一生懸命生きなくていい~文芸系短編集~

霧内杳/眼鏡のさきっぽ

文字の大きさ
1 / 8

最後の晩餐

しおりを挟む
――もう、全部終わりにしよう。


その日も僕は始発で家に帰り、僅かな仮眠を取っていた。
眠るというよりも、気絶が正しい気がする。
それくらい疲労困憊で本当ならベッドでぐっすり眠りたいが、それだと起きられる自信がなくて床の上に丸まっていた。

二時間ほどして携帯がアラームを鳴らす。
起きてシャワーを浴び、出社しなければいけない。
わかっているがぴくりと指が反応しただけで、動けずにいた。
静かな朝に、アラームが鳴り響く。
このままでは遅刻する、上司にまた怒鳴られる。
気持ちばかり焦るが、少しも身体は動かない。

どっど、どっどと心臓が激しく鼓動し、じっとりと脂汗を掻く。
別に、起きられないわけではない。
瞼は開き、じっと手の中の携帯を見つめていた。

警告音のようにアラームが僕を追い詰めていく。
頭の血管が脈打ち、爆発しそうだ。
この恐怖から逃れるためには――アラームを止めればいい。
唐突にそう、気づいた。

携帯の画面へと近づけた僕の指は、緊張からぶるぶる震えていた。
いや、アラームを止めるという当たり前のことをするだけなのに、こんなに緊張している自分がわからない。
震える指でそっと、停止ボタンをタップする。
その瞬間、世界は静寂に包まれた。

「……はぁ」

なぜか詰めていた息をそっと吐き出す。

「シャワー浴びる時間、もうないな……」

起き上がらずにごろりと寝返りを打つ。
もうなにもしたくない。
始発で帰り仮眠を取ってまた出勤するだけの毎日に疲れてしまった。
急に今、というわけではなく、きっと僕というコップに注がれたそんな虚無は今まで、表面張力でどうにか溢れずにいたのだろう。
それが今日、とうとう限界を迎えただけの話だ。

「……いっそ、死ぬか」

それが酷く、いい考えな気がした。
どうせ生きていたところでいいことなんかない。
僕のような人間はまっとうな会社には雇ってもらえず、次もブラック企業に決まっている。
そもそもまっとうな会社がこの世に存在するのかも怪しい。
だったらこんな人生、終わらせるに限る。

どうやって死のうかあれこれ思案していたら、腹が鳴った。
死ぬ前に最後の晩餐も悪くないと眼鏡をかけ、キッチンを漁るとパックの飯と卵が出てきた。
いつ買ったか記憶のない卵だが、幸いにも賞味期限内だった。

飯をレンジで温め、パックを開ける。
立ち上る湯気が僕の眼鏡を曇らせた。
かまわずにパックに直接卵を割って落とす。
黄身を一周するように醤油をかけて、箸で乱雑に混ぜた。
適度に混ざったところでパックを持ち上げ、口の中へと掻き込む。

「……うまい」

なんの変哲もない卵かけご飯なのに、自然と口からそう漏れていた。
口の中に広がる卵のコクと甘み、そこに醤油のしょっぱいアクセント。
卵だけなら液体だが、固形物の飯が食べ応えを感じさせる。
さらに飯のぬくもりが卵の味を押し上げていた。

夢中になって卵かけご飯を掻き込む。
ほぼエナドリで栄養を取っていた僕にとってひさしぶりのまともな飯は、感動すら覚えさせた。
もっとも、卵かけご飯のみではまともな飯とは言えないが。
しかし、今までの僕からすれば、立派なまともな飯だ。

「ああ……」

卵かけご飯を完食し、胃とともに僕の心は満たされていた。

……メシって、こんなにうまいんだ。

それすら僕は、忘れていた。
卵かけご飯でこんなに満足するのなら、牛丼なら?
焼き肉なら気絶するほど感動するのか?
焼き肉かー、最後に食べたのはいつだっけ?
焼き肉、食べたいなー。

急に最後に焼き肉を食べないと死ねない気分になってきた。
そうだ、今はまだ死ぬときではない。
焼き肉を堪能してからでなけば。

決意を新たにしたところで携帯が鳴った。
見ると会社から着信している。

「僕は焼き肉食べに行くんで」

着信拒否し、ついでに電源も切った。
とりあえず有り金全部持って焼き肉屋に行こう。
うまい肉を腹一杯食べて、生きるか死ぬか、これからどうするか考えればいい。

いつもとは違い軽い気分で、僕はシャワーを浴びた。


【終】
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

踏み台(王女)にも事情はある

mios
恋愛
戒律の厳しい修道院に王女が送られた。 聖女ビアンカに魔物をけしかけた罪で投獄され、処刑を免れた結果のことだ。 王女が居なくなって平和になった筈、なのだがそれから何故か原因不明の不調が蔓延し始めて……原因究明の為、王女の元婚約者が調査に乗り出した。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

黒瀬部長は部下を溺愛したい

桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。 人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど! 好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。 部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。 スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。

処理中です...