一生懸命生きなくていい~文芸系短編集~

霧内杳/眼鏡のさきっぽ

文字の大きさ
2 / 8

黒魔術師の招待状

しおりを挟む
「僕は魔法が使えるんだ。
君が大変なときは僕が魔法で助けてやる」

黒縁眼鏡の奥で彼がにっこりと笑ったところで目が覚めた。

「夢か……」

暗い窓に映る私は、疲れ切った顔をしている。
一緒に終電に揺られている人たちも私と同じか、アルコールの力で気持ちよく高いびきを掻いているかのどちらかだった。

「魔法、か」

ずいぶん懐かしい夢を見たものだ。
彼は幼馴染みで――高校生のときに亡くなった。
本人曰く黒魔術で向こうの世界に転移したらしいが、ようするに自ら命を絶ったのだ。
原因は言うまでもなくいじめだった。
なにもできないどころか、巻き込まれるのが怖くて距離を取る私に、困ったように笑って彼がああ言ったのが言葉を交わした最後だった。

最寄り駅で電車を降りたところで、急激に疲労が全身を襲ってきた。
少し休憩しなければ家まで帰れそうにない。
改札への階段へとひとり、ふたりと消えていく背中を見送りながら、ベンチに腰を下ろしてひと息つく。

「ふぅ」

足が、重い。
座ったのはいいが、ここから一歩も動けそうな気がしない。

「疲れたな……」

ふと、自分の口から絶対に言わないと決めていた言葉が漏れたのに気づいた。
それをきっかけにして、パキパキと罅割れていた心の欠片が崩れ落ちていく。

ぼーっと、暗いホームの先を見つめる。
もう終電は出たあとなので、飛び込んで人生を終わらせることもできない。

なにもできず、ただじっとベンチに座っていた。
夏の終わりを知らせるように、冷たい夜の空気が頬を撫でる。

春に新卒で入社したときはこれからの楽しい生活に胸を膨らませていたが、実際は頭を下げ続け、終わらない仕事をこなし、毎日を屍のように過ごすしかできなかった。

「……ん?」

指先になにか触れた気がして視線を落とす。
そこには古ぼけた封筒が置いてあった。

「なんだろ、これ?」

封筒を掴んで持ち上げる。
表面には私の名前が書いてあった。
裏返しても差出人の名前はなく、黒い封蝋で閉じてある。

しばらく見つめたあと、思い切って封を開けた。
蝋が砕け、ぱらぱらと落ちていく。
封筒が開くと同時に――空気が、変わった。
柔らかい春の風が、頬をくすぐる。

井子いこ

懐かしい声が鼓膜を揺らし、顔を上げた。

桐也とうや……」

目の前に立っている人を見て、みるみる涙が浮かんでくる。

「遅くなって、ごめん」

私の前に跪いた彼が、そっと頬に触れた。
もっさりと重い前髪と黒縁眼鏡。
間違いない、幼馴染みの桐也だ。

「ううん。
私こそ、あのとき助けられなくてごめん」

ぎゅっと彼の手を掴み、レンズ越しに見つめた。
キラキラと澄んだ黒い瞳はあの頃からちっとも変わらない。

「井子は悪くない。
それに僕は黒魔術がとうとう完成して、あちらの世界に行ったんだからな」

くつくつとおかしそうに桐也が喉を鳴らして笑う。
それは高校生というよりも完全に大人だった。

「井子を迎えに来たんだ」

彼が私を凝視する。
その真剣な瞳にたじろいだ。

「井子がなにもかも投げ出したくなったら、その封筒が出現するように術をかけておいた」

桐也の指が、封筒を指す。

「封筒を開ければこちらと繋がるようにしてあったんだ。
どうする?
井子。
僕と一緒にいくか」

眼鏡の向こうの目は私が考えて決めろと語りかけていた。

桐也が、好きだった。
彼が死んだとき、なにもしなかった自分が嫌になった。
つらい社会人生活も、あのとき桐也を死なせた私への罰だと思っていた。

「……いく」

震える手で桐也の服の袖を掴む。

「桐也と一緒に、いく」

この世界になんの未練もない。
それよりも桐也と一緒にいたい。

「おじさんとおばさんにも二度と会えないんだぞ?」

「いい。
桐也と一緒に、いく」

ひとり死ぬことすら考えたのだ。
だったら、両親に会えないなんて些細な問題だ。

「わかった。
じゃあ、いこうか井子?」

にっこりと笑って桐也が手を差し出す。
その手に笑って手をのせた。



――その朝、駅を開けた駅員がホームで冷たくなっている若い女性を発見した。
なぜか彼女は幸せそうに笑っており、最初は眠っているのかと思ったほどだった。


【終】
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

踏み台(王女)にも事情はある

mios
恋愛
戒律の厳しい修道院に王女が送られた。 聖女ビアンカに魔物をけしかけた罪で投獄され、処刑を免れた結果のことだ。 王女が居なくなって平和になった筈、なのだがそれから何故か原因不明の不調が蔓延し始めて……原因究明の為、王女の元婚約者が調査に乗り出した。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

黒瀬部長は部下を溺愛したい

桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。 人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど! 好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。 部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。 スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。

処理中です...