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黒魔術師の招待状
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「僕は魔法が使えるんだ。
君が大変なときは僕が魔法で助けてやる」
黒縁眼鏡の奥で彼がにっこりと笑ったところで目が覚めた。
「夢か……」
暗い窓に映る私は、疲れ切った顔をしている。
一緒に終電に揺られている人たちも私と同じか、アルコールの力で気持ちよく高いびきを掻いているかのどちらかだった。
「魔法、か」
ずいぶん懐かしい夢を見たものだ。
彼は幼馴染みで――高校生のときに亡くなった。
本人曰く黒魔術で向こうの世界に転移したらしいが、ようするに自ら命を絶ったのだ。
原因は言うまでもなくいじめだった。
なにもできないどころか、巻き込まれるのが怖くて距離を取る私に、困ったように笑って彼がああ言ったのが言葉を交わした最後だった。
最寄り駅で電車を降りたところで、急激に疲労が全身を襲ってきた。
少し休憩しなければ家まで帰れそうにない。
改札への階段へとひとり、ふたりと消えていく背中を見送りながら、ベンチに腰を下ろしてひと息つく。
「ふぅ」
足が、重い。
座ったのはいいが、ここから一歩も動けそうな気がしない。
「疲れたな……」
ふと、自分の口から絶対に言わないと決めていた言葉が漏れたのに気づいた。
それをきっかけにして、パキパキと罅割れていた心の欠片が崩れ落ちていく。
ぼーっと、暗いホームの先を見つめる。
もう終電は出たあとなので、飛び込んで人生を終わらせることもできない。
なにもできず、ただじっとベンチに座っていた。
夏の終わりを知らせるように、冷たい夜の空気が頬を撫でる。
春に新卒で入社したときはこれからの楽しい生活に胸を膨らませていたが、実際は頭を下げ続け、終わらない仕事をこなし、毎日を屍のように過ごすしかできなかった。
「……ん?」
指先になにか触れた気がして視線を落とす。
そこには古ぼけた封筒が置いてあった。
「なんだろ、これ?」
封筒を掴んで持ち上げる。
表面には私の名前が書いてあった。
裏返しても差出人の名前はなく、黒い封蝋で閉じてある。
しばらく見つめたあと、思い切って封を開けた。
蝋が砕け、ぱらぱらと落ちていく。
封筒が開くと同時に――空気が、変わった。
柔らかい春の風が、頬をくすぐる。
「井子」
懐かしい声が鼓膜を揺らし、顔を上げた。
「桐也……」
目の前に立っている人を見て、みるみる涙が浮かんでくる。
「遅くなって、ごめん」
私の前に跪いた彼が、そっと頬に触れた。
もっさりと重い前髪と黒縁眼鏡。
間違いない、幼馴染みの桐也だ。
「ううん。
私こそ、あのとき助けられなくてごめん」
ぎゅっと彼の手を掴み、レンズ越しに見つめた。
キラキラと澄んだ黒い瞳はあの頃からちっとも変わらない。
「井子は悪くない。
それに僕は黒魔術がとうとう完成して、あちらの世界に行ったんだからな」
くつくつとおかしそうに桐也が喉を鳴らして笑う。
それは高校生というよりも完全に大人だった。
「井子を迎えに来たんだ」
彼が私を凝視する。
その真剣な瞳にたじろいだ。
「井子がなにもかも投げ出したくなったら、その封筒が出現するように術をかけておいた」
桐也の指が、封筒を指す。
「封筒を開ければこちらと繋がるようにしてあったんだ。
どうする?
井子。
僕と一緒にいくか」
眼鏡の向こうの目は私が考えて決めろと語りかけていた。
桐也が、好きだった。
彼が死んだとき、なにもしなかった自分が嫌になった。
つらい社会人生活も、あのとき桐也を死なせた私への罰だと思っていた。
「……いく」
震える手で桐也の服の袖を掴む。
「桐也と一緒に、いく」
この世界になんの未練もない。
それよりも桐也と一緒にいたい。
「おじさんとおばさんにも二度と会えないんだぞ?」
「いい。
桐也と一緒に、いく」
ひとり死ぬことすら考えたのだ。
だったら、両親に会えないなんて些細な問題だ。
「わかった。
じゃあ、いこうか井子?」
にっこりと笑って桐也が手を差し出す。
その手に笑って手をのせた。
――その朝、駅を開けた駅員がホームで冷たくなっている若い女性を発見した。
なぜか彼女は幸せそうに笑っており、最初は眠っているのかと思ったほどだった。
【終】
君が大変なときは僕が魔法で助けてやる」
黒縁眼鏡の奥で彼がにっこりと笑ったところで目が覚めた。
「夢か……」
暗い窓に映る私は、疲れ切った顔をしている。
一緒に終電に揺られている人たちも私と同じか、アルコールの力で気持ちよく高いびきを掻いているかのどちらかだった。
「魔法、か」
ずいぶん懐かしい夢を見たものだ。
彼は幼馴染みで――高校生のときに亡くなった。
本人曰く黒魔術で向こうの世界に転移したらしいが、ようするに自ら命を絶ったのだ。
原因は言うまでもなくいじめだった。
なにもできないどころか、巻き込まれるのが怖くて距離を取る私に、困ったように笑って彼がああ言ったのが言葉を交わした最後だった。
最寄り駅で電車を降りたところで、急激に疲労が全身を襲ってきた。
少し休憩しなければ家まで帰れそうにない。
改札への階段へとひとり、ふたりと消えていく背中を見送りながら、ベンチに腰を下ろしてひと息つく。
「ふぅ」
足が、重い。
座ったのはいいが、ここから一歩も動けそうな気がしない。
「疲れたな……」
ふと、自分の口から絶対に言わないと決めていた言葉が漏れたのに気づいた。
それをきっかけにして、パキパキと罅割れていた心の欠片が崩れ落ちていく。
ぼーっと、暗いホームの先を見つめる。
もう終電は出たあとなので、飛び込んで人生を終わらせることもできない。
なにもできず、ただじっとベンチに座っていた。
夏の終わりを知らせるように、冷たい夜の空気が頬を撫でる。
春に新卒で入社したときはこれからの楽しい生活に胸を膨らませていたが、実際は頭を下げ続け、終わらない仕事をこなし、毎日を屍のように過ごすしかできなかった。
「……ん?」
指先になにか触れた気がして視線を落とす。
そこには古ぼけた封筒が置いてあった。
「なんだろ、これ?」
封筒を掴んで持ち上げる。
表面には私の名前が書いてあった。
裏返しても差出人の名前はなく、黒い封蝋で閉じてある。
しばらく見つめたあと、思い切って封を開けた。
蝋が砕け、ぱらぱらと落ちていく。
封筒が開くと同時に――空気が、変わった。
柔らかい春の風が、頬をくすぐる。
「井子」
懐かしい声が鼓膜を揺らし、顔を上げた。
「桐也……」
目の前に立っている人を見て、みるみる涙が浮かんでくる。
「遅くなって、ごめん」
私の前に跪いた彼が、そっと頬に触れた。
もっさりと重い前髪と黒縁眼鏡。
間違いない、幼馴染みの桐也だ。
「ううん。
私こそ、あのとき助けられなくてごめん」
ぎゅっと彼の手を掴み、レンズ越しに見つめた。
キラキラと澄んだ黒い瞳はあの頃からちっとも変わらない。
「井子は悪くない。
それに僕は黒魔術がとうとう完成して、あちらの世界に行ったんだからな」
くつくつとおかしそうに桐也が喉を鳴らして笑う。
それは高校生というよりも完全に大人だった。
「井子を迎えに来たんだ」
彼が私を凝視する。
その真剣な瞳にたじろいだ。
「井子がなにもかも投げ出したくなったら、その封筒が出現するように術をかけておいた」
桐也の指が、封筒を指す。
「封筒を開ければこちらと繋がるようにしてあったんだ。
どうする?
井子。
僕と一緒にいくか」
眼鏡の向こうの目は私が考えて決めろと語りかけていた。
桐也が、好きだった。
彼が死んだとき、なにもしなかった自分が嫌になった。
つらい社会人生活も、あのとき桐也を死なせた私への罰だと思っていた。
「……いく」
震える手で桐也の服の袖を掴む。
「桐也と一緒に、いく」
この世界になんの未練もない。
それよりも桐也と一緒にいたい。
「おじさんとおばさんにも二度と会えないんだぞ?」
「いい。
桐也と一緒に、いく」
ひとり死ぬことすら考えたのだ。
だったら、両親に会えないなんて些細な問題だ。
「わかった。
じゃあ、いこうか井子?」
にっこりと笑って桐也が手を差し出す。
その手に笑って手をのせた。
――その朝、駅を開けた駅員がホームで冷たくなっている若い女性を発見した。
なぜか彼女は幸せそうに笑っており、最初は眠っているのかと思ったほどだった。
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