一生懸命生きなくていい~文芸系短編集~

霧内杳/眼鏡のさきっぽ

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貸した、傘

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毎日、しとしとと雨が降る。
太陽を見たのはもう、いつだっただろうか。
それくらいずっと、雨が続いていた。

「はぁーっ」

重いため息をついて傘を差し、会社を出る。
これも俺の気を憂鬱にしてる原因のひとつだった。

――アイツに貸した傘が、返ってこない。

あの日、帰り際にアイツに、雨が降りそうだからと強引に俺の傘を貸した。
それから会っていないので、戻ってくるわけがない。
いい加減、諦めて新しい傘を買えばいいのに、なぜか俺はいまだに予備の折りたたみ傘を使い続けていた。
傘が小さいせいで降り込んだ雨が眼鏡に水滴となってつき、俺を苛つかせる。

家に帰り、コンビニで買った弁当を温める。
ビール片手に弁当とともにテレビの前に座った。
雨で汚れた眼鏡を拭き、なにを観ようかと録画してある番組をチェックしながら朝ドラが未視聴で溜まっているのに気づいた。

「おい、これ……」

奥へ声を掛けかけて止まる。
そこに返事をする人はもういない。

「くそっ」

小さく悪態をつき、ビールを一気に呷る。
空きっ腹にアルコールが染み、ぐらりと視界が揺れた。

「なんでなんだよ……」

テーブルに叩きつけた缶からビールがこぼれ、手を濡らす。
アイツ――彼女と別れたのは、半月ほど前の話だ。

なにが原因かなんてわからない。
きっと彼女の気持ちなんか知らず、のんきに誕生日にプロポーズしようなんて考えていた俺が悪いのだろう。

あの日のことはよく覚えていない。
共通の友人に呼び出されて帰ってきたら、荷物をまとめていた彼女から別れてくれと言われた。
わけもわからず問いただすと、子供ができたという。
なおさら別れられないじゃないかと説得したが。

『父親はあなたじゃないの』

告げられた途端、目の前が真っ暗になり、彼女がなにか言っているが理解できない。
よくよく考えればこのところ仕事が忙しく、ご無沙汰だった。
そうやって彼女に淋しい思いをさせたのも、悪かったのだろう。

彼女の決意は固く、引き留める間もなく部屋を出ていった。
俺にできたのは、もうすぐ雨が降り出すからと傘を押し付けることだけだった。


ビールで味のしない弁当を流し込む。
惰性でつけていたテレビでは、まだしばらく雨が続くとやっていた。
梅雨だから仕方ないのはわかっているが、俺の気など知らず長く居座る梅雨前線を恨んでしまう。
あの日の晴れを最後に、空も俺の心も雨が降り続いている。


翌朝、重い身体を無理矢理動かし、義務だけで出勤準備する。
たとえどんな状態でも仕事へ向かう、社畜体質が恨めしい。
だから彼女から捨てられるのだ。

「あ」

当然、今日も雨なので折りたたみ傘を開いたら、バキッと骨が折れた。

「あーもー、これはダメだな……」

いかに頑張ろうと傘の役割を果たしそうにない、かつて折りたたみ傘だった残骸を眼鏡の奥から見下ろす。
どう考えても、もう傘を買うしかない。
それに、アイツに貸した傘は二度と返ってこないのだとわかっていた。

「買いに行くか」

携帯を操作し、会社に電話をかけて適当な理由で休みをもぎ取る。
別に傘なんてコンビニで買えば事足りるが、なんとなくゆっくりと吟味して納得のいく最高の傘を買いたい気持ちになっていた。
きっとその時間が彼女との気持ちの供養になる、そんな気がしていた。
それに、彼女から別れを告げられるほど働き詰めだったのだ、たまにはずる休みをしたってバチは当たらない。
いや、これは必要な休みだが!
「よし!」

気を取り直し、足を踏み出しかけて止まる。
折りたたみ傘はお亡くなりになった。
新しい傘を買うまで、俺はどうすればいいのだ?
特に眼鏡族は水滴で前が見えなくなり、雨は大敵なのに。

「はぁーっ」

大きなため息をついたあと、俺は意を決して近くのコンビニへと走り出した。


【終】
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