったところでパックを持ち上げ、口の中へと掻き込む。
「……うまい」
なんの変哲もない卵かけご飯なのに、自然と口からそう漏れていた。
口の中に広がる卵のコクと甘み、そこに醤油のしょっぱいアクセント。
卵だけなら液体だが、固形物の飯が食べ応えを感じさせる。
さらに飯のぬくもりが卵の味を押し上げていた。
夢中になって卵かけご飯を掻き込む。
ほぼエナドリで栄養を取っていた僕にとってひさしぶりのまともな飯は、感動すら覚えさせた。
もっとも、卵かけご飯のみではまともな飯とは言えないが。
しかし、今までの僕からすれば、立派なまともな飯だ。
「ああ……」
卵かけご飯を完食し、胃とともに僕の心は満たされていた。
……メシって、こんなにうまいんだ。
それすら僕は、忘れていた。
卵かけご飯でこんなに満足するのなら、牛丼なら?
焼き肉なら気絶するほど感動するのか?
焼き肉かー、最後に食べたのはいつだっけ?
焼き肉、食べたいなー。
急に最後に焼き肉を食べないと死ねない気分になってきた。
そうだ、今はまだ死ぬときではない。
焼き肉を堪能してからでなけば。
決意を新たにしたところで携帯が鳴った。
見ると会社から着信している。
「僕は焼き肉食べに行くんで」
着信拒否し、ついでに電源も切った。
とりあえず有り金全部持って焼き肉屋に行こう。
うまい肉を腹一杯食べて、生きるか死ぬか、これからどうするか考えればいい。
いつもとは違い軽い気分で、僕はシャワーを浴びた。
【終】
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